人間牧場

〇千客万来
 先日讃岐幸治先生を偲ぶ会で、受付にていきなり「地域教育実践ネットワークえひめの代表として偲ぶ言葉をおねがいします」と言われました。「聞いてない」と突っぱねましたが、讃岐先生の後任として代表を引き受けているのですから、無化に断ることも出来ず、渋々あいさつをしました。

 ところがこんなアドリブもいいことのいい加減な偲ぶ言葉にもかかわらず、参加者の反応はすこぶる良く、中には「近々あなたの話を聞きに行きたい」とか、「人間牧場を訪ねてみたい」いう人が何人も現れ、「どうぞどうぞ」とその場ではお茶を濁していました。

 数日前メールが入り、「訪ねたいのですが、土日で空いている日はありませんか」と尋ねられ、「6月8日土曜日の午前中なら何とか」と相談がまとまり「午前9時にわが家まで来てください」で会うスケジュールがセットされました。昨日の土曜日9時になったころ、「カーナビで住所や電話番号を入れたのですが翠小学校の近く」、「潮風ふれあい公園の近く」と転々として辿り着きませんでした。

 双海中学校の近くで「県道まで迎えに出ています」で、やっと到着しわが家へ案内しました。それからゲストハウス煙会所で昼までの延々約3時間、2人の教員相手に雑談めいた話をしましたが、お目当ての人間牧場へ行く時間が無くなり、結局人間牧場は次の機会に先送りすることになりました。

 そんあそんなドタバタで、結局相手の女性2人と記念撮影することも、名刺交換することもなく分れてしまいました。帰りお土産に差し上げた甘夏柑で作ったというマーマレードと、ゲストハウスの「煙会所」という看板のみの写真がメッセンジャーで送られてきました。「まあいいか。つぎがあるから~」でした。あっはっは~。

「偲ぶ会 ご縁で女性 2人組 私の話 聞きに来ました」
「カーナビで 探してみたが 分からぬと 町内あちこち 右往左往し」
「囲炉裏部屋 座布団座って 話し込む 延々3時間 面白かった」
「結局は 人間牧場 次機会 それもまた良し 分からぬままに」

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人間牧場

〇息子家族と星が岡温泉へ
 今日は松山に住む長女娘が年に一度、親孝行のつもりで妻を道後の温泉ホテルへ招待してくれるというので、昼頃娘婿運転の車でわが家まで迎えに来てくれ、午後1時ころ嬉しそうに出かけて行きました。私は来客があるので残りましたが、夕方同居の息子家族から一緒に温泉にでも行かないか」と誘われました。

 仕事も一段落したので、誘いに乗り息子の車で出かけることにしました。目的地の温泉はいつも行く松山市郊外の星が岡温泉です。その前に夕食に何が食べたいと聞かれたので、「うどん」と答え「丸亀製麺」へ立ち寄りました。私は釜揚げうどんと野菜の天ぷらを頼みましたが、息子は釜揚げの特大、高2の孫希心は何とざるうどんの特大と大、中3の孫奏心はかまたまうどんの特大にそれぞれ天ぷらとおにぎりがをつけ、まるで大相撲の力士が食べるような食べっぷりに驚かされました。

 それもそのはず高2の孫希心は身長が183㎝、中3のmq誤送信も175㎝あるそうで、納得しきりでした。温泉は土曜日ながら雨模様のためか空いていて、のんびり温泉に浸かったりサウナに入ったりしてのんびりゆっくりして帰りました。今夜は広い布団に大の字になって一人寝です。

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〇1円玉を拾いました
 今日妻がかかりつけの松山の病院へ目薬を貰いに連れて行きました。駐車場に車を止め眼科受付で処方箋を貰い病院前の薬局で目薬を受け取り駐車場へ戻りましたが、足元に何かキラリ光るものがありました。

 前を通った人もその存在に気付いていましたが、何もせず通りすがりました。私が立ちどまって足元を見るとどうやら1円玉のようでした。私は拾い上げさてどうするか考えました。

 今年の春まで私は48年間金融広報アドバイザーの職にありました。金融教育の現場で「1円玉を拾ったらどうする」、「もし100万円あったら何に使う」などのテーマで子どもたちと話し合ったことを思い出しました。

 1円玉の場合拾って子どもが警察へ持って行っても、褒めては貰いますが拾得物の受付は手間暇もかかるので、寄付をするか拾った人に貰うそうです。お金の最小単位は1円からですが、一円足らなくても物は買えません。「1円を笑うものは1円に泣く」ということわざもあります。私は拾ったことを妻に伝え妻に渡しました。百万円でなく1円玉で良かったです。

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人間牧場

〇6という数字が4つならびました
 6という数字はラッキーセブンの7や末広がりの8に比べ地味ですが、今日は令和6年6月6日と6が3つ並びました。ついでだからと朝6時きっかりにウォーキングに出かけ、所用出掛けた松山から帰って着替え、畑に出て農作業を終えたのが午後6時でした。もう30年前の出来事ですが、令和6年には当時勤めていた役場で、私は世にも珍しい課長以外部下のいないたった一人だけの日本で一番小さな新設された地域振興課の課長になりました。

 普通課長になると管理職手当がつきますが、総務課長が私の所へやって来て、「課長と言っても管理する部下がいなので、管理職手当は必要ないのでは?」と言われました。私は「たった一人の課で3つのプロジェクト事業(シーサイド公園整備・下灘運動公園整備・潮風ふれあい公園整備)をこなさなければならず、自分を管理するのが大変だから管理職手当は必要、若し管理職手当を出さないのなら地域振興課長は別の人にどうぞ」と突っぱねました。

 その後町長。助役・収入役の3役で話し合ったた結果、管理職手当をいただくことになりました。しかしその仕事の量たるや大変なもので、働き過ぎて病気になったりしましたがそれでもやりこなし、現在も3つの公園は今も最大限に多くの人に利用されているのです。私にとってそういう意味では6という数字は昔も今も意味を持った数字で、平成6年にフロンティア塾(青春塾)の講師としてやって来た東京ロマン亭の鈴木繁夫さんとの出会いがなければ彼の遺志を継いで造った人間牧場もなかった訳ですから、私にとって6という数字はラッキー6なのです。

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人間牧場

〇人間牧場のアジサイが咲き始めました
 春先の梅の花に続いて河津桜、枝垂桜、スモモの花などの花木が順次咲いて、訪れる人の目を楽しませていましたが、6月に入るとウッドデッキ周辺に植えているアジサイが彩りを添えて咲き始めました。

 元々は人間牧場の草刈りだけではしんどいだけだから、何か楽しみを増やそうと思い、町内のあちらこちらで咲いているアジサイの花を枝ごと貰い、発泡スチロールのトロ箱に底穴を開け鹿沼土を敷いて挿し木をした苗木を、1本また1本と増やして行き植えたものです。

 しかしそのことが帰って草刈りを難しくしたり、アジサイの花が終わると花柄を剪定ハサミで落とさなければならないとあって、かえって手間を食っていますが、花が見えるのだから仕方がないと諦めて、私一人で花を愛でています。

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人間牧場

〇何でこんなに忙しいのだろう?②
 同い年なのでTさんは20年前定年退職し、その後3年ほど外郭団体に天下り再退職し63歳で全ての職を辞し今日を迎えています。一方私は町が合併してなくなったため、教育長を最後に退職しましたが、再就職の声もかかったものの晴れて自由人となり、大学も出ていないのに愛媛大学法文学部の非常勤講師や農学部客員教授として地域活性化論というテーマで年間60時間教壇に立ち、その後も聖カタリナ大学で2年間地域行政学を年間60時間講義をし77歳で新型コロナの渦中大学を去りました。

 そこからはTさんと私の生き方はまるで違っていて、同級会の時出会うだけで音信が途絶えていましたが、Tさんの話によると今は何もせずだそうです。一方の私は「何でこんなに忙しいのだろう?」と自分自身が思う程忙しく、この20年間は退職時に一念発起して造った人間牧場や、海の資料館海舟館、私設公民館煙会所、それに家庭菜園をフィールドに交流の輪を広げ、年輪塾の塾長や地域教育実践ネットワークえひめ代表、21世紀えひめニューフロンティアグループ代表、県公連専門委員長、双海町子ども教室実行委員長、双海史談会会長などと深く広く関わって生きています。

 私の日課は朝4時に起床し、6時までに3本のブログ記事を書き、6時からは1日1万歩を目指してウォーキングをしたり、1日3枚のハガキを毎日書いたりしながら過ごしています。Tさんと私の違いは退職後の20年と、これから生きるであろう目標の100歳までの20年です。これまでの人生がこれからを決めるのだとしたら、私の人生は知れたものになるはずですが、これからの人生がこれまでを決めるのです。つまりgive and takeでなくtake and giveの精神で生きることです。私の忙しさは、どうやらtake and gibuの生き方をしているからかも知れません。今はたと気がつきました。愚か者ですね~。

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人間牧場

〇居酒屋の掛け軸
居酒屋の客間は千客万来、多くの人が集まる場所です。昨日出かけた助格という炉端焼きの居酒屋3階には比較的広い客間があって、30人ほど私たちが集まりました。座敷の床の間には、2幅の掛け軸が飾られていましたが、殆どの人はそんな掛け軸には興味がなく、酒が入って盛り上がると、掛け軸など見向きする人も殆どいませんでした。

 酒を呑まなくなって20年以上が過ぎた私は、少し変わった人間なのでしょうか、飲むほどに酔う人の様子を窺いながら、掛け軸に何度も目をやり、凡人ゆえ誰が書いたのか詳しいことや、掛け軸の値打ちなど殆ど分かりませんが、色々と考えてみました。「千壽」と「無心」という言葉の意味には深い意味があるようです。

 世の中が大きく変革し色々な問題や災害が起こって、混沌としていてネガティブになりがちですが、ポジティブな考え方や生き方ひとつでいいことが千も見つかるようです。また煩悩に迷わされてやりたいことが沢山あっても出来ず、それは社会のせい他人のせいで出来ないと思いがちですが、そんな生き方の戒めとして「無心」になることの大事さを教えているようです。この掛け軸に出会っただけでも昨日の5千円の会費は決して高くないと思いました。

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人間牧場

〇久しぶりの呑み会付き会合
あれほど浴びるように飲んでいたお酒を、体の都合できっぱり止めて22年が過ぎました。夏の暑い日などテレビのコマーシャルでビールの宣伝を見た時などは、「何でお酒を止めたのだろう?」とついつい思ったり、夏の暑い日には「一杯飲みたいなあ」と喉をならしてため息をつくことさえありましたが、今はもうそんな気持ちにもならず、むしろやめたことを公開するどころか、よくぞ止めたと自分で自分を褒めてやりたい心境になります。

 

 ところがつい最近コロナで途絶えていたのに年に何度か呑み会付きの会合が復活していて、役職についている故無理に断ることが出来ず、自然体でウーロン茶やアルコールゼロのビールを呑んでお茶を濁していますが、酒の味を知っているだけに後ろ髪を引かれる時もしばしばです。

 今晩は私が代表を務めている地域教育実践ネットワークえひめの、第一回実行委員会が行われ、会合を早々と切り上げ付随した呑み会を始めました。人間可笑しなもので、それまで貝のように固く口を閉ざしていた人も、堰を切ったように饒舌に話し始めるのですから不思議です。人は得てして自分に都合のいいように生きるようにできていて、思っていないことまで行ってしまうものだし、相手とお話しする時は原稿もないのにしっかりと思い出して話すようです。今日も下戸の私はみんなの近況を聞き役に回りました。

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人間牧場

〇県公連専門委員会
 私は長年県公連の専門委員長をしています。専門委員は会長より諮問を受けた事項について議論し答申をするのが仕事です。4年前「今後10年間で取り組むべき施策」について議諮問を受けたので議論し答申を行いました。私が委員長として取りまとめた答申は「公民館版SDGs~公民館を発展させるための16の目標~」でした。

 その内容は、1、当面する公民館を巡る4つの重要課題、2、公民館を発展させるための16の目標とそれぞれ5つのチェックポイント、3、公民館を発展させる6つの試作でした。以来その答申に沿って普及啓発のための講習会をしたり、県公民館研究大会や地区別公民館ステップアップセミナーでの鼎談・分科会などで積極的に仕掛けてきましたが、残念ながらまだ啓発の域を超えてないのが実情です。

 そのため、昨年度から新年度が始まる前に臨時会を開き、その進捗状況の確認と、今年度の進め方について議論をするため、昨日県生涯学習センター会議室で会議を行いました。従来専門委員会は答申を出せば終わりでしたが、考えた以上はその推進に責任を負わねばならないと思い、皆さんの意見を取りまとめた次第です。何とか公民館が地域活動の拠点となるよう、努力したいと思っています。

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人間牧場

〇水難救助船のお引越し
 200体の人形が語る漁村の昔の暮らしの人形作りもいよいよ大詰めとなってきました。中でも最後に残っている昔の小学校の授業風景や、水難救助船、それに魚見小屋での大ザイ振りは超高難度の人形作り作業で、先日わが家へやって来た林さんにもそのことを伝えました。


(親父が造った水難救助船の模型で、この船に八丁櫓を漕ぐ若者とかじ取り、それに船頭人形を乗せる予定です)

 中でも、海の資料館第2展示場を占有している親父が10年以上をかけて手作り製作した、かつて瀬戸内海で活躍した和船模型の中でも特異な、「水難救助船」に10人余りの漁師さん人形を乗せ、波が逆巻く荒海に櫓を漕いで乗り出す物語の再現を想定していて、先日展示室からその模型を取り出し、丁寧に小さな掃除機で埃を取り、ワックスを塗って林さんが来るまでに磨きをかけました。

 先日その模型を林さんの車に恐る恐る乗せ、持ち帰ってもらいました。八丁櫓や舵棒、ミザワ、救命浮き輪、投げ縄などなど小道具も多く、林さんは傷めないよう一旦、久万高原町明神の林さんのアトリヘ運んだとメッセンジャーで連絡がありました。発想した私は出来上がるのが楽しみです。林さんの苦悩やプレッシャーは想像して余りあるものがありますが、信頼関係はしっかりできているので、期待をし楽しみにして待っています。

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