shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年7月22日

○人の一生

 最近は「揺り篭から墓場まで」という言葉がぴったりの、幼児の子育てから高齢者の生きがい論まで様々な講演の場と機会が与えられ、戸惑いながらも真剣に、それでいて楽しくお話をさせてもらっています。子育ては来た道の経験だといいつつ妻の専門だったし、老後の生きがいとなると行く道ゆえ、同じ敷地内に住む父親の姿を見ながらや世情一般の話題を拾い集めて話さなければなりません。大雑把にいえば子育て論は親の生き方であり、生きがい論は人間としていかに生きるかだと理解して話すようにしています。

 先日PTAの集会に招かれお話をしましたが、最近は青少年にとって好ましくない様々な社会現象の中で子どもを育てなければならず難しい時代になったと、親が異口同音に話します。確かに私たちが子育てした頃の社会はそんなに昔ではないのにコンビにも殆どなく、携帯電話やカードの心配も殆どありませんでした。故にPTAの子育て学級も子どもとお金にまつわる非行問題よりも、校内暴力など人間関係の葛藤のような話が随分話されたように記憶しています。

 親は子どもが体内に宿ると五体満足な子どもとして生まれてくるよう祈りながら出産準備をして誕生の日を心待ちにします。やがて「お腹を痛めた」という言葉がピッタリの出産作業を経て赤ちゃんの誕生となるのです。幼子の透き通った目でたじろきもせず一心に見つめられると、自分の心を見透かされているようでたじろくほどです。そんな純真無垢な子どもが家族や友人、社会の中でもまれながら成長して成人となるのですが、「あれ程純真で素直な子どもが何故成長するにしたがって悪い人間になるのか」が不思議だとどの親も口をそろえていうのです。確かに昔の子どもに比べて今の子どもは難しいとしみじみ思いますが、これは何も自分の子どもだけが特別ではなく、個々の差こそあれ誰しも通過しなければならない人生のトンネルであり橋なのです。このトンネルの抜け方や橋の渡り方が狂うとトンネルは人生の闇夜となったり橋は転覆の危険さえ生まれるのです。親だってあれほどお腹を痛めた可愛いはずの子どもなのに児童虐待だってするのですから、悲しいものなのです。

 年齢を重ね様々な経験を積んでいく中で利害や損得にさどくなり駆け引きや時には人をだます術を覚えたりします。世知に長け要領がよくなり世間を渡る知恵を身に付けもします。歳を重ねるにつれて身にまとった虚栄の衣の重さに耐えきれぬことだってあることでしょう。

 高齢者の方々にお話しするのはそんな時代を経てきたのだから、もうそろそろ少年の頃の瑞々しい瞳の頃に帰りこれからの人生をニコニコ・ピンピン・コロリンシャンとなるような人生の仕上げをして欲しいと訴えます。

 偶然にも今年わが家には長女と長男に子どもが誕生します。父親も90歳の卒寿を迎え、キセルの入り口と出口の人生を同時に味わっています。生まれてくる子どもにも老いてゆく親父にもそれぞれ愛情を持って一緒に生きてゆきたいと思っています。

  「孫親父 何処か似ている 仕草する ゼロに始まり ゼロに戻るか」

  「子育ても 加齢もまた 悩むもの トンネル鉄橋 幾つもあって」

  「今年また 親父作りし 長ナスが 沢山生って 近所すそ分け」

  「孫の目が 俺の瞳を じっと見る 百年木の 育ち始まり」


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