shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年4月7日

○ただいま私は子育て実習

 夕食が終わった頃になると仕事を終えた娘が我が家に帰ってきます。その様子を見ていた隣のおじさんが、「娘さんが帰りよるが何かあったんかい」と朝顔をあわせたときあいさつ代わりに聞くのです。多分このおじさんはわが娘が「離婚でもして帰って来たのでは」と思ったに違いありません。このおじさんの孫も離婚して曾孫を一人連れて帰って来ているのでそう思ったのでしょう。事情を説明しましたが、ふと「そうなったらどうしよう」と一瞬不安が頭をよぎりました。

 夕食が終わるとしばらく遊んだ孫は私と風呂に入ります。こんな風呂では温まらないと思うような温めの湯でないと「熱い熱い」と大騒ぎするので、私が先に入って体を洗い、適当な温度になれば孫を呼んで一緒に入るのです。頭をシャンプーで洗うのも自分の子どもで練習をしているのでなれた手つきでこなします。体を洗って湯船に入れ20の数を2回数えるのですが、15まではすらすら、でもその後がまるで落語のように15、17、19と飛ぶのです。でも「もう一回」といって首までつからせます。

 4・5日前、妻が何処かで貰ってきたのか風呂の化粧台にシャボン玉の容器が置いていました。孫はシャボン玉をしようとせがむのです。石鹸水を容器に溶いて口で加えると大小さまざまなシャボン玉がお風呂の湯気の中に生まれては消えてゆくのです。私は忘れかけていた「シャボン玉」の歌を歌いながら孫のシャボン玉製造にお付き合いです。でも何年ぶりかで童心に帰っておおはしゃぎしました。孫も大喜びで、出る時には「おじいちゃん、また明日もしようね」「うんうん」でした。

 子どもの遊びも随分変わっています。孫は一人っ子で最初の孫ということもあって、おもちゃはおもちゃ箱に入りきれないほどあります。でも遊び方がその既製品のおもちゃを使った一人だけの遊びになって、何かしら変な感じの遊び方なのです。

 新聞の折り込み広告をハサミで切ってお面を作ったり、ままごとの真似をしたりすると、孫の目が生き生きと輝くのです。農協の置き薬屋さんが置いて帰った風船だって飛びきり喜んで遊びます。結局はおもちゃに依存して遊び方を知らないのは大人なのです。

 シャボン玉にしても風船にしても、また折り込み散らしを使った遊びにしても創作の遊びです。家は汚くなるし大人は嫌がります。でもそれを片付けることも子育てなのだと割り切れば、周りには創作の遊びが幾らでもあるようです。そしてそれらに童謡をつけて歌の世界に誘い込めば体も心もバランスよく成長するはずなのです。私は子育て講演会に時々講師として呼ばれます。その時は心理学や子育ての文献などを基に話すことも多いのですが、自分の子育て経験や無人島サバイバル経験などを交えて話します。でも子育ては妻の専権事項でしたし、無人島の生活もどちらかといえば大局的な話に終始していました。ブログに孫のことを書きながらハッと気がつきました。この一週間の孫の面倒が実は貴重な実験だと思えたからです。あと残り少なくなりましたが、積極的に孫から多くのことを学びたいと思っています。

  「ふと思う 孫が私に 教えてる 形勢逆転 子育て実習」

  「折り込みも ハサミ一つで 変身し 金の要らない 遊び道具に」

  「大声で 屋根まで飛んだと 歌歌う 湯気の向こうに シャボン玉三つ」

  「おもちゃ箱 溢れる全て 独り占め 与えて満足 今の親たち」

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