shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年8月12日

○忙中閑有り

 一昨日えひめ地域政策研究センターの所長さんと愛媛県庁市町振興課長さんたち数人が人間牧場に見えられました。今のところ人間牧場への来訪希望者が沢山いて順番待ちの状態なので、お二人ご一行の来訪も私のスケジュールに合わせて、少年少女おもしろ教室が終わった直後となってしまいました。加えて孫の子守りが引っ付いてしまい、大変な迷惑をかけてしまいました。

 この日の天気は晴れて遠望がよく、道後平野まで一望でき、ベストコンディションではないにしてもまあまあの状態でした。車を上の道に止めて歩いての人間牧場入りだったため、午後2時の炎天下移動は大変だったのではないかと推測します。東京から愛媛県庁に出向して来ている課長さんにとって、この人間牧場や水平線の家などがどのように目に映ったのか聞きたい気持ちもありました。

 水平線の家に入った課長さんは、「いかがですか?」という私に促された質問に「想像以上です」と美辞を送ってくれました。特に自慢の特注窓を開けて見える眺望に「窓越しの風景はよく見るのですが、ここは直接見えて贅沢ですね」と、日ごろ何気なく見ていると気付かない特長をズバリ表現してもらいました。

 この日人間牧場では地域づくりをめぐる様々な問題について意見を出し合いましたが、県内の地域づくりも平成の大合併によってすっかり様変わりし、特に私たちのような田舎では過疎と高齢化、それに少子化が同時に進行して限界集落が出来るなど暗雲が立ち込めています。加えて自治体の行政が参画と協働といいながら、中々上手く行かないのが実情です。格差社会といわれる経済格差もどんどん広がっていますが、県政の責任ある人がこうして地方に足を運び地域の実情を肌で感じることは大切なことだと実感しました。

 求心力と遠心力という言葉があります。合併後の行政と地域の在り方はおおよそこの二つの言葉に集約されるようです。行政が効果効率の名の元に支所や出先を切り捨て始めました。合併のメリットは効果効率ですから権力と情報、それに財政や頭脳を集中することはそれも仕方のないことかも知れませんが、それのみで求心力は出来るはずがありません。それでなくても合併時に約束した様々な計画がホゴにされ求心力が低下しつつあるとの嘆き節を聞く度に、無意味な集中は求心力を低下させて行くのです。確かなビジョンに基づいた行政なくして求心力は生まれないのです。

 一方行政には遠心力も必要です。50年間も育ててきた旧市町村のまちづくりはこの二年で完全に崩れ去りました。それは調和と言う名の元に個性をなくした行政をやっている結果かも知れません。内から外に向かって遠心力が働かなければ市民は救われません。集落も学校も将来への限りない不安を抱えて暮らしています。市民の不安を取り除き安心して暮らせる社会を実現することは大きな行政の役割なのです。このところ何処のまちでも小学校の統廃合問題が取りざたされています。私の持論ですが小学校はやはり歩いて行ける距離を基本原則にしなければならないのではないでしょうか。学校が消える、地域が消える、こうして住む人絶えた地域を日本の各地を旅して幾つも見てきました。

 来年愛媛県で第26回地域づくり団体全国研修交流会が持たれる予定です。南予を中心として幾つかのまちで分科会が開かれるこの研修会に全国から多くの人がやって来ることでしょう。少なくても全国の人のお目当ては地域資源を活かしながら生き生きと輝いて活動している人々との交流です。前年度の会場は愛知県でした。今年度の会場は茨城県だそうですが、好景気に沸く愛知県や首都圏に近い茨城県から構造不況にあえぐ愛媛県に受け継ぐなんて勝ち組と負け組みのバトンリレー構図ではいい研修会にはなりません。愛媛県らしい活動を全国の人々に自慢して見せるような力強い気概を持ちたいものです。皆さんの奮起を大いに期待しましょう。

  「瀬戸内の 眺望体感 贅沢だ 東京人は 粋な表現」

  「力には 遠心求心 二つあり どちらも大事 信頼あれば」

  「小学校 何故に減すのか 分らない 教育再生 唱えしつつも」

  「県庁の 課長も孫にゃ 形無しで ザリガニ書けと メモ紙渡す」   

 


 

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