人間牧場

〇学校五日制の行方

 私たちが子どものころは土曜日は昼まで授業、夏休みも30日程度。勿論給食などはなく、トイレも汲み取り式で、勉強などは二の次でのんびりゆっくりと時が流れていました。最近の学校は木造校舎が鉄筋コンクリートに変わり、冷暖房まで完備し、(つい最近は木造校舎に回帰しているところもあるよう)、校門には防犯のため門扉がつけられる物々しさで、木が交わって学ぶと書いて学校と呼んだ、校庭に二宮金次郎銅像の建つ学校らしい学校は姿を消しているようです。

 最近までは行き過ぎた学歴社会、学力偏重から生まれる様々な青少年の問題行動を是正するため、「ゆとり教育」が行なわれ、長年続いた土曜授業がなくなって学校五日制がすっかり定着していますが、ここにきて教育改革が議論され始め、土曜日の授業再開や六・三・三制の見直し、三学期制の見直し、飛び級制度、幼・小・中・高一貫教育、高校の義務教育化などなど、枚挙に暇のない議論が地方や親の意見をないがしろにして、中央集権で行なわれているようです。学校五日制の時も、ゆとりから学力への方向転換の時もそうでしたが、東京や文部科学省がくしゃみをすると、田舎や現場は風邪を引くの例えどおり、大きな混乱を余儀なくされました。特に文部大臣が変わる度に政治家のいい加減な思いつき発言に翻弄されてきたことも紛れもない事実なのです。

 仮にいま考えれれている学力向上のための土曜日授業の導入は、やっと学校五日制が定着して、家庭や社会がそのリズムに乗ったばかりだし、勿論子どもたちのために社会教育が受け皿になって休日の活動が活発に行なわれるようになったばかりなのに、また元に戻すという安直な考えはどう考えてみても可笑しいような気がするのです。異常に進んだ少子化で学校は否応なしに統廃合され、昨日まで保育園や幼稚園に通っていた一年生の児童が、13キロも離れた小学校へ毎日バス通学する姿は、まさに異常としか思えないのです。明治以来小学校は子どもが歩いて行ける距離にありました。通学の途中で出合う地域の人や道端の自然との無駄とも思えるようなふれあいで、子どもは多くのことを学んでいたのです。

 世の中には変えてはならないことと、変えなければならないことがあります。今の世の中は変えてはならないのに変わったこと、変えなければならないのに変わっていないことが、余りにも多過ぎるような気がするのです。不易と流行はある面相反するものに見えますが、共存も考えなければなりません。教科書無償供与や授業の無料化などはあっても、子どもの教育にお金がかかり、学校が遠いため子どもの送り迎え等をしなければならない、親の苦労も中々大変なようです。
 一応子育てが終ったわが家では、私が小・中・高の学校評議員をしたり、同居の孫が小学校に通うようになり、教育議論が再燃しています。さあどうしましょうか。

  「学校が 五日になつた あの時は 賛否両論 そういえばあった」

  「五日制 やっと落ち着き 定着す どこかで誰か 元に戻せと」

  「大臣が 変わると私 こう思う 取り巻き人が それを鵜呑みに」

  「世の中にゃ 変えてはならぬ ことがある 変えるのならば 説明責任」

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人間牧場

No27.メガネ
私は69歳の今日まで、メガネをかけなくても裸眼で本や新聞が読めるのです。私より一つ歳が若い妻は10年も前に老眼のご厄介になっているし、同年代の仲間は、老眼がなければ何もできないと、羨ましがられています。目は遺伝なのか、私の母親も81歳の天寿を全うするまで、メガネを必要としませんでした。顔の作りが悪いのだから、せめて目ぐらいは良くないと不公平です。

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人間牧場

〇子ども体験塾底引き網体験

 

底引き網体験航海開会式
底引き網体験航海開会式

 公民館主事の赤石さんは「私は自称雨男です」と言うとおり、彼が企画する屋外事業はことごとく雨に遭います。前回の子ども体験塾も翠小学校の体育館を使って事なきを得たものの、明くる日は予定していた川釣りもできないほどの大雨に見舞われました。今回の底引き網も前日の予報では50%程度の降水確率で、朝方雨が少し降るなど心配されましたが、そこは晴れ男の私が絡んでいるので地元の言葉で、「ぼろでねじる」(雨がポロリと落ちる程度で晴れに転じること)程度で天気は回復しました。

漁協前広場でライフジャケットを着用し準備する風景
漁協前広場でライフジャケットを着用し準備する風景

 午前7時に地域事務所ロビーに集まった、38人の子どもと20人のボランティアスタッフで開会式を行ないました。私はこの日人間牧場で地域マネジメントスキルアップ修得講座での集中講義をやらなければならないため、あいにく底引き網には参加することができませんでしたが、宮本公民館長さんと二人で一応の責任者なので、開会のあいさつと港から出航する一行を見送りに参加しました。
 海の上の底引き網は危険を伴うので、様々な危険なシュミレーションを話してやりました。これも非日常な安産な冒険をするためにはとても大事なことなのです。船の上ではふざけないこと、入港出港の際は船頭さんの言うことを聞いて行動すること、網入れ網揚げは特に危険なので注意をすること、魚には鱧、オコゼ、エイ、太刀魚など危険な魚もいるので、うっかり手を出さないこと、船はトイレがないので前もって済ませておくこと、船酔いは遠くを見たりおまじないをするとかからないこと、などなどを話してやりました。

 港で漁師さんや漁協の職員さんから救命胴衣を着けてもらって、いよいよ出港しました。昨年は操業が終わると沖合いに浮かぶ青島へ立ち寄りましたが、今年は青島が猫騒動でフィーバーしているために中止となり、寄港後は灘町集会所に会場を移し、取れた魚を料理して会食しましたが、参加した孫希心の話によるととても楽しい一日だったようです。この日の漁獲は潮の関係で今一だったようですが、子どもたちは小さいながらイカや魚をお土産に貰って帰ったようで、その夜は「僕が獲った魚だ」と自慢しながら私も自宅でご相伴に預かりました。
 人間牧場で講義をしながらはるか沖合いで、子どもたちを乗せて操業する漁船を見ながら、子どもたちは漁船から町の方向をどんなことを感じながら見ているのだろうとふと思いました。夕方人間牧場での講義が終わり後片付けをしていると、赤石さんから「事故もなく無事終りました」と報告メールが届きました。赤石さんは「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)をいつも心がけていて、事業の効果的運営が行なえる所以だと感心しています。

  「雨男 自認の主事と せめぎ合い 昨日私に 軍配上がる」

  「ホウレンソウ いつも感心 しているが さあ次どんな 作戦練るか」

  「海の上 ふるさと見れる チャンスです 陸から見ると 反対効果」

  「何事も ないが一番 安全な 冒険終えて ホッと一息」

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人間牧場

〇愛媛大学マネジメントスキル修得講座(その2)

 普通はレジメを用意して講演や講義をしない私ですが、大学の講義はそういう訳にも行かず、お茶を濁す形で数年前に作ったレジメを印刷してもらい、昨日は人間牧場での集中講義に望みました。さりとてこのところ忙しく、そのレジメすら一読することもなく当日を迎え、また昨日朝は子ども体験塾の開会式や底引き網体験に出港する子どもたちを見送るためにバタバタして、来客のため水平線の家の掃除もせねばならず、結局はぶっつけ本番の講義となってしまいました。そんなこんなで多少不安を抱えながらの講義でしたが、終ってみれば時間が足らず、あらためてアドリブに強い自分の姿に一人苦笑するのです。

 昨日の講義は、テーマが地域活性化論でした。結論から言うと地域の活性化は人の活性化であり、行き着くところ自分のスキルをアップする自分づくりだと思うのです。冒頭で活性化のためには幾つかのゆとりが必要だと述べました。私が考えるゆとりには大まか①時間的ゆとり、②空間的ゆとり、③経済的ゆとり、④教育文化的ゆとり、安心安全のゆとりがあって、それらを総合した精神的、人間的ゆとりがあれば、活き活きと元気に日々を暮らすことができるのです。スケジュールに追い回され時間的なゆとりがないと苛立って、何事も中途半端になり、時には様々なトラブルを誘発するものです。私は時間的余裕をつくるため早起きを心がけています。毎朝午前4時に起きてその日の準備にとりかかる習慣は、何かにつけてせっかちな私の心を落ち着かせ、それが習慣化してゆとりある人生の源となっているようです。また一線を退いてできた自由時間の増大も欠かすことのできないゆとりのひとつです。

 空間的ゆとりは田舎ののんびりした空間、広い自宅の空間、眺望開けた人間牧場空間、町全体の醸す空間等様々ですが、時折それらを離れて価値を再認識しながら生きています。皆さんが第一に挙げたがる経済的ゆとりは私の場合三番目以下の値打ちだと思っています。リタイアし年金暮らしですが、食べることには困らず最低限な人並みな暮らしができれば、これ以上望む必要もないのです。教育文化的ゆとりはその人の教育文化レベルに比例するため、私の教育文化的レベルはそんなに高くないため、まあそこそこのゆとりで満足しています。ただ安心と安全のゆとりとなると話は別で、予期せぬ自然災害や家族の健康不安など、特に年老いた親父の在宅介護などは多少の不安を抱えているというのが正直なところです。総合的な人間的ゆとりはある方だと思いつつ、さて自分はさて置き地域のゆとりはあるのだろうか?と思いつつ、地域活性化論の講義を受講生20人を前に延々6時間やりました。

  「何と何 あれば幸せ 感じるか あれこれゆとり なければならぬ」

  「お金さえ あれば幸せ 言う人が 結構いると 時々思う」

  「金なくば どこかぎすぎす するゆえに ささやかだけど 将来備え」

  「安心と 安全確保 したいけど 老いの親父の ことが気がかり」

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人間牧場

〇孫の長い夏休みが始まりました

 昨日は町内の小中学校の一学期終了式の日で、今年一年生になった孫は、今日から40日に及ぶ長い夏休みが始まりました。私たちが子どものころは7月25日から8月25日までの約1ヶ月間でしたが、今は夏休みがとても長く、もう少し短くしてもいいのに?と思うほどです。でも子どもたちにとってはとても楽しみな夏休みで、昨日は人生最初の通知表を貰って意気揚々と帰って来ました。まだ通知表の意味さえ分からない孫希心は、「おじいちゃんとおばあちゃん、通知表を貰ったので見てください」と私たち夫婦の部屋へ見せに来てくれました。沢山の◎〇印の付いた通知表には担任の先生の誉め言葉も書かれていて、何はともあれ「よく頑張ったね。これからも頑張ろう」と誉めて激励してやりました。そして「お父さんが帰ったら見せよう」と、私たちが子どものころにしたように仏壇に供えて手を合わせました。

 孫の知能や学習能力がどの程度かは知る由もありませんが、両親を足して2で割った数字が子どもだと理解しているので、多くは望まず普通の子どもに育って欲しいと願っています。4月に小学校に入学してからこの4ヶ月、孫にとっては全てが新しく、戸惑うことも多かったようですが、何とか一日も休まず皆勤で学校へ行けたことが何よりの成果でした。体も随分大きくなり友だちもたくさんできて、その影響もあってか少し言葉が汚くなったようにも感じますが、まあ順調のようです。
 夏休みは1学期の集中が途切れる時期でもあります。孫は働いている両親の都合で夏休みは毎日、学童クラブへ宿題を持って通う予定だそうです。学堂クラブでは午後小学校のプールへも連れて行ってもらうようで、命札や健康観察表の準備も母親がしているようです。

 今日の夕方外出先から帰ってみると、松山に住む孫2人も娘に連れられて泊まりに来ていて、家の中が蜂の巣をつついたような賑やかさでした。明日はみあでは二年に一度となった双海の夏祭りが開かれ、夜には花火が上がるようで、家族全員が集まって家の庭で野外焼肉パーティを開いた後花火の見学に行こうとみんなで相談しているようです。
 私はこの一週間何かと忙しかったので、少し休もうと思っていますが、妻は子どもや孫の来訪で休む間もなく、仕事から帰ると親類から貰った魚の粗調理を私に頼み、夕食や明日の準備をしています。女に生まれなくてよかったとしみじみ思いながら、これから鯛や味の刺身を肴に夕食を楽しみたいと思っています。

  「孫たちは 今日から楽しい 夏休み 通知表見せ 頑張り誓う」

  「仏壇に まずは供えて 感謝する 休まず学校 行けた健康」

  「夏休み 40日も あるという これから先が 思いやられる」

  「今晩は 四人の孫と 寝るという 楽しみ増えて 爺は浮き浮き」

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人間牧場

〇海水温変化の影響(その2)

 愛媛県は養殖漁業が日本一です。特にリアス式海岸を有する宇和海ではマダイやハマチ、ヒラメ、トラフグ等の養殖が盛んですが、マダイ、ヒラメ、トラフグの高温側生息限界水温は29℃付近で、現状水温に+1.3℃だと、100年後には生息不適となるようです。ブリやハマチについては長期的には生息可能水温ですが、高水温による疾病の多発が予想されるとか、カタクチイワシについても水温上昇で産卵可能時期が広がるため、抱卵による商品価値の低下も予想されるそうです。

ハリセンボン
ハリセンボン

 先日私の町の漁師さんが私の所へ、見たこともないような魚をバケツに入れて持って来ました。私が水産高校出身で魚のことにある程度詳しいことを知っているので、いつも珍しい魚が獲れると、見せに来て意見を求めるのです。その漁師さんの話によると、「60年間漁師をしているが、近頃これまでに見たこともないような魚が獲れるようになった」と言うのです。昨日水産会館で聞いた水産研究センター栽培資源研究所主任研究員西川さんの話はそれを裏づけするような話でした。

 最近熱帯・亜熱帯性のナルトビエイが海水温の上昇により関東以南の内海域に大量来遊し、アサリやタイラギ、バカガイなの二枚貝が大量食害に遭ったり、亜熱帯性であるハリセンボンやエチゼンクラゲも来遊し、漁業の妨げとなっているようです。事実私たちの町の海岸にも子どものころには見ることがなかったハリセンボンが大量に発生し、亜熱帯性のため越冬できなかったハリセンボンの死骸が砂浜に打ち上げられているのを見かけるのです。また暖海性のアイゴが瀬戸内海でも確認されるようになり、三崎半島では藻場がなくなる磯焼け現象の原因が、アイゴの食害によるものだとも指摘されています。

 宇和海の赤潮は今はもう慢性的になり、養殖漁民の悩みの種になっています。冬季水温の上昇で低水温期に死滅していた赤潮の原因であるカレニア・ミキモトイ赤潮細胞が越冬可能になったことも、ゆるがせない事実のようです。
 人知れずいつの間にか海の中で起きている海水温度の変化や悲鳴は、多発する自然災害にも大きな影響を及ぼしているようです。私たち人間一人ひとりもこうした自然の発する警鐘に耳を傾け、便利さや成長を少しだけ抑制し、我慢して生きて行かねばならないようです。

  「見たことも ないような魚 獲れだした 漁師の危惧は 何を意味する」

  「ハリセンボン 子どものころは 見なかった 今は砂浜 ゴロゴロ死骸」

  「赤潮が 漁民育てる 養殖魚 斃死をさせて 難儀な話」

  「多発する 自然災害 原因は 地球温暖 人間仕業」

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人間牧場

〇講演冥利に尽きました

 「若松さんお久しぶりです。私は元役場の・・・・。」「ついてはわが町の高齢者の前でお話をしてくれませんか。」「とにかく楽しいお話をしてください。」と一本の電話がかかってきました。「元役場」という記憶の糸をたぐり、名前と顔が一致して思い出せないまま、「あなたの予定に合わせるので」と言われては断わることもできず、予定表を見て「7月16日の午前中なら・・・」と即決しました。「演題はどうしましょうか?」「そちらのご意向はどんな話を望まれますか?」「はい地域やみんなが元気になるような、とにかく楽しいお話をしてください」「分りました、じゃあご希望通り『地域を元気に』くらいで如何でしょう」「決めてから言うのもおこがましいのですが、貧乏所帯ゆえ講演料はそんなにありませんので・・・」「はいはい結構です」とまあ、いつものような会話で商談(講演依頼)が成立しました。

会場は満席でした
会場は殆ど満席でした

 「会場は来見集会所です。10時からなので少し前にお越し下さい」とは言われていたものの、カーナビにも載っていない小さな集会所へ、どうすればたどり着くのか、講演依頼文書も来ない小さな集会なので少し心配しましたが、何とかなるだろうと鷹を食って、とにかく日時だけは間違わないようにとスケジュール表に書き込みました。こんないい加減な口約束で講演に出かける私も、相当いい加減な人間なのです。幸い近所に住む友人西川さんから電話が入り、案内してもらい事なきを得て、20分前に会場へ到着しました。立派な集会所のホールは集まった人で既に満席で、隣の控え室に案内され、元役場と電話をかけてくれた方や市会議員、そして懐かしい佐伯さんも駆けつけてくれ、楽しい会話となりました。

 「1時間半ほどでお願いします」と促されて会場へ入り、マイク片手に90分お話をさせてもらいましたが、まあ会場は私の話で大爆笑となりました。講演の途中会場の真ん中で携帯電話の着メロが突然鳴り出して、講演を中断するハプニングにも見舞われましたが、これが田舎の良いところです。質問タイムも結構盛り上がり、ハーモニカの演奏サービスまでしてしまいました。帰りに親友の佐伯さんから段ボールいっぱいのトウモロコシとキューリをお土産にいただき、会場を後にする時、「必ずまた来てください」とみんなで大きな拍手で送ってくれました。いやあ講演冥利に尽きるとはこのことでした。
 昨日親友の佐伯さんに、「若松さん、あんたは笑顔のセールスマンじゃなあ」と言われました。言われてみればそうかも知れません。他の人のように難しい話を難しく語れず、分かりやすい話を分かりやすくしか語れない浅学菲才な人間ですが、これからも求められれば「笑顔のセールスマン」をやろうと思っています。

  「電話だけ 派遣申請 などもなく 迎える方も 行く方さえも」

  「講演の 途中いきなり 会場で 着メロ鳴って 話を中断」

  「大爆笑 あなた笑顔の セールスマン うまい表現 これからそれに!!」

  「また来てね 大きな拍手 送られて ほのぼの帰る 朝来た道を」

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人間牧場

〇年老いた親父こもごも

 昨日は雨が降ったりやんだりの天気でした。梅雨の末期なので天気がぐずつくのは当たり前ですが、時折陽も差して梅雨明けが近いことを予感しました。この時期になると太平洋高気圧が張り出し始め、蒸し暑い南西の風がバクつくように吹いて、しばらくの間休止していた息子の風力発電風車も、時折うなり声を上げて回っていました。そんな不安定な天気の中昨日は親父は庭に出て、庭木の剪定をしていました。年齢が年齢だけに脚立に上がると危ないので、上がらないよう注意をしていますが、松の剪定は私にはできないため、業を煮やして始めたようでした。ただでさえ杖がないとおぼつかなくて歩けないのに、まあ凄いことです。脚立に登って剪定をしていました。

95歳の軽業師
95歳の軽業師

 先日私が見よう見真似でやったわが家で一番大きなクロガネモチの剪定も、親父には気に入らないようで、3m以上もある長い脚立を持ってくるようせがまれていますが、流石にこの脚立の上に上がることは無謀だし危険なので断わりましたが、少し機嫌を損ねてしまいました。
 今日は週に2度のディサービスに行く日です。前日予告をすると朝4時頃から準備をして、迎えの車を待つので、午前6時ころに行くことを告げるのですが、これも「前の日から言ってくれ」と少々ご機嫌斜めのようです。ひところ衰えが目立っていた親父ですが、気温が上昇したこともあってかなり元気を回復してきました。後1ヶ月余りでまた一つ歳を重ね96歳になるようですが、月に一度は散髪にも歩いて出かけるほど元気です。

 昨日は愛媛大学農学部の笠松先生が、今週土曜日に迫った人間牧場での講義の打ち合わせにやって来ました。ゲストハウス煙会所で1時間余り話をして帰られましたが、笠松先生が帰られた後、「お客さんに海の資料館海舟館を見せてあげたか」と、聞きにきました。自分が説明をしたかったようでしたが、一時が万事このように少しハラハラしたり、少しズレていたりしていますが、これも寄る年波のせいだと認識し、家族みんなが在宅介護を心がけています。昨日市役所から親父宛に身障に関するアンケートが届きました。目の薄くなった親父には記入することもできないので、私が親父の身になって代筆記入をしました。10ページにわたる事細かなアンケートは、健常の私でさえいぶかしいほどの多くの設問でした。少しお役所仕事だと感じながらも、とりあえず書き終えて投函しました。

  「小雨降る 庭で松の木 剪定を 親父脚立 登って軽業」

  「ことごとく 言うことなすこと 頓珍漢 歳をとったら 俺もそうなる」

  「来客に 見せて説明 させたいが それもできない 年齢なりて」

  「アンケート 届いて代弁 記入する 相手が誰か お役所仕事」

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人間牧場

〇講演の反応は様々

 私は退職前も退職後も、県内はもとより県外からも声がかかって、講演や講義、コーディネーターなどをして欲しいと頼まれて出かけています。慣れというのは恐ろしいもので、若い頃のように話に行く前に話の構想を練ったりレジメを作る訳でもなく、ごく自然体でしかもアドリブで90分も話をするのですからいい加減なものです。それは相手を軽く見たりするものでは決してないのですが、講演の反応は様々で、時には参加者の心情を壊して不快の念を与えてしまうことだってあるのです。その折は主催者を通じて申し出があり、お断りの電話や手紙、面談したりして、浅学や不徳の致すところを侘びながら深く反省するのですが、その度に話は難しいとふと原点に戻り、思いを新たにするのです。

 話は文字書きと違ってビデオや録音をしなければ証拠は残りません。「言った」「言わない」で揉めるのは本位ではないし、それ程高飛車で傲慢な人間ではないので、素直に謝まらなければなりません。それが大人の責任であり、時には説明責任も果たさなければならないのです。証拠がどうであれ言ったことはしっかりと受け止めなければならない、これが私の基本姿勢です。
 講演は一般社会人を対象に行われることが多いのですが、ある人の言葉を借りれば「小学生は45分、中学生は50分、高校生は1時間、大学生は90分が集中して聞ける時間」のようです。ちなみにその人の言葉を借りれば「一般社会人は30分型」だそうです。そんな人に90分話して、眠らずに話を聞けという方がどだい無理な話なのですが、何故か講演は90分が圧倒的に多いようです。

 「どんな立派な話も寝たのでは何にもならない」は私のけだし名言です。そのため興味をそそったり笑いを誘うような楽しい話をするのですが、そのために失態をしてしまう恨みもあるようです。昨日一昨日行った高松から一本のメールが入りました。研修会で聞いた私の話が面白く、できれば近いうちに人間牧場へお邪魔したいという肯定的な反応でした。これはもう講演冥利に尽きるもので、そんなメールが入ると俄然嬉しくなり、昨日は一日中浮き浮きした気分で過ごすことができました。嬉しい反応メールは私にとって「おひねり」のようなものかも知れません。
 「話芸を磨く」ために始めた落伍も、落伍のネタ本「夕日徒然草」の著作も日常の訓練です。地域おこし協力隊の冨田さんに自炊して作ってもらった自著本の電子書籍化も、私にとっては修行の大切な道具なので、毎日持ち歩いています。

  「逆鱗に 触れてお詫びの 手紙出す まだまだ修行 足らぬ戒め」

  「良かったと 嬉しいメール 届く度 これはおひねり 私の肥やし」

  「30分 頭のシャッター 降りる人 相手に何と 90分も」

  「もう少し 話芸を磨く 修行する 道は半ばだ これから先も」

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人間牧場

〇アジサイの挿し木

 春先の梅やスモモの花以外、これといった花のない人間牧場へ花を植えようと思い立ち、何の花にするか色々考えました。その結果手入れが簡単で、花期の長いアジサイにしようと考え一昨年のこの時期、20株ほどのアジサイ苗木を伊予農業高校へ頼んで取り寄せ植えました。草刈機で再三再四草を刈るウッドデッキの下の斜面なので、草刈りの邪魔になってどうしたものかと、考えながら今年の初夏を迎えました。まだ植えて2年しか経っていないアジサイですが、今年は初めて沢山の花を付け、その美しさを存分に楽しませてくれました。

トロ箱に挿し木したアジサイ
トロ箱に挿し木したアジサイ

まだアジサイの株立ちは小さく草に埋もれるため、目印に竹棒を立てていましたが、人間牧場へやって来る悪ガキな子どもたちがその竹棒を、チャンバラごっこに使うため引き抜いてしまい、結果的には4~5本は草刈機の餌食となって根元から刈り飛ばしましたが、想定内の出来事と受け止めて今年ももう少し補植しようと、秋山先生を通じ伊予農校に問い合わせましたが、残念ながら手に入れることはできませんでした。仕方がないのでアジサイを植えている近所の人に、剪定の時期「少し枝を下さい」とお願いしていたところ、一昨日枝をわざわざわが家まで持参してくれました。

 昨日は早速発泡スチロールのトロ箱に鹿沼土を入れ、小さく小切りしたアジサイの枝を挿し木してみました。昨年も少し挿し木をしましたが、水やリを忘れて半分は駄目にしてしまったので、今年はしっかりと水をやり管理をしようと思っています。
 アジサイは土壌のペーハーによって花の色が変わると言われていますが、今回挿し木したのはガクアジサイのようです。慌てることもないので少しずつアジサイの花を増やして、花見ができるようにしたいと思っていますが、目標の5年後が楽しみです。妻から「いつまで生きるの?」と笑われました。アッハッハです。

  「一昨年 植えたアジサイ 早今年 綺麗な花を 楽しみました」

  「トロ箱に 鹿沼土敷き いただいた 枝を挿し木し 水をたっぷり」

  「5年後を 目標掲げ やっている いつまで生きる 妻に言われて」

  「植えぬ木は 育たぬものと 心得る 人間牧場 新たな伝説」

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