shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年4月12日

○山が萌える春

 上灘川を挟んだわが家の対岸の山は、安山岩の岩肌があちこちに見える急峻な地形の山です。中世の城郭本尊城の跡で、今でも山頂には一級といわれる石類群が残っており、松山城とほぼ同じの高さゆえに海に突き出たような山頂からの眺望はすこぶるよく、城を築いた武将たちの先見性が偲ばれます。まちづくりの草創期私たちはこの山頂に中世の城郭を再現してはと提案し、足しげく山頂に上って矢竹を刈り綿密な調査を行ったものでしたが、その夢もはかなく消えて今はひっそりとした佇まいを見せています。

 この山はわが家から見ると余り綺麗ではありませんが、長浜寄り、つまり唐崎やふたみシーサイド公園から見ると独特の風格で一山をなし、町のシンボルとしての呼び名も高い名山です。この山へ登るには天一稲荷神社からの赤道しかなく車では行けないことから松やクヌギといった自然雑林に覆われ、人工の樹木はまったく植えられていません。ですから季節の変化が著しいのです。

 最近の山は戦後の植林が進んでどの山も年中緑で余り変化のない山が多く、それを人間は美林だと勘違いをしていました。しかし最近になってCO2などの環境問題が取りざたされるようになったり、昨年や一昨年のような相次ぐ台風で杉や桧の脆さが露呈して改めて自然林の自然治癒能力が見直されてくると、手を付けられなかった本尊山のような価値が改めて見直されるようのなったのです。

 今まで金にならない価値のない山とされていた山が人間に優しい山となるなんて、まさに一周遅れのトップランナーのような気がします。この山を見続けている私としては大変喜ばしいことで、年に一度は草深いこの山に感謝の念を持ちながら登って自然の恵みをに感謝しています。しかし残念かな地元の人はこんな時代遅れな山へは登ろうとしません。ふと数年前自著「昇る夕日でまちづくり」という本に書いたブラジルリオデジャネイロのことを思い出しました。

 双海町の春分の日頃の夕日は、地球の裏側ブラジルリオデジャネイロの朝日なのですが、そのリオの入り口にはシンボル的な山があってその山頂にはイエスキリストの大きな像が建っています。夕日と朝日こそ違え何か良く似た光景を思い浮かべ、本尊山の山頂にも何かあったら面白いと考えるのは、夢を食べて生きてる私の真骨頂なのですが、この夢は実現出来そうにもありませんのでこのくらいで止めておきます。

 夏の緑、秋のハゼ紅葉やクヌギ紅葉の美しさ、冬の落葉寂しい木枯らしの季節、そしてこの頃になると山桜が咲いて山は一気に芽吹きの頃を向かえ、「山萌える」という表現がピッタリの季節となりました。昨夜来の雨と南の風の恵みでしょうが、こんな季節感を味わえる原風景はわが家の借景だけでは勿体無い気持ちです。今朝も散歩しながら山に向かって大きく深呼吸しました。

  「山萌える 色とりどりの 芽吹き受け 大きく胸を 広げて呼吸」

  「価値のない 山だとみんな 言うけれど 見方変えれば 俺の財産」

  「つわものが 山に築いた 城の跡 草苔深く 今は眠りて」

  「この町の 夕日はリオの 朝日にて いつか訪ねて この目で見たい」

 

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