人間牧場

○雨で延期したふるさと体験塾

 今日はふるさと体験塾の「船で海に飛び出そう」が計画されていましたが、やるか延期するかを決める午前6時の作戦会議をする頃に、少し強い雨が降り始め、一度は決行を決めていたのに、天気予報も否定的な降水確率だったため、結局延期となってしまいました。「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と絶えずポジティブな行動をとってきた私ですが、「子どもを乗せるので事故でもあったら大変」という漁師さんの方針を覆すこともできず、残念な結果となりました。私は来月5日から7日にかけて福岡県へ出張する予定なので、間に合うように帰れるかどうか、日程をにらんだ心の葛藤が始まりました。何とか帰りたいと思いつつ・・・。

 雨合羽や長靴を用意してふるさと体験塾に出かけようとした矢先のことだったので、今日はその足で人間牧場へと向かいました。そしてポロポロ程度の雨の中、草刈機で人間牧場に通じる私道沿いの草を刈りました。草刈りは雨で草が濡れている時は、草刈機の刃もよく切れて、作業効率がよいのですが、いかんせん今日は梅雨特有の蒸し蒸しした暑さで、加えて薮蚊の洗礼を受けました。それでも何とか予定した場所は草刈りを終えることが出来ました。
 そこへ10時頃内子の永見進夫さんという方から電話がかかってきて、大洲の兵頭和子さんという方と人間牧場を訪ねたいというのです。事業延期が生んだ休暇日なので、「午前中ならどうにか」と返事をし、12時に下灘コミュニティセンターで落ち合うことにしました。

兵頭さんと永見さん
汗をかき合羽のズボンを裾まくりしたままで話す私

 下灘コミュニティセンターへは待ち時間を合わせると往復30分程度かかるので、草刈りは午前中で断念しました。最近は時間厳守の観念のない人もかなりいて、待ち時間中お客さんを待ってイライラするのですが、今日のお二人はきっちり5分前に到着しました。早速下浜~人間牧場までの細い道を上がり、1時間ばかり四方山話や人間牧場のあちこちを見学してもらいました。永見さんは連合設計社市谷建築事務所、兵頭和子さんは話顔施人という珍しい名刺を持っていました。お二人とも私とお会いしたことがあるらしく、打ち解けたお話が出来ました。

チェンソーを使った薪割り体験用の薪づくり

二人が帰った後、5月26日のこども体験塾で薪割り体験のために山から切り出して運び、山積みにしていた間伐材を、薪の長さにチェンソーで切る作業をしました。30本近くの丸太をチェンソーで切るのですが、先日私が長年使っていたチェンソーガ故障して使えなくなってしまったため、親類で貰ったチェンソーに混合油を入れて試運転していたので、今日はすんなり作業がはかどり、切った薪は先日造った薪小屋へ運び、積み重ねて行きました。これで丸太が雨で腐ることもなく薪割り体験ができるようです。

チェンソーで切り薪小屋に収納した丸太

 

 「延期だと 通知を受けて 手持ち無沙 草刈り作業 蚊に刺されつつ」

 「牧場を 訪ねたい旨 電話あり どうぞどうぞと 迎えに下りる」

 「チェンソーで 間伐材を 小切りする 薪割り体験 これで安心」

 「薪小屋に うず高く積む 大量の 丸太来た人 薪割り挑戦」

 

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人間牧場

○越智商工会青年部での講演

 自分がそれ相応の年齢になったからでしょうか、それとも青年の力が弱ったからでしょうか、最近青年の集まりに出る機会が段々少なくなってきたように思うのです。私は青年団出身で、そのことを今でもある種誇りに思い、青年団で手に入れた①仲間、②ふるさと、③主張、④感動、⑤夢という五つの道具を使って生きているのです。故に青年団を含めた青年活動には関心もあって、請われれば何をさておいても駆けつけるのです。
 今治市菊間町・大西町・波方町商工会が合併統合して越智商工会となっていますが、今年1月16日越智商工会で開かれた新春講演会に招かれたご縁で、今度は商工会青年部に招かれ昨晩出かけて行きました。

星の浦海浜公園のモニュメント

 私は旧菊間、旧波方へは時間の都合で出かけられませんでしたが、先立って少し早めに星の浦海浜公園と、藤山健康文化公園へ出かけ、事前調査の真似事をさせてもらいました。星の浦海浜公園はとても落ち着いた感じのする公園で、ピラミッドのような石組みのモニュメントがとても気に入っていて、道の駅になっても良さそうな雰囲気があるのですが、残念ながらトイレと小さな売店があるものの、活性化の手立てはしてないようです。松山の大山寺等と今治の国分寺等を結ぶ遍路道や交通量の多い国道196号沿線でもあるので需要は十分見込め、私だったらもっと活用したいと思いました。休憩所付近で姫路から来たという初老の遍路さんに出会いました。これまで雨続きだったこともあって、洗濯も移動も難儀をしたと、自慢の自転車を見せながら、洗濯物を暖簾のように干してくつろいでいました。

公園入り口にある近藤哲夫さんの作品「継獅子」

 

山頂にある妙見山古墳

 ついで、越智商工会の直ぐ近くの交差点を右折して藤山健康文化公園へ出かけました。この公園を訪れるのは今回が三度目ですが、国の史跡に指定されている妙見山古墳が頂上にあって、手入れの行き届いた広い広い芝生の多目的広場は、愛媛県内でもピカイチの充実した美しい公園だと思うのです。合併以来こんな素晴らしいおらが町の公園も、人に知らせるすべもなく、すっかり埋もれた存在になっていることは、惜しい気もするので、是非今後の活用を期待したいと思いました。朝までの雨も止みこの日久しぶりにかを覗かせた夏の太陽を浴びて、公園内を散策し大いに汗をかいてしまいましたが、私の知的コンテンツを大いにくすぐったようでした。

見事な芝生公園
越智商工会青年部の研修会

 商工会青年部の研修には沢山の青年と思しき人たちが集まっていました。私は90分にわたり熱弁をふるいましたが、青年部らしい反応は今一のようでした。それでも講演が終わって二人の青年が控室へ名刺交換にやって来てくれ、少しの時間お話をさせてもらい、是非人間牧場へ行きたいとリクエストがありました。商工会青年部に期待したいのは、自分の生業である商売をしっかりすることは勿論ですが、買い物難民といわれる人たちへの、出張販売を含めた新しいコミュニティビジネスを起業することなど、新しい視点での地域づくりに一歩踏み出して欲しいと思うのです。
 若者の夢や希望、それに行動力に大いに期待したいものです。

  「そういえば つい最近は 青年の 集会減った ような気がする」

  「年齢が 若いだけでは 青年と 言えない俺の 方が若者?」

  「若いとは 何にも増して 貴重なり 歳とるほどに 若さ懐かし」

  「講演が 終わると直ぐに 若者が 名刺交換 嬉し反応」 

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人間牧場

○随分近くなった宇和島

 昨日は松前幼稚園と宇和島市保育所園長等研修会の講演ダブルヘッターで、何かと忙しい一日でした。予定では最初、松前幼稚園での講演が11時30分終了となっていましたが、プログラムが早く回って、11時過ぎに私の講演が終りました。本当は園児たちとカレーパーティに参加しなければならなかったのですが、園長さんに無理を言って会場を後に、伊予インターチェンジまで地道を走り、そこから高速道路に乗りました。
 伊予インターに乗ったところで大粒の雨が降り出し、急ぐけどスリップ事故を起こさないよう自制気味なスピードで大洲~西予と進み、西予から宇和島までは高速道路も無料とあって、少し交通量が多いなあと感じながら1時間20分ほどで、12時30分に会場となる宇和島市役所地下1F会議室に到着しました。

 私にとって宇和島市役所界隈は、50年前宇和島水産高校に遊学した折、近くの桝形町に3年間下宿していたこともあって、懐かしくもよく知っている、いわば第二のふるさとでもあるのです。当時は国道といっても道が悪く、唯一の交通機関は国鉄で、終着駅だった宇和島へは鈍行の蒸気機関車に揺られ、延々半日をかけなければ来ることができなかったのです。ところが最近開通した高速道路を使えば、伊予インターから宇和島インターまで僅か1時間余りで宇和島へ行けるのですから、隔世の感がするのです。でも蒸気機関車に乗って窓越しに見えた法華津峠からの遠望や、宇和盆地、肱川沿線、長浜の赤橋、瀬戸内海は私の旅情を存分にかき立ててくれていました。伊予インターから宇和島インターまでは高速道路といいながらまだ一車線なので、車窓に広がる風景を見る余裕等なく、ただ「早い」「便利」だけのようでした。

宇和島市の保育園長さんたちが集まった研修会

 研修会に先立って、用意していただいた「かどや」という料理屋特製の、美味しい弁当をいただきながら、私が来ることを知ったらしい土居市議会議長さんや佐々木監査委員さんたちが入れ替わり立ち代わり控室に見えられ、久しぶりに交友を温めました。土居さんは水産高校の後輩だし、佐々木さんは元公民館主事なのです。
 元小学校校長だった園長連絡協議会の会長さんの話によると、会長さんは愛媛県校長会と、平成17年に園長さんの保育所で私の講演を聞いているそうでした。その話を聞いて一瞬たじろきましたが、90分間多いに盛り上がったお話をさせてもらいました。
 講演終了後宇和島と合併した吉田町出身の泉議会事務局長さんからお声がかかって議会事務局へ立ち寄り、また谷本さんや松本課長さんのいる商工観光課へも顔を出し、楽しい会話を終えて、再び帰路に着きました。

 宇和島地方が中心になってこの春から秋まで南予いやし博が開かれています。高速道路の開通に合わせたこの催しで遅れが指摘されている南予地方が活性化することを祈っているし、高知南西部との交流がさらに進むものと思われますが、くれぐれも一過性に終ることなく住民が主体となった来年以降に続く効果を期待するのです。
 かつてしまなみ海道が開通した時も、イベント屋の仕掛けが主流を占めて地元が予想したほど動かず盛り上がらず、結局一年後には閑古鳥と悪評を叩かれましたが、地域づくりはあくまでも地元が主体なのです。来月には愛媛の三大祭りといわれる、和霊さんの牛鬼祭りも開かれます。高校時代以来行ったことがないこの祭にも、妻を誘ってそろそろ出かけてみたいと、商工観光課の壁に張り出された大きなポスターを見て思いました。ふと下宿のおばちゃんは元気だろうか?と、懐かしい顔を思い出しました。

  「宇和島が 高速お陰 だんだんと 近くになるが 思い出遠く」

  「高速は 周りの景色 見る余裕 殆んどなくて 思い出残らず」

  「半世紀 思い出遠く なりにけり 下宿おばちゃん 元気にしてか」

  「牛鬼の ポスター見つつ 和霊祭 妻に見せたい 今年は行こう」 

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人間牧場

○私設公民館煙会所の復活

 昨年の5月に息子たち家族4人と同居生活を始めるため、私が書斎として使っていた部屋を私たち夫婦のダイニングキッチンにリフォームしたため、これまで余り使っていなかった広い応接間へ私の書斎を移転しました。元々応接間だったところですから、冬の寒い時等は来客の殆んどを応接間に案内して対応していましたが、季節は巡りて夏になったため、このところ来客の殆んどは戸外といいながら屋根のある東屋夕観所で、少し込み入った話の時は私設公民館煙会所で、それぞれ使い分けながら気分や客筋によって対応しています。来客の殆んどは東屋夕観所も私設公民館煙会所も大満足で、とりわけ私設公民館煙会所は名前の不思議もあって、狭いながらも囲炉裏を囲むシチュエーションに大いに満足し、話も弾むのです。

 昨日は午前中2組、午後2組の来客があって、それぞれ4組とも私設公民館煙会所へ案内し色々な話をしました。午前中国立大洲青少年交流の家の所長さん以下3人の方が見えられました。所長さんたちは3月に新任あいさつに、わが家を訪ねて来られているので今回が2度目ですが、煙会所も海の資料館海舟館も初めてとあって、そこここを案内しお話に花を咲かせました。
 相次いで愛媛県建築士会の本田会長さんが一人で見えられました。公益法人に移行するのを機に地域貢献活動に少し軸足を置くらしく、地域貢献活動の基金を使って助成団体を募集する審査委員への就任依頼のようでした。本田さんには建築設計の仕事をしている長男息子が何かとお世話になっているため、「私で良かったら」と浅学菲才も顧みず快くお引き受けすることにしました。

東京からやって来た中森まどかさん

 午後は学校関係者が講演の打ち合わせに3人で来られ、夕方には双海地域事務所の松本さんが、昨夕開催されたコミュニティビジネス講演会の中森まどか講師と、中小企業基盤整備機構四国本部の方を伴って見えられ、8月に行なう予定の地域ビジネス人財育成プロジェクトの研修打ち合わせを行ないました。
 来客の都度息子嫁にお茶を入れてもらい、煙会所まで運んでもらいますが、無粋な私の接客よりお茶を差し出す息子嫁の笑顔が好印象を与えたようです。このところ煙会所がにわかに復活したような感じです。このところ人間牧場にすっかりその役割を奪われ、忘れられていましたが、煙会所の存在も捨て難く、これからも大いに活用したいものだと思いました。

 青年の船で建国200年のアメリカへ行き、帰国後青年の育成を目的に手作りで造った煙会所ですが、これまで時には外国人まで多くの人を招き入れて、私の存在を大いに高めた煙会所は、全国の若者に支持されて全国に煙会所の分家が、北海道から鹿児島奄美大島まで17ヶ所も出来る等、それなりの成果を収めてきました。特に夕日による双海町のまちづくりは、ここから起こったといっても決して過言でないほど、多くの町民が集まり、大いに議論をした結果の今日だと思うと、感慨深いものがあるのです。
 人は人の元に集まりますが、その集まる拠点はいつの時代も必要であり、煙会所と人間牧場は私のバックボーンなのです。一度そこら辺のことを記録に留めたいと思いながら接客している今日この頃です。

  「煙会所 設置してから 四十年 役割果たし 再び日の目」

  「煙会所 囲炉裏を囲む 話には どこか懐かし ふるさとの味」

  「近々に 囲炉裏火を入れ 煙出し 存在感を 高めなければ」

  「人と人 結ぶ拠点が 煙会所 多くの智恵が ここから生まれ」

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人間牧場

○列車が町内で脱線事故

上空を旋回する取材ヘリ

 昨日縁戚筋の人が亡くなったことを新聞で知り、喪服を着て葬儀に参列するため昼前自宅を出ました。郵便局や地域事務所で所用を済ませ、地域事務所の外に出ると、大きなパラボラアンテナを積んだ放送車が駐車場の隅に留まっていました。間もなく何やら爆音のような大きな音がするので上空を見上げると、ヘリコブターが低空飛行をしていました。とっさにそれが今朝有線放送で「JR予讃線の土砂崩壊による列車不通の取材」と思いました。小さな田舎町へこんな大掛かりな取材ヘリが来ることは滅多にないので、近所の人も外に出て空を見上げて大きな口を開けていました。

脱線の模様を伝えるNHKテレビ夕方ニュース

 地域事務所で聞けば、土砂崩壊による列車の脱線事故のようで、その場所が天一稲荷神社の裏山で直ぐ目と鼻の先であることに大いに驚きました。手持ちのデジカメで歴史の証人とばかりに取材ヘリを撮影しましたが、脱線事故の現場に行く時間も暇もなかったので、気にしながらその場をやり過ごしました。何年か前城の下の裏山が崩れ、1年間の長きに渡って防災工事が行われ全国ニュースとして流れた経緯もある場所に近い、魔の地すべり急斜面なのです。
 葬儀やその後出席した松山工業高校の学校評議委員会から夕方帰り、自宅テレビで夕方のニュースを見ていると、昨日の朝上空からヘリで撮影したであろう映像とともに、列車脱線の現場の様子が詳しく紹介されていました。

土砂崩壊の現場
2012年6月26日の愛媛新聞朝刊列車事故記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 今朝はその様子を詳しく知ろうと、毎朝決まったように午前5時前後に来る愛媛新聞朝刊の到着を待ちましたが、今朝に限って5時半になっても届かず、書斎の机の前に座って配達員の単車の音に耳を澄ましているところです。

 そのうち5時32分新聞が配達されました。案の定新聞一面に崖崩落と列車脱線現場の写真が記事とともに出ていました。
 この写真に載っている現場は、私の家の玄関先の庭から見える直線距離にして1キロにも満たない場所なのですから驚きです。
 5面に関連記事が載っていますが、幸いにも乗客がいなかった回送列車だったこと、乗務員や運転書に怪我がなかったことは不幸中の幸いなのです。若しスピードを上げて列車が走っていたら、目と鼻の先に長い鉄橋があるだけに、一大惨事になっていたかもしれないと思うのです。

  「ブンブンと 取材のヘリが 上空を 列車脱線 大きなニュース」

  「人身の 事故でなかって 良かったと 現場遠めに 眺めて思う」

  「天災は 忘れた頃に やって来る 拳拳服膺 胸に刻みて」

  「新聞の 一面記事に 載るほどの 重大事故が 目鼻の先で」

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人間牧場

○地域づくり人養成講座

 えひめ地域政策研究センターが毎年行っている、地域どくり人養成講座が今年も始まりました。例年一講座を担当して講義をしていましたが、今年度はその役割もないものと鷹を食っていたところ、担当の河野さんから同時に行なうまちづくり活動アシスト事業の、成果発表のコメンテーターとして参加して欲しい旨のメールが入り、慌ててスケジュールを入れ替え、土曜日の午後参加することになりました。この日の成果発表会には、アシスト事業の助成をいただいて活動したわが町の「JR下灘駅フィールドミュージアム運営委員会}も参加するため、地域事務所の松本さんや地域おこし協力隊の冨田さん、メンバーの浜田さん、廣田さん、西岡さん、北風さん、赤石さん、武智さん、久保さんも参加する予定で、少し早めに出て「昼食でも一緒にどうぞ」と誘われました。

 私と赤石さんは別便の人たちとそば吉で合流し、美味しいそばに舌鼓を打ちながら、まちづくりの四方山話に花を咲かせてから、会場となっている山越の愛媛県男女共同参画センターへ向かいました。三階の会場には養成講座の参加者と成果発表に望む6団体の方々が集まって、顔見知りの人も多く賑やかな地域づくり交流広場となりました。
 NPO法人とべ子育て支援団体ぼっかぽか、カタリバin宇和島委員会、民話の里すみの、にいはま大島七福芋ブランド推進協議会、宇和町町並みガイドの会、JR下灘駅フィールドミュージアム運営委員会の順で1グループ10分の持ち時間を使って存分に成果を発表しあいました。発表の都度コメンテーターの前田さんが感想を述べ、私がまとめてコメントしました。

アシスト事業発表会

 時間になると予鈴が鳴ることを気にしてか、少々短めな発表が多かったため、司会をしていた河野さんから、「時間調整しなければならないので20分ばかり講義でつないでください」と耳打ちされました。日ごろアドリブに馴れている私のことですから、それなりの話をすることが出来ました。
 最後の講義は、愛媛大学農学部の森賀さんの「第一次産業における地域づくり」という演題での話でした。森賀さんは元新居浜市役所職員で、少し早く退職して大学に転職した変わり者です。私と同じ観光カリスマ百選にも選ばれていて、昔から深い親交を続けている親友です。私のような実践家ではなく、理論家で大学がよく似合う人です。この日の話もかなり難しい理論を1時間にわたって聞きましたが、一般参加者には少々難しかったような気もしました。でもさすが大学へ転進しただけのことはあると、大いに感心して聞きました。

オフライン交流会に集まった参加者

 講師やコメンテーターを囲んでのオフライン交流会は、JR松山駅近くの「食べもの市場」という居酒屋です。昨年の講座修了生も加わり賑やかな呑み会となり、大いに交流の輪を広げました。毎度の事ながら酒の呑めない私は、ウーロン茶一辺倒の2時間余りを過ごすのに一苦労です。お陰で少々お茶を飲み過ぎ、食べ過ぎてその夜は難儀でした。私にとって呑み会で何げなく飲んでいるウーロン茶は、体に余りよくないようで、今後は緑茶にしようと思っています。
 今回の養成講座も県庁職員や市町職員も数多く、それなりに意識が高い人も多いようです。住民参加・参画か行政参加・参画かは議論の分かれるところですが、少なくともこのように休日を利用して講座に参加するやる気は見上げたもので、意識改革と今後の活躍を期待したいものです。やはり地域づくりで何よりも優先するのは、本人の「やる気」なのですから・・・。それにしても地域おこし協力隊の冨田さんの発表は最高の出来でした。

  「十一人 わが町の人 大勢で 研修会に 参加嬉しい」

  「アドリブで 話しつなげと 耳打ちで 依頼に応え それなり話す」

  「わが町の 発表さすが 協力隊 感心しつつ 話聞き入る」

  「アルコール 飲めない私 ウーロン茶 それでも酔った 気分で話す」 

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人間牧場

○徳島県鳴門市へ講演旅行

 「四国は一つ」という合言葉がありますが、同じ四国でも西の端佐田岬や南の端高知県足摺岬から、東の玄関口徳島県鳴門とでは、気候や風土も随分違って、一つどころか別世界といった感じがするのです。その象徴的高知県足摺岬へは来7月ジョン万次郎塾で出かけることになっていて、また徳島県鳴門へは幸運にも一昨日講演に招かれて出かけました。徳島県鳴門市へは高松経由と池田~徳島経由の高速道路2路線がありますが、地図上の直線距離を目測で見た限りでは、池田~徳島経由の方が近いようなので、往復そのルートを走りました。わが家を起点に車のメーターをゼロにして走り始めましたが、自宅へ帰ってメーターを見ると500キロ近くになっていました。つまり片道250キロを往復6時間かけて一日で突っ走ったことになるのです。67歳の高齢者には高速道路といいながら、片側1車線のポールが林立する狭い道はかなり神経を使ったようで、帰った日はさすがに疲れを感じさせました。最近は四国内移動でも高松等へは事故に遭わないようにと、妻に特急列車を進められるので、車での移動は久しぶりなのです。

展望台から見える鳴門海峡に架かる大鳴門橋

 今回の徳島鳴門行きが決まってから、いつものような「プラスワン」の好奇心が頭を持ち上げ、「渦潮逆巻く鳴門大橋を見たい」と思い、自宅を1時間ばかり早く出ました。途中板野のサービスエリアでトイレ休憩をしました。偶然にも愛媛県庁出身の方に声をかけられ大いに話が弾み、世の中狭いものだと思ったり、ここまで来て私を知っている人がいたことの奇遇を噛みしめました。
 高速道路を降り、市役所前を通り過ぎカーナビの案内で小鳴門大橋を渡り、鳴門公園へ行きました。家を出る時は小雨が降っていましたが、徳島池田へ入る頃には雨も止んで、幸運にも鳴門公園では暑い夏の太陽が顔を覗かせていました。駐車場で410円の駐車料金を払い、高速道路を走る車や鳴門大橋を見ながら、展望台までの急な坂道を徒歩で一気に登りましたが、日ごろ裏山散歩で慣れているだけあって大した息も上がらず到着しました。

ミュージアム入口の人工渦

 展望台からの360度の眺めはまさに絶景で、本州と四国を結ぶ鳴門大橋や兵庫県淡路島、徳島県鳴門の周辺が手に取るように見えました。名古屋から来たという観光客の人たちと親しく会話し、愛媛県や松山市の宣伝に一役買いました。勿論持っていた名刺を渡して双海町の夕日も大いに自慢しました。幸いポケットに忍ばせていた携帯電光掲示板をネクタイに着けて、これまた臆目もなく大いに胸を張りました。その後、本当は大橋展望台から通じる渦の道を見学したかったのですが、時間がなく周辺を散策しただけで引き返しました。
 鳴門市役所で部長さんや友枝さんたちと出会い、部長さんと課長さんに連れられ近くの大衆食堂へ行き、名物の鳴門チュルという細麺うどんをご馳走になりました。金時豆の入った珍しいばら寿司も美味しく満腹の手合いでした。自治連合会の総会が1時から始まり、講演までの時間を部長さんとお話して、控室でのんびり過ごしましたが、やがて始まった講演には泉市長さんも見えられ、私の話を最初から最後まで聞いていただきました。

 聞くところによると議会で私の話が出たようで、加えて前日のNHKテレビ「西日本の旅」が全国放送されていて、その番組を沢山の参加者が視聴していたようで、会場は満席でした。参加者の反応も良くて大いに盛り上がりました。この日は難聴者のために手話解説の人が私の横で手話サービスをしてくれたり、地元のケーブルテレビが陣取って、私の話の一部始終を映像に納めていました。
 自治連合会からワカメのお土産をいただき会場を後にして、徳島インターまで走り、そこから一気に伊予インターまで帰り、夕暮れ間近なわが家へやっと辿り着きました。日ごろの行いが良かったのか、好天という幸運にも恵まれました。また参加した何人かの人から名刺をいただき、また早速メールが届く等、新しい出会いの予感が始まって、いい小旅行となりました。

  「渦潮や ワカメ・大橋 あれやこれ 知名度抜群 鳴門いいとこ」

  「私には 鳴門といえば 賀川さん ノーベル賞の 候補なった人」

  「年末に なると鳴門を 必ずや 第九発祥 思い浮かべる」

  「いいまちへ 乗り込み私 話する 臆目もなしに 見上げた度胸」

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人間牧場

○コープえひめ新旧役員交流会(その2)

 コープえひめの総代会に続いて、同じアイテムえひめの広い別室会場で試食交流会が行なわれました。500人を超える人たちが出入りの業者さんがブースを作っている場所を渡り歩いて、お目当ての食べ物をいただくのです。野菜系は少ないもののご飯ありパンあり、肉あり魚あり、うどんやそば、スィーツ、シャーベット、乳製品、惣菜などなど、その気になって食べれば結構バランスよく賞味できるのです。
 総代さんたちは殆んどが女性なので、品定めや味定めをしているような格好はしていますが、参加者の熱気に包まれ、結構食べている人も沢山見かけました。私は肉系が余り好きではないので、そこここで総代さんたちの何人かと面談しながらひと時を過ごしましたが、買い物や料理を殆んどしない私にとっては、目の前で業者さんが調理をする姿を見るだけでも結構楽しいものでした。

あいさつする松本等新理事長

 外の雨を気にしながら、少し早めに会場を後にして、県庁へ立ち寄り2~3用事を済ませ午後3時から全日空ホテルで開かれた新旧役員交流会に参加しました。今回の総代会を最後に退任する大川理事長さんや私たち理事の送別会も兼ねていて、少ししんみりした雰囲気に包まれました。花束や感謝状、それに餞別までいただき恐縮してしまいましたが、私はそのドタバタで折角いただいた感謝状を忘れて帰る大失態のハプニングで、帰宅後全日空ホテルへ電話を入れたり、自分の車の中を探したものの、未だにその行方がつかめず、今も傷心の面持ちです。
 何はともあれ長くも短かった6年間の学識理事という役割は無事終えることができ、今はただホッとしているところです。

新しい役員さんたち

 帰宅した私の、花束や餞別をいただいた様子を見て妻は驚いていましたが、毎月一回決まって出かけた私の姿を見てきただけに、「寂しくない?」と冷やかされました。確かに色々と学ぶことの多かった6年間で少し寂しくなったというのは実感のようです。
 送別会では新しく理事長さんになった松本さんが、最後の理事会のことをブログに書いた記事の末尾の笑売啖呵、「人心が       一新されてまた新た 世の中こうして 持続してゆく」を引用してお話をしていただき、恐縮してしまいました。
 私と同じ年に就任した理事さんも今回で数人退任しました。知人である内子町長の奥さんである稲本康子さんや、この6年間私にハガキを書き続けてくれた、四国中央市の村上理香さんなど、思い出の尽きない人ばかりで、今もその美しい笑顔が脳裏に焼きついているのです。皆さんご機嫌よう、またいつかどこかでお目にかかりましょう。

  「花束や 感謝状まで いただいて 送別会は どこかしんみり」

  「理事長の コバンザメにて お裾分け 十分いただき 感謝感激」

  「あいさつで 松本丸の 船出だと 退任理事長 上手い表現」

  「あの人や この人笑顔 蘇る 六年間に 出会った人々」

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人間牧場

○6年間の任期を無事終えました(その1)

 昨日は私がこの6年間学識理事をしていた、生活協同組合コープえひめの通常総代会がアイテムえひめで開催され、今期限りで退任する私も、ある意味一つの区切りを迎えるため、感慨深く出席しました。思えば6年前、生活協同組合の何たるかも分からぬまま当時の大川理事長さんに頼まれ、学識理事に就任しました。学識理事は3人いて、日本食研の大沢会長さん等の大物が名を連ねていて、また地域理事21名、常任理事5名、常任幹事1名、監事4名、合計34名で毎月第4木曜日に本部で開く理事会は、地域理事21名全てが女性ということもあって、白熱した議論の輪の中に入ることすら臆してためらうほどでした。

 

総代会

 出鼻の就任早々出席した通常総代会は、堂々と議案に反対意見を述べる総代さんもいて、異様な雰囲気にたじろき、学識理事の役割を理解するのに1年近くもかかったことを、つい昨日のことのように思い出しながら、会場の役員席に座り感慨深く見つめていました。
 2年前から県民文化会館だった総代会は、アイテムえひめへ移され、日ごろ見本市会場として使われるとてつもなく広い、どちらかというとある意味無機質な会場ですが、大型スクリーンに会場の様子がモニターカメラで写されるなど、よくテレビで見かける大企業の株主総会のような手合いでした。
 事前に配られた議案書はいつもながら総代会の企画や運営特別チームが編成され、一年をかけて作っているだけあって労作で、これに映像と音声が加わった当日の運営は水も漏らさないような完璧なショーを見ているようで、2時間半は淀みのないものでした。

新しい役員

 ただ惜しむらくは総代会なのに決算数字の説明は議案書には詳しく分かりやすく載っているものの、肉声での説明は殆んどなく、一年のまとめとしては少々物足りなさを感じますが、これが生協のやり方だと納得しながら聞き入りました。議長による採決も反対はほんの一部で、ほぼ満場一致といった無難な総代会でした。今年の最大のハイライトは、やはり長年コープえひめを象徴的に牽引してきた大川理事長が退任し、松本専務が後継者として選ばれたことです。大川理事長は千人足らずのこの組織を、25万人を超える巨大組織に成長させ、年間事業高も300億円に迫る勢いまで勢力を拡大してきまた大功労者なのです。
 新理事長に就任した松本専務も大川理事長の補佐役として二人三脚してきた実行力のある人物だけに、美濃新専務とともに今後の活躍が期待されますが、巨星落ちる感は否めなく、むしろ政権交代による新しい風に大きな期待を寄せるのです。

 

私の新しい名刺

 何はともあれ、殆んど何の役にも立たず心苦しい存在だった私の6年間の役目は、無事終ることができました。私の予定表に決まったように書き込まれていた、毎月第4木曜日の欄は目下空欄となり、新しい就活?(笑い)をしなければならなくなりました。
 昨日送別会が終って帰り際、理事会を担当する片桐さんから私に、1箱の名刺がそっと手渡されました。見るとCOOPえひめのシンボルマークの横に、アドバイザー若松進一(wakamatsu shinichi)と書かれていました。前回の理事会でも、そして昨日も理事長さんや新理事長さんから、「引き続いてこれからも宜しく」と言われた意味がやっと分かりました。浅学ゆえ大したこともできませんが、引き続き別の角度から長年お世話になったコープえひめへ、いささかなりの恩返しをしなければなるまいと、心を新たにした一日でした。

  「六年の 任期が終わり 無事退任 小学校を 卒業するよう」

  「政権の 交代劇は 不安だが 若さとやる気 新風期待」

  「アドバイザー 新たな名刺 いただいて 新たな仕事 新た始める」

  「この六年 目にはさやかに 見えねども 大脳隅に 進化の兆し」

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人間牧場

○カブト虫の養殖

 今も昔も子どもたちに絶大な人気を誇っているものといえば、カブト虫やクワガタという小動物です。私たちが子どものころは、遊び道具とてなかった貧しい時代でしたから、その頃は薪や木炭の原材料として使う、クヌギ林が至る所にあって、子どもたちは早朝早起きをして、クヌギの木の根元に樹液を吸いに群がるカブト虫や、クワガタを探しに出かけたものでした。捕獲したカブト虫やクワガタ、はこれまた今のような虫篭もなかったので、親父に作ってもらった虫篭やリンゴ箱に入れ、甘味として貴重な砂糖や蜂蜜を自分でなめもせず、カブト虫やクワガタに与え、それは大事に育てたものでした。

 学校から帰るとカブト虫やクワガタを持った子どもたちが、とっておきの場所に集まり、自分のカブト虫やクワガタを自慢しながら見せ合い、板切れで作った小さな土俵の上で、喧嘩や相撲をさせるのです。勝ったり負けたりする度に、歓声や落胆の声が上がり、子どもワールドに時には大人も参加して、見守っていたのです。そんな懐かしい時代を経て現代を迎えていますが、今は子どもたちに「カブト虫はどこにいる?」と訪ねれば、「クヌギ林」と返って来るだろうと思いきや、「デパートの○○階」と答えるほどで、デパートの玩具売り場には、「ヘラクレス」などといった外国産の、いかにも強そうな黒光りのするクワガタが、子どもの小遣いでは手の届きそうにもない高価な値段で販売され、ネット通販でも容易に手に入るのです。

 友人から何年か前ポリ容器に入れられて、カブト虫の幼虫が人間牧場へやって来ました。いわゆるカブト虫の養殖のためです。しかし夏場の忙しさにかまけて対応することができず、全滅の憂き目に会いました。その後もサツマイモの苗床で見つけた幼虫をポリ容器に入れて養殖を試みましたが、残念ながら成虫に孵すことは出来ませんでした。今年からサツマイモの苗床を自宅の家庭菜園に移したのを機に、旧苗床に防虫ネットを張って、カブト虫を養殖しようと思い始め、先日松前町の農材スーパーで防虫ネットを買い求めてきました。息子嫁に頼んで6メートルの長さを半分に切ったものを、ミシンで二枚縫い合わせてもらい3メートルの巾にしてもらいました。

 昨日は台風で予定されていた講演が延期となったため、その防虫ネットを苗床に張る作業を午前中行いました。苗床は6年も使っているので、周りを囲っているベニヤ板が風雨に晒されて腐っているため、防虫ネットを張る作業は不器用さもあって、容易ではありませんでしたが、まあ何とか格好がついたようです。若しこれでカブト虫の養殖に成功して、成虫の確保が出来るのであれば、来年は囲いを一新して養殖場を作りたいと思っていますが、はてさて上手く行くかどうか、心配の種がまた一つ増えました。
 孫たちはカブト虫の養殖が出来るかも知れないと、早くも夏の来るのを心待ちにしているようです。

  「牧場の 芋の苗床 カブト虫 養殖場に 早代わりする」

  「防虫の ネットミシンで 縫い合わせ ひとまず作戦 これでOK」

  「今頃は カブトの居場所 デパートと 答える子ども 時代変わった」

  「カブト虫 運よく育てば 子ども夢 叶えてやれる 淡い期待を」

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