人間牧場

〇佐礼谷小学校を訪ねました
 普通大洲市への行き帰りは、時間がよめるため信号もなく、比較的交通量の少ない海岸国道378号を長浜経由して行くのですが、昨日は国立大洲青少年交流の家の運営委員会に出席し会議を終えた帰り道、中尾先生が校長になって赴任している佐礼谷小学校へ立ち寄りたいと急に思いつき、大洲市松ヶ花から国道56号を通り内子経由の道を選びました。

中尾校長先生と岡井教頭先生
運動場も見事に再生していました

 これまでにも何度か、中山町佐礼谷地区へ行く機会がありましたが、ことごとく潰えてその機会を逸していたので、夜の子ども体験塾実行委員会までにはまだ時間があるようなので、何としても佐礼谷小学校を訪ねようと思い、カーナビの案内のまま午後2時ころ到着しました。急な坂道を上がり体育館横の広い駐車場に車を止めて、玄関を探しました。

 運よく玄関先の室内から、中尾校長さんに私を見つけてもらい、お互いが大いに驚きながら校長室に案内され、しばらくの間懐かしい顔見知りの岡井教頭先生も交えて雑談をさせてもらいました。児童数15人ほどの小さな谷間の学校ながら、校舎は3階建てで体育館も運動場も広く想像以上に立派な学校でした。昨年の夏休み中、中尾校長先生が先生たちとともに、運動場に生えた苔を削り取って再生したという運動場も、春の日差しを浴びてまばゆいほど綺麗に見えました。

 中尾校長先生は双海町高野川に住んでいて毎日山道を学校へ通っています。私が教育長在任中、派遣社会教育主事として双海町教育員会に派遣されていて、2年間一緒に仕事をしました。また県教委社会教育課在任中の前年度まで、公民館を担当していて、私が県公連の専門委員長をしている縁もあり、あれこれ一緒に色々なことをやりました。加えて私が会長をしている双海史談会の事務局長でもあり、あれやこれやと縁の深い先生なのです。明日は地域教育実践ネットワークえひめの実行委員会がオンラインで開催されますが、明日は中尾先生の自宅へ伺い、サテライトのような形で参加する相談がまとまっています。楽しみです。

「大洲から 内子経由の 道選び 途中佐礼谷 小学校へ」
「昨年の 春の異動で 谷あいの 学校赴任 校長訪ねる」
「前向きに 生きてる校長 頼もしく 運動場も 立派に再生」
「人間は 不思議なご縁 あるものだ どこへ行っても 助けてもらう」

 

 

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人間牧場

〇確定申告が終わりました
しがない年金暮らしの私ですが、国民の義務である納税のため、今年も確定申告を行いました。最近はインターネットで簡単にできるそうですが、私は退職後ず~っと、元役場職員で友人に頼み、仕分けや記入の仕方を教えてもらっています。

私の場合収入所得は年金と、何がしかの講演謝礼と原稿料程度だし、それらも新型コロナの影響で中止や延期が相次いでそれほど多くないため、昨年に引き続き今年も素早くまとめることができました。昨日は出来上がった確定申告書類に印を押し、封筒に入れて切手を貼り、郵便局の窓口で投函しました。

講演謝礼や原稿料などは受け取る時約10%程度の所得税を納めていて、今年も少し還付金が戻ってくるようです。

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人間牧場

〇同感・同感
 私は毎朝自宅に届く新聞を読み、朝な夕な居間に置いているテレビを観ながら暮らしています。私の新しい知識の殆どは、新型コロナの影響で人と接する機会が極端に減ったゆえ、インターネットを加えた間口の広い、確実と不確実さえも見分けのつかない情報に接しています。

 そんな中特に隅々まで読む新聞の中で、新聞の投書欄には「同感・同感」と納得することも多くあり、時には切り取ったりもしています。先日愛媛新聞「門」欄「へんろ道」に、大洲の森本さんという方が投書していて、「習慣は第二の天性なり」という哲学者の言葉を紹介していました。

 私たちは親から「天性」をもらって産み育てられましたが、小さい時は自分が勉強ができなかったり、体力的に他の人より劣っていることを嘆いたりして生きていました。そして両親の平凡さを見ながら、自分の平凡の原因は親譲りの天性のもので仕方がないと諦めていました。

 しかしこの言葉を借りれば、私がいかに凡人でも習慣を積めば天性は少しずつ上向いていくのだと悟るのです。優秀な人のような学歴もなく、間もなく一生を終えますが、習慣を第二の天性だと思って、「積小為大」を目指して実行を積み重ねれば、「若松進一流」のいい人生になるはずです。私も頑張ろうと思いました。

「人に会う 機会少なく わが家にて 暮らす日々ゆえ 情報少なく」
「門という 投書の欄に へんろ道 納得すること スクラップする」
「若い頃 わが天性は 親譲り 思っていたが 第二の天性」
「凡人が 故に天性 少ないが 実行重ねりゃ 何とかなるさ」

 

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人間牧場

〇土台ができました
 一年前に上灘保育所が保健センターへ移転して空き家となった保育所園庭で、壊されて処分される予定だった鳥小屋を、カブトムシ養殖に再利用するため貰い受けるとになり、その準備を進めていますが、一人での仕事ゆえ中々思うように作業がはかどらず、少々難儀をしています。

 移築予定の畑の隅には既にリンゴやイチヂク、クヌギ苗などが植えられていますが、それらをまず移動しなければならず、やっと移植を終え、整地をした後を少し掘り返し、縦5個、横4個のコンクリートブロックを埋めて土台を作る作業をしました。水平器を当てて粗方の水平を取り18個のブロックを埋め込みましたが、自称不器用の私ゆえ中々でした。

 さあ準備は整いました。人間牧場の水平線の家やロケーション風呂を造ってくれた馴染みの大工さんの協力を得て、近々解体作業と運搬を予定していますが、屋根を壊さず運ぶという前代未聞の荒業をやろうと思っています。はてさて上手く行くかどうか、???????です。でも夢があって楽しいです。仕上がりやいかに・・・。

「果樹移植 お次は土台 次々と 順調そうだが かなりの難儀」
「このところ まるで土方の ようですね 妻に言われて 自分納得」

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人間牧場

〇シイタケのホダ木確保
 わが家では人間牧場下の道沿いを利用して、自家用にシイタケを栽培していますが、ホダ木の寿命は3~4年と短く、毎年コンスタントに収穫するには、ホダ木をクヌギ林から切り出して、植菌する作業を少しずつでも毎年続けなければなりません。この作業は中々重労働で、私一人の手には負えないので、最近は腕力のある息子に手伝いを頼んでいます。

 先日友人の井上さんから電話が入り、「冬の間に切り倒したクヌギの木があるので、取りに来ないか」と誘いを受けました。井上さんは元役場の職員で、退職後は自営で農業を営んでいて、折に触れ近況を確かめ合っていますが、先日お母さんが高齢で亡くなるなど、親の介護からも解放され、少し余裕が出たようにも見えました。

 今回のクヌギ山はかなり山奥で、井上さんの車に先導されて狭い山道を走りました。伐採された木を息子と井上さんがチェンソーで小切りし、私が軽四トラックの荷台に積み込みました。重いクヌギの木ゆえ重量オーバーになるので、自分で植菌できる量を確保し、とりあえず人間牧場まで運び終えました。

 早速種ゴマを森林組合で買い求め、近いうちに息子と二人で植菌作業をしたいと思っています。昨年は入院や手術で植菌が大幅に遅れたので、今年は今月中に植菌し、ホダ場へ移動させたいと思っています。とりあえず親子2人で大仕事を終えました。これでまた春と秋にシイタケを収穫できる楽しみが増えました。

「シイタケの クヌギのホダ木 取りにこい 誘われるまま 息子二人で」
「シイタケは うま味成分 豊富ゆえ 自給できる メニュー加え」
「歳とると 力仕事が 億劫に 息子手助け 今年も何とか」
「クヌギの木 人間牧場 運び終え 植菌作業 近々予定」

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人間牧場

〇マスクの落とし物
 2年前のこの頃は、新型コロナへの対応も分からず、したくてもマスクが手に入るらず右往左往していました。今はマスクが暮らしの常識となり、家の中や出かける車のは一箱ずつマスクが備蓄され、いつでも間に合うようになっています。それはそれとして嬉しい限りですが、最近あちらこちらに使っていたと思われるマスクが落ちているのを、時々見かけるようになりました。

 最近は落ちているマスクを見つけると、汚染されているのではと邪推してしまい、少しよけて歩いているような気もするのです。先日ボランティア活動としてみんなで海岸清掃をしました。軍手をして砂浜を歩きゴミや漂流物を集め、主催者側が用意したナイロン袋に入れましたが、火ばさみを持っていた人は10枚ほどの落ちているマスクを火ばさみで挟んで拾いましたが、軍手の人は拾うことをためらったと反省会で報告がありました。

 使ったマスクを故意に道端や海岸に捨てた人はいませんが、多分ポケットに入れて持ち歩いていて誤って、落としたもののようです。使っているマスクを落とさないことも新たなエチケットのようです。テレビのニュースなどに映し出される外国の様子だと、マスクをしていない人も数多く見受けられますが、わが国の人たちは誰もがマスクをしてマナーを守っているようで、日本人の律儀さを垣間見る思いで、わがことのように喜んでいます。

「マスクする 今じゃ常識 二年前 マスク騒動 嘘のようです」
「海岸を 清掃すると あちこちに マスク落ちてて 火ばさみ拾う」
「故意じゃなく 多分誤り 落ちたもの だけど何だか 気持ち悪いと」
「日本人 マスクを着けて マナーよし 誇りに思う 日本の律義さ」

 

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人間牧場

〇ヒジキの加工
 今日は24節気の一つ啓蟄です。土の中で冬ごもりしていた虫たちが外に出てくる季節の始まりのようで、気温も上昇気味で少し春めいてきました。毎年この時期になると磯に出て、ヒジキを採集したり、そのヒジキを庭で茹でる作業を楽しみにしていますが、昨年は外反母趾の手術で4月に入院手術をしてできなかったので、何としても今年はやりたいと思っていました。

 しかしこの時期は新型コロナの影響で、あれやこれやが中止や延期となっているとはいいながら何かと忙しく、日めくりカレンダーの旧暦が大潮であるかどうかさえも気が付かない日々でした。一昨日小学生の一行が人間牧場へ遠足にやって来て対応しての帰り道、潮が引いていることに気が付き、帰宅後急な思いつきで道具を持って磯に行きました。

 早速鎌でヒジキを刈り始めましたが、今年のヒジキの根元には、雑草が沢山付着していて、雑草のついていない物を見繕って持ち帰りました。帰宅後ポリ容器に水を張り、ヒジキを綺麗に水洗いをしたり雑草を取って、用意したかまどの上に乗せた大釜に入れ、火を焚き始めました。午後5時から火を焚くこと3時間、懐中電灯の灯りを頼りに火を燃やし続け、午後8時に薪を入れたのを最後に自然消火しました。

 余熱で一晩寝かせて蒸し上がったヒジキは、朝になると柔らかいヒジキにほぼ思い通り出来上がりました。薄手の手袋を両手にはめ、ナイロンの小袋に小分けして、午前中は知人や友人にお裾けして回りました。湯がきだてのヒジキをみんな喜んでくれました。勿論わが家も昨晩はヒジキの煮物が食卓に上り、春の味を堪能しました。残ったヒジキはサナ3枚に広げて干しヒジキを作りました。先日の切り干し大根は白一色、今回のヒジキは黒一色でした。

「2年ぶり 磯でヒジキを 刈り取って 水洗いして 大釜茹でる」
「一夜蒸し 柔らかヒジキ 出来上がり あちらこちらに お裾分けする」
「わが家でも 食卓ヒジキ 煮物出る 磯の香りに 春を感じる」
「切り干しと ヒジキも自給 整った 田舎の暮らし 存分楽しむ」

 

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人間牧場

〇人間牧場の河津桜が満開です
 人間牧場の片隅に千本桜の森づくり事業の標本木として枝垂桜2本と河津桜1本を植えました。植えた時は親指ほどの小さな苗木でしたが、適地適作を得たのでしょうかその後順調に育ち、今年も早咲きの河津桜は満開の春を迎えています。人間牧場は自宅から10㎞程の少し離れた標高130mの場所にあるため、毎日のように咲いた花を愛でることは出来ませんが、それでも訪れる度に心を癒してくれています。 

昨日は50人ほどの子どものお客様がやって来ましたが、さすがに子どもたちは花より団子で、綺麗綺麗と言いつつ、桜の花をゆっくりのんびり鑑賞などせず、ヤマモモの大木に登ったり、ツリーハウスやロケ―ション風呂などに目がいって遊んでいました。人間牧場には梅林があって、梅の花も今が満開ですが、花の美しさはやはり桜にかなわず、綺麗な羽根をまとったウグイスのみが10羽ほど、花の蜜を吸いながら忙しそうに枝から枝へと渡っていました。

昨日遠くでウグイスが鳴いているのを聞きました。まだ余り鳴き慣れていないのでしょうか、「ホーホケキョ」もそれほど上手ではなく、「ケキョケキョケキョ」の谷渡など聞こえませんでしたが、桜、梅、ウグイスと、一気に季節が進み暖かくなってきました。待ちに待った嬉しい春がやって来ました。
「牧場に 植えた標本 木桜 春が来たよと 今年も咲いた」
「見上げれば 青い春空 鮮やかに 河津桜の ピンク彩る」
「訪ね来し 子ども歓声 賑やかに 春に浮かれて ウグイスまでが」
「早咲の 桜に見とれ 山弁を 一人食べつつ 春空見上げ」

 

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人間牧場

〇小屋移築の準備作業
 一昨日に降った雨も上がり、3月に入ったせいでしょうか一気に気温が上がり、戸外はもう春の装いです。年度末ということもあって、報告書やオンラインによる会議などで結構忙しく日々を過ごしていますが、昨日は旧保育所の園庭にある小屋の移築のための土台作りを思いつき、作業を始めました。

予定地に墨糸を張り、床掘作業をしました
土台用のブロックを埋め込みました。あとは微調整です

 畑の隅の予定地に床掘り用の隅紐を張り、土を掘り始めました。縦5個、横4個のブロックを並べる予定で、スコップと平グワで、ブロックを並べる巾で掘り返しました。矢来の雨で土は少しぬかるみ、作業のために履いた長靴の底に土がまとわりつきましたが、水平器で水平を出しながら、何とか掘り終え、用意した古いブロックを18枚運び、並べてみました。

自称「素人」、自称「不器用」ゆえ人に褒められるほどの出来栄えではありませんが、何とか様になり始めました。私や息子、それに屋根を剥がして運んでもらう予定の地元大工さんの都合により、今度の日曜日に移築運びを予定していますが、果たして畑の風景にマッチするかどうか、ワクワク・ドキドキし始めています。

「保育園 不用になった 動物小屋 移築計画 まずまず順調」
「墨糸を 張って床掘 始めたが これが中々 素人・不器用」
「スコップと 平グワ使い 土を掘る ブロック並べ 何とか様に」
「よし出来た あとは日曜 待つばかり 微調整して 土台しっかり」

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人間牧場

〇煮魚には骨がある だから美味しい
 昨日懇意にしている漁師さんからカナガシラなどの小魚をいただきました。冬の海は毎日のように北西の季節風が吹いて、海は荒れ模様が続いているようですが、時たまの凪に漁に出たとのことでした。早速私の出番で、外の流し台で鱗を取ったり内臓を出したりの粗調理をしました。

 昨日の夕食はカナガシラと豆腐、ジャガイモを一緒に炊き込んだ魚の煮つけにしてもらい、炊き立ての熱々ご飯とともに美味しくいただきました。何故瀬戸内の小魚が美味しいのか、いつも思うことは小骨が沢山あるからではないかと思うのです。頭を含めた魚の骨類はよく出汁が出ます。

 特にカナガシラやデビラ類は小骨が多く、魚の苦手な人は小骨が時々喉に刺さるのが嫌で、食べないと言う人も多いようです。最近は学校給食に出る魚も骨のない美味しくない冷凍魚を出しているようですが、魚を嫌いになるはずだと、先日外反母趾手術でリハビリのため長期入院して魚料理を食べて実感しました。

 「あなたの食べた後は猫も食べない」と妻が言うように、私は魚を食べるのが上手です。ところが昨日カナガシラの小さな骨がのどに刺さってしまいました。早速ご飯を丸めてひん飲むと上手く骨が取れ、骨折り損のくたびれもうけとなりました。もっと子ども時代に魚の小骨を取って食べれるように訓練しなければ、折角美味しい瀬戸内の魚の味を知らずに過ごしてしまうのです。

 先日特産品センターで買った鯛めしに「骨が入っていて子どもの喉に骨が刺さった。どうしてくれる」と買った人からクレームがついたそうです。鯛めしのパックには「たまに骨が残っていることがありますのでご注意を」と書いていますが、鯛めしに骨はつきもの、だから美味しいと言ってもなかなか理解をしてもらえないようで、嘆かわしい時代になったものです。

「カナガシラ デビラを貰い 粗調理 早速夕食 魚の煮つけ」
「小骨ある だから瀬戸内 小魚は 美味しいですと 言っても敬遠」
「カナガシラ 小骨が喉に 刺さったが ご飯丸飲み 生活の知恵」
「鯛めしに 骨があったと クレームが 嘆かわしきは それさえ知らず」

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