shin-1さんの日記

○節句

 こちらの地方では4月4日のことを「節句」といって、この日は仕事を休み自宅で作った弁当を持って野山にくり出して花見をする風習があります。随分廃れてきましたけど、それでもこれらの伝統行事を重んじる人は仕事を休むのです。昨日は好天気で海も凪いでいましたが、漁をする漁船は全てお休みで、あちらこちらで小さな輪が出来て花見を楽しんでいました。昔から「野良の節句働き」という言葉があるように、勤勉な人は節句に休むけれど、野良(余り仕事をしない人)に限って、人ガスごとを休む時さも忙しそうに働くのです。その点私も野良かも知れないと一人苦笑しながら、人間牧場の倉庫の掃除を少々疲れるほどしました。

 一昨日の夜仕事から帰った妻は台所で何やら料理をし始めました。かまぼこ、竹輪、ニンジン、ゴボウ、かんぴょうなどの具材を切り分けて煮炊きし、もち米の入ったご飯を作った合わせ酢であわせ、どうやら巻き寿司を巻く算段のようです。「お父さん、ご飯も冷めたのでちょっと手伝ってくれない」というので、シブシブ台所へ行って、妻の指示するまま、いわれるまま茶碗にご飯をよそうのです。妻は巻き寿司用のスノコに黒海苔を敷いて私のよそった酢飯を伸ばし、そこへ具材を入れて手際よく巻いてゆきます。20本は巻いたでしょうか、「そんなに作って誰が食べるの、残り物を食べさせられるのは沢山」といいつつ、結局最後まで手伝いました。妻はその巻き寿司をを白い半紙で丁寧に包み、もろぶたという木箱に入れて一晩寝かせたのです。

 朝6時、妻は台所に立って弁当のおかずを品揃えして重箱に盛っていました。見覚えのある重箱には巻き寿司とおかずが、まるでおせち料理のように盛られ、中々綺麗です。「さあ出来た、お父さん私は仕事なので娘と息子、それにおじいちゃんに届けといてね」と、これまた唐突な指示です。私は人間牧場の作業があると思いつつ、リタイアの悲哀と受け止め、言われるがままに車を走らせました。

 親父の所は弁当を運びましたが、親父はあいにく7キロ先の下灘診療所まで自転車で通院とかであいにく不在でした。居間のテーブルに弁当を置いて出かけました。

 道沿いの桜はもう八分咲きでしょうか、濃いピンクから淡いピンクへ、これを桜色というのでしょうか次第に衣を替えているようです。海岸線の桜は殆どソメイヨシノですが、中には大島桜もあって中々見事の咲き栄えで、間もなく海岸国道378号線沿いは桜の花のベルトが見れるのです。

 まず長男息子の家へ立ち寄りました。息子は平日なので仕事、しかも今日は金曜日なので道後公園で職場の花見というのです。息子嫁と孫希心が在宅でした。ここで証拠写真を撮りました。恥かしいので間違っても写真には撮らないでね」と、妻からきつくいわれていましたが、私はアマノジャクなのです。

(孫希心君と弁当)

 続いて道後に住む娘家族の家を訪ねました。春休みなのですが孫朋樹は居残り保育のため、既に幼稚園に出かけて留守でした。孫尚樹はハイハイでそこらじゅうを這い回って元気に遊んでいました。朋樹の発見だと「直樹君が一人で座っていた」そうです。一人で座る仕草をするのですが、母親はその確認をしていないそうです。最近は物を持って立とうとする仕草を盛んにするそうで、もう直ぐ「這えば立て」のようです。

 ここでも弁当の写真を撮らせてもらいました。ここは家族が多いので、少し大きめの重箱が用意されていたようです。

(娘の所へ届けた弁当)

 さて、やっと弁当の配達が終わったので、児童相談所へ仲間の大野さんを訪ねました。残念ながらアポも取らずに立ち寄ったので彼はあいにく留守で、手持ち無沙汰なので、久しぶりに私は松前町の元気人村へ立ち寄り風呂を楽しみました。今日は花見の日和だからでしょうか、温泉は散閑としていました。馴染みの人と雑談にふけりながらしばしの休息をしました。

  「弁当を 三つも作る 忙しさ 妻に頼まれ それらを配る」

  「肝心の 私の弁当 見当たらず 二人仲良く 残り物です」

  「巻き寿司に 何か忘れた かんぴょうを 妻も痴呆か 忘れるなんて」

  「今頃は 弁当広げ 食べている 多分文句の 一つもいいつつ」

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