shin-1さんの日記

○山口県美川町からメールが届く

 私は日本全国色々な街のまちづくりについてお手伝いしたり、まちづくり人と深い交流がありますが、今日山口県美川町の藤本美夕紀さんからメールが届きました。藤本さんは名前が美由紀でなく美夕紀とちょっと変わっており、夕日の町の私としては「一目会ったその日から恋の花咲く時もある」なんて感じで、一変に深い仲になりました。深い仲といっても彼女が私の講演会に来ていて、講演会終了後私に質問したというただそれだけなんです。そして私にメールが来たというただそれだけなんです。でもその出会いが感傷的で、もう間もなく岩国市と合併する美川町のまちづくりについてメールのやり取りを通して随分深い仲になったのです。

 美川町では昨日合併を間近に控え閉町記念の式典があったそうです。藤本さんの所属するグループでは同時に開催されたふるさと祭りの餅つきを担当したそうですが、やがて消えゆく美川町という自治体への愛着をメールの端々に感じました。もし岡さんという美川町の課長さんと知り合っていなかったら藤本さんとの出会いも無かったでしょうが、まるでドラマの結末を見るように岡課長さんは今回のまちづくりの仕掛けを見届けるように、定年で30数年の役場生活に別れを告げるのです。岡課長さんとは公民館活動時代に知り合い、わが家にも研修にやって来てお互い酒によって炬燵で雑魚寝をした間柄ですがその几帳面な正確や仕事を最後までやり抜く姿は頭が下がる思いでした。田舎の小さな役場ながらここにも一人の老兵(60歳ですので老兵は失礼かも)が静かに職場を去って行くのです。惜しまれながら・・・・・。

 藤本さんのメールには閉町記念式典での岡課長さんの感慨深げな様子が、一人の女性の目を通してリアルに表現されていました。華やかなスポットとを浴びる訳でもない一役場職員の姿がこれほど印象深く表現されている文章は見たことも読んだこともなく、私の方がウルウルでした。ふと昨年退職した退職当時の自分の姿を思い出し、そのシーンをダブらせていました。一週間前に彼から届いたメールには職場の皆さんと退職記念のミニ旅行を計画し大阪で楽しい一夜を過ごしたと書いていました。

 まちそれぞれ、人それぞれにそれぞれの動きや人生があります。岡課長さんのこれからの人生が幸せでありますように、そして藤本さん、これからの新岩国市美川地区への熱い想いを頼みます。

  「あの町も 歴史閉じるか 寂しいね メール読みつつ ついぞしんみり」

  「一時代 築いた人が ここにいる 縁の下だが 土台となりて」

  「美夕紀さん も少し早く 出会ったら 恋の一つも したであろうに」

  「食卓に 並んだガニメ 食べながら 遠い昔や あの人思う」

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shin-1さんの日記

○世の中を憂える人

 今の日本を見て憂える人は多いはずですが、私のようにただただ傍観者に過ぎず、何の策も打たぬままその日が過ぎ去っててゆくことに心が痛んで仕方がありません。「何もあなたがそんなに悩まなくても」とか、「あなたが悩んでも世の中は変わらない」といわれるかも知れません。でも何とかしたいものですね。国家を論じるつもりはありませんが、せめて自分の手の届きうる我が家や自治会長をしている自分の集落だけでも何とかしようと少しずつ始めています。

 昨日はあいにくの雨でしたが、午後から雨がやんだので灘町集会所の横にある海岸の清掃を一人でしました。この海岸はもとも海水浴場でしたが隣にシーサイド公園ができたためお払い箱となって、今は家族連れや仲間内の野外活動の場所として使われています。今はシーズンオフで訪れる人もなく漂流ゴミが沢山ありました。

 近くの方が散歩をしていて私の清掃をしている姿を見て一緒にゴミを集めてくれました。夏になると近所の人たちは花火や騒音に悩まされるそうですが、綺麗にしないとゴミを置いて帰るので時々は散歩のついでにゴミを拾うのだと言っていました。私の小さな行いは一人の同調者と行動者を生みました。このように小さな親切の輪が少しずつでも広がると地域は良くなるのですから、私から始めなければならないと思います。すっかり綺麗になった浜辺を見て自己満足でしたが、綺麗にしたからといって漂流ゴミが流れ着かないことはありません。でも綺麗にしておくことでゴミを捨てる連鎖反応は少しでも減るのです。

 現代人は看板の文字が読めあいのでしょうか。海岸には昔私が立てた「ゴミは持ち帰りましょう」という看板のがくたびれて立っていました。その看板の横には「なんだこんな看板無視しろ」と言わんばかりにゴミがおいてありました。

 さて私と近所の人が集めたこのゴミは一体誰が処理するのでしょうか。私は役場に掛け合いに行くのが億劫です。何故なら多分押し問答やたらい回しになるからです。昨年も一斉清掃の折みんなで海岸清掃をしました。膨大なゴミだったものですから役場の担当者に電話をかけて処理を依頼しましたら、「それは海岸ゴミで私の所ではありません。産業建設課に言ってください」t言われました。産業建設課へ言ったところ「これはゴミですから生活環境課です」と振られました。結局は自分たちがトラックを借りて清掃センターへ持って行く羽目になりました。じゃあ処理費用はでまた大もめです。掃除という綺麗な善意の花はものの見事にしぼみました。「役場に勤めていたからって大きな顔するな」という後輩の冷たい目と、「役場に勤めていたのに顔も効かないのか」という住民の冷たい目に晒され寂しい思いをしました。

 今朝早起きをしてそのゴミをゴミ袋に入れ、ゴミ出しの所へ少しずつ出すようにしようと決意をして持って行きました。これ以外方法が見つからないので収集車のおじさんごめんなさい。

  「掃除する 集めたゴミは どうするの 言ったところで それはうちでは」

  「捨てないで 書いた看板 直ぐ横に ゴミを置き去る 看板読めぬか」

  「俺一人 それでもゴミは 少しでも 減ってゆくから あせらず始める」

  「昨晩は 綺麗だった 砂浜が 今朝はまたゴミ 元の木阿弥」

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