shin-1さんの日記

○写真を送ってください

 「若松さん。恐れ入りますが講演会のチラシやパンフレットに使うのですが、顔写真を送ってくれませんか」と、再三再四頼まれます。その度に「誠に済みませんが、私のホームページの私の写真を使ってください」と返事をしてきたのです。しかしこの写真も残念ながら拡大すると粒子が粗くなってボケてくると、これまた再三再四穂あの写真を送るよう頼まれるのですが、デジカメを使うようになって3年が経って随分写真を撮っているにも関わらず、自分の写真は殆どない事に気付くのです。そういえば写真とはカメラを持っている人間が自分以外の人や風景を撮るもので、自分を撮ることはよほどのことがない限りないのです。それでも「顔写真を探せ」ときつい要望が届きます。最近は講演に行くとその姿を写真に写して送ってくれる人がいて、何枚かは持っていますが、それもスナップ写真であったり、遠くからだったりして余り役に立たないのです。

 先日も金融広報委員会の担当者から5月の講演会のPRに使うからと同様の要請を受けました。とっさに思いついたのは、日本銀行の直ぐ隣なのでえひめ地域政策研究センターにもしや私の顔写真がデーター化されて残っているかも知れないと、手持ちの「舞たうん」という雑誌をめくってみました。残念ながら「shin-1さんのブログ」というタイトルで描いている連載記事も全て似顔絵で、私の顔写真はどこにもないのです。何気なく「舞たうん」をめくっていると清水研究員が編集長だった「地域の自立とは」という特集を見つけました。その中に翠小学校にダブらせて私の顔写真があるのです。この写真は実物よりはるかに男前に撮っていて、「これだ」と直感し直ぐにセンターの清水さんに電話しました。センターは年に4回といいながら「舞たうん」を発行しているし、加えて沢山の講座・講演会、地域の活動支援をやっていて、その都度写真を撮っているため膨大な情報量で、その中から該当の写真を探すことは、かなり大変なようです。でも清水さんは快くその検索を引き受けてくれました。

 金融広報委員会へはその旨連絡して朗報を待ちましたが、早速見つかったと連絡があり、直接届けてもらったようです。

 自分の顔写真など、芸人でもないのですから必要ないと思っていました。ましてはこの顔ですから自分が写真に写ることは極端に避けてきたように思うのです。何年か前伊予市の武智写真館で、証明用の写真を撮ったことがあります。顔馴染みの武智さんは証明用だと断ったのに、まるで正装したような立派な写真を撮って、「若松さんは顔も広いし使うこともあるだろうから」と、プレゼントしてくれたのです。案の定教育長に就任してからにわかに写真が必要になり、武智さんにプレゼントしてもらったよそ行きの顔写真はかなりの頻度で使われ事なきを得たのです。

 人間誰しも若くありたい、美しく見せたと思うのは当然です。しかし加齢著しいこの歳になると4~5年も前の写真は若過ぎて恥かしい気持ちになるのです。ゆえに年に一度くらいは自分のスナップ写真を撮っておこうと思ったりしました。

 最近私の相棒は5歳になる孫朋樹です。二人で色々な事をしながら、孫の姿をカメラで追うのですが、孫は反対に私の写真を撮る事を希望します。残念ながら逆光であったり、顔が半分しか写っていないことが多いのですが、それでも孫が撮ってくれた私の写真が手元に残るようになったし、近頃は自分が自分の写真を撮ることさえ孫に教えられて撮るようになりました。

 思わぬ写真ウォンテットとなりましたが、はてさてわたしの写真を見た人はどう思うことでしょう。「まあ醜いアヒルのおじさんね?」なんて悪口、陰口のいいネタになることでしょう。

  「お写真を 送ってくれと 依頼され 探してみたが ないこと気付く」

  「ウフフのフ 私の写真 見た人は 悪口いいつつ 陰口しきり」

  「あっそうだ 雑誌めくりて 自画像を 探すもただの 一枚だけしか」

  「死んだなら どの顔写真 使おうか 葬式用に 今から準備」

 

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shin-1さんの日記

○節句

 こちらの地方では4月4日のことを「節句」といって、この日は仕事を休み自宅で作った弁当を持って野山にくり出して花見をする風習があります。随分廃れてきましたけど、それでもこれらの伝統行事を重んじる人は仕事を休むのです。昨日は好天気で海も凪いでいましたが、漁をする漁船は全てお休みで、あちらこちらで小さな輪が出来て花見を楽しんでいました。昔から「野良の節句働き」という言葉があるように、勤勉な人は節句に休むけれど、野良(余り仕事をしない人)に限って、人ガスごとを休む時さも忙しそうに働くのです。その点私も野良かも知れないと一人苦笑しながら、人間牧場の倉庫の掃除を少々疲れるほどしました。

 一昨日の夜仕事から帰った妻は台所で何やら料理をし始めました。かまぼこ、竹輪、ニンジン、ゴボウ、かんぴょうなどの具材を切り分けて煮炊きし、もち米の入ったご飯を作った合わせ酢であわせ、どうやら巻き寿司を巻く算段のようです。「お父さん、ご飯も冷めたのでちょっと手伝ってくれない」というので、シブシブ台所へ行って、妻の指示するまま、いわれるまま茶碗にご飯をよそうのです。妻は巻き寿司用のスノコに黒海苔を敷いて私のよそった酢飯を伸ばし、そこへ具材を入れて手際よく巻いてゆきます。20本は巻いたでしょうか、「そんなに作って誰が食べるの、残り物を食べさせられるのは沢山」といいつつ、結局最後まで手伝いました。妻はその巻き寿司をを白い半紙で丁寧に包み、もろぶたという木箱に入れて一晩寝かせたのです。

 朝6時、妻は台所に立って弁当のおかずを品揃えして重箱に盛っていました。見覚えのある重箱には巻き寿司とおかずが、まるでおせち料理のように盛られ、中々綺麗です。「さあ出来た、お父さん私は仕事なので娘と息子、それにおじいちゃんに届けといてね」と、これまた唐突な指示です。私は人間牧場の作業があると思いつつ、リタイアの悲哀と受け止め、言われるがままに車を走らせました。

 親父の所は弁当を運びましたが、親父はあいにく7キロ先の下灘診療所まで自転車で通院とかであいにく不在でした。居間のテーブルに弁当を置いて出かけました。

 道沿いの桜はもう八分咲きでしょうか、濃いピンクから淡いピンクへ、これを桜色というのでしょうか次第に衣を替えているようです。海岸線の桜は殆どソメイヨシノですが、中には大島桜もあって中々見事の咲き栄えで、間もなく海岸国道378号線沿いは桜の花のベルトが見れるのです。

 まず長男息子の家へ立ち寄りました。息子は平日なので仕事、しかも今日は金曜日なので道後公園で職場の花見というのです。息子嫁と孫希心が在宅でした。ここで証拠写真を撮りました。恥かしいので間違っても写真には撮らないでね」と、妻からきつくいわれていましたが、私はアマノジャクなのです。

(孫希心君と弁当)

 続いて道後に住む娘家族の家を訪ねました。春休みなのですが孫朋樹は居残り保育のため、既に幼稚園に出かけて留守でした。孫尚樹はハイハイでそこらじゅうを這い回って元気に遊んでいました。朋樹の発見だと「直樹君が一人で座っていた」そうです。一人で座る仕草をするのですが、母親はその確認をしていないそうです。最近は物を持って立とうとする仕草を盛んにするそうで、もう直ぐ「這えば立て」のようです。

 ここでも弁当の写真を撮らせてもらいました。ここは家族が多いので、少し大きめの重箱が用意されていたようです。

(娘の所へ届けた弁当)

 さて、やっと弁当の配達が終わったので、児童相談所へ仲間の大野さんを訪ねました。残念ながらアポも取らずに立ち寄ったので彼はあいにく留守で、手持ち無沙汰なので、久しぶりに私は松前町の元気人村へ立ち寄り風呂を楽しみました。今日は花見の日和だからでしょうか、温泉は散閑としていました。馴染みの人と雑談にふけりながらしばしの休息をしました。

  「弁当を 三つも作る 忙しさ 妻に頼まれ それらを配る」

  「肝心の 私の弁当 見当たらず 二人仲良く 残り物です」

  「巻き寿司に 何か忘れた かんぴょうを 妻も痴呆か 忘れるなんて」

  「今頃は 弁当広げ 食べている 多分文句の 一つもいいつつ」

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