人間牧場

〇どうやら花粉症のようです
 家庭菜園のに植えていた冬野菜の大根や白菜、カブにトウが立ち、菜の花が咲いたため、引き抜いて処分をしました。その折菜の花の花粉が衣服に着いたからでしょうか、この4~5日鼻水が出始め柔らかいティシュのお世話になり始めました。

それは花粉症だと家族も医者もみんなが言います

 妻や若嫁に話すと「それは花粉症だと思うので病院に行った方がいい」と勧めてくれました。一昨日野金曜日早速歩いて5分の場所にあるたけます診療所に出かけました。受付にいた患者さんは午前9時過ぎだというのに私一人でした。

やがて診察室に入るよう案内されてノックして入ると、馴染みの先生が「どうされましたか?」と症状を聞かれました。少し大げさな表現で、私「鼻水がゾロゾロ出ます」と言うと、医師「花粉症の症状ですね。薬を出します。何日分がいいですか?」。私「とりあえず1週間分」、医師「はいご苦労様」でした。

 問診だけで「花粉症」という病名をつけて、薬を処方され、受付でお金を払って隣の薬局へ処方箋を持って行き、お薬をいただいて帰りました。朝夕食後2回言われた通り薬を飲んでいますが、一緒に貰った鼻スプレーの使い方が分からず、散歩のつもりで薬局に出かけ使い方を教ええてもらい、自宅で処置をしています。薬が効き始めたのでしょうか、幾分鼻水も収まりつつあるようです。嘆かわしい春先です。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇煙会所での飲み会
 昨日わが家の私設公民館煙会所に子ども教室の関係者が集まり、13日の実行委員会に提案する今年度の事業計画について検討会を行いました。主目的は検討会でしたが、この3月末で退任した森田館長の送別会、4月から後任になった奥村公民館長の歓迎会、それにジュニアリーダー会が進めているベンチ製作ですっかりお世話になった北風建設の社長の慰労会、それに社会教育課へ異動になった隅田さんの歓迎会と、あれこれをまとめての飲み会でした。

 この3年間新型コロナの感染拡大で飲み会を伴った交流会が自粛されていましたが、間もなくコロナが1類から5類に引き下げられる予定なので、まさに久しぶりの楽しい飲み会となりました。私は子ども教室の実行委員長をしているので、快く私設公民館煙会所を場所として提供し、酒を呑まない私が氷を買って発泡スチロールでビールを冷やして準備したり、いつものことながら妻に頼んでおでんを炊いてもらいました。10日ほど前首を切ってトウが立つのを防いでいた大根を畑から引き抜いて使いましたが、鍋の底が見えるほどみんなに喜んで食べてもらいました。

 人を迎える準備は何かと大変です。部屋の内外、それにトイレまで綺麗に掃除をしました。また倉庫から木炭を出して炭箱に入れて囲炉裏で火を起こしました。慣れているのでどおってことはありませんが、3時間余りの間は炭を火の中へ足し続けなければなりません。またお開きになった後の片付けも、火事にならぬよう日の始末には特に気をつけ、お客さんが帰った後の片付けや掃除もしっかり行いました。楽しい一夜でした。

「酒の席 久しぶりだと 思いつつ 一人であれこれ 準備おさおさ」
「おでんでも 作ろう妻が 言ってくれ 役割分担 10人分を」
「飲むほどに 饒舌になる 仲間たち 昔私も あんな時代が」
「アルコール ゼロのビールで 気分だけ 酔った気持ちで 仲間に入る」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇今年の桜の花の記憶の記録(その2)
ランダムに、綺麗かった潮風ふれあい公園の今年の桜の写真をアップしてみました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇桜の花見途中に目に留まった標柱
これまで穏やかな日々が続いていたのに、昨日の昼頃から低気圧や前線の影響で春の嵐が吹き荒れ、せっかく「今年の桜は殊の外綺麗」とみんなが褒めていたのに、桜吹雪が舞って残念ながら散ってしまいました。

私たち夫婦は一昨日週間天気であらしが吹くことを予想して、潮風ふれあい公園へ見納めの桜を見に出かけました。先日とっておきのその写真を私のfacebookにアップしたところ、沢山のお褒めの書き込みがありました。恐らくその時の花の咲き具合以上に満開で、穴場を知ってる多くの人が満開の桜を見て堪能していました。

 のんびりゆっくり潮風ふれあい公園を歩いていると、藤棚近くで一本の標柱が目に留まりました。この標柱は私が実行委員長をしている子ども教室の、通学合宿夕焼け村が20周年を迎えたのを機に、タイムカプセルを埋めた在処を示す標柱なのです。

 はてさて掘り起こす予定の2029年まで私は元気で生きているだろうか?と、指折り数えてみました。あと6年ほどですから確証はないものの、何とか見届けたいものだと、体調管理を誓いました。

「桜散る 嵐の前に もう一度 満開見たい 妻と出掛ける」
「そこここを 散歩してると 標柱を 見つけあれこれ 思い巡らす」
「掘り起こす 予定の年月 記している それまで私 元気だろうか?」
「あと6年 何とか元気 保持をして 見届けたいと 自分に誓う」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇内孫の小さな手土産
 昨年入所先の特養施設で亡くなった隣のおじさんとは、何かにつけて気が合い、存命中は私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループが計画実行した丸木舟の建造時にも手伝ってくれるなど、お世話になりながら言葉を交わすこともなく亡くなりました。

 そのおじさんが存命中私の親父が、「息子の進一はあちらこちらに出かけていると聞くが、まだ一度もお土産を買ってきたためしがない」とこぼしていた逸話を話してくれました。「そういえば」と深く反省していたものの、ついにお土産を買って親父に渡すこともなく親父は冥土へ旅立ちました。今頃は隣のおじさんたちとあの世でそのことを話しているかも知れません。

孫が買って来てくれたお土産のぼっちゃん団子

ところでわが妻は近場であろうとあちこちへ出かける度に、土産を買って同居している息子家族へ渡しているようです。そんなこともあってか、今度中1と今度高1になる内孫たちは、何処へ行っても妻と同じように土産を買って帰るのです。今は春休みで宿題も殆どなく孫たちは友人たちと相談して、列車と電車を乗り継いで、松前の商業施設エミフルや松山のキスケなどに出かけているようです。

 昨晩中2になる内孫奏心が柗山銘菓うつぼ家の「ぼっちゃん団子」をお土産だと、私たち夫婦のために買って帰ってくれました。友だちと遊びに行っただけなのに、私たちのことをちゃんと覚えてくれていることに、何気ないことですが嬉しくなりました。同居の孫たちとはいつもいろいろなことを話し、時には頼まれて日曜大工などをして楽しくやっています。今のところ優しい心に育っているようです。

「春休み 友と一緒に 遊び行く 孫は帰りに 手土産買って」
「わが親父 隣のおじさん 漏らしてた 息子は何故か 土産を買わぬ」
「先に逝く 親父とあの世 おじさんと 出会って色々 話しているかも」
「勉強は 程ほどだけど 内孫は 心優しく 今のところは」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇見る人もなし寂しい桜
 私のウォーキングコースの途中にある、元上灘保育所の園庭に今年も桜の花が咲いているのをフェンス越しに見ました。かつて私の4人の子どもが通っていた保育所だけに懐かしさ一入です。立派な建物なのにアスベスト騒動で、市役所地域事務所横の保健センターへ一年前移転したため、今は空き家状態です。

 ただでさえ人口減少で寂しいのに、下灘中学校跡地といいこの保育所跡地といい、議会の度に跡地空き施設の利用については、「早急に善処します」と答弁しているようですが、「早急とはいつまで」なのか、「善処」とは何を言うのか分らぬまま、恐らく今年もそのまま放置されるに違いないようです。

 この保育所の入口に2本の立派な桜の木がありましたが、管理上の理由なのか突然伐採されてしまいました。桜の苗木をあちこちに植えてきた私としては、桜の木くらいは残しておいて欲しい気持ちですが、今年もけなげに咲いてくれたものの、誰も見向きもせずただ咲いて人知れず散って行く運命にある桜の花を、少しの間鍵がかかり閉まった門扉越しに愛でてやりました。

 かつては元気な子どもたちの賑やかな歓声が聞こえていた園内も、素足で歩かせたいと植えた芝生のあちこちに、背の高い雑草が沢山伸びていました。少し寂しく少し悲しい今年の桜でした。

「閉園に なってしまった 保育所に 今年も桜 奇麗に咲いて」
「一昨年 までは子どもの 歓声が 今はひっそり 人気配なく」
「門扉横 あった大きな 桜の木 管理理由か 伐採されて」
「この施設 どうなるのだろう? 早急善処 言ってはいるが
                      いつのことやら」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇瀬戸町今昔
 私が妻の同級生である瀬戸町の奥山さん宅を始めて訪問した時は、まだ平成の大合併をする前の旧瀬戸町時代だったと記憶しています。以来あっという間に20年以上の歳月が矢のように過ぎました。当時奥山さん宅の庭先に植えていた桜の木も、今では見上げるほど大きくなって、今年も見事な花を咲かせていました。

 いつものことながら、案内されて居間に上がらせてもらい、出されたお茶を飲みながらお話をしていると、昔瀬戸町長だった井上善一さんの話になり、早速電話を掛けると運よく在宅で、電話ながら懐かしい声を聞くことができました。聞けば瀬戸大江で農業を営んでいるらしく元気なご様子でした。

 その折20年前に作られたという電話帳を見ましたが、表紙には当時の瀬戸町三机付近の航空写真が写っていました。ダメ元で手持ちのタブレットで写真に、川之浜海水浴場のシャンとともに複写しましたが、今は私たちの町と同じように人口も減り、高齢化や少子化で、中学校も近々統合されるようです。

 井上さんが課長時代作った農業公園を備えた道の駅には、町見郷土館に保存している民俗資料などを展示する資料館の建設が進んでいて、大きな転換期を迎えているようです。太平洋戦争末期真珠湾攻撃の訓練基地となった歴史ある風光明媚な地域ですが、私にとってこれからも時々訪ねたい場所の一つです。

「瀬戸町と 呼ばれていたころ 伺って その後の遍歴 つぶさ覚えて」
「20年 時の流れは 矢のように 相手も私も 歳を重ねて」
「人が減り 高齢・少子化 進み行く これからどうなる 農山漁村」
「この町に 生まれてやがて 死んで行く これ以上ない あり意味幸せ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇落ち葉掃除
 人間牧場へ来客がある時は、前日若しくはその日に早く出かけて、人間牧場の進入路の掃除をします。最近は進入路の畦畔をイノシシが餌となるミミズを探すため、足と鼻で壊して土を落とすため、時にはスコップで土を跳ね上げ、竹ぼうきで掃いたりして、まるで門前の小僧のように掃除をしています。

 昨日は蜜蜂の巣箱に蜜蝋を塗る作業をしに人間牧場へ息子と2人で出かけました。その折息子はいつも使っている電動ブロアーを持参していて、蜜蝋塗りが一段落ついたころ、そのブロアーで落ち葉を風圧で吹き飛ばし始めました。凄い風圧で落ち葉は吹き飛ばされ、すっかり奇麗になりました。

いやいや文明の利器の力や仕事量は大したもので、これからはこのブロアーを借りて掃除をしたいと思っています。最近息子はあれこれの道具をパソコンで見つけ、注文して買っているようで、その都度「お父さん、○○買おうか」と相談を持ち掛けられます。息子の魂胆は自分の小遣いが少ないため、私の財布を当てにしているようで、少額の買い物は即決で出してやります。

 アマゾンでの買い物は便利で、注文すれば殆どの商品が何でも2~3日で自宅へ届くのです。いやはや便利ですが、お陰で色々な道具が揃うものの、倉庫の中がいっぱいになっているようです。それにしても不便な田舎に住んでいても、便利この上ない世の中になったものです。

「最近は インターネットで お買い物 息子はあれこれ 買ってるようだ」
「その都度に 相談されて 金を出す 息子の魂胆 分かっていても」
「田舎ゆえ 不便と思って いるけれど 中々どうして 便利な世の中」
「ブロアーで 落ち葉大群 吹き飛ばし あっという間に 奇麗になって」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇助っ人の息子から私に「食品ロス」についてたしなめられました
 雑草の片付けに手間暇がかかることを、facebookに書いたところ、息子が読んだのかどうか不明ですが、今日は昼前家庭菜園で草削りをしていると、息子が「手伝おうか」と声をかけてくれ、「それじゃあ頼む」と言って、手助けをしてくれました。

 基本的に大根や白菜、カリフラワー、キャベツなどの食べれなくなった野菜は畑の隅の置き場へ、ハコベ草などの雑草は別の畦畔まで、一輪車に積んで運ばなければならず、結構体力がいるのですが、身長が180㎝近くあり体力のある息子は引き抜いた野菜や削った雑草を一輪車いっぱいに積んで、いとも軽々と運んでくれました。

 そのさい、「SDGsのことをよく知ってるのに、野菜をこんなに廃棄して食品ロスをするとは何事か」と文句を言われました。そう言われても「トウの立った大根はスが入って食べれない」と反論しましたが、言い訳無用とばかりにたしなめられました。息子の言う通りで親たる私の「一本負け」でした。

 今年からはそのことを肝に銘じて野菜を作ろうと思っています。今年も余った大根で大量の切干大根を作り、多くの人に差し上げて喜んでいただきました。

 

[ この記事をシェアする ]