〇故郷は遠くなりにけり
昨日講演で出かけた愛媛県生涯学習センターの控室で、講演の出番を待っていると、松山市高浜公民館の蔭原館長さんが見えられ、3枚のプリントアウトした写真をいただきました。聞けば蔭原さんは私より3つ年下の弟忠行と、松山工業高校土木科の同級生だそうで、何年か前阪神に旅行した折、当時奈良県に住んでいた弟と出会ったとのことで、写真はその時に撮ったもののようでした。
弟は松山工業高校を卒業すると、奥村組という建設会社に就職し、主にトンネル工事を担当し、関西方面のトンネル工事現場を転々としていました。和歌山の女性と知り合い結婚し高田郡山に居を構えて暮らしていましたが、退職を機に連れ添いの実家のある和歌山県古座川町に転居し、今はそこで暮らしています。
盆や正月などには足繫く帰省していましたが、年齢を重ねるほどに遠のき、親父の葬儀を最後にわが家へは帰って来なくなりました。いつも思うことですが、生まれたふるさとで暮らしたのは、高校を卒業するまでの僅か18年間にしか過ぎません。勿論74歳になった折々には故郷へ帰省はしていても、最早故郷は遠くなりにけりなのです。
おそらく遠隔地ゆえ、弟が生まれ育ったこの地へ帰ることはそんなに多くはあるまいと、いただいた写真を見ながら懐かしく、一緒に遊んだり暮らした当時のことを思い出し、少し感傷的になりました。今日にでも弟に電話を入れ、同級生の蔭原さんと出会ったことを話してやろうと思っています。
「講演の 前に控えの 部屋に来る 弟同級と いう人ありて」
「弟が 写りし写真 いただいた 今頃どうして 暮らしているか?」
「弟と 一緒過ごした 年月は わずかに短い 18年しか」
「人の世は はかないものよ 弟と いえども遠く 思い出しかなく」