shin-1さんの日記

○二十年ぶりに泳ぎました

 町の名前に海という字があるほど海の町なのに、何故かこの20年間に1回も泳いだことがないのですから不思議と言えば不思議な話です。しかも県下屈指の海水浴場であるふたみシーサイド公園を造った張本人なのにです。まあ昔から紺屋の白袴というように、ご本家とはそういうものなのでしょう。

 今日は今年の夏、足が痛くて病院通いして海水浴を止められていた孫に病院からお許しが出たので、午前10時にシーサイド公園へトラックで出かけました。ところが駐車場は午前中だというのに砂浜サッカーのイベントをやったり海水浴で早くも満車でまったく止めれないとのこと、仕方がないので役場裏の駐車場まで引き返して駐車、暑い夏の日差しが照りつける中を孫と二人で歩いて砂浜まで行きました。

(浮き輪を持った格好は一人前、海水浴は半人前の孫朋樹)

 今年初めての海水浴なので孫は今朝までとても楽しみにしていました。ところがいざ海に来るとさっきまでのはしゃぎようとはまったく別人のような雰囲気で、海水の中へ入るのをためらっていました。私は孫を浮き袋に入れゆっくりと海水につけてやりました。そしてその浮き袋の紐を引っ張って400メートルの砂浜の沖合い3メートルくらいな場所を移動しました。最初は怖がっていた孫も次第に水に馴れて海面に浮かんでいるクラゲや海草を掴みがら海水浴とはいい難い慰みをしました。それでも小1時間砂浜で池を掘って遊んだり、渚で泳ぐポーズをとらせたりしながら遊びました。

(さっそうと海を散策するように見えますがまだ恐る恐るです。手にはくらげを串刺しにして遊んでいます)
(どうです双海の海は綺麗でしょう。白い砂浜、透き通る渚、絵になる光景なのに何故か孫朋樹の遊泳はこの程度です)

 今日は天候もよく土曜日とあってかなりの海水浴客が泳いでいました。同じ年齢くらいの子どもはみんなまちまちで腕白そうな子どもは泳ぎ、少しおとなしそうな子どもは水遊びといったところでしょう。突然前にいた子どもの浮き輪が何かの弾みではずれ、小学一年生くらいと思うのですがゴボゴボと海中に沈んでゆきました。人の子どもであるけれど傍にいた夫婦は子どもの存在に気付かずビーチパラソルの下でビールを飲みながら談笑していました。私はとっさに持っていた孫の浮き輪を外して麦藁帽子を海面に脱ぎ捨てたままその子を助けに海中に入りました。海面に上がった子どもはいきなり大きな声で泣き叫ぶのです。その声を聞いてお父さんも海中に駆けつけましたが、「すみません有難うございました」とお礼を言いつつ、溺れかけた息子を叱っていました。子どもが悪いのではなく子どもを見ていなかった親が悪いと思ったので、「子どもから目を離さないで下さい」といらぬお節介をしてしまいました。両親はばつが悪そうに平謝りでした。今日は小さいながら人助けをしてしまいました。

 昼が近くなったので屋外のシャワーまで出かけ、娘が着替えのために用意した袋の中から100円玉を取り出してコイン入れに入れましたが、どういう訳か作動しませんでした。事務所へ言いに行くのも遠いのでそのままの水も滴るいい男のままで駐車場まで歩き、持ち合わせたダンボール箱を座席に敷いて裸ながら海パンで乗り込み、急いで家に帰り孫と一緒にシャワーを浴びました。

 昼食の後少し眠くなって横になっていると私も孫もついウトウトし始め私は20分、孫は1時間ほど午睡をしてしまいました。海での海水浴は疲れるのか何時になく体がだるいようにも感じました。たった1時間余りなのに炎天下での水遊びは体まで焦がし、背中や腕が少しヒリヒリしてきたようです。私などは日焼け止めなどを塗ったことがないのでその効果も知りませんが、今は男でも日焼け止めのご厄介になっている人も結構いるようです。

 20年ぶりの海水浴は私も孫も十分に楽しめました。汗疹や皮膚の病気には海水は薬の役目をするそうなので、汗疹の出かかった孫にはいい薬になったようです。

  「二十年 泳ぐことなく この町で 暮らしてきたとは これは驚き」

  「本当は 海にザブーンと 投げ込んで やりたいつもり ひ弱な孫を」

  「目の前で 子ども溺れて 取るものも 取らず海中 子ども助ける」

  「溺れそう 子ども叱って 何になる 叱る相手は あんただろうが」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○キャンプ終わる

(みんなのモデルハウスとなったグランプリ受賞の「星の家」です)

(星の家の正面玄関、女の子らしく清潔できれいに飾っていました)
(グランプリに輝いた二宮さんと吉永さんの協働作品)

 小学生を対象にした少年少女おもしろ教室の今年のキャンプが終わりました。今年のキャンプは初日のダンボールの家造りと星の見学会、肝試し、ドラム缶の野外風呂、芋畑の草取りなど子どもたちの事前希望調査を取り入れた例年にない盛り沢山なプログラムとなりました。参加した子どもたちにとっては特に小学5年生などは小学校連合キャンプ、学校のキャンプを加えた3回のキャンプを一週間おきに消化するハードなスケジュールとなりましたが、それぞれの向く敵が違うため、それなりにキャンプを楽しんでいたようです。

 市町村が合併して2年余りが過ぎ、教育の現場にも少しずつ変化が出て戸惑いも見られましたが、双海町という旧エリアでの教室継続は余程特徴あるプログラムや運営をして行かないと潰される恐れがあるようなので、少しだけ頑張ってみましたが、頑張っただけの効果はあったようでまずは一安心しました。

 今年のキャンプは天候と会場に恵まれました。特に池ノ久保公民館と人間牧場が目と鼻の先で移動による会場変化で子どもの目線がより新鮮になったようです。

(この日も夕日が綺麗に落ちました)
(夕闇迫る西瀬戸の海も美しい光景でした。一番星が印象的でした)
(西尾先生の星空観察会)
(私の四方山話)

 夜は人間牧場のウッドデッキに寝そべって星空監察をやりました。野外の照明が多いため日ごろは暗天や満天の星空を見る機会はそんなに多くはありません。子どもたちは講師に招いた西尾先生の楽しい正座の話に熱心に耳を傾けました。特に西尾先生の用意した光を当てると星座が見える不思議な小道具でよりリアルな星の世界を味わうことが出来たのです。私が考えていた人間牧場の星空というもう一つの魅力を改めて発見もしました。松山や双海町、それに伊予灘の夜景が星空とともに広がり何ともいえない雰囲気でした。「あっ流れ星だ」と驚く子どもたち、「天の川が綺麗に見える」と感嘆の言葉を発する子どもたちにとってもいい機会だったようです。

私は昔船乗りをしていたこともあって星の勉強はしていますが、長い間使わずに寂びてしまっている知識をもう一度呼び起こし、星の話が出来るようにしなければならないと思いました。

(男の子に人気のドラム缶風呂)
(星空を眺めながらいい湯だな)

 ドラム缶の風呂も子どもたちにとっては好評でした。お湯の温度管理などまだまだ未熟な面もありましたが、この感動をどうレベルアップするか来年度につながる取組でした。また芋畑の草取りも炎天下ゆえ短い時間ではありましたが、昨年の植えっぱなし、イノシシにやられっぱなしから前進していい方向に向かっているようです。


 運営もまだまだ事務局にかなりの負担を強いているようですが、運営委員がその都度参加してくれていることも大きな前進です。将来は今回も協力してくれた4人の大学生スタッフやサポーターを加え、地域全体を巻き込むような強力な体制を組む必要があるようです。

(昼は前野婦人会長さん、栗田校長先生、和田校長先生の合作によるたらいそうめん・蕎麦に舌鼓を打ちました)

 人事異動で教育委員会の職員も異動が激しく、少しずつレベルアップしているのですが中々思うようにはいきません。これも悩みの種だし、地域公民館の愛護部あたりを絡ませる手立てもまだまだですが、焦らずやらねばなりません。ここまで書きながら「エッ、私は一体何処まで関わればいいのか」とふと考えてしまいました。行き掛かり上請われるままに実行委員長を引き受けてきましたが、私がここまで関わらなければならない理由もないので、少し冷静になって考えてみたいと思っています。まあ何あともあれ予想以上の効果があったことだけは予想以上でした。

  「長年の 経験生きる ハプニング 安全一番 冒険二番」

  「夢あれば 教育効果 上がるもの どうせやるなら ワンランク上」

  「星いいね 人間牧場 デッキにて 新たな魅力 またまた発見」

  「汗をかき 芋の畑の 草を取る 収穫間近か イノシシ負けぬ」 

[ この記事をシェアする ]