人間牧場

〇知らなかった朝顔たち
 私はこれまで自分の書斎の窓辺に緑陰として朝顔を育ててきましたが、息子が昨年から朝顔の鉢植えを育てるようになってからは、それも止め遠く近くでその成り行きを見守っています。この時期になると鉢植えの朝顔が咲き始めたため、花の咲いた鉢植えを玄関先に飾って楽しんでいます。

 昨日の夕方、少し小型の花の咲いた鉢を置いていたので、「これは夕顔?」と息子に聞くと、「これは夕顔でなく夜顔だ」と言うのです。「えっ?、ユウガオは聞いたことがるが、夜顔なんてあるの?」聞き直しました。息子は図鑑を見せて、「朝顔・昼顔・ユウガオ・夜顔」の違いを教えてくれました。

一目で分かる花の違い
わが家に咲いた夜顔の花

 なるほど納得でした。私は77年間も生きているのに、わずか49年しか生きていない息子に教えてもらわなければならない、悲しき老人であることを自覚しました。花は息子、スマホは孫、生きるすべは妻や若嫁にです。それにしてもみんな知っているふりして生きているから不思議です。「知っていましたか?」

「朝顔に よく似た花が あることを 知ってはいたが 夜顔あるとは」
「図鑑見て これが夜顔 な~るほど 一目瞭然 やっと納得」
「喜寿までも 生きているのに 知らなんだ 恥ずかしながら 悲しき老人」
「あさがおは 夜はしぼむが 夜がおわは 朝にしぼんで 私のようだ」

 

 

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人間牧場

〇朝顔の咲く夏となりました
 この2~3日は梅雨の晴れ間の天気で蒸し暑く、松山も日中の最高気温が30度を超す真夏日が続いています。息子は昨年に引き続き今年も庭で、大量の朝顔とホウズキを育てていて、毎朝5時ころから外に出て、水遣りや支柱立てに余念がありません。

咲き始めた朝顔

 息子の話だと今年も伊予市街の交流施設町家の店頭に、これらの朝顔を運び展示をするようですが、用土や植木鉢などなどの購入費用は全ての息子のポケットマネーだけに、わが息子ながら少し馬鹿げたことをよくやるものだと、呆れたり感心したりしながら見ています

 その朝顔が一昨日ころから咲き始めました。色々な種類を植えていますが、息子は咲き始めた朝顔の鉢植えを玄関先に並べて、誇らしげに蘊蓄を語っています。ホオズキもピーマンやシシトウの花と同じような白い花が咲き始め、早いものは紙袋のような実をつけ始めています。

 今朝は朝早く起きて朝顔の世話をしていましたが、今日は中山町十彩会が植えているヒマワリ畑の草刈り作業があるらしく、軽四トラックに草刈り機と混合油を積み込んで出かけて行きました。私にとっても息子にとっても夏場の活動期は、楽しくも忙しい日々となるようです。

「梅雨晴れ間 ムシムシ気温 真夏日に 朝夕作業 さえも汗だく」
「わが息子 早起きをして 朝顔や ホオズキ世話に 汗を流して」
「3日前 ころから朝顔 咲き始め 咲いた咲いたと 息子自慢す」
「町家にて 今年も朝顔 展示会 まもなく始まる 準備おさおさ」

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〇故郷は遠くなりにけり
 昨日講演で出かけた愛媛県生涯学習センターの控室で、講演の出番を待っていると、松山市高浜公民館の蔭原館長さんが見えられ、3枚のプリントアウトした写真をいただきました。聞けば蔭原さんは私より3つ年下の弟忠行と、松山工業高校土木科の同級生だそうで、何年か前阪神に旅行した折、当時奈良県に住んでいた弟と出会ったとのことで、写真はその時に撮ったもののようでした。

和歌山に住む3つ違いの弟

弟は松山工業高校を卒業すると、奥村組という建設会社に就職し、主にトンネル工事を担当し、関西方面のトンネル工事現場を転々としていました。和歌山の女性と知り合い結婚し高田郡山に居を構えて暮らしていましたが、退職を機に連れ添いの実家のある和歌山県古座川町に転居し、今はそこで暮らしています。

 盆や正月などには足繫く帰省していましたが、年齢を重ねるほどに遠のき、親父の葬儀を最後にわが家へは帰って来なくなりました。いつも思うことですが、生まれたふるさとで暮らしたのは、高校を卒業するまでの僅か18年間にしか過ぎません。勿論74歳になった折々には故郷へ帰省はしていても、最早故郷は遠くなりにけりなのです。

 おそらく遠隔地ゆえ、弟が生まれ育ったこの地へ帰ることはそんなに多くはあるまいと、いただいた写真を見ながら懐かしく、一緒に遊んだり暮らした当時のことを思い出し、少し感傷的になりました。今日にでも弟に電話を入れ、同級生の蔭原さんと出会ったことを話してやろうと思っています。

「講演の 前に控えの 部屋に来る 弟同級と いう人ありて」
「弟が 写りし写真 いただいた 今頃どうして 暮らしているか?」
「弟と 一緒過ごした 年月は わずかに短い 18年しか」
「人の世は はかないものよ 弟と いえども遠く 思い出しかなく」 

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人間牧場

〇facebookつながりの出会い楽しく
 このところ、私のfacebookの記事を見て、感想や意見を盛んに書き込みしてくれる人が何人かいます。書いた記事への感想だけに、暇を見つけて返信をしていますが、大学の名誉教授であるSさんもその一人で、facebookつながりで私に会いたいと言うのです。そして昨日市内電車と列車を乗り継いでやって来ました。

人間牧場を訪ねて来られたSさん

 身障4級と聞いていましたが、足の具合が思わしくなく、迎えに行ったJRいよ上灘駅のプラットホームから駅舎までは段差が多く、手すりもないことから、少し痛々しい姿で降りてこられました。早速私の軽四トラックに乗ってもらい、木造校舎の翠小学校やわが家を案内したものの、どこに行ってもバリアフリーなど縁遠いだけに、四苦八苦でした。

 それでも人間牧場訪問も楽しみのひとつと言うので案内し、水平線の家の窓を開け、お互い椅子に座って長話となりました。Sさんは長年スポーツの世界で生きてきた有名な人ゆえ、持参した沢山の資料を基に立て板に水のような面白い話をいっぱい聞かせてもらいました。足が不自由な以外は口達者で、年齢は私より5つも若く、これからどう生きるか沢山の夢物語も聞きました。

 帰りの列車の予定を聞いていたので、13時に人間牧場の終いをして下山し、JR下灘駅にて何とか列車にギリギリ間に合いお別れしましたが、「無事帰った」「感想は・・・」と携帯電話で長々話し再開を誓い合いました。偶然Sさんの奥さんもよく知りよく出会い、一緒に活動している間柄なので、これからの出会いが楽しみです。

「毎日の ように書いてる デジタルで 知り合う奇遇 現代ゆえに」
「出会いたい じゃあおいでと 連絡を 取り合い昨日 Sさん来訪」
「足不自由 バリアフリーも ないゆえに 行く先々で 不便をかける」
「対話する 話あれこれ 面白く これから先の 出会いに期待」

 

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人間牧場

〇誰に似たのか?
 私の長男は子どもが保育所に入るのをきっかけに、結婚以来住んでいた松山のマンションを引き払い、家族とともにわが家へ帰って、私たちと同居を始めました。息子が「今時親と同居するなんて余り聞いたことがなく、僕は親孝行息子だ!!」と言うように、私たち年齢を重ねた高齢者にとっては、暮らしや将来への安心感に加え、二人の孫が身近にいてこの上ない喜びなのです。

 しかし手放しで喜べないこともあります。わが息子は誰に似たのか?分かりませんが、もう50歳に手が届くというのに、カブトムシを飼って夏になると無償配布したり、昨年からは朝顔とホウズキの鉢植えを沢山育て、シーズンを間近に控えたこの頃は、庭中に広げさがして、まるで園芸店のような雲行きで、庭の草引きの邪魔にあることもあって、妻から「少し片づけて欲しい」と注文を付けますが意に関せず、馬耳東風といったところです。

 最近は私の趣味の領域にまで踏み込み、私がこの10年ほど取り組んできた蜜蜂飼育もにも手を出し、ネット学習した持論で巣箱を作ったりするため、外の東屋は長男の仕事場に占領されているのです。まあ他愛のない親子の確執ですが、趣味が同じという気安さもあって、しょっちゅうあれこれと相談会話が進んでいます。私の日曜大工道具も使い放題で、時には傷めたり、新しい道具を購入する費用を出さされたりしています。

今年は子どもたちに宇宙への関心を持ってもらおうと、かさ袋でロケットを工作する「コズミックカレッジ」まで企画するなど留まるところを知りません。2日前の愛媛新聞にもそのことが載りました。色々な人に協力を得てカレッジは盛会だったそうですが、次はどんな夢を考えているのでしょうか?。

「わが息子 誰に似たのか 知らないが 次から次へ 遊びを広げ」
「家の庭 朝顔・ホウズキ 占拠され 東屋などは カブトムシまで」
「親孝行 自認の息子 言うほどは 孝行などとは ほぼ縁遠いよう」
「えっ宇宙? 何故こんなこと までやるの 理解苦しむ ほどに広げて」

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〇ナウマンゾウの化石?
 先日漁師をしていた親類のおじさんから、建て網に魚がかかったので、外しに来ないかと誘いの電話がありでけました。おじさんと港に停泊している小型漁船に乗って手伝い、大きなコブダイやメジナを沢山いただき、帰宅途中何人かの知人友人にお裾分けをしてあげました。

いただいた伊野灘から引き揚げられた化石

 その折、底引き網をしていたころ網にかかったという、化石と思しきものをいただきました。このおじさんには3年前にもナウマンゾウの象牙の化石をいただいているので、わが海の資料館海舟館なら保存してもらえるとの思惑が働いたようでした。早速家に持ち帰って奇麗に水洗いをして、陰干しをしました。

昔々のことゆえ瀬戸内海が陸続きだったことなど、凡人の私には知る由もありませんが、ナウマンゾウが絶滅してからの時の長さを思えば、私たち人間の寿命など針で突いたほどにも満たない一瞬です。こうして時空を超えて私の元へ届いたのも何かのご縁だと思えば、大事にしなければなりません。

 一度町内に私設考古資料館を持っている沖野先生に見てもらい化石類の時代考証とナウマンゾウのどの部分なのか教えてもらおうと思っています。妻は「また古いものを貰ってきた」と呆れていますが、私にとっては資料がまた一つ増えたと喜んでいます。

「元漁師 網にかかった 化石類 またまた貰い 早速手入れ」
「ド素人 ゆえに何だか 分からない 一度ゆっくり 話聞きたい」
「瀬戸内海 かつては多分 陸続き 長い年月 途方もなくて」
「また一つ 展示の品が 増えました 妻は呆れて 私ホクホク」

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〇ドクダミは雑草?
 昨日私の住む四国は梅雨に入りました。今年は冬から春にかけて雨の降る日が少なく、夏の渇水期の水不足が心配されますが、雨が降る日を「天気が悪い」と表現するように、殆どの人が雨が降ると「天気が悪い」とあいさつ代わりに天気を悪者にして暮らしています。

 私のように菜園で野菜を作ったり、人間牧場を管理していると、水の有難さを実感するので、雨が降ると「恵みの雨」ととらえ雨に感謝をしていますが、雨が降り続くと妻や若嫁は、「洗濯物が乾かない」とうそぶき、また何年か前の西日本集中豪雨災害などを思い出すと、適当なお湿りを期待するのも無理からぬことのようです。

畑や庭の隅にドクダミがはびこり始めました。ドクダミの根は繁殖力が強く、しっかり根まで抜かないと、増え続けて行きます。それでも白い花を咲かせるドクダミの花は可憐で、抜いたり刈ったすることをためらうことがしばしばです。近所の人は強烈な臭いのあるドクダミを、この時期刈り取って乾燥させ、ドクダミ茶として利用しているようだし、松山の温泉では薬草としてドクダミ湯のサービスをしています。

 ドクダミの花びらは4片ですが、突然変異で5片若しくは6片のもあるようで、4つ葉のクローバーと同じく、5片・6片を見つけるとラッキーだと、facebook仲間が、見つけたドクダミに花を自慢しています。「ドクダミは雑草?」、そんな疑問を感じる梅雨入りです。

「今年も 昨日四国は 梅雨に入る 妻や若嫁 洗濯嘆く」
「私には 雨も恵みと 受け取るが 集中豪富 被害は怖い」
「家回り あちらこちらに ドクダミが はびこり雑草 処分対象」
「ドクダミの 花可憐にて 癒される 雨傘さして しゃがんで見入る」

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人間牧場

〇受話器の故障
 私は77年生きててただいま喜寿の77歳です。妻は76年生きてて、今年喜寿を迎えます。長年生きていると体調も変化し、あちらこちらに不具合が見つかり、その都度病院に出かけて対処法で、薬を飲みながらしたたかに生きています。

故障したような電話

 幸い私は昨年の二度にわたる手術で外反母趾と前立腺肥大も完治し、今のところお薬ゼロの状態ですが、妻は相変わらず2~3粒の薬を朝晩服用しています。先月は私が感染した目のウイルスが妻にうつって、二人で同じ眼科へ通い、目薬をもらってさしています。

 左様に体調異変が加齢とともに起こるであろうことを予測し、健康保持のため毎日1(1日1回のお通じ)・10(1日10人の人と出会って会話をする)・100(1日に100文字肉文字を書く)・1000(1日に1000字読む)・10000(1日に10000歩歩く)を目指して頑張っていますが、これも中々です。

 私たち夫婦が45年前に建てた家も長年住み続けているとあちこちが傷み出し、あちらこちらを補修して暮らしています。昨晩Faxと兼用の電話機の調子がおかしくなり、夜の間中異音がしました。固定電話は家族それぞれの携帯電話に座を奪われていますが、それでも故障は直さなければなりません。NTTに電話して今日にでも対応する予定です。朝からあ~あ~です。

「夫婦とも 気が付きゃ喜寿を 迎えてる あちこちガタ来て 薬のお世話」
「あれこれと 言いつつ何とか 年のわり 元気に生きて 神仏感謝」
「家建てて 45年が 経ちました あちこち不具合 時の流れか」
「昨晩は 電話の異音 気になって 寝不足気味で 今日にも修理」

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〇それなりに300件
 自宅の敷地内に倉庫を改造して「海の資料館「海舟館」を作って20年以上が経ちました。この施設は漁師をしていた、今は亡き親父の記念館のようなもので、70歳で漁師をやめ陸に上がってから趣味で作った和船模型や、海から網にかかって揚がった戦争遺物などが展示されていています。親父の晩年は趣味も同じ私も協力して手助けし、親父が亡くなってからは私一人があれこれ活動しています。

300ページになった綴りの一冊

 1年前ふと海の資料館「海舟館」にはどれ程の資料があるのだろう?と疑問を持ち、早速一日1点を目安にほんの軽い気持ちでわがfacebookに写真とコメントをつけアップすることにしました。最初は100点ぐらいが目安でしたが、あっという間に100点を超え、200点も越えました。やれば際限もないことからとりあえず300点を最終にしようと決めましたが、このほど無事最終の300点に到着しました。

紹介したものは、その日のうちにプリントアウトして表紙をつけて綴り続けましたが、机の横に置いた1冊の綴りは300ページにもなる分厚いもので、まさにコツコツを積み重ねる「積小偉(為)大」です。人から見れば「何が面白いの?」とか、「それゴミじゃない?」と言われそうですが、まあ本人が自己満足していることなので、人はどうであれ納得の手合いです。

 さてこれからどうする?です。おそらくまだ自分の余命はまだ少し残っているので、一つ一つ丁寧に手入れをしながら写真に撮ってデジタル化し、デジタル海の資料館にしようと思っています。海の町でありながら海や漁業に関する資料が少なく、語り部たる漁師の古老も次第に黄泉の国へ旅立っている昨今ですが、せめて宇和島水産高校漁業科を卒業している縁を大事に、「遺し伝える」伝道師になろうと馬鹿げた決意をしています。

「ちょっとした 思いつきながら 始めたが あっという間に 一年となる」
「100点の 次の目標 200点 ついには大台 300点となる」
「デジタルを 使って展示 品々を facebookで 紹介しました」
「一日に 一点ずつと 心決め 積小偉大 300ページに」 

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人間牧場

〇有害鳥獣除けの網張り
 4月に植えたトマトやスイカ、トウモロコシ、ピーマン、オクラが順調に育ち、ピーマンやオクラは収穫して食卓に上るようになりました。例年毎年のことですが、この時期になるとハクビシンやカラスが農作物を食べにやって来るのです。そのため味を占められないよう早めに対策を打つべく、昨日は網張を行いました。

 長くて丈夫な鋼管パイプを脚立の上に上がり、大きな鉄ハンマーで地面に打ち込みました。8本も打ち込むと腕が少々疲れましたが、何とか打ち込むことが出来ました。その後倉庫にしまっている漁網を取り出し、スイカとトマトの周囲に張り巡らせました。毎年のことなので寸法もぴったり収まり、これで一安心です。

 裏山にカラスが10羽ほど住み着いていて、毎日のように頭上を「カアーカアー」と鳴きながら飛び交い様子を窺っているようです。「食われて泣くより食われない前の防護」をとやっていますが、サンデー毎日の有害鳥獣との知恵比べは、こちらの体力の衰えもあり、年々激しさを増しています。

「夏野菜 実りの季節 やって来た 有害鳥獣 早くも出没」
「杭を打ち 周囲に網の 防護柵 どちらに軍配 来るなら来いと」
「当面は 空のカラスに対応し そのうち地上 ハクビシン相手」

 

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