人間牧場

〇夏の名残花

 今朝はまだ薄暗い午前5時40分に自宅を出て、いつもの散歩コースをのんびりゆっくり歩きました。今は外反母趾で手術した左足の慣らし歩行期間中なので、余り無理をしないように朝の散歩は5千歩程度にしています。自宅に帰って庭を見ると息子が今年の夏夢中になって育てたり、世話をした朝顔の鉢植えが庭の片隅に行儀よく並び、もうとっくに夏は過ぎているというのに、沢山の花を咲かせ毎朝目を楽しませてくれています。

 息子の話によると町家の展示会場から持ち帰った鉢植えの半分ほどは夏季も終わり、支柱なども水洗いして片付けたようですが、今咲いている朝顔は8月末から咲き始める晩生種で、特に朝の花色と昼過ぎの花色が変わる珍しい品種のようで、言われて見て初めて気がつきました。最近わが家に午前中来る人も、「まあ、この時期に綺麗な朝顔ですね」と、誉め言葉を言いながら朝顔の花を一緒に愛でています。

 また、一昨年剪定した枝を貰って挿し木して育てた真っ赤な芙蓉の花も、数はぐっと減りましたが、相変わらず真っ赤な大輪の花を咲かせてくれています。花の終わるこの時期に枝を切り落とす剪定をしなければなりませんが、昼間は30度近くまで上がる暑い日が続いているので、もう少しの間名残の花を楽しもうと思っています。

「夏終わる この時期朝顔 花咲かせ 毎朝花の 咲くの楽しみ」

「赤芙蓉 今年の夏も 大輪の 花をいっぱい 咲かせてくれた」

「秋風が 吹き始めても わが庭にゃ 夏の名残の 花が沢山」

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〇気短か男がグリーンカーテンの片付けました

 今年の春から初夏は外反母趾の手術で長期入院していたため、いつもの年のような暮らしサイクルができず狂いっぱなしでした。息子や家族が気遣って少しだけ助けてくれたので多少気が安らいだかに見えましたが、逆に気短な性格も手伝って、自分で出来ぬ悔しさでイライラが募りました。

朝顔のグリーンカーテンを片付けました

 そんな私を見て妻は、「もっとおおらかに暮らしたら」となだめてくれていますが、自分で気がついている気短な性格は直しようもなく日々を暮らしています。手術後直ぐに息子に手伝ってもらい、私の書斎の前に竹竿を立て、園芸用の網を張って朝顔のグリーンカーテンを作りました。

 気短な割には花が大好きな私なので、毎朝咲く綺麗な朝顔の花に随分心を癒されましたが、夏も終わり朝顔も枯れたのでそろそろ片付けようと息子に相談しましたが、息子も平日は朝早く仕事に出かけ夜遅く帰ってくるため忙しそうなので、昨日は私一人で脚立を立て、屋根に括り付けているビニール紐などを切って片付けを始めました。

 昼過ぎ外出先から帰った息子が竹竿や網、脚立を片付けてくれましたが、やっと夏が終わったという感じです。今まで暑かった窓越しから差し込む日差しも、台風が去った後なので幾分和らぎ、何事もなかったように秋の気配が漂い始めました。陽足も少しずつ短くなっています。

「今年の 春から夏は 入院で 暮らしのリズム 狂いっぱなし」

「気短な 性格ゆえに イライラが 募って家族 迷惑千万」

「年とると 気短正確 頑固だと 妻に注意を されつつ過ごす」

「書斎窓 グリーンカーテン 片付けて やっと一息 夏の終わりに」

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〇彼岸花の咲く頃

 最近Facebookの画面には彼岸花の話題が沢山紹介されています。毎年敬老の日頃に咲くはずだと思い、雨が小止みになった昨日の午後見回ると、遅ればせながらわが家でも裏庭の小路沿いに野生の彼岸花が少しだけ咲いていました。今年は新型コロナの影響や長雨猛暑と続いた異常気象のためか、例年より花数は少なめですが、それでも秋の気配を存分に感じさせてくれています。

遅ればせ奈が咲き始めた彼岸花

 毎年この時期裏山の杉林に出るはずの秋ミョウガが今年はさっぱり姿を見せず、妻からは「ミョウガはまだ?」と催促されるものの音沙汰もなく、楽しみにしていたミョウガの漬物も出来ないようです。ミョウガを食べると物忘れがいいと昔から言われていて、物忘れする度に「ミョウガを食べ過ぎて忘れてしまった」と、ミョウガのせいにしていましたが、「歳のせい」だと思われてしまいそうです。

 敬老の日が近づきました。年齢的には60歳若しくは65歳以上の人を高齢者と呼んでいますが、先日発表された100歳以上の長寿人数が全国では76,500人もいて、最高齢者は118歳だそうですから驚きです。そう言えばかく言う私も妻もすっかり忘れていましたが、年齢が76歳の後期高齢者となり、敬老の日の該当者なのです。元気で過ごしているため家族は私たち夫婦を高齢者だとは気づいていないようで、気づかれぬようそっとしておきたいと思っています。どうやら新型コロナの影響で、地元の敬老会も中止のようだと風の噂で聞きました。

「道端や Facebookの 画面にて 彼岸花咲く 様子拝見」

「彼岸花 自然の造形 見事なり 毎年見惚れ 秋を感じる」

「今年は 秋のミョウガが 不作です 物忘れする せいにも出来ず」

「敬老の 日が近づいて ふと思う 自分も対象 年齢でした」

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〇防虫ネット張り

 停滞や迷走を繰り返している台風14号が東寄りに向きを変え動き始めました。その行方が気になるところですが、何と何とテレビの画面に映し出された台風の進路は瀬戸内海を通る直撃コースまほこのようで、一瞬目を疑いました。今朝もゴミ出しの午前7時30分頃には弱い雨が降っていましたが、風は殆どなく嵐の前の静けさといったところです。

 昨日は曇りながら晴れ間を利用して、前日植え終わったブロッコリーやキャベツの上に防虫ネットを被せる作業をしました。ブロッコリーやキャベツの葉っぱは優しいのか、早くもモンシロチョウが2~3匹飛び交って、卵を産む場所を探していました。チョウチョは鳩と同じように平和のシンボルのように言われていますが、鳩のフン害やチョウチョの青虫被害を考えれば害虫で、見つけると白い虫取り網で捕獲しなければなりません。捕まえる度に心が痛みますが無益な殺生をしないようにと防虫ネットを被せるのです。

 秋の虫であるバッタ類の食害も予防したいので、弧を描くように支柱を立て、その上に防虫ネットを張りました。台風の強風で吹き飛ばされないよう畝の谷々に重しを置き、しっかりと固定をしました。今朝見回りましたが、一人で張ったので多少いびつな感じもしますが、それなりの結果に自己満足しています。風が吹き始めた頃再度見回って補強をしておきたいと思っています。何事もなければいいのですが・・・。

「前日に 植えた野菜を すっぽりと 防虫ネット 被せて防除」

「台風の 直撃予想 しっかりと 肝に銘じて 作業終了」

「青虫や バッタに食われ 泣くよりも 防護第一 手間はかかるが」

「それなりに 防虫ネット 張り終わる 多少いびつも 笑いごまかす」

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〇野菜苗の植え付け

 この2~3日、停滞して本土をうかがう台風14号と前線の影響で、弱いながらも雨が降り続き、持ち帰った野菜苗を植えることができませんでした。野菜苗は弱いので時機を逸するとその後の成長に支障をきたすので、何としても植えたいと恨めしく空を眺めていました。するとその願いが天に通じたのか、昼食を終えて一休みしていた午後2時ころから空が明るくなり、所々青空がのぞくようになりました。

 予定していた来客も相手の都合で午前中に終えて帰られ、これ幸いとばかりに少しじゅるかったものの畑に出て、ブロッコリーやキャベツ、白菜の苗を定規を使い等間隔で植えて行きました。植え付けは中腰で、まだ手術した左足をかばうような姿勢で行うため余計疲れましたが、それでも順調に植え付けが進みました。土が湿っているので手スコップで穴を開けるのも埋め戻しも上手く行き、その上植えた後に水をやる必要もなく、午後6時ころに全ての苗を植え終わりました。

 青虫対策の防虫ネットを被せる都合もあり1畝に2条植えしましたが、今年は苗と苗の間隔を45㎤にしてみました。今日も朝から雨模様ですが、これから畑に出て防虫ネットを掛けるためのつるの差し込みをしようと思っています。今朝は早くもブロッコリーやキャベツ畑の上をモンシロチョウがウロチョロ飛んでいました。チョウチョは野菜にとっては害虫なので、早く防虫ネットを張らねば青虫の餌食になってしまいます。野菜づくりも中々骨が折れます。と言いながら結構楽しんでやっています。

「2~3日 停滞台風 前線の 影響雨降り 畑は入れず」

「野菜苗 用意はしたが 植え付けが 出来ず悶々 2日が過ぎた。

「雨晴れ間 この機逃さず 植え付けを やったお陰で 何とか終える」

「さあ今日は 防虫ネット 張る作業 あれこれ言いつ 楽しみながら」

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〇えひめ地域政策研究センターは私の大恩人です

 昨日は金融教育指定校訪問で金融広報アドバイザーとして北条南中学校に行く予定でしたが、まん延防止の期限が12日に終わったものの、夏休みの終わりころから青少年に新型コロナが広がり始めているので、学校も時短授業を余儀なくされていて、急遽中止が決まりました。

 中止が決まった矢先、えひめ地域政策研究センターから「あれこれと話が聞きたいいのでお訪ねしたい」と電話が入り、昨日の午前中所長さんや本課課長さんたち3人がわが家へやって来ました。ゲストハウス「煙会所」に案内して2時間ほど、囲炉裏を囲んでマスク越しながらお話をしました。

煙会所の囲炉裏を囲んで大いに話し合いました

 愛媛地域背策研究センターは、①調査研究ならびに成果の公表及び政策提言事業、➁意識啓発及び人材養成事業、③活動支援及び交流促進事業、④移住・交流支援事業などを行っている公益財団法人です。発足当時はまちづくりセンター呼ばれていて、私たちまちづくり人が足繁く通い、市町村や団体から出向していた研究員とともに、人と情報のネットワークを学んだり実践したりした懐かしいところで、特に無知だった私にはまちづくりのイロハ教えてもらい、わが町の発展に大いに役立ちました。

 発足当時は県民文化会館横にありましたが、その後旧松山地方局、生活保健センターと移転を続け、現在は愛媛県商工会連合会の3階で事業の推進をしています。まちセンが発足して間もないころ発足したえひめ地域づくり研究会議の運営メンバーだった私にとっては、その後代表運営委員を長くやったこともあって、大恩ある組織でもあるのです。

 時代は変わり研究センターの役割も随分様変わりしていますが、さて今後どうするか、様々な意見を述べあいました。時は流れているものの、私はまだ情報誌舞たうんへ「shin-1さんの日記」というタイトルで、連載記事を執筆したり、アシスト事業の審査員をしたり、いささかなりのかかわりを持っていますが、これからも県内と県外交流、活動の拠点、情報の受発信、人づくり、未来への政策提言など、限られた人員と予算の中ながら大いに発展して欲しいと願っています。

「若かりし 頃に通った 懐かしき まちセン時代 思い出される」

「無知だった 私にイロハ あれこれと 教えてもらった 恩は忘れず」

「時流れ 激動社会 なるがゆえ 不易と流行 見極めながら」

「これからは 受けた大恩 返さねば 想いも新た 心し生きよう」

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〇病院の本棚に私の本が・・・

 病院には予約を取って行っているはずなのに、ひどい時は1時間も待たされる有様です。そんな時は手持ちのタブレットやスマホをいじってイライラを解消していますが、最近はどこの病院へ行っても待合室に本棚があって、雑誌やコミックなど色々な本が並べられています。男性ながら「女性自身」などという雑誌を手に取ったり、時にはエロ本を人目をはばかりながら見ている人を見かけます。

病院の待合室の本棚
本棚に並んでいた私の自著本「昇る夕日でまちづくり」

 昨日行った病院の待合室で、本棚の前に座っている男性が、1冊の本を本棚から取り出して読んでいました。受付の女性が「〇〇さん」と、その男性の名前を呼びました。「はい」と返事をして読んでいた本を本棚に返し、診察室へ入って行きました。よ~く見ると、何と男性が本棚に返した本は、私の自著本「昇る夕日でまちづくり」だったのです。「えっ?、何でここに私の本があるの?」と大いに驚きました。

 多分病院の職員さんが何かの都合で手に入れ、読まなくなったので病院へ寄付したものと思われます。この本は2000年2月31日発行、2002年6月23日第2版発行ですが、置かれていた本は第2版のものでした。少し時間があったので手に取ってパラパラめくりましたが、20年前の執筆当時の思い出が蘇り、懐かしさ一入でした。私はこれまでに何冊か本を執筆自費出版していますが、もう一度当時を振り返りながら再読してみたいと思っています。それにしてもお恥ずかしい限りでした。

「病院の 待合室の 本棚に 私自著本 並んでビックリ」

「待合で 待ってる人は 目の前の 著者の私に 気づいていない」

「20年 前に出版 した本に 病院待合い 出会い懐かし」

「もう一度 読んでみようと 思い立ち 20年前 タイムスリップ」

 

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〇リンゴとキンカン狂い咲き

 家庭菜園や家の庭には様々な植物が植えられていますが、大きなプラスチックの植木鉢に息子が植えている、姫リンゴの実が秋の気配で色づき始めましたが、リンゴの花は春咲くものと思いきや、このところの気候に勘違いしたのか、リンゴの花が咲き始め驚いています。

花が咲いてキンカン

 家庭菜園横の果樹園に植えている甘夏柑などの実は順調に育って、今年は豊作のようですが、その横に植えているキンカンの木は、昨年沢山実を付けた反動でしょうか、今年は隔年結果の裏作年のようで、実は殆どついていませんが、柑橘の花もリンゴの花と同じように春咲くものと思っていましたが、今が満開のようで、甘い香りに誘われて蜜蜂が蜜を吸いにやって来ています。

 キンカンやレモンの花が時々四季咲きすることは知られていますが、植えられた木々が春と秋を勘違いするほど最近の気候は異常で、私のような後期高齢者には気温差が大きいと体調管理が難しく、四苦八苦しています。枯れ木も山の賑わいの私ももう一花咲けばいいのにと、他愛のない馬鹿げたことを考えています。

「姫リンゴ 実が熟れ花咲き どこか変? 狂い咲です よくある話」

「キンカンも リンゴと相談 したのかな? 今が満開 蜜蜂蜜吸い」

「枯れ木だが せめて私も もう一度 ひと花咲けば いいのになあと」

「最近は 気候変動 あれやこれ 備えしようも 出来ずイライラ」 

 

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人間牧場

〇3つの記憶

 これまで76年生きて来た私の人生においては、直接わが身には降りかからなかったものの、毎年その日が来るとその日の出来事が鮮明に蘇って来る3つの事件事故があります。一つ目は26年前の1995年(平成7年)1月17日5時46分頃、深さ13㎞で発生したマグニチュード7.2の地震で壊滅的な被害と死者6,434人を出した阪神淡路大震災、二つ目は10年前の2011年(平成23年)3月11日14時46分頃三陸沖深さ24㎞で発生した地震と津波(高さ9.3m)により福島第一原発事故が同時に起こり、死者19,747人と行方不明者6,242人 を出した東日本大震災、三つ目は20年前の2001年(平成13年)朝、ニューヨーク世界貿易センターへハイジャックされた旅客機2機が突入し日本人24人を含む2,977人が死亡したテロ事件です。

 昔ならいざ知らず現代は映像技術が進歩していて、遠く離れた私たちの地域でもその全容が家庭内のテレビに何度も痛々しい現場の惨状が映し出され、脳裏に深く刻まれているのです。毎年その日が来ると「あれから〇〇年」と、風化させてはならない事故や事件の出来事を思い出させるように追悼の意味を込めて紹介されています。阪神淡路大震災は26年前、同時多発テロは20年前、東日本大震災は10年前の出来事ですが、昨日9月11日はニューヨークで犠牲になった人の追悼式が行われました。アメリカはこの事件をきっかけにアフガニスタンに巨額の費用をかけて軍隊を送り込み、解決もしないまま20年目の今年完全撤退を余儀なくされました。

26年前の阪神淡路大震災
20年前の同時多発テロ
10年前の東日本大震災

 目に見えない地震への備えは、毎年のように繰り返し起きている自然災害への備えとともに、自分の身は自分で守るという気概を、私たち国民は常日頃から持っておかなければならないのですが、最近は世界を震撼させているコロナへの備えも重なって、心労甚だしい状況です。私の記憶の片隅にいつまでも残像となって残っている3つの衝撃的な写真を、自分に降りかかった悲しい記憶をさておいて、昨日9月11日改めて思い出しました。事故や事件もなくこれからも平和な世の中であって欲しいと願っています。

「わが記憶 毎年のように 思い出す 3つのショック 残像となり」

「忘れない 忘れてならない 明日わが身 しっかり備え いつも思うが」

「思い出す 阪神淡路 大震災 私は当時 水槽の中」

「これまでも 色々あった わが人生 どうにかすり抜け ここまで来たが」

 

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人間牧場

〇標準木の標柱が倒れました

 昨日人間牧場へ行き、ウッドデッキで草刈り作業の途中休憩をし、少し靄のかかった瀬戸内海を見下ろしながら何気なく周りに目を移すと、何年か前私が代表をしている21世紀えひめニューフロンティアグループが、「千本桜の森づくり事業」という事業を興し、県内10カ所に100本ずつ合計千本の桜を植えた折、人間牧場に標準木として2本の枝垂桜と河津桜を植え、その折枝垂桜の根元に、記念植樹した証として建てていた標柱が、倒れているのに気がつきました。

 建てた後雨風に晒され少し見すぼらしくなっていましたが、倒れようとは夢にも思っていなかっただけに、10年の時の流れを感じました。さてどうするか?、腐った根元を削って元の場所に建てる方法もあるし、新しい標柱に作り替えることも考えられますが、とりあえず軽四トラックの荷台に積んで持ち帰りました。腐った部分をノコで切り取ってみましたが、ヒノキ材の表面は見すぼらしくなっているものの、中はまだ新しい材質のままでした。

一緒に植えた標準木の枝垂桜もこんなに大きくなりました

 早速建てる折、この標柱の墨字を書いてもらったグループのメンバーで会計の、松山市和気に住む佐賀山さんに電話を入れ、判読がつきにくくなった文字も幾つか見受けられるので、元の文字をなぞるような形で復元してもらうよう頼みました。佐賀山さんは快く引き受けてくれたので、近々持参して頼もうと思っています。この標柱の文化的価値はゼロですが、民俗資料としての価値は幾分見受けられるので、フロンティアグループが建造し遍歴を刻んだ丸木舟も海の資料館に保存しているので、その横に展示したいと思っています。

 標柱には4面各々に、「夕やけこやけ千本桜の森づくり」「主催団体 21世紀えひめニューフロンティアグループ・双海地区公民館」「協賛 (財)関奉仕財団・(財)えひめ活性化センター」「植樹 平成二十三年二月二十六日」と書かれています。知恵を出し汗をかいた仲間や支援をしてくれた多くの人たちに感謝し、長くその成果を顕彰したいと思っています。

「十年間 風雨に晒され 足元が 腐り倒れた 標柱どうする」

「県内に 千本桜 植えました 標準木と 同じ年数」

「この標柱 墨字手を入れ 復元を できたら海の 資料館展示」

「早10年 時の流れの 早い事 私もあれから 10歳重ねる」

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