〇捨てない生き方
先日愛媛大学名誉教授の堺先生がわが家へやって来た折、一冊の本をいただきました。私の住んでいる地域に本屋さんはなく、図書館も遠いので、読みたい本は息子に頼んでネットアマゾンで買って読んでいますが、最近はその回数も徐々に少なくなって、1・10・100・1000・10000・100000・1000000・10000000・1000000000運動を提唱推進している私ながら、1000文字読むことの主流はもっぱら毎日目を通す新聞が主流となって、活字離れが進んでいるようです。
堺先生が私にプレゼントしてくれた1冊は五木寛之の「捨てない生きかた」という本でした。「捨てなくていい」「愛着ある『ガラクタ』は人生の宝物である」という表紙のコピー言葉に納得しつつ、一気に読んでしまいましたが、納得納得、同感同感でした。
人生百年時代に「捨てない生活」のすすめ
・消えゆくモノたちとどう暮らしていくか
・シンプルライフにひそむ「空虚さ」
・モノは「記憶を呼び覚ます装置である
・「ガラクタ」は孤独な私たちの友
・生き生きと置いていく
・人づきあいは浅く、そして長く
・法然と親鸞が捨てようとしたもの
・過去を振り返ってこそ、文明は成熟する
P141 の「日本各地で失われていく時代の記憶」で五木さんは、「日本のいたるところで、時代の記憶がどんどん消えつつあるように思います。記憶を蘇らせるよすがとなる、立て札だったり建物だったり橋の名前だったり・・・・。そういったモノ捨てずにおくことはやはり大事ではないか」と書いていますが、じゃあどうすると考えたとき、提案はいくらでもできますが、実際庶民の私たちには手も足も出ないのです。昨年わが家の海の資料館「海舟館」に古い標柱、看板、丸木舟の先端が展示品となりました。千本桜の森づくり事業の標柱は風雨にさらされ倒れたものを持ち帰り奇麗に洗って汚れを落とし、消えかけた文字をなぞって修復しました。シーサイド公園に展示していた丸木舟を処分する際要らなくなった看板を持ち帰りました。また丸木舟も舳先2mほどを切り取り持ち帰りました。いずれのものも記憶に留めたい一品ながら風化が激しく消える運命にありました。本を読みながら、私の考えや行動も間違いではなかったと、納得の手合いでした。
「先生に 貰った本を 一気読み 捨てない生き方 わが意を得たり」
「身の周り 何もしないと 捨てられて 記憶されずに 消える運命」
「終活や 断捨離名のもと 捨て過ぎて シンプルライフ 少し寂しい」
「私なり 人がどうこう 言おうとも 生き方変えず それなり生きる」