人間牧場

〇兄夫婦が届けてくれた広口瓶

 私の妻は八幡浜出身です。50年前たった一度しか経験したことのない僅か5分間の見合いが縁で結婚しました。私を含めて5人兄弟姉妹の私は長男でみんな今のところ健在ですが、妻は4人兄弟の長女ながら既に長兄と末妹が他界して、兄弟姉妹は八幡浜市に住む兄夫婦と長浜に住む義弟だけです。昨日その義兄夫婦が一昨日珍しくわが家にやって来ました。

貰った広口瓶

 私たち夫婦はお墓参りのため時々実家を訪ねますが、その実家も兄夫婦が亡くなり、息子も東京にいるため今は空き家となっていて、義兄夫婦は実家の隣に住んでい実家やお墓を守ってくれています。義兄夫婦の長女が松山に住んでいるため時々孫の顔を見に松山へ出かけるそうですがその途中で、わが家に立寄ったのは何年ぶりかでした。

 義兄夫婦は私たちと同じ年に少し早く結婚したので、私たちと同じく来年は目出度く揃って金婚式を迎えることになります。義兄の兄嫁は日常的に活発に社会活動をしていて、その様子はlineやfacebookで日常的に通じ合い、よくメッセージを書き込んでもらうので八幡浜界隈の出来事が分かり大助かりです。

 兄嫁は先日lineで、「梅酒仕込みに使う広口瓶を近所の人が差し上げるらしいが要らない?」と連絡が入り、「欲しい」と返信していた広口瓶を持参してくれました。広口瓶は梅干しや梅酒の漬け込みや保存に使います。また梅干しを差し上げる時にも重宝して使います。ガラス瓶はプラスチック容器と違い劣化もしないし、中に入れたものが変質しないので、せいぜい活用したいと思っています。ありがとうございました。

「兄夫婦 どういう風の 吹き回し 突然わが家 嬉しい訪問」

「わが妻は 既に兄妹 他界して 実兄一人 寂しかりけり」

「兄夫婦 同じ年に 結婚し 来年目出度く 金婚式です」

「広口瓶 貰い届けて くれました 梅干しなどに せいぜい活用」  

 

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人間牧場

〇早生みかんの季節となりました

 みかんの美味しい季節になりました。母が存命中は出荷する程みかんを作っていましたが、言い訳はしたくはないものの私の仕事が忙しくて世話ができず、廃園となってしまいました。その跡地に人間牧場を造ったり、伐採伐根してクヌギの苗を植える里山運動にも取り組み始めていて、亡き母にはままあそれなりに使っていると報告ができるようです。

早生みかんの発送

 私の元へは年間を通じて全国の知人友人から、その地ならではの季節に合った特産品が送られてきますが、その返礼は何といっても愛媛ならではの柑橘類です。愛媛では早生みかんの収穫が始まりました。少し青味を残したこの時期の早生みかんは甘味と酸味に加え、皮を剥くとプーンと漂う香りは何ともいえない優しさです。

 そんなこともあって、毎年農家さんに直接頼んで分けてもらい、郵便宅配で送っています。一昨日はとりあえず10箱ほど郵便局の窓口に持参して送ってもらいました。昨晩は早くも届いた知人友人から、お礼の電話やメールが届いたようです。最近は新型コロナの影響で、飛行機便が少なくなった北海道などへ送った荷物は4~5日もかかるようです。

「わが家には 残念ながら みかんの樹 殆どなくなり 送りも出来ず」

「早生みかん 出回り始め 早速に 農家頼んで 仲間に送る」

「全国の 仲間がみかん 届くのを 待っていますと 風の便りで」

「今年は 干ばつ気味の 気候にて 味はいいけど 少し小ぶりだ」

 

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人間牧場

〇中庭の草取り

 歳をとると「病院通いや買い物に便利な都会暮らしがいい」、「庭の手入れをしなくてもいいし、隣近所の煩わしい付き合いのないマンション暮らしがいい」という言葉をよく耳にするようになりました。田舎暮らしが好きで田舎に住んでいる私とは真逆の生き方は高齢者にとって、本当にいいのだろうか?と時々思うことがあります。

すっかり綺麗になった中庭

 確かに田舎暮らしは便利さや煩わしさでは都会に負けますが、田舎暮らしには声掛けやお裾分け、助け合いなどなど、金に換えることのできない充実した生き方ができると思えば、これもまたよしの人生です。昨年近所のおばあちゃんが亡くなりました。残されたおじいちゃんをどうするか、身内でかなり議論がされたようですが、都会暮らしを嫌がるおじいちゃんの意見は無視され、結局は都会に住む息子に引き取られて行くことになりました。

 漏れ聞く風の便りによるとおじいちゃんは、その後痴呆の症状も見られて夜間徘徊が始まり、行方不明になったそうです。警察に捜索願が出され探しましたが見つからなかったのに、どこをどうしたのか分かりませんがおじいちゃんは、住み慣れた自分のわが家に辿り着きました。その後は一人で広い屋敷に住んでいますが、徘徊も痴呆もなく元気に暮らしているようで、近所の人とゲートボールやラジオ体操を楽しんでいる姿を見ると、便利さだけでは片付かない何かがあるようです。

 昨日わが家の中庭の草削りをしました。わが家は貧乏ながら、家の横の菜園を含めると660坪もあって家の周りの草引きや庭の手入れも半端ではないため、せめて息子たち家族のダイニングから見える中庭だけでも、生えた草を取るように口約束しているにもかかわらず、草が生えて見苦しいので、見かねたサンデー毎日の私がおせっかい草削りと相成った次第です。

 息子家族が同居しているからこそ老後の人生が楽しいと思えば、また健康のためだと思えばどおってことはありません。すっかり綺麗になった中庭を、仕事や学校から帰った息子家族は見て大いに感謝され、昨晩は孫の沸かしてくれた一番風呂に入りました。

「年取ると 都会やマンション 便利だと 確かに思うが 私は嫌だ」

「住み慣れた わが家で暮らせる 幸せの お礼にあれこれ 昨日は草取り」

「これからは 100まで生きる 時代です よくよく考え 老後を楽しく」

「昨晩は 孫の沸かした 風呂にいる 一番風呂は 鼻歌交じり」

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人間牧場

〇縮む社会の中で

 新型コロナの影響で不用不急の外出を控えたり色々な集会が中止になり、リタイアして現職を離れて16年にもなるのですから当然と言えば当然でしょうが、これまで私に届いていた情報がつい最近少なくなっていることに気づいています。新聞やテレビ、インターネットで世の中の動きや情報はよく分かるものの、特に隣近所や町内、それに隣の町の話題は中々耳に届かなくなりました。

 これからはコロナによって加速しつつあるウエブ会議のような手法が主流になるようで、人間同士の顔と顔を突き合わせたコミュニケーションを大切にしてきた私たちのような古い人間は、ついて行くことすらできなくなるようです。またここに来て平成の大合併以前の町や村でやっていたことが、合併後の大きくなった自治体方針に馴染めず、火を消そうとしていることを残念に思っています。

 その一つはわが町の中心施設であるシーサイド公園の管理のために作った第三セクターです。残念ながら競争入札で他社に遅れを取り、来年3月で25年続いた管理業務を終えますが、願いもむなしく解散の方向に進んでいるようです。また新聞報道によると隣の旧中山町では、鹿牧場の長期的な見通しが立たず、40頭の鹿は身売りされ、牧場は閉鎖されるようです。それぞれその町の命運をかけて取り組んできたことだけに、効果効率の名のもとに切り捨てられる運命をどう見ればいいのか・・・・。

 鹿の記事を書いた新聞記者が取材最前線というコラムで、「数値ではない評価」について私たちの心を代弁するような記事を書いていました。16年前対等合併した中山町も双海町も、激しい過疎と高齢化と少子化が進み、中心市街地の旧伊予市からするとお荷物的な感じがするかも知れませんが、「頑張る住民を支援」するような行政を望みたいものです。

「コロナ禍で 手元に届く 情報が 徐々に少なく なりつつあって」

「ウエブ会議 出来ない人は 烙印を 時代遅れと 押されてしまい」

「あれもダメ これもダメだと 否定され お先真っ暗 寂しい限り」

「数値では 計れぬ評価 見て欲しい 声なき声が 空しく響く」

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人間牧場

〇少ないながら今年も新蜂蜜ができました

 秋も深まるこの時期になると新米や新酒など、食べ物や飲み物の話題があちこちから聞こえてきますが、わが家では夏の終わりに私が採集した蜂蜜を、息子が家庭内サウナに入れて水分を飛ばし裏ごしして精製し、瓶に詰める作業をしてくれますが、息子も最近あれやこれやと活動が忙しいようで、先日の日曜日やっと2升ほどの蜂蜜瓶詰めを終わったようでした。

今年も新蜂蜜ができました

 息子は凝り性なので、瓶は熱湯消毒し蓋をきつく締めた後封印気味のシールを貼って、まるでお店の店先で売っているようなお洒落な商品に仕上げてくれました。今年も蜂蜜の収穫は不作なので残り1升余りの精製が終われば、今年の養蜂作業は全て終わりです。今年は孫たちの協力で蜂蜜を採った後の巣は綺麗な蜜蝋にしてくれているので、来年の春が楽しみです。

 昨年は忙しくて蜜蜂を誘引するため、裏庭の棚で育てている日本ラン・キンリョウヘンを育てていますが、越冬のためビニールハウスに取り込むことができませんでした。今年は寒波がやって来る年末頃にはハウス内に取り込んで防寒して、花の目覚めを人為的に少し早くしようと考えていますが、目論見通り上手くいくかは分かりません。こんな他愛のない日常の暮らしをしながら私は年齢を重ねています。

「新米や 新酒のように わが家では 新蜂蜜が 今年も出来て」

「神棚に 新蜂蜜を お供えし 蜂に刺される ことなき感謝」

「パンを焼き 出来立て蜂蜜 塗って食べ 収穫祝う 秋の朝食」

「来年は こんなささやか やることを 色々考え 歳を重ねる」

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人間牧場

〇子ども体験塾収穫祭(その1)

 今年は新型コロナウイルスの影響で、年輪塾の開講式の時に抱き合わせて毎年やるジャガイモ堀りとサツマイモの苗植えに塾生は参加せず、5月19日に伊方町瀬戸まで取りに行った苗をスタッフだけでやりました。したがってその後の草引きや草刈り、つる返しなどの維持管理も全てスタッフが請け負いました。

収穫祭に集まった子どもたち
芋掘り作業
芋掘り作業
サツマイモは大豊作でした

 それでも芋掘りだけは子どもたちの手でさせようと、2日前の先週土曜日に行いました。下灘コミセン前に集合した子どもたちは、全員コロナ対応のマスクを着用しながら元気に山道を登って人間牧場へやって来ました。早速前もってつる切りを行っていた芋畑に入り、手スコップで芋を掘り始めました。

 例年だと下手糞な子どもたちが植えるため余り出来が良くないのですが、今年はスタッフが丁寧に植えたからなのか、はたまた植えてからの長雨と夏の渇水の影響か、芋はいつになく大豊作で、20キロキャリーに軽く4杯、つまり60㎏ほども収穫し、しかもクズ芋がなく立派な芋を掘る度に、子どもの歓声が聞こえました。

 サツマイモの収穫が終わると子どもたちは一旦手を洗って、人間牧場から池久保向こう家集落の前を通る横撫の道を通り、奥西の豊田神社を経て、防災教室の会場となる廃校となっている旧下灘中学校まで歩きました。この道の案内は先日事前踏査している私と出海主事さんで、瀬戸内海の眺望を楽しんだり途中水分補給のためのの休憩や、豊田神社での一服などを経てほぼ時間通りに中学校跡地に到着しました。みんなが掘ったサツマイモは久保主事さんが車に積み込んで、歩く子どもたちを追い越し、下灘中学校跡地で焼き芋にするためスタッフが、濡れた新聞紙とアルミホイルでくるんで準備をしていました。

「苗植えも 草引き作業も コロナにて 出来ず子どもら 芋掘りだけで」

「植え方と 天候恵まれ 掘った芋 大豊作で 歓声こどます」

「瀬戸内の 眺望見ながら 別ルート 豊田神社の 境内参拝」

「道案内 事前踏査を したお陰 時間通りに 事が運んで」

 

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人間牧場

〇猿出没を目撃した妻の驚き

 一昨日の朝、わが家でちょっとしたハプニングがありました。金曜日はゴミ出しとペットボトル回収の日でした。私は妻が用意したゴミ袋に入れたゴミを一輪車に積んで少し離れた県道へ、妻は地域事務所裏の回収場所へ軽四に積んで出かけるため、家の入口斜面下の道に出ると、いきなり大きな猿がこちらを見ながらのっそりと歩き、目の前を悠然と通り過ぎたそうです。

妻の目撃を基に作った似顔絵

 思わぬハプニングに妻は腰を抜かすほどの驚きだったそうで、ペットボトル回収場所で出会った区長さんにそのことを報告したようで、その後区長さんを通じて市役所に連絡したり、集落内の有線放送で猿出没につき注意の放送がされたようでした。私たちの地域ではイノシシ、ハクビシン、カラスといった有害鳥獣は驚くに足らない日常的な嘆きのニュースですが、猿出没は余り聞かない話題なのです。

 猿は知恵者で学習能力が高いため、もし空中戦と地上戦が得意な猿がこのまま居座るようなことになれば、農作物の被害はさらに拡大するかも知れないと一瞬思いました。北陸地方ではクマの出没や人を襲い大怪我をした被害情報が連日のように報告されていて、目に見えぬところで起こっている自然界の変化を肌で感じるようになりました。妻の見たあの猿は今頃どこにいるのでしょうか?。願わくば元の群れに帰って山奥でひっそり暮らして欲しいと願っています。

「家の前 妻の目の前 悠然と 歩く猿見て 妻は驚く」

「腰抜かす ほどの驚き 武勇伝? 注意放送 身近な話題」

「あの猿が 出ないで欲しいと 皆思う この上被害 ないよう願う」

「猿話題 私も申年 人間も 元はと言えば お仲間ですやん」

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人間牧場

〇姉の家の隠居家取り壊し工事始まる

 101歳まで生きた姉の義父が住んでいた隠居家は、この最近人が住まなくなったため痛みが激しく、このままだと通行人に怪我をさせてはいけないということで、思い切って壊すことにしました。材木商を営む従兄弟の口利きで、先日解体業者に来てもらい、私も立ち会って見積もりをしてもらいました。このほど見積もりが届き、早速契約して取り壊し工事が始まりました。

 隣の民家に近いので足場が組まれ、飛び散りを防ぐシートも張られ、近所へ迷惑をかけるためあいさつに伺いました。工事初日はあいにくの雨でしたがその分土分の埃も出ず、とりあえず昨日で屋根の瓦を剥いで運搬車に搬入する作業を終えたようでした。この家は元々双海町奥東の、かつて住んでいた場所から移築したものなので、年代は不祥ですが余り込み入った造りでもなく、木造2階建てながら、窓を外した姿は少し寂しく見えました。

 時折通る顔見知りの人が、「家を建てるのですか?」とか、「土地が売れたのですか?」などと聞きながら、作業様子を横目で見つつ足早に通りすがりました。私も心配になり朝夕のぞきに行っていますが、間もなく重機が入って土台などコンクリートなどが壊され新地になる予定です。解体工事前に貰って持ち帰った柱時計とテーブルも埃を落としたり、磨きをかけながら資料館に仮置きしています。それにしても家は建てても取り壊す工事をしてもお金がかかるものです。

「この4~5年 姉に頼まれ 病弱な 義兄に替り 草刈り手伝い」

「人住まぬ 家は空気が 淀むため 傷みが早く あちこちほころび」

「解体の 業者見積り してもらい 早速工事 足場とシート」

「屋根瓦 取ると何だか 寂しそう 家の運命 意外と短く」

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人間牧場

〇サツマイモ掘り

 天気予報だと昨日は低気圧や前線の接近で雨のようなので一昨日、少し遅れ気味のサツマイモを掘ろうと思いつきました。明くる日の講演が迫っていて準備のため、一日中何の予定も入れていなかったので、午前中半日をかけて掘りました。今年は伊方町瀬戸から取り寄せた瀬戸金時を50本、馴染みの苗屋さんで買った鳴門金時50本を、それぞれ2列ずつマルチをかけて植えていました。

 4等分に分けて転がすようにつるを切って畑の隅に置き、マルチを剥がして順次掘り進みました。今年は渇水気味の天候に恵まれ、丸々太ったサツマイモが沢山ついていて豊作でした。ところがところが、大きなイモの頭をネズミと思われる害獣に食べられ、傷芋が沢山見つかりました。食害に遭って日数が立っているようなので、癒えた部分を切れば食べられるのですが、保存には向かず、今日にでも包丁で切り分けて蒸かしたり芋の天ぷらなどにして食べたいと思っています。

 雨が近く、雨に濡らすと後の処理が厄介なので、倉庫からゼツメというつる切り道具を持ち出し、片っ端から10㎝ほどに切って行きました。この作業は指を切らぬよう注意をしなければならず、加えて相当力が必要なため大汗をかきました。掘った芋は夕方まで天日干しして粗土を落とし、雨に濡れないよう倉庫に仮置きしていますが、これから一週間は晴れ模様なので、しっかりと陰干しして、もみ殻を入れた専用の木箱に入れ、芋坪に保存する予定です。切った芋づるは畑に戻す予定です。

 芋は保存すると甘みが増して美味しいので、来年の春までせいぜいその味を楽しみたいと思いますが、家族みんながサツマイモを食べると、ゲスな話ながらおならが出ます。「あら失礼」とばかりに音を立てるおならは、わが家の平和の象徴かも知れません。「あら失礼」です。

「雨が降る 前に掘ろうと サツマイモ つる切りマルチ 剥がして奮闘」

「サツマイモ 今年は渇水 お陰にて 豊作でした 大きな芋が」

「野ネズミの 被害に遭って サツマイモ かじられた跡 沢山ありて」

「芋のつる ゼツメで切って 処理をする 今日は畑に ばらまき戻す」

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人間牧場

〇送られてきた見事な戻りガツオ

 一昨日白い発泡スチロールがわが家へ宅配便で届きました。送り主は南宇和郡愛南町に住む内海村の元村長で、宇和海で真珠養殖を営む親友の加幡さんからでした。加幡さんとは同じ宇和島水産高校出身ということもあって若い頃から懇意に付き合っていて、毎年この頃には戻りガツオが、正月前にはアコヤ貝の貝柱やカンパチが届くのです。

見たこともないような丸々太った立派な戻りカツオ

 早速蓋を開けてみると見たこともないような、それは立派な戻りガツオが一匹氷詰めにされて入っていました。早速出刃包丁を砥石で研ぎ、妻の割烹着を借りて腕まくりし、粗調理を始めましたが中々の難敵でした。3枚におろして水洗いしたカツオの身を4枚に切り分け、バーベキュー用の長い櫛を差し、ガスコンロの火にかざして表面を軽く焼きました。

 戻りガツオというだけあって焼くと皮目から油が滴り、ガスの火でまるで線香花火のように燃えました。前もってボールに氷水を作っている所へ素早く入れ氷でしめましたが、まずまずの出来栄えでした。海沿いの町であってもカツオの水揚げはない地域なので珍しいため、近所や知人にお裾分けをして喜ばれました。

 高知県馬路村のポン酢に、下ろしニンニクを入れたタレをつけて食べましたが、カツオのタタキは新米の白いご飯に合って食が進みました。食べきれなかったタタキは冷凍保存したので、1週間は楽しむことができるようです。早速加幡さんにお礼の電話を入れ近況報告を交わしましたが、真珠母貝のへい死やコロナによる真珠入札の中止など、厳しい現場の話を聞きました。それでも相変わらずポジティブに生きる元村長に元気と勇気を貰いました。

「宅配で 戻りカツオが 届きたる 腕をまくりて 粗調理する」

「三枚に おろした カツオ 串を差し ガスで表面 焼いて氷しめ」

「食卓に カツオのタタキ 馬路村 ポン酢で食べる 新味ご飯」

「電話にて お礼と近況 報告を どこも厳しい だけどポジティブ」

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