shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年4月14日

○北海道へ出かけていました

 寒い二月に東シナ海を越えて2度も沖縄へ春を探しに行った私ですが、昨日と今日の二日間、今度は何と桜散る春を惜しんで津軽海峡を越えて北海道へ旅をしました。松山から羽田経由で十勝帯広空港に降り立ちましたが、そこは春まだ遠からじといった一面白銀の世界にびっくりしたり首をすぼめました。あらためて小さい国ながら日本も広いなあと思ったものです。

 今回は釧勝地区の漁協女性部の一大イベントである研修会が音更町の十勝川温泉で開催され、記念講演を頼まれての出張でした。音更はかつて私が公民館に勤めていた頃長浜町の青年と双海町の青年がチームを組んで国内研修に行った折訪ねた町なので懐かしい土地でしたが、20数年の時の流れは私たちの思い出などどこにも見当たらず白い雪の中に埋もれているようでした。

 大平原という大きなホテルの大広間を会場にした漁協女性部の研修は近隣の漁村から300人もの女性が集まりそれは熱心な研修でしたし、特に昨夜の単位漁協の出し物は歌あり踊りあり、手品ありでそれはそれは楽しいものでまるで田舎芝居を見ているような錯覚にとらわれ、久しぶりに力強いパワーを頂きました。

 私も漁村・漁家の生まれなので、しかも私の死んだ母親は6年間も漁協婦人部の部長をしていたので自分の家に来たような錯覚にとらわれ懐かしさが甦ってきました。

 集まった女性の殆どは、わが双海町の漁家のおばちゃんと一緒で、見るからに働き者といった風貌で、聞くところによると殆どの人が昆布漁や底引き網漁にご主人と毎日海に出て働いている人たちでした。いつかテレビや映画で北海道の番屋で働く人たちの姿をみたことがありますが、ニシンや鮭を相手に奮闘する浜の女を髣髴するような力強さでした。

 北海道の農家では今牛乳が売れず毎日何トンもの牛乳を廃棄処分にせざるを得なかったり、第一次産業を取り巻く環境は決して楽なものではないと聞きました。でも漁家の女性たちは宮城県唐桑で産声を上げた「山は海の恋人運動」に呼応してあちらこちらの原野に木を植える運動を行っているそうです。折角植えた幼木もエゾシカの食害にあって全滅したことあったと述懐してくれました。海で獲れる昆布や牡蠣は山から川を通って流れ出た豊富な栄養分のお陰という考えは、素晴らしい話だと思うし、わが双海町の漁家女性たちも同じようなことを実践し、環境の浄化に貢献している姿は頼もしいと思いました。

 でも「どうして木を植えたら昆布や牡蠣が育つの」の、私の意地悪い質問に「山の鉄分が川から海に流れて」なんて専門的な話は聞けず、「漁連がやれというから」なんて話で動いている答えにはちょっぴり失望はしましたが、まあ「船頭多くして船山登る」ということわざもありますので、そのくらいにしておきましょう。

 浜の女性は律儀だと思ったのは、昨年の連休ごろにわが町へ北海道の派遣で視察研修にやって来ていた数名の女性がわざわざ美味しいとろろ昆布を土産に駆けつけてくれ再会したことでした、。縁もゆかりもないのにこの律儀さには涙が出るほどの嬉しさでした。

 浜の女性は農家の女性に比べ、潮来一枚下地獄といわれる厳しい職場で働くだけに連帯感は大したものです。でもそのことは手つなぎの連帯という封建社会を生み、農家女性のような手放しの連帯が出来ない恨みがあることも事実なので、息も切らさず2時間半も喋り捲った記念講演で「女性が輝く」秘訣と苦言を呈しておきました。それにしても色々な団体が組織率が低下し退潮ムードだと聞くのに、この団体の活力の源は一体何だろうと考えました。その秘密は日掛貯金を源にした経済にありました。

 今回の旅も深いご縁と学びの多いものとなりました。

  「空巡り まるで鳥のよう ひとっ飛び 僅か半日 北の果てまで」

  「今は亡き 母に会うよな 錯覚を 漁協女性部 思い出させて」

  「とろろ昆布 土産に持って 会いにくる たった一度の 縁を忘れず」

  「山に木を 植えて恵みに 感謝する 中々やるじゃん 頭が下がる」

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