shin-1さんの日記

 ○二次会三次会 

 酒をこよなく愛した頃は、よくもあんなに酒が飲めるものよと自分に感心するほど梯子酒を繰り返していました。そのことだけが原因ではないにしても、そのことが病気原因の一部であったと深く反省し、酒を断ってもう6年が経ちました。今にして思えば二次会や三次会へ繰り出したあの頃が楽しくも懐かしく思い出されます。

 昨晩は沖縄研修の反省会という都合のいい理由をつけて4人で酒宴を催しました。兵頭君が沖縄料理のお店を探す徹底ぶりでまるで沖縄を髣髴するような楽しい宴会となりました。海ぶどうや固い豆腐、チャンプル料理に舌鼓を打ちながら飲むほどに酔うほどに饒舌は留まるところを知らないほど盛り上がり、一次会だけでも有に4時間の長丁場でしたがあっという間に時間が経って、午後6時に始めた主演が10時になっていました。何せウーロン茶での対応なので時間が幾ら経っても素面は私だけ、結局はそこで割り勘を計算してタクシーで車を置いた場所まで行き帰る準備をしたのですが、清水・門田・兵頭の三人は目配せをして暗闇の中に消えて行きました。私も内心はついて行きたい想いでしたがそこはぐっとこらえて一人帰路に着きました。 

?こじんまりした一次会のお店で意外な人にお目にかかりました。かつて若いごろ無人島に直径10メートルもある大きな竪穴式住居を造り、若者たちが集まって『語り部の集い」というのをやりました。無人島で約一週間徹底討論しようと20人ほどの若者で無人島に渡ったのです。古代食への挑戦では一日中小鳥のように粟やヒエだけを食べた日もありました。また一日中水とお茶だけの飢餓体験もしながらの語らいは、今にして思えばよき企画だったと思うのです。

 その時縁もゆかりもない一人の青年が応募に応じ参加しました。当時は時事に精通した一人の若者って感じの人でしたが、今はれっきとした政党団体の代表を務める県会議員さんなのです。彼はあの時のことをしっかり覚えていて席を交えての宴席となりました。毎年私の所へ政党の活動報告書を送ってくれる律義者の彼もいい年齢になって立派に活躍をしている姿を目の当たりにして人の出会いの不思議さを感じずにはいられませんでした。無人島の議論は彼の潜在能力の何ほどもないかもしれませんが、青春の思い出として何時までも記憶の底に残ることでしょう。

 それにしても二次会、三次会が懐かしいですね。すっかりご無沙汰しているあの店のママさんはお元気でお過ごしのことやら・・・・・・。

  「二次三次若い頃にはよく梯子それでもわが家忘れず帰り」

  「トンネルを抜けて出合った人ありて昔語りつ盃交わす」

  「それぞれにそれぞれの道たどり着くこれからそれぞれ別の道行く」

  「あの時の私あなたも若かった夜を徹して夢を語りぬ」

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“shin-1さんの日記” への2件の返信

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    相変わらずお元気のようで嬉しい限りです。只夕日ビールの飲めないのは気がかりですが。50になりましたが、何も成長しない自分にほとほとあきれながら、四万十の地で悪戦苦闘しながら生きながらえています。
    合併で四万十の名が安売りし市と町隣の可笑しさよ。

  2. SECRET: 0
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    昨晩は、遅くまでウーロン茶でお付き合い、いつも頭が下がります。若松カーで帰ろうと思いましたが、それはそれ、真直ぐ帰るはずもなく、いつもの如く「四六十」へ。さっそくH君が、昨今、女性杜氏で話題の「森翠」純米吟醸を注文。「うま酒」に酔いしれました。そこでまた、センターのS君とばったり。「論断風発、今日もふけゆく松山の夜」でした。ごくろうさまでした。

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