shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年7月26日

○夕日夕焼け物語

 今年も双海町内小学校3年生の児童全員が今日から3日間、潮風ふれあい公園で合宿をしています。今日は牛の峰という町のシンボルとでもいうべき山に登山したそうです。山頂までは10キロ近くの道程で、この暑さの中をテクテク歩いて登ったため、子どもも引率した先生もみんなヘトヘトのようでした。この道の途中にはメダカの学校があって、校長を務めていた川口さんが存命中は、何度となくこの道を通って環境問題を考える集会に出かけたりまちづくり人を案内したものです。また同じような所に若宮さんの立派な廃屋があって、その家を利用したフロンティア塾は10年で40回続き、その度に多くのまちづくり人とこの道を行ったりり来たりしたものです。初めて子どもたちの登山に同行した和田翠小学校長さんの話しだと、車道を歩いて登山したためかなりの時間を費やしたそうです。何年か前福本夏芽さんと魚見真理さんと私の三人でふるさとの名山登山を企画して、海抜ゼロメートルから歩く登山を企画して同じような道を辿って登ったことが懐かしく思い出されました。かつては山や谷の稜線を歩く一直線のような生活道や登山道がありましたが今はその道は荒れるに任せて歩けないということでした。ここにも過疎は廃村の憂き目が見え隠れしているようです。

 今日は合宿研修に参加している子どもたちに夕日の話をして欲しいと学校の先生から頼まれていました。ところがどういう訳か私の予定表には明日の夕方になっていたのです。前日の夕方担当の宮岡先生からお電話があった時も私はてっきりそう信じて予定を立てていました。

 今日は忙しい日で、午前中は生協の理事会に出席して午後1時から県庁で打ち合わせ会があり、午後3時からはホテル大和屋本店で肥料屋さん組合の総会で記念講演を頼まれていました。その後の夜のレセプションにも出席を予定していたのですが、妙に気になって翠小学校の山田教頭先生に電話で問い合わせたところ、私のミスと分り、急遽レセプション出席をキャンセルして急いで帰り事なきを得たのです。

 子どもたちを戸外に連れ出し、私が在任中に作った電柱を利用した長い長いベンチに座らせて美しい夕日を見ながらの夕日の話を話しました。登山で疲れている子どもたちに気を配り出来るだけ早く終わろうと約30分間お話をしました。今日の夕日はとても素晴らしいもので、もやがかかって残念ながらダルマの夕日とまではいきませんでしたが、ドラマチックに沈んで行きました。

 宮岡先生の配慮で子どもの質問に答える形での対話もありました。「なぜ夕日を使ってまちづくりをしようと思ったのですか?」屋、「双海の夕日は何処の朝日ですか?」などなど活発な意見が出されましたが、この夕日をオンリーワンに仕組んだ話を全て話すにはかなりの時間が必要なため、「昇る夕日でまちづくり」という自著本を読むよう勧めました。

 私はこれまで「夕日夕焼け物語」をどれ程の人に話したことでしょう。でもやっぱりふるさとの子どもたちに話すのが一番の楽しみです。この子どもたちの全てがこの町に残るとは思いませんが、ふるさとを離れてもきっと双海の夕日のことは忘れない思い出として心に残して欲しいと思うのです。

 ハーモニカで「赤トンボ」と「夕焼けこやけ」の2曲を吹きました。心に染みる音色でした。

  「この子らに 伝え遺せし 物語 夕日見ながら 郷学教え」

  「夕日など 何処にでもある 資源だと いわれ続けて 二十年経つ」

  「この夕日 どこか国では 朝日だと 思って見てる 不思議なるかな」

  「ハーモニカ 心に染みる 音がする 目で追う夕日 耳追う音色」

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