人間牧場

〇瀬戸町今昔
 私が妻の同級生である瀬戸町の奥山さん宅を始めて訪問した時は、まだ平成の大合併をする前の旧瀬戸町時代だったと記憶しています。以来あっという間に20年以上の歳月が矢のように過ぎました。当時奥山さん宅の庭先に植えていた桜の木も、今では見上げるほど大きくなって、今年も見事な花を咲かせていました。

 いつものことながら、案内されて居間に上がらせてもらい、出されたお茶を飲みながらお話をしていると、昔瀬戸町長だった井上善一さんの話になり、早速電話を掛けると運よく在宅で、電話ながら懐かしい声を聞くことができました。聞けば瀬戸大江で農業を営んでいるらしく元気なご様子でした。

 その折20年前に作られたという電話帳を見ましたが、表紙には当時の瀬戸町三机付近の航空写真が写っていました。ダメ元で手持ちのタブレットで写真に、川之浜海水浴場のシャンとともに複写しましたが、今は私たちの町と同じように人口も減り、高齢化や少子化で、中学校も近々統合されるようです。

 井上さんが課長時代作った農業公園を備えた道の駅には、町見郷土館に保存している民俗資料などを展示する資料館の建設が進んでいて、大きな転換期を迎えているようです。太平洋戦争末期真珠湾攻撃の訓練基地となった歴史ある風光明媚な地域ですが、私にとってこれからも時々訪ねたい場所の一つです。

「瀬戸町と 呼ばれていたころ 伺って その後の遍歴 つぶさ覚えて」
「20年 時の流れは 矢のように 相手も私も 歳を重ねて」
「人が減り 高齢・少子化 進み行く これからどうなる 農山漁村」
「この町に 生まれてやがて 死んで行く これ以上ない あり意味幸せ」

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