人間牧場

〇落ち葉ストッカーがやっと完成しました

 長男息子は松山市内にある建築設計会社に勤めています。どんな仕事をしているのか知る由もありませんが、設計の仕事はかなりハードなようで、仕事を終えての帰宅は毎日午後10時ころです。一昨夜遅く帰った息子は、最近自宅横の家庭菜園隅にコンクリートブロックを積み上げて出来た落ち葉ストッカーの底に、小動物モグラが進入しないよう張る目の細かい金網をホームセンターで買って帰りました。

モグラ対策のため落ち葉ストッカー底に敷いた金網

 昨日は午前中講演会に出かけていて自宅に帰ったのは午後2時ころでした。それから外に出て金網を巾70㎝確保して両端を折り曲げ、長さ2m50㎝に金切ハサミで切って同じように折り曲げました。底に砕石バラスを撒いて地ならしし、加工した金網を敷きましたが、思った以上に上手く行き、この分だと何かと文句や注文をつける息子も、及第点をつけるのではないかと自己満足をし、帰宅した息子にそのことを告げて床に就きました。

 ふと気がつきましたが、息子が自宅や人間牧場でカブトムシを買い始めてから、早くも5年余りの月日が経ちました。最初は傍観気味でしたが、いつの間にか息子の巧みな戦術と話術に巻き込まれてしまっているようです。今回の落ち葉ストッカー造りも元はと言えば私には何の関係もないのに、造る労力と原材料を買う殆どの費用も、私の財布からの出費なのです。妻はその様子を見て「親が親なら子も子だ」と、まるで少年のように夢中になっている私たち親子の姿を見て笑っています。

 でもそのことが縁で、人間牧場下の港の見える丘を開墾し、ドングリを蒔いて育てたクヌギの苗木を植林する里山運動に発展し、今話題となっているSDGs運動との関連も明確となって来つつあることは何よりも嬉しい成果です。ややもすると親子が遠く離れて暮らしたり、親子でありながら口も利かないで過ごす人も多い中、年中親子がああでもないこうでもないと言いながら、ささやかな夢を語り合い活動を共にできることは、ある意味幸せなことかも知れません。もう少し騙されたふりをして息子に付き合いたいと思っています。 

「完成の 落ち葉ストッカー モグラ除け 底に金網 息子の提案」

「一昨晩 仕事帰りの わが息子 ホームセンターにて 金網購入」

「縦横の 寸法測り 加工する 最近わが腕 上達を自負」

「いつの間に 息子の巧みな 戦術に はめられ今では 唯一理解者」

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人間牧場

〇柑橘類の苗を植える

 わが家の家庭菜園には、農薬を使わなくても出来る甘夏柑が植えられています。剪定などの肥培管理が行き届かず隔年結果が年々ひどくなりなり、どうしたものかと気を揉んでいます。2年前レモンの苗木を植えましたが、若木は元気にすくすく育ち、今年はオーガニックのレモンが20個ほど実をつけました。気を良くして一昨日所用で出かけたついでに、オズメッセのホームセンターに立寄り、苗木を3本買って帰りました。

 トゲなしレモン、大玉スダチ、ユズの3種類です。レモンもユズも鋭いトゲがあって、収穫時には気をつけないとけがをしますが、昨日植えながら気がついたのですが、「トゲなし」と書いているのに、レモンの苗木にはトゲが一本ついていました。まあ目くじらを立てるほどでもないのでそのまま植えましたが、楽しみはユズの苗木です。昔から「桃クリ三年柿八年、ユズのウドバカ十三年」と言われていますが、今は接ぎ木なのでそれほど時を経なくても実がなるようで楽しみです。

 わが家ではこの10年程、大根を干して沢庵を作ることを止めています。毎年冬の時期になると大根を短冊に切って、ユズと鷹の爪を入れて一夜漬けを作ります。大根のシャキシャキした歯ざわり食感は美味しくて、白いご飯やお茶漬けによく合って食が進みます。昨日も妻は今年最後のユズ大根一夜漬けを作りました。大根もトウが立ちいよいよ最後となりました。ユズが実をつける頃まで元気でいたいと思いながら植えました。

「ユズ・レモン 大玉スダチ 苗木植え 家庭果樹園 一気に賑やか」

「昔から ユズは中々 実がならぬ 言うてたけれど 今は接ぎ木で」

「ユズ・レモン 木には大きな トゲがある トゲなし誘われ 買ってしまった」

「しっかりと 育て料理に 使いたい オーガニックだ 聞こえはいいが」

 

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人間牧場

〇祠の横に安置した三姉弟童石仏像

 わが家の入り口付近には、祠の中に石仏が安置されています。隣のおじさんの話だと、以前は道も細かったそうで、石仏は道端に無造作に置かれていました。私たちがこの地に引っ越してきてから、農道道路の拡張工事が行われるのに伴い石仏を現在の所に引っ越した際、粗末にしないようわが家で小さな祠を作り、以来40年程毎月21日を縁日と定め、妻が赤飯を炊いてお接待をし続けています。

祠の前に安置した三姉弟石仏像

 昨日松前町の教深寺の住職さん自らに彫ってもらい持ち帰った三姉弟の童仏像を、どこに安置するか妻に相談したところ、「石仏を安置している祠の近くがいいのでは」と提案があり、早速一緒にいただいた切石台座とともに運び安置してみました。四方八方から様子をうかがいましたが座り心地も良く、いい場所のように思えました。この場所だと毎月21日の縁日には一緒に接待もできるようです。

 私たち家族は無信心ながら、神棚にサカキ、仏壇にシキビ、お墓や祠にもシキビを、できるだけ枯らさずお供えするよう心がけています。時折枯れかけると妻と若嫁がそろそろ取り換えるようにと注意をしてくれます。三姉弟の童石仏をこれから大事にしたいと思います。石黒さんありがとうございました。(お披露目がすめば、願わくば雨風に合わぬよう、そのうち祠の中へ入れようと思っています。)

「教深寺 住職さんが 手彫りした 童石仏 祠の前に」

「安住の 場所は祠の 前辺り 置くとピッタリ 石仏笑顔」

「実の姉 日参祈り 石仏に 驚き大いに 喜んでくれ」

「また一つ わが家に名所? 増えました 今朝は早速 手合わせ祈り」

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人間牧場

〇落ち葉ストッカー工事記録

 ①型枠製作
 10㎝ブロック横40㎝×6枚=240㎝、縦40㎝×2枚=80㎝の広さの落ち葉ストッカーを組み立てるため、杉板で型枠を作り、あらかじめブロックを置いて見ました。

 ②骨資材購入
 高さ20㎝のブロックを4段積み重ねるとして、1段6枚+6枚+2枚+2枚×4段=64枚のブロック、セメント4袋、砂10袋、砂利5袋、鉄筋2.5m×8本、1m×16本をホームセンターと栗田建材で購入  
 し雨に濡れないよう自宅東屋まで一輪車で運びました。

 ③予定地を片付け
 巾1m×2.5mの床掘をする。残土半分は横の野菜ハウスの客土にするため運び入れ、半分は菜園に入れました。

 ④幕板設置
 幕板を予定地まで移動し土を補正しながら設置し、合わせて16枚のブロックを試験的に仮置きして確認の後ブロックを一旦外に出しました。

 ⑤モルタル練りと基礎コンクリート打ち
 練り舟に砂3,セメント1の割合で砂2袋を入れて水で練り合わせモルタルを作る。その後土の上にモルタルを入れて基礎コンクリートを作り、その上に水平器を使いながらブロックを並べて  
 て行き、その後ブロックの継ぎ目に鉄筋を差し込み、モルタルを流し込み、豆が入らないよう竹棒で突き込みました。

 ⑥ブロックに横筋を入れる
 ブロックの横に鉄筋を入れその上にモルタルを入れて鏝でならすし、1日間養生しました。

 ⑦ブロックの上澄み
 2日目2段目、3日目3段目、4日目4段目と同じようにブロックを積み上げ完了、①~⑥までの作業は私一人で行ったが、⑦の作業は息子、孫2人の支援を受け、1日間養生して粗方完成しまし
た。  

「簡単な 設計図画き 策を練る 端材使って 幕板できる」

「骨材を ホームセンタ― 買い求め なけなし小遣い 使い果たして」

「予定地の 床掘一人で やり上げる わしもまだまだ 捨てたものでは」

「最後の日 協力助っ人 3人も お陰様にて 何とかできたぞ」

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人間牧場

◯ふるさと体験塾「ふたみ名物体験」

 毎年ふるさと体験塾ではこの時期、シーサイド公園のじゃこ天の店で、じゃこ天づくりなどの体験をしていましたが、今年はシーサイド公園がリニューアル工事中のため、灘町に移転しているじゃこ天のお店は手狭なため、隣接した灘町集会所をお借りして、じゃこカツバーガーづくりに挑戦しました。極力蜜にならないよう細心の注意を払い、具材を切ってつみれと混ぜ合わせ、衣をつけて油で揚げ、パンや107のパンに野菜(トマト・レタス)とともに挟み、じゃこカツバーガーが完成しました。

灘町集会所に集合した子どもたち
調理室で早速調理実習
漁協女性部のおばちゃんたちも熱心に指導してくれました
ミカンジュースの生搾り
こんな素敵な食べ物ができました
美味しい美味しいの連発でした
いつものように感想文を書きました

 合わせてユーホーじゃこ天や温州みかんを半分に切り手絞り機で搾って、オレンジ生ジュースも作りました。早速みんなで試食をしましたが、漁協女性部の皆さんのいつもながらの温かい指導や、自分たちが調理したこともあって大満足の手合でした。私も一緒に食べましたが、下灘で開発されたハモカツバーガーと同じように、じゃこカツバーガーは若者向きの食べ物として、売り出したら面白いという意見も飛び出しました。

保護者やジュニアリーダーも参加して賑やかだった閉講式
スライド上塀で一年間を振り返りました

 感想文を書き終えたその後地域事務所へ帰り、一年間の締めくくりとして子どもたちには修了証、ジュニアリーダーには感謝状を贈り閉講式を終えました。パワーポイントで映し出された今年一年の画像を見ながら、今年は新型コロナの影響で満足のいく活動ができなかったと思っていましたが、一方では知恵と工夫で今までにない成果も上がって、来年以降の活動に活かせることも見えてきました。今週11日には実行委員会を開き、今年度の反省と来年度の取り組みについて検討する予定です。心配された雨にも会わずいい一日でした。

「楽しみは みんなで作る ジャコカツの バーガーそれに 手絞りジュース」

「出来栄えも 味も最高 子どもたち 破顔一笑 いい顔してる」

「この一年 コロナであれこれ あったけど 何とか工夫と 知恵で乗り切る」

「終わったと 思えば直ぐに 来年度 こうして小さな 歴史を紡ぐ」

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〇過ぎて気がついた3月3日の健康診断予定日

 3月3日はひな祭りの日でした。覚えやすい日なので前年3月4日に決まった1年後の予定を、自分の予定表に「健康診察日(9時40分エコー検査、10時診察、県立中央病院)」と、新しい今年の予定表に忘れないように書いていました。3日前、2日前とその日が近づくのを指折り数えていましたが、どこでど間違ったのか健康診察のことをすっかり忘れ3月3日の朝、思い立って菜園の隅に落ち葉ストッカーを造るためコンクリートブロックなどの骨材を、松山にある西村ジョイまで買いに出かけてしまいました。

 途中県立中央病院近くの道を通ったのに、健康検診のことなどすっかり忘れ、落ち葉ストッカーのことで頭がいっぱいでした。帰宅後昼食を終えいつもの通り一服しながらNHKドラマ「おちょやん」を妻と二人で観て、「さあ作業を始めよう」と思った矢先講演依頼の電話が入り、予定表を見て青ざめてしまいました。「しまった健康診察を忘れていた。どうしよう」でした。妻にそのことを話すと、「お父さんは何でも夢中になると周りが見えなくなるから」と咎められたりたしなめられたりしました。

 夕方県立中央病院に助産師として勤める娘に電話でそのことを話すと、妻と全く同じ言葉に輪をかけて、「ボケたんと違う」とまで言われてしまいました。意気消沈しとりあえず娘に教えてもらった通りに、電話をかけ予約の取り直しをしてもらい、2週間後の3月17日午前9時に決まりました。「今度は絶対忘れないように」と妻から、ダイニングのカレンダーの3月17日に大きな〇印をつけ、朝食抜きと書き込まされました。家族や娘を巻き込んだお恥ずかしい顛末でした。娘の言う通り「ボケた?」のかも・・・。

「2日前 までは覚えて いたのになあ すっかり忘れた 診察予定日」

「妻娘 巻き込み自分 棚に上げ 忘れたことを 正当化しつつ」

「電話にて 診察予定 取り直し 事なきを得て ホッと一息」

「ボケたんと 違うと娘に 追い打ちを かけられショック そうかも知れない」 

 

 

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人間牧場

〇亡くなった従兄弟に誕生日のメールを送る

 3月2日の朝、いつものように午前4時過ぎに起き、書斎のストーブに火を入れ、パソコンのスイッチを入れました。そうこうしていると、「今日3月2日は若松利光さんの73歳のお誕生日です」と画面に表示されビックリしました。若松利光は私の従兄弟で、先月12日に73歳でこの世を去りました。私より3つ下でしたが年齢も近く何かと気が合い、特に下灘漁協の組合長や第3セクターシーサイドふたみの社長だったこともあり、深い交友をしていましたが、ガンを発病して帰らぬ人となりました。

人間牧場の河津桜

 死んだ人に誕生祝のメールを送るなど常識的にはあり得ないことでしょうが、「お~い進兄い。元気か。わしのことを忘れないように・・・」とのメッセージとも取れるので、届かないことは百も承知で、「若松利光さん、お誕生日おめでとうございます。そちらの暮らしはどうですか?。こちらは三寒四温の中で春が近づきつつあります。楽しみにしていた桜の花も見ないまま旅立ちましたが、利光さんのお墓の上の人間牧場には、去年一緒に見た早咲の河津桜が咲きました。毎週木曜日にはあなたの家を妻繁子と訪れ、線香を手向けて残された信子さんと過ぎし日のあなたの思い出を話しています。先に逝ったわが親父進・母トメ子に会ったらよろしく伝えてください。」とメールを送りました。

 自分より3つも歳下なのに先に逝った従兄弟の死は、私にとって生きること、死ぬことの意味を考えさせられたかなり衝撃的な出来事でした。特に人間の寿命は100歳まで生きる長寿社会になったとはいえ有限で、必ず一度は死ぬのです。ゆえに悔いの残らないいい生き方をしなければなりません。23歳の時85歳まで生きようと生活設計を立てましたが、消費期限も後10年を切りました。今朝までの3日間天国からの着信メールを待ちましたが、残念ながら若松利光からの返信はまだ届かずです・・・。永遠に来ないのかも・・・。いや来るかも・・・。

「先月に 従兄弟忘くなり 3七日が 経った今頃 誕生祝い」

「届かない 百も承知で メール打つ 死んでも心 通じるように」

「この3日 待っているけど 返信も なくて寂しい 春雨シトシト」

「あああと10年 経つと私も あの世行き これから先は うかうかせずに」

 

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人間牧場

〇吸血肉魚ウミヤツメ

 海や川、陸地に住む動物の世界は弱肉強食で、小さくて弱い生き物たちは常に大きな動物に餌食として狙われ、狙われないような工夫を時には集団で身につけながら必死に生きています。地球上でもっとも賢く生きていると思える私たち人間も、考えてみれば他の動物の肉を餌として食べてて生きているのですから、百獣の王はライオンではなく実は人間なのです。

ウミヤツメ
大きな魚にに吸い付いて食べるウミヤツメ

 水中に住む魚で一番どう猛なのは南米の湖沼などに生息するピラニアを思い浮かべます。時には人間をも襲うピラニアの歯並びを見ただけでゾッとしますが、ウミヤツメというウナギによく似た吸血魚がいることを知っている人は意外と少ないようです。生態は余り知られていませんが、吸盤のような口で大きな魚に吸い付き血や肉を吸い取って食べてしまうのです。

 最近は湖沼や野山にも外来種が繁殖して生態系を壊わしつつありますが、その幾つかは元はといえば人間の愚かな行為が生んだ悲劇なのです。人間の行動範囲はどんどんグローバル化し、動植物も海を越えてわが国に入って来ます。人に害を与えるヒアリが外国から届くコンテナに紛れ混んで港に届いて見つかり、大騒ぎしたニュースはもう日常には聞こえなくなりました。

 この頃は、天気予報で毎日のように花粉飛散情報が報じられ、洗濯物さえその予防のためお天気でも部屋干しする人が増えてきました。ひところ公害草と騒がれた黄色いセイタカアワダチソウの話題などほとんど聞かなくなってしまいました。興味本位でウミヤツメを自宅水槽で飼い、川や海に放すとどうなるか?、先日はいるはずもないワニが川で発見され大騒ぎとなりました。

「百獣の 王はライオン 思ってた よくよく見れば 人間様かも」

「ウミヤツメ 大きな魚 吸い付いて 血と肉吸い食べ まるで剥製」

「生態系 何処かおかしく なりにけり 日本の川で ワニが見つかる」

「花粉症 これも環境 変化かも? 日本の植林 杉と桧だ」

 

 

 

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人間牧場

〇飲酒後の締めのラーメン美味かった

 私は若い頃、ビールが好きで何かと理由をつけて吞んでいました。酒の力を借りて交友関係を広げていました。特に酒を飲んだ後の締めのラーメンは美味しく、行きつけのラーメン店ができるほどよく食べました。酒なのか?ラーメンなのか?、はたまた疲労なのか?、原因は未だに分かっていませんが、胆のうにポリープが見つかり摘出手術をしたことが原因で、3ヶ月で13キロも体重が激減し、お酒を止めることを決意しました。

「お酒を止めるくらいなら死んだ方がましだ」と豪語していたのに、やはり命が惜しかったのでしょうか、手術をしてくれたお医者さんと、私の体を心配してくれた妻からも、きっぱり酒を止めた私の姿を見て、「よくやった」と褒めてくれました。お酒を止めてもう20年になるため、私の体内からは完全にアルコール分が抜けているのではないかと思っています。お陰様にて体重は減ったままながら健康な体調を維持しています。

 胆のうを取ると味の嗜好も随分変わり、脂濃い食べ物が余り好きでなくなりました。先日テイクアウトのラーメンを手に入れた友人が、私の所へ手土産に持って来てくれました。寒いこの時期ゆえ豚骨の脂分の多いこってりスープは既に凍っていましたが、酒を飲んでいたころ、好んで食べた締めのラーメンには、こんなにも脂分があったものを食べていたのかとゾッとしました。塩分や脂分、それに糖分は取り過ぎると健康に害が起こります。よくよく注意をして食べたいものです。

「若い頃 お酒を飲んだ その後に 締めのラーメン 頻繁食べた」

「胆のうに ポリープ見つかり 手術にて 摘出手術 以来酒断つ」

「酒止めて 20年もの 年月が 経ってどうにか 健康生きてる」

「友人が テイクアウトの ラーメンを 手土産持参 脂の塊」

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人間牧場

〇スズキと甲イカが沢山届きました。お魚じいちゃんの出番です。

 昨日の夕方、懇意にしている漁師さん夫婦がお魚を届けてくれました。いつの頃からかは耄碌しているので覚えていませんが、多分現役を退職してからですから、もうかれこれ15~16年は経っているものと思われます。お魚が届くと妻も若嫁も、「お魚じいちゃん、出番ですよ」と、さも私じゃないとできないような口ぶりで、私に魚の粗調理を頼むのです。

 それまで仕事が忙しく家庭を垣間見なかったことを思えば、退職して時間と暇がたっぷりあると思われているので、当然の成り行きだと自分でも罪滅ぼしだと納得し、「よっしゃあ~」と、快く引き受け、腕をまくり割烹着をつけ包丁を研いでやっています。そのお陰で粗調理の腕も随分上達し、妻と嫁には大いに喜ばれています。当然昨日もやり始めていた落ち葉ストッカー造りの作業を中断してやりました。

 昨日の魚は大きいスズキと甲イカでした。スズキはサワラ流し網にかかった後、船の活け間で生かしていたものをしめた直後で、まだ時々動いていました。また甲イカは生きたままで、スズキは3枚におろし、甲イカはセンゴと墨袋をつぶさないよう取り除き、皮を剥いて刺身用に仕上げました。妻は早速それらを刺身にしてビニールの透明パックに入れ、あちこちにお裾分けする準備をしていました。

 お裾分け先は近所の親類と松山の息子宅で、午後5時過ぎに家を出て配り終えて帰宅したのは午後7時半近くになっていました。わが家でもそれらを刺身や煮つけにしてもらい、妻と二人で夕餉の膳を囲みましたが、新鮮な魚は美味しく、魚大好き人間の私には何とも贅沢な夕食となり、満腹の手合いでした。ナマコは若嫁が調理したようです。

「漁師さん スズキと甲イカ 自宅まで 届けてくれて 早速調理」

「最近は お魚じいちゃん なりにけり 不器用私 今では腕上げ」

「刺身して ビニールパック 盛りつけて お裾分けだと あちこち配る」

「ああ旨い 刺身に煮つけ 白ご飯 これでモリモリ 元気が出ます」

 

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