〇エクスカーション(その4)
ものづくり生命文明シンポジウムは二日間にわたって、in松山市とin西予市の二地区で行なわれました。一般参加に加えて、NPO法人ものづくり生命文明機構や国際文化研究センター安田喜憲研究室の皆さんが大勢全国から集まりましたが、3日目は来県された県外の方をエクスカーションとして宇和島市遊子水ヶ浦の段々畑へご案内することにしました。私と渡辺浩二さん、それに宇和島から森田浩二さんに同行していただき、案内をしました。
前夜は宇和パークホテルと松屋へ泊まっていたので、8時30分の出発となりました。私は自家用車で西予市へ行っていたため、帰路のことも考えて道の駅どんぶり館へ車を置き合流するため、30分間早く出発しました。その日の朝宇和盆地には特有の濃い朝霧が立ちこめていました。どんぶり館で旧友の薬師寺智彦さんに連絡して来てもらい、妻から預かっていた土産を手渡し、束の間の音信を立ち話しました。
バスは予定通りやって来て、宇和海や入り組んだリアス式海岸の見える法華津峠を下り、吉田を通って宇和島の市内に入り、森田さんを乗せて三浦半島の先にある水ヶ浦を目指しました。壺井栄の「二十四の瞳」の「岬かと思えば島なり、島かと思えば岬なり」を思い出させるような幾重にも重なった海沿いの細い道を縫うように走り、1時間ほどで水ヶ浦の段々畑に到着しました。ボランティアガイドの方の熱心な説明を受けた後、全員で段々畑の頂上まで登りました。私もこれまで水ヶ浦には何度も足を運んでいますが、段々畑へ登るのは初めてでした。巾1mほどの小さな畑が幾重にも重なる姿は、まさに東洋のピラミッドの感じがし、同行した人たちもその美しさと人間の勤勉さに驚嘆の声を上げていました。
わたしは広場で行なわれていた大道骨董市で能面を見つけ、骨董店の大将と口相撲を取って4つも能面を買いました。私がこれまで収集している能面の数は有に30個以上となっていますが、また新たな伝説が生まれそうです。
どんぶり館から車を走らせて自宅に帰ると、既に私のパソコンにお礼や感想のメールが入っていました。さあこれからハガキを書かなければなりません。