○県境の町は愛媛で一番東京に近い町
いつも思うのですが、愛媛県内の過疎地に行くと決まったように「こんな僻地まで来ていただき恐縮です」とあいさつされます。確かに愛媛県は東西に細長い県ですので県庁所在地からだと、いくら高速道路が整備されているからといっても愛南町の旧一本松だと3時間もかかるし、伊方町の旧三崎町でも2時間、また橋が架かからなかったしまなみ海道沿いの島々へは、更に更に時間を要します。ですから自分たちの住んでいる所を僻地だと思っているのだと思います。しかしそれは心の負い目であって、もっと自信を持って自分たちの町に生きなければならないのではないかと思うのです。
今日はしまなみ海道を通って今治市の旧上浦町の高齢者フェスティバルの記念講演に招かれ、朝立ちで出かけました。しまなみ海道沿線はもう春の装いで吹く風に磯の香が漂い、日本一のつり橋を渡って行きました。少し時間があったので旧吉海町のバラ公園に立ち寄ってみました。シーズンオフということもあって公園周辺に人影は殆どなく、バラ公園の管理をしている女性が数人黙々と作業をしていました。バラの芽は芽吹きはじめており、女性の方に聞くとこの公園内には6500本ものバラがあるそうですが、毎日こうした丹精があるからこそ5月の美しい花があるのだと、むしろ花を見たより感激しました。今年のゴールデンウィーク後には、しまなみ海道もいよいよ全通するとのこと、尾道への所要時間は20分も短縮されて便利になるそうなのですが、吉海のバラ公園にとって全通は通過する町になるだけに手放しでは喜べないのではないかと心を痛めました。
旧上浦町には広島県瀬戸田町、いやもう尾道市と合併をしたので旧瀬戸田町と言うべきでしょうが、愛媛と広島を結ぶ立派な橋が架かり、その袂に道の駅があります。この道の駅の創業時には随分と深いかかわりを持ちました。当時の産業課長だった吉田さんと計って色々と知恵を出しました。当時は開通景気も重なって凄い人でしたが、今は往時ほどの勢いはなくひっそりした雰囲気でした。
今日の集会は文化勲章受章者の村上三島記念館でありました。嬉しい事にかつて県議会の重鎮であった先田先生が面会に来ていただきました。在職中、一介の役場職員だった私に何かと目と声ををかけてもらった大恩の人ですが、わざわざのお運びに恐縮してしまいました。また良く酒を飲みよく夢を語った富士見園社長の鶴岡元議員さんも楽屋へ面会に来られ、嬉しい出会いでした。
会場は約500人の熱気でムンムンでした。お年寄りのパワーは凄いと思いました。しかし残念な事にどの役員さんからも「こんな僻地まで」と謙遜でしょうが言葉が出ました。私は「ここは僻地ではありません。松山より東京に近いので、松山の方が僻地ですね」と笑って反論しました。私は思うのです。旧上浦町のような穏やかな地域で人生の終わりを迎えれることの幸せを・・・・・。皆さんもそう思いませんか。私は自分の地域が僻地だとは一遍も思ったことはありません。今は人間牧場も作り、むしろ田舎を見せびらかせて暮らしています。水は美味い。空気は美味い。食べ物も美味い。人を気遣う最高のコミュニケーションがある。こんな天国のような所で生きれることは最高の贅沢なのです。自分の暮らしの素晴らしさは外に出ないと中々分らないものです。私の90分の話はその事に大半を費やしましたが、さて心の扉は開いたかどうか・・・。
「こんなとこ 僻地僻地と 言うけれど 何処が僻地か 東京近いぞ」
「幸せな 日々の暮らしが あるとても この上何を 求めたがるか」
「ハーモニカ 吹けばいきなり 歌いだす 体感音楽 心に染みて」
「花束を 講演お礼に 渡されて すっかり揚がり 時計忘れた」