○人のブログを見るのは楽しい
私は人のブログを見るのは得意な方ではありません。何か勝手に読んだような後ろめたさがあるからです。でも私のブログにコメントがつき、あれやこれやと自動的に意見をもらえるのは有難いことです。でもでもそのコメントに対し「返事はご遠慮下さい」なんてコメントがついて、相手のメール先も分らないと少しガッカリしてしまうのです。
今朝嬉しいメールが届きました。「ブログを始めたがまだ誰にも知らせていないがあなたに知らせる」とのこと、仕事柄なのでしょうがブログは匿名、しかも中身に教育という文字が大きく見えました。匿名も教育も仕方がないなと思いながら読ませてもらいましたが、これが中々面白く匿名や教育臭くないのです。
私はかつて役場に勤めていました。役場に勤めている頃も出来るだけ役場臭くない人間になりたいと努力をしてきましたし、役場を離れた後も役場の役場臭さが益々気になって仕方がありません。役場という所は情報と権力が集中します。故に「私は偉い」という特権階級の意識を持ちがちです。「役場に行くのは嫌」という役場アレルギーの人たちは案外多いのです。役場は自己主張はするし色々なことを住民に押し付けます。やった成果は自分のものにしたがるが、失敗の責任は取らず説明はないままです。個人情報が問題になって益々そのガードは固く仕事はしろというのに情報は教えないのですからやりようがありません。
役場の中にいるとこんな住民のブツブツはまったく聞こえません。パソコンが仕事をするようになるとパソコンに向かって仕事をして人間に向かって仕事をする時間は益々少なくなってきました。これも役場の常識なのでしょうか。
まあ、こんな具合に時にはやんわり、時には鋭く批判や批評をしていますが、約6ヶ月、これほどパソコンが普及しこれほどブログが普及して誰でも読める時代になっても、未だ一件も私のブログへ役場から文句や批評を言う人がいないのですから、黙認・黙殺としか言いようがありません。お偉い人が市役所の入所式で「市民の声なき声に耳を傾け」なんて新入公務員に言ったそうですが、私流に言わせれば「声ある声に目を傾け」と言った方がパソコン時代には受けるかも知れないと思ったりしました。
匿名の注意すべきことは「匿名だから何でも書ける」という怖さです。バーチャルの世界はそこが問題なのです。人のものも自分のものも区別が付かなくなって大きな問題に発展することだってあります。また自分ではいいと思っても情報の交流がないと歯止めが利かなくなります。お互い気をつけながらいい情報を流しあい、交流しましょう。
「嬉しいね ブログを始めた 文届く 同じ話題も 違う目線で」
「悪くても いい(E)メールとは これいかに まるで漫才 面白ネタだ」
「音信の 消えた友より 風便り メールで元気か メールで元気だ」
「お礼状 段々遠のく わが暮らし それでも三枚 限界宣言」