shin-1さんの日記

○田所さんの一筆出版祝賀会

 私の知人・友人には色々な人がいます。話術の上手い人、不言実行を是としてただ黙々と働く人、財も名声もある人、政治家、未来に開花しそうな人など様々です。でも人間は不思議な事に全て整った人は少ないようで、字の上手い人が話し下手だったり、運動の得意な人が学習はからっきしだったりする所に人間の魅力が隠されているのです。事実かく言う私も書けて喋れて実践できる人を理想としてこの40年来精進し続けているにもかかわらず未だ道半ばだし、多分理想と現実のギャップを感じながら人生を終わるのではないかと思ったりしています。

 田所さんという愛媛県町村会事務局長を長らく勤めた方がいます。町村職員だった故にひょんなことから知り合いましたが、以来長年にわたってつかず離れずの交友を温めてきました。町村長を相手にする仕事なので黒子に徹することは当たり前なのでしょうが、その苦労を垣間見せることもなくそれでいて信念を持って対応している「静的な生き方」に、どちらかというと「動的生き方」をしている私は憧れ、引かれてきました。

 彼は長年にわたって町村会報コラムに「一筆」という題で短文を書き綴ってきました。私も何度かその文章を会報の隅に見つけて読んだり、時には切り抜いて利用したことを覚えています。それは愛媛新聞の地軸であったり、朝日新聞の天声人語であったり、読売新聞の編集手帳であったりと同じような時評なのですが、愛媛というローカルな視点から日本という狭いながらもグローバルな視点で物事を見つめているところに特長があるようです。私もかつて町の教育委員会に13年間在任中、月2回の広報を10年間担当し240号の広報を一人で書きました。その中に「こちら編集局」というタイトルでコラムを書き続けました。昭和45年に人事異動で産業課に異動した折、町長の許しを得てその一部を「町に吹く風」という一冊の本にまとめて出版した経験があるのです。

 その幾つかの中には拙文で消してしまいたいような文章や、痛烈に内部告発をして物議をかもした記事なども何本かありましたが、これも自分の不徳の致すところとあきらめて、今も240号全てをフォルダーに入れ大切に保管しているのです。

 数日前「一筆」という田所さんの分厚い本が私の元へ送られてきました。既に第一線を退いている私にまでも気配りをしてくれたのです。多分歴史の生き証人として市町村をリードして来られた町村長さんの元へも届けられたのでしょうが、私は人間牧場へその本を運び一気に読み上げました。多分人間牧場の水平線の家の蔵書となっているので、来訪人の目に触れ立ち読み程度に読まれることでしょうが、長年続けて書いた折々の想いだけに役に立つものと思われます。

 昨日午後5時から全日空ホテルで開かれた出版記念祝賀会には、100人を越える名士や知人友人が集まっていました。私もその末席を汚しましたが顔見知りの古顔の町村長さんも数多くいて懐かしく面談しました。

 田所さんには私の「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティにも出席をしていただいているので、少しだけ気が楽になりました。

 祝賀会の発起人を代表して白石松前町長さんが開会のあいさつをしました。祝辞は吉野内副知事さんと宇都宮元宇和町長さん、乾杯は教育長さんでした。

(開会あいさつをする白石松前町長さん)

(壇上に上がった方々)

(この日主役の田所さん)
(万歳三唱の玉水久万高原町長さん)

 続いて花束や記念品が贈られ田所さんが神妙な面持ちでお礼のあいさつをされ2時間の談笑が始まりました。

最後は玉水久万高原町の万歳と白石前事務局長の挨拶で締められましたが、早くに奥さんを亡くされたため内助の功には触れられることもありませんでしたが、この「一筆」は奥さんの墓前に供えてあげたいような心境でした。「一筆啓上火の用心、おせん泣かすな馬肥やせ」は、徳川の家臣福井県丸岡城の城主本多氏が戦場から妻に送った日本一短い名文手紙です。天国の奥さんに田所さんはどんな手紙を送るのでしょうか。

  「消しゴムで 消せない文章 まとめ本 自分の昔 見ているようで」

  「あの人も 歳をとったと 思いつつ 聞き入る声は 昔そのまま」

  「あの人は 元気だろうか 消息を 聞かれて不義理 ハッと気がつく」

  「合併で 一つの時代 幕を引く 馴染みの顔も 見られなくなり」

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