人間牧場

○6月の台風は極早生系

昨夜6時の台風4号

 台風は夏の終わりから秋口にかけて来るものと思っていたら、最近の台風は成熟の早い人間やごく早生系の多い農作物と同じように、梅雨真っ最中の6月に2個も台風がやって来て、そのうちの一つである台風4号は昨日の夕方和歌山県に50キロ以上の猛スピードで上陸し、一気に日本列島を縦断、今朝6時には東北のはるか沖合い太平洋の彼方を北進中のようで、招かざる客は日本の各地に大きな爪跡を残して去って行きました。
 かつて九州や四国は台風銀座といわれていて、これまでも枕崎台風や室戸台風など数多くの台風がやって来ましたが、最近は地球温暖化の影響でしょうか、有り難いことに九州や四国へは上陸を免れているようです。

 四国は太平洋に面した高知と徳島、瀬戸内海に面した愛媛と香川がありますが、愛媛の宇和海側を除けば四国のほぼ真ん中に石鎚山や剣山を結んで延長するように四国山脈があるため、台風はこの山々が衝立の役目をしているのか、香川や愛媛は、高知と徳島に比べ、台風への安心度に関しては少し様子が違うのです。今回も雨こそかなり降りましたが、その雨も高知県から比べればものの比ではなく、雨も風も普通の梅雨時期といった感じで、台風が過ぎた吹き返しの風も少し涼しい程度だったのです。

 私は昨日二本の電話をかけました。一つは北海道佐呂間町に住む井田貴子さんです。井田さんには先日2度にわたって美味しいホタテの稚貝を宅配便でどっさり送ってもらっていたので、お礼と近況報告でした。井田さんは漁師さんでありながら地域の特産品のカボチャを使って、カボチャビールを作るという一風変わった研究を、東京農大網走キャンバスの講座に通って続けています。先日佐呂間に講演で招かれた時色々な話を聞いていたので、その後の様子を聞きました。その折「そちらは台風で大時化でしょう」と気遣ってくれました。聞けば今年は北海道佐呂間も冬の寒さが厳しくて、春が来るのが随分遅れたようでした。加えて春は例年より時化の日が多く、網操業が出来なかったと嘆いていました。

 もう一本の電話は和歌山県古座川町に住む弟夫婦へです。偶然にも午後5時過ぎNHKテレビで台風情報を見ていたら、古座川町が中継地点として画面に出て、かなり激しい風雨に見舞われているようでした。弟の話によると昨日は朝から雨で外にも出あられず、雨戸を閉めて息を凝らすように台風の通過を待っているとのことでした。ついでながらわが近況、親父の様子等を手身近に話し、先日西日本の旅というテレビ番組を見たと嬉しそうに話してくれました。弟夫婦は和歌山でも潮岬に程近い地域に住んでいるので、お互い台風が来る度に、こうして近況を寄せ合っているのです。

 最近は天気予報の精度が確実によくなって、いち早くその対応の仕方がテレビやラジオで伝わるため、転ばぬ先の杖のようで大助かりです。今回も6月の台風上陸としては11年ぶりだとか、過去の台風とよく似たルートを辿るから気をつけるようにとか、様々な分析結果が事前に知らされましたが、残念ながら1人の死者と50人を超える負傷者が出たものの、ホッと一息といった感じです。
 梅雨の時期なので秋台風のような台風一過の青空は望むべきもなく、今朝も少しどんよりとした曇り空のようです。朝食でも終ったら家や人間牧場の周辺見回りをしようと思っています。

  「近頃の 台風極早生 系かしら? 首をかしげて 台風過ぎる」

  「わが地域 雨風ともに 少なくて ホッと一息 台風一過」

  「講演の 延期通知で 一日を 手持ち無沙汰で のんびり過ごす」

  「そちらどう 互い電話で 台風の 様子伺う 便利世の中」   

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人間牧場

○焼け付いて使用不能になったチェンソー

 先月5月26日、人間牧場で開催した子ども体験塾で子どもたちに大好評だったのは薪割り体験でしたが、薪にするために使う木材は役場の井上課長さんの杉林から、赤石さんと久保さんの協力を得て軽四トラックで人間牧場へ運び、小切りをして使いました。まだその残材がかなりの量残っていて、薪小屋の下に山積みにしています。幸いなことにその後自作で造った薪小屋へ薪を積み上げるのに、梯子の役割をして多いに助かりましたが、梅雨の雨に合わせると雨で杉丸太の表皮に虫が入り腐らせるので、何とか片付けたいと思いつつそのままになっていました。
 6月としては珍しい台風接近と一昨日の大雨に驚き、その木材を片付けるためチェンソーを持って人間牧場へ出かけようとしました。チェンソーのかかりが悪いので、近所の稲田農機具店へ持ち込んだところ、焼け付いて修理不能だと烙印を押されてしまいました。原因はガソリンと混合ガソリンとを間違って使ってしまったことのようでした。

 農機具店の大将は修理不能だから新しいものに買い換えるよう暗に勧めてくれましたが、新しいチェンソーは6万5千円もするというので、ビックリ驚きながらその場で即決することも出来ず、すごすごと帰って来ました。さてどうするか?と考えましたが、近々夕日徒然草・空の書の出版費用を27万5千円も支払わなければならないことが頭を過ぎり、最近親類の叔父さんから偶然にも貰っていた別のチェンソーを倉庫から取り出して、混合ガソリンとチェンソーオイルを注入し、エンジンをかけたところ何とか動き始めました。
 チェンソーが焼きつき落胆した気持ちに幾分光が差し込み始め、夕暮れの雨ポツポツといった天気の中を、昨夕人間牧場へ試運転に出かけました。試運転なのでエンジンの調子や切れ具合を見るのが目的で、4~5本試し切りしたところで雨脚が強くなり、急いで切った丸太を丸太小屋へ濡れないように運んで積み上げ、作業を終えました。

冨田さんから貰った企画書案

 人間牧場が出来てから農作業や活動に使う道具類が次々増えて、倉庫の中は満杯に近い状態です。中でもチェンソーや草刈機、それに耕運機等買ったりもらったりした機械類は、調子が悪くなると自分で治せないので、その都度農機具店へ持ち込むのですが、いつもその調子には頭を悩ませ体力を消耗するのです。チェンソーの新品を買う話はまだ大蔵大臣たる妻には話していませんが、とりあえず昨日使った叔父からいただいたチェンソーガ上手く使えるよう祈っています。
 昨日地域づくり応援隊の冨田さんに出会いました。手渡された8月25日のふるさと冒険ツアーの企画書によれば、人間牧場での薪割りやかまどご飯炊きなどのメニューが並んでいました。当面の薪割りに使う丸太は小切りして確保していますが、いずれ残りの杉材丸太も小切りせねばならず、6万5千円の出所を考えなければならないようです。何かいい方法はないものでしょうか?。

  「焼け付いて 使用不能と 烙印を 農機具店は 買い替え勧め」

  「また一つ 新たな火種 抱え込む チェンソー貯金 始めなければ」

  「ふるさとの 冒険ツアー 企画書に かまどご飯や 薪割り並ぶ」

  「いただいた チェンソー給油 試運転 何とか使え ホッと一息」

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人間牧場

○隣のおじさんとの立ち話

 全国行脚をしたり何かと忙しい日々を過ごしている私にとって、一番の疎遠は近所の人たちです。夜遅く朝が早い私に比べ、近所のおじさんおばさんは、夜も早く朝が遅いと、私とはまったく逆の生活をしているため、顔を合わせることも声を掛け合うことも、回覧板を持って行った時くらいで滅多にないのです。
 昨日散歩の帰りに隣の家の前を通りかかり、隣のおじさんに出会いました。80歳を有に超えているおじさんは倉庫で何やら日曜大工をしているようでした。私「元気ですか!」、おじさん「あんまり元気じゃない」、私「どこぞ悪いんですか?」、おじさん「足とひざが悪くて歩くのが辛い」、私「それ程悪いのなら病院へ行ってるの?」、おじさん「うん病院へは通っているが一向によくならない。ほら見てくれ」、私「足が少し腫れているようですね」、おじさん「もう死なんと治らんようだ」、私「そりゃあお困りですね」と相槌を打ちました。

 このおじさんは数年前まで車の運転をしていましたが、家族が危ないと免許証を返上させてから、老いが急速に進んだような感じです。これまでは車で信仰している宗教の本部のある高知県までも足を延ばせていたし、病院や買い物にも年老いた奥さんを乗せて出かけていましたが、車に乗れなくなると極端に行動範囲が歩いて行ける距離に縮まったのです。そのため田舎では「年寄りの自家用車」などと言っている乳母車のような手押しの車を押して、近くのお店へ買い物に行っていますが、足やヒザが痛くて歩くのも辛いため、それさえもままならなくなって、デイサービスに通うおばさんと二人の年金暮らしは、閉ざされつつあるようです。隣に息子さん家族が住んでいるので安否は大丈夫なのですが、おばさんの痴呆や夜の徘徊も気になる様子でした。

 「昨日の朝テレビであんたの姿を拝見したが、隣に住んでいても、あんたの顔を見るのはテレビや新聞の方が多い。あんたも元気そうじゃが少し痩せたんと違うかい」と逆に私のことや親父のことを気遣ってくれました。歳をとって車に乗れなくなったら、私もあのようになるのだと一年に一つずつ確実に増え続ける年齢の重みを感じながら、おじさんの話を聞きました。「あんたはまだ若いからいい」と自分に比較しながら私の若さを誉めてくれましたが、私だって他人事ではないのです。
 最近自分が老いを迎えたり、同級生が病気になったり死んだりするにつけ、「人生とは何ぞや」「生きることとは何ぞや」と少しばかり暗い気持ちになって、考えることが多くなったような気がします。「それでも自分はまだ若い」とか、「目標を持ってポジティブに生きれば老いなんて怖くない」と打ち消すように、勉めて明るく楽しく生きていますが、さてさてこの空元気もいつまで続くのでしょうか。

  「元気かい? 久方ぶりに 声をかけ 元気じゃないと 言葉返りて」

  「一番の 疎遠は隣 そういえば この十日間 出会いもせずに」

  「歳をとる やがては俺も あのように なるのだろうか 少々不安に」

  「あんたには テレビ新聞 よく出会う 言われてどこか くすぐったくて」

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人間牧場

○田処のほたる祭り

 昨日は梅雨前線の影響で、西日本を中心にかなりまとまった雨が降りました。水不足のため減圧給水に踏み切っていた松山市等にとっては恵みの雨となりましたが、各地で被害が出ているようで、地盤が緩んでいいる地域では今後の雨の降り方に注意が必要なようです。
 私たちの町でも昨日は昼前後にうつすような土砂降りの雨が降りました。過去に2回も裏山が崩れた経緯があるだけに、警戒と心配をしながら様子を伺っていましたが、屋根の雨どいが落ち葉でつまって溢れ、慌てて梯子を使って取り除く一幕もありましたが、大事に至らずホッとしているところです。

濁流流れる矢落川

 昨日は年輪塾の塾生で親友の、亀本幸三さんや西田和子さんたち田処組が計画しているほたる祭りに友人たちと出かけました。毎年の事ながらこの時期は雨がよく降るので、開催が危ぶまれましたが、料理の準備をしてもらっていることもあるので、連絡を取り合いながら妻を誘って出かけることにしました。山道のため帰りが心配という青木晴美さんや、おじさんの急逝で通夜があるという清水和繁さんからは、早々と欠席する旨の連絡がありました。清水和繁さんは昼過ぎ、八幡浜市日土の実家に帰る途中わが家へ立ち寄り、「夕日徒然草・空の書」の校正ゲラを置いて帰りました。早速雨音を聞きながら書斎にこもり、夕方までに校正を完了しましたが、今日帰宅途中に立ち寄って持ち帰るそうです。

ほたるの乱舞

 午後5時、ほたる祭りのある田処を目指して、下灘~田処までの山道を車を走らせましたが、田舎の狭い山道ゆえ、道の両側には夏草が生い茂り、雨で降った水が沢から溢れて流れ出し、道路の各地で川のように流れていました。大洲と内子の分岐点手前では大きな松の木が根こそぎ倒れ道を塞いでいましたが、まるで暖簾のように枝の下をくぐって、何とか朝ヶ峠を越えて会場へたどり着きました。私の後を走っていた真鍋さんや松本さん、浜田さんたちも相次いで会場に到着し、皆さんの心温まる出迎えを受けました。愛南町から駆けつけた脇田さん家族、宇和島の近藤さんも到着し、午後6時から活性化センターの体育館内で手作りしてもらった弁当に舌鼓を打ち、久しぶりに年輪塾の仲間と談笑しました。

県指定無形文化財藤縄神楽

 この日は近くの熊野神社で、県指定無形文化財である藤縄神楽の夜神楽が7時から行われるので、水かさが増し濁った矢落川に沿って、神社までみんなで歩いて出かけました。藤縄神楽は昨年も一昨年も見学していますが、雨と霧で境内や拝殿は幽玄の世界のような雰囲気で、かがり火の光が神々しく辺りを照らしていました。神楽関係者の中には顔見知りの方も沢山いて、立って見学していた私たち一行を見つけ、境内の特別席へ案内してくれましたが、雨のこともあって途中で中座しなければならず、心苦しい限りでした。今年は毎年素人参加できる神楽舞にも参加することが出来ず、ほたるが飛び始めた8時にほたるを見ながら活性化センターまで戻りました。

近藤先生のバイオリン「オースザンナ」

 宇和島から駆けつけた近藤先生は、清水さんと青木さんと3人で演奏をする予定でバイオリンを持参していたので、折角だからとお願いして3曲ばかり披露してもらいました。来月愛南町で開かれる予定の年輪塾で披露する「オースザンナ」という曲も初披露となりました。この曲はジョン万次郎が日本に紹介したいわくのある曲なので、みんなで手拍子を打ちながら聞き入りました。地元の方から私へのハーモニカリクエストもありましたが、この日は持ち合わせておらず、お礼のごあいさつで勘弁してもらいました。
 大雨を心配して午後9時に会場をお暇し、朝ヶ峠のルートを諦め、柳沢~新谷~長浜経由で帰りましたが、今年は少し寂しいほたる祭りながら、夜神楽、ほたる、近藤先生のバイオリン、それに田処大杉年輪塾生たちの歓待を受け、癒しの一夜となりました。

演奏に聞き入る参加者

  「雨塗れた 山道走り 峠超え ほたるの里を 今年も訪ね」

  「濁流で 濁る矢落の 川沿いに ほたる数匹 行きつ戻りつ」

  「かがり火が 雨霧照らし 幽玄の 世界をつくる 夜神楽を見る」

  「温かい 心に触れて 手作りの 弁当食べつ お国訛りで」 

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人間牧場

○主婦の仕事は毎日忙しい

 散歩をしても作業をしても、時には寝ても起きても汗ばむ陽気となりました。夏になると洗濯が忙しくなりますが、私のように汗を書けば脱衣場の洗濯籠へ脱ぎ捨てれば、妻が洗濯意を使って洗って干し場に干し、夕方にはたたんでそれぞれの場所に収納した物を、選んで出して着ればいいのですから、何の造作もないのです。主婦の仕事はその気になって見ないと見えないもので、昔から「さしすせそ」だと言われています。さ・裁縫、し・仕事、す・炊事、せ・洗濯、そ・掃除とまあ数え切れないほどあるのです。最近は主婦の仕事も見直され若い人たちの間では、子育てを含めて夫が役割分担する姿も随分見られるようになって来ましたが、私のように古いタイプの人間は相変わらず殆んど何もせず、亭主関白を決め込んで威張って暮らしているのです。

 私が子どものころは洗濯機もなく、洗濯はもっぱらたらいと洗濯板でした。固形の四角い洗濯石鹸をなすりつけ、手揉みで洗うたらいと洗濯板の洗濯は腰をかがめてやる重労働だったようでした。わが家も二代前の祖母の時代は子どもが12人もいる大家族だったため、洗濯も半端な量ではなかったようです。ましてや衣料品も今のように薄くて軽いものではなかったため、「ゴシゴシ、ジャブジャブ」と音で表現するほど時間と体力をかけていました。
 先日民俗学者宮本常一の撮った写真を見ましたが、写っている干した洗濯物を見る限り、貧しい農山漁村の暮らしぶりを髣髴するようでした。
 下宿でたらいと洗濯板で洗濯した懐かしい思い出、実習船愛媛丸で海水で洗濯した懐かしい思い出も記憶の彼方に消えようとしているこの頃です。

 物の3Cといわれたカー、カラーテレビ、クーラーよりも、主婦にとって洗濯機と掃除機は家庭の一大革命とでもいうべき道具でした。出始めの洗濯機は自動脱水機が付いておらず、手回しの搾り機がついていて、せんべいみたいになった洗濯物をよく見かけました。最近の洗濯機は洗う・脱水する・乾燥するという作業を全て行ってくれる、全自動もお目見えしているようです。
 「鬼の居ぬ間に心の洗濯」とは主人のいない間の骨休めでしょうが、今は洗濯機へ放り込みさえすれば自動的に選択が行われ、その間に煎餅や饅頭をつまんでお茶を飲みながらメロドラマを見る心の洗濯だってできる楽な時代になったとはいいながら、主婦は今も昔も沢山の、し・仕事を引き受けていて、よくぞ女に生まれなくて良かった思うし、今度生まれてくる時も男に生まれたいと思っているのです。

 服の裏地の隅に洗濯表示のマークが付いていますが、そのマークが近々洗濯機がたらいに変わるそうです。たらいや洗濯板など今ではすっかり死語となったと思うのに何故?と思う人も多いようですが、世界中には洗濯機が普及していない国がまだまだ沢山あるのです。
 今日も朝から雨です。わが家の脱衣場では、私たち夫婦の洗濯機と、息子家族の洗濯機が文句も言わず朝からブンブン音を立てて回っています。天気予報の洗濯情報も「乾きにくい」のマークがずらりと並んで、主婦泣かせの日々が当分続きそうです。

  「下宿して たらいで洗濯 した頃が 思い出される 懐かしき日々」

  「主婦仕事 目には見えぬが あれやこれ 私にゃ真似の 出来ぬことなり」

  「洗濯機 マークがたらい 変わるそう 世界は広い 洗濯事情」

  「実習船 乗って洗濯 塩水で これも懐かし 青春思い出」

 

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人間牧場

○一日をうまく使えば幸せな眠りがやってくる

 私の日課は朝4時起床です。寝るのは12時ですから一日の睡眠時間は大体4時間くらいです。一緒の蒲団に寝ている妻は11時くらいに寝て7時の起床ですからまあ8時間といったところです。夫婦二人でもこんなに寝る時間が違うのですから、睡眠時間は人それぞれなのです。妻からは「そんなに眠る時間が短かったら、今に寝たきりになる」などと呆れられていますが、そんな私でも人間牧場での農作業がきつかったり、旅に出て疲れると少し長めに寝る事だってあるのです。

 昨日の夜は双海人というまちづくりの勉強会が地域事務所であって、9時に自宅へ帰りました。書斎でメールを返信したりして、10時にテレビの前に座り妻と録画していたサスペンスを見ていると、ついウトウトして気がつけば11時になっていました。急いで書斎へ入り地域政策研究センターの河野さんから送られてきた舞たうんの校正文章を読みましたが、眠気眼では校正もできず、本を読もうとしたものの集中できず、11時30分に蒲団の中へ入りました。私の場合は寝つきが早いので、ものの5分もすれば熟睡して夢の世界なのです。このところ忙しいものの一日一日が充実していて、イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチが「一日をうまく使えば幸せな眠りがやってくる」と言っているとおり、幸せな眠るを楽しんでいるのです。

 今朝親父がやって来て、「夕べは余り眠れなかった」と吐露していました。93歳になる親父は足腰が弱り、気力が減退してゆく自分の老い先のことを考えると眠れなくなり、朝が来るのが待ちどおしというのです。今朝は気弱に「特老へでも入りたいが、どこかいい施設はないものか」と孫である息子に言ったそうです。息子は「じいちゃん、あそこは行ったら帰って来れん」と耳元で話したら、「それは困る」とあっさり否定しました。親父にとって特老のような施設は上げ膳据え膳で夢のような場所だと思っているのかも知れません。「たまにはデイサービスに出かけてはどうか」と勧めても行こうとしない親父が、施設へ入ることは先ずないのでしょうが、これは親父の「寂しい」というシグナルだと思いました。

 そういえば「一日をうまく使えば幸せな眠りがやってくる」という言葉そのままに、何だかんだと言いながら幸せに暮らしている私も、忙しさにかまけて親父の隠居へ覗く時間が近頃少ないようだと深く反省したのです。今は息子嫁が自宅にいますが、息子嫁もそのうち子どもが大きくなったので働きに出ようと時機をうかがっています。そうすると昼間は親父ひとりになるのです。近所に住んでいる親父の姉妹や、私の兄弟姉妹が時折ご機嫌を伺いにやって来てくれますが、やはり寂しさは隠せないようです。私たち夫婦も高齢者となり、世に言う老老介護ですから、これからは大変です。
 まあそんなこんなで親父は日中昼寝をしたり、夜も7時から寝ているので、寝れないはずだと思いつつ、親父の体が気になる孝行息子なのです。

  「一日を うまく使えば 幸せな 眠りできると 先人曰く」

  「寝れないと 漏らす親父は 昼寝して 夜も早よから 眠って安心」

  「上げ膳と 据え膳対応 特老は 天国のよう 親父は思う」

  「寝れないと いってる言葉 シグナルと 受け止め今朝は 親父と話す」

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人間牧場

○逆手塾(その5・出会った人々)

 今回の逆手塾では、和田芳治会長・和子さんご夫妻、宮崎文隆事務局長・貞江さんご夫妻、三良坂夢まつり一座の中田正敏さん、作木の安藤周治さん、世羅の田中一裕さんなど逆手塾のメンバーに加え、三和の坂田尚也さん、因島の今井和美さんなど広島組の懐かしい人々に出会いました。また熊本大学の徳野貞雄さんや、香川の山本文子さん、かがり火の菅原欣一さん、京都の吉田好宏さんなどとも旧交を温めることができました。そして熊本のコッコファーム松岡義博さんや岡山の銘建工業の中島浩一郎さん、広島のNPO法人わくわく元気舎奥田祐子さんなど、新しい出会いも随分あり、私の大脳・小脳・感性を多いに刺激してくれました。

 参加者の皆さんから貰って持ち帰った資料の数々を整理しながら見る度に、それぞれの人がそれぞれの場所で元気に頑張っている姿に、深い感動を覚えるのです。
 帰り際二人の人から貴重な資料をいただきました。銘建の中島浩一郎さんとコッコファームの松岡義博さんです。中島さんからいただいた「MEIKEN]という立派な本は128ページにも及ぶもので、集成材の出来るまでや集成材を使った建物の数々がカラー写真で紹介され、とても綺麗な本でした。帰宅後設計をしている息子にお土産として手渡しましたが、息子は既にこの本の存在を知っていて、手持ちのようでしたが、息子の書斎の本棚に並べておきました。

 コッコファームの松岡義博さんは「松岡義博の人生訓」という一枚のパンフレットです。本は買いそびれましたが、座右の銘「厳しき道、されど我が道、愛の道」というタイトルで、①バランスのとれた5つの健康(体・心・金・家族・奉仕)、②参謀を作り諮問機関での意見を大切に、③誰と出会えるかによって人生観が変わる、④話せば分かる人間関係、⑤過疎こそ宝だ、クレームこそ宝だ、⑥お客様のニーズに応えるな、⑦出入り口の表示も考え方次第、⑧グラスのビールは3分の1にしておこう、⑨人生100倍のホラを吹け、⑩多数決で物事を決めるなどの十訓が書かれていました。末尾には「今からでも遅くない人生設計(これからどう生きていきたいのか)明確に!と発奮を促していました。

 私は追々この人たちにハガキを書いています。私から便りが届く等と思っていなかった人の、驚きを作るのも仕事であり、この作業でやっと逆手塾の参加プログラムが終るのです。既に私の元へはメールで沢山の近況が寄せられていますが、とりあえずメールは返信し、私のブログ記事もこれで終わりにしたいと思っています。写真の挿入が間に合わず、文章だけの報告に終っていますが、2~3日内にはその作業も終えたいと思っています。
 追伸
 逆手塾事務局長の宮崎さんから、「抱きしめて笑湖ハイヅカ」という338ページにも及ぶ分厚い本とCDをいただきました。インクの匂いのする本をめくると、宮崎さんの汗の臭いが伝わってきました。「記録しないものは記憶されない」という、民俗学者宮本常一の言葉が蘇ってきました。私は密かにこの本が逆手塾30周年の集大成だと思いました。宮崎さんの汗に感謝と敬意を表します。
 追伸
 私も控え目に夕日徒然草・水の書・火の書・風の書をそれぞれ10冊ずつ持参し、合計30冊を図書コーナーに置かせてもらいました。宮崎さんの奥さんが店番をしていましたが、嬉しいことに完売でした。夕日徒然草を買った人からサインを求められ、マジックで「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」「夢はドリームではなくターゲットである」「人は逢えば逢うほど逢いたくなる」という三つの言葉を書きました。今回の貴重な売り上げ金は、自転車操業宜しく、間もなく発刊する夕日徒然草・空の書の印刷代に回そうと思っています。

  「古き友 新しき友 加わりて 人の温もり 新たなページ」

  「『サインして』 いきなり頼まれ 殴り書き この歳なりて 顔を赤らめ」

  「それぞれの 人がそれぞれ それぞれの 人生語る 俺もそれぞれ」

  「記録する 故に記憶に 残るから 言い聞かせつつ 記憶を辿る」  

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人間牧場

○第30回逆手塾記念大会(その4・私の記念講演)

 6月9日午後1時から始まった第30回逆手塾記念大会は、休む間もなく昼の部・夜の部と続き、会場をふるさとセンター田総、和田邸と移しながらも再び午後11時からふるさとセンター田総へ戻って夜なべ談義に入りました。ここでも1徳野貞雄のワンマンショー、2山本文子のいのちの応援話、3(若松)進ちゃんの笑う会、4中島さんをしゃぶる会、5松岡さんと農業と後継者、6薗ちゃんと遊び半分を極める会、7パンさんと歌う会の⑦グループに分かれて突っ込んだ話が展開されました。私の所へも7~8人がこじんまり集まり、多いに議論を深めました。私の出番はこの時点ではまだなかったため、初めて参加した人には知名度が今一でしたが、顔見知りの京都の吉田さんや三次市の坂田さんが陣取って、私への鋭い質問が1時間半ほど続きました。12時30分を過ぎたところでお開きにして、冷めたお風呂に入り夢の世界へ旅立ちましたが、隣の蒲団に熊本大学の徳野貞雄先生が寝た悪運で、朝まで大きないびきに悩まされ眠れない一夜を過ごしました。

 外が明るくなった午前5時に起き身支度を整えて、山本文子さんや東京組と街中を歩いて少し遠めの道の駅まで散歩をしました。田舎の早朝国道ゆえ通る車も殆んどなく、ワイワイガヤガヤ話しながらウォーキングを楽しみました。
 朝食が終わり二日目から参加した人が加わって二日目のプログラムがスタートしました。トップで「日本には笑いが足りない」という演題で、私が記念講演をしました。僅か1時間の短い時間なので、用意した35話の中からかいつまんで笑いを誘うお話を連発しました。①木になるカバン、②コマーシャル名刺、③携帯電光掲示板、④赤字になったら黒いボールペン、⑤私の作った夕・日・日コーヒー、⑥毎日3時間の掃除で観光カリスマ百選、⑦夕日の望遠鏡、⑧じゃこ天のおばちゃんのマックスファクターお化粧、⑨夕焼けソフトの裏話、⑩馬鹿な子が吹いてもリコーダー、⑪氷の実験、⑫PTAとかけて何と解く、⑬私は灘校・灯台出身、⑭三万個のトマト、⑮ポケットから種を落とした菜の花畑、⑯落伍家大根心、⑰国鉄は出来た時から国+金+失=大赤字、⑱金次郎と同行二人、⑲携帯電話の着信音は水戸黄門、⑳一千万円を貯める法などを面白おかしく話し、多いに盛り上がりました。

 過疎や里山拡命など、田舎のどちらかというと暗くて重たいことがテーマの逆手塾なので、誰の話も多少の笑いはあっても、明るさに欠けているため、手前味噌ながら私の話は際立っていました。多分このプログラムを企画した和田さんや宮崎さんの狙いも、演題の通り日本には、いや「過疎逆には笑いが足りない」と思っているのです。
 私は夕日亭大根心という芸名?で、落語ならぬ落伍をやっていて、そのネタ本夕日徒然草に目論みどおり150話を執筆して創作落伍に仕上げ、人間牧場・水平線の家の切り株高座で演じているのです。時には涙を誘う汗と涙の物語を、笑いの力に変えているのです。笑いは人を和ませます。また笑いは生きる勇気や希望を与えるのです。その点地域づくり人にはまだまだ笑いが足らないと思うのです。

 昨日和田さんから出張先香川県高松に向かう列車の中へ、携帯電話がかかってきました。過疎逆講演のお礼と感想、それに参加者からの反応の様子を知らせてくれたのです。そして感想を一枚書いて欲しいと頼まれました。和田さんはパソコンメールをやっていないので、書いた原稿はFAXでとのことでした。文字を書くのが上手い人は得てしてパソコンから縁遠いものです。ということは私のブログも読んでいないのかもしれないと思いました。
 私が毎日朝晩書いているブログに、今日のこの記事を含めると、逆手塾のことは4本も書いているのに・・・・と思いつつ、現代流の情報発信の盲点が見え隠れし始めました。

  「気がついた  俺にゃ笑いの 武器がある これから先も 磨き研いて」

  「田舎には 笑い足りない そう思う 笑いの伝道 師になろう」

  「笑えるか! こんなに暗い 世の中を 故に笑いが 大事なんだと」

  「失敗を 笑いに変える 術を持つ 私天才 楽しく生きる」

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人間牧場

○逆手塾(その3・地域づくり人のバックボーン)

 今回の逆手塾では30回記念大会らしく、これまでの総括が随所にちりばめられていました。その一つはこれまで30年間、そして今も逆手塾のカリスマ的存在であり続けている会長の和田芳治さんについてでした。和田さんは私より一つ歳上の昭和18年の生まれです。高校を卒業して地元に残り、地元の役場に就職して教育委員会や企画セクションを渡り歩き、教育長を最後に退職した人生は私とよく似ています。またレク活動と青年団活動の違いこそあれその根底に流れている思想というものも、また地域づくりに対する熱い想いも、まるで自分の姿を鏡に写しているようによく似ているのです。

 私は常々書けて喋れて、実践が出来たら一人前と言ってきましたが、和田さんにはその3つが全てさりげなく細やかにちりばめられているのです。いわば私が理想とする人物像は和田さんかも知れないのです。私にない歌が歌えること、私にない達筆なこと、私にない理想を持っていることを考えると、同じようだとおこがましくも言ってはいますが、お互いの健康年齢から考えると、和田さんの域に達するのは至難の業だと思うことが沢山あるのです。まあ人それぞれ、オンリーワンだと思えば私にだって何か和田さんにない特長があるのでしょうから、卑下したり悲観することはないと、持ち前のポジティブな生き方が見え隠れするのです。

 今回は和田さんの家庭という、和田さんのバックボーンとでも言うべき、和田さんの家庭を幸運にも見ることが出来ました。地域づくり人にとって自分の家庭は見せたくない部分と、見せたい部分が同居しています。私の場合は自宅に煙会所や海の資料館海舟館などを造って多いに開放し、これまで沢山の地域づくり人を自宅に迎え入れてきました。

 (今日はこれから高松へ出張しますので、続きは帰ってから書きますのでご容赦下さい。帰りは夕方遅くになります。)

 数年前から和田さんから送られてくる恋文や人間幸学研究所の資料の中にそれとわなしに、築200年の自宅を改修して食処和み亭を開いた話や奥方和子さんの話が出て来ていました。また息子さんである和田周大さんとは観光の仕事で何年か前、広島市内でお会いしましたが、中国地方総合研究センターの主任研究員として立派に成長され、今回の逆手塾では「新しい公共のモデル」と題した研究テーマでお話をされました。

 今回は会食交換会が和田さんの自宅で催されたこともあって、初めて和田邸を訪問し、行き届いた奥さんの手料理やもてなしに心を温かくしました。私は時々地域づくりの現場で、「貴方の元気の源は何ですか?」と問われることがあります。その都度「家庭や妻のさりげない手助けだ」と答えてきました。これはお世辞やゴマすりではなく、私の人生は妻や家族なしには語れないのです。
 男同士ゆえ反感反目しがちだった息子も、人間牧場建設に当って設計を担当し、すっかり親子の絆が深くなり、今では息子家族と同居をしたり色々な議論を重ねるまでになりました。和田さんの息子さんから比べるとわが息子はまだまだだと思いつつも、とりあえず和田さんと同じ目の高さでお話が出来るようになったと喜んでいるのです。

  「お互いの バックボーンは 家族にて 自慢をしつつ 今日も元気に」

  「親と子が 一緒に活動 出来ること これも幸せ あれも幸せ」

  「照れくさく 口じゃ言えぬが 妻に礼 やりくりしつつ 今日を迎える」

  「わしだけは 歳はとらぬと 思いつつ いつの間にやら 高齢なりて」

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人間牧場

○第30回記念逆手塾(その2・田舎は寂しくも過疎逆は元気)

 一くくりのエリアとして「中四国」という言葉が使われていますが、そのエリア内にあるる私の住んでいる伊予市双海町も四国愛媛の田舎です。でも中国産地のど真ん中にある中国広島庄原市総領町は失礼ながらもっとド田舎です。私の町から国道378号~国道156号~しまなみ海道~国道2号~山陽自動車道~尾道道~国道432号と乗り継いで高速道路を使っても、総領町へは3時間半もかかるのです。
 自宅を少し早めの7時30分に自家用車で出発しました。気楽な一人旅なので、国道432号沿線では上下町の町並みを見たり、珍しい神社仏閣があると休憩のつもりで立ち寄り、私の出番が二日目ということもあってのらりくらりの気ままな旅でした。進むに連れて過疎を体験するように行き交う車の数が段々少なくなっていることを実感しつつ、総領の道の駅にひとまず到着しました。土曜日の昼頃なのに利用者も少なく、ガラス張りの球形イベントホール内ではカラオケ大会の準備でしょうか何人かの人がマイクテスト等を行っていました。お店の中へ入りましたが、「どうですか?」と訪ねた店員さんから、「不景気ですね」という諦めにも似た声が寂しく返ってきました。

 会場となるふるさとセンター田総は平成8年の第14回と平成17年の第23回にゲストとして招かれているので、私の記憶が正しければこれが3回目のようです。蛇足ながら平成18年には第24回の逆手塾がわが人間牧場で行われているので、逆手塾への参加は4回目です。
 昼前に会場に入ると既に12時からの受付、13時からの開始に向けて準備の真っ最中でした。ホールの中へ入ると和田さんはじめ懐かしい顔顔が温かく迎えてくれました。手作りの広島風お好み焼きとおにぎりをいただきながら、簡単な打ち合わせを行ないました。聞けば参加予定人数は120人のようで、遠くは北海道札幌や九州熊本まで、逆手塾の衰えぬ人気を感じさせられました。
 今回は30周年ということもあって、ゲストも面白い人が招かれていて、今話題の木質バイオマスで発電をして成果を上げている銘建工業株の中島浩一郎さんや農業法人コッコファームの松岡義博会長さん、ご存知いのちの応援舎理事長山本文子さん、日本余暇学会会長薗田碩哉さん、徳島大学教授徳野貞雄さん、歌でふるさとを元気にする奥田佑子さん、耕作断念地10haをみんなで耕す過疎地の救世主山根京司さんなど、新旧織り交ぜたた顔ぶれでした。

 逆手塾は県北レクが源流なので、歌で始まり歌で終るという言葉がピッタリで、いきなり「草を刈れ」という和田さん作詞の歌が会場一杯にボリューム一杯で披露されました。
 ♭草を刈れ 刈った草で牛を飼え
  牛のウンコで米作れ
  一粒三千倍の米力
  食糧危機も怖くない
  コツコツがんじょう花が咲く
  コツコツがんじょう夢が咲く
  コツコツがんじょう花が咲く
  コツコツがんじょう人も咲く♭

 開会あいさつは逆手塾会長の和田芳治さんの「『里山拡命』ってなんだ?」です。和田さんは私より一歳年上、私と同じ元役場職員、私と同じ元教育長です。役場でも教育委員会や企画セクションを歩き、最後は教育長という経歴までよく似た経歴を持っていて、違う点は和田さんが過激、私が温厚?といったところでしょうか?。まあ何だかんだといいつつも家族を巻き込んだり自宅を地域づくりに多いに開放している点では同類哀れみなようです。
 和田さんは理想主義者で、変換ミス?と思える言葉遊びを得意としていて、革命を拡大の拡としたり、人間を人源、市民を志民といったり表現しているのです。私の元に時々送られてくる恋文と称するエッセー風な情報誌は、私のブログと似たような情報発信の仕方をしているのです。

  「逆手塾 三十周年 招かれて オール参加の 道を辿りぬ」

  「久方に 訪ねし里は 山深く 夏の香りが あちこち漂い」

  「元気なら 誰にも負けぬ 思うけど ここは格別 俺さえ負ける」

  「生き場所が ここにもあるか 納得す それぞれの地で それぞれ生きる」

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