人間牧場

○主婦の仕事は毎日忙しい

 散歩をしても作業をしても、時には寝ても起きても汗ばむ陽気となりました。夏になると洗濯が忙しくなりますが、私のように汗を書けば脱衣場の洗濯籠へ脱ぎ捨てれば、妻が洗濯意を使って洗って干し場に干し、夕方にはたたんでそれぞれの場所に収納した物を、選んで出して着ればいいのですから、何の造作もないのです。主婦の仕事はその気になって見ないと見えないもので、昔から「さしすせそ」だと言われています。さ・裁縫、し・仕事、す・炊事、せ・洗濯、そ・掃除とまあ数え切れないほどあるのです。最近は主婦の仕事も見直され若い人たちの間では、子育てを含めて夫が役割分担する姿も随分見られるようになって来ましたが、私のように古いタイプの人間は相変わらず殆んど何もせず、亭主関白を決め込んで威張って暮らしているのです。

 私が子どものころは洗濯機もなく、洗濯はもっぱらたらいと洗濯板でした。固形の四角い洗濯石鹸をなすりつけ、手揉みで洗うたらいと洗濯板の洗濯は腰をかがめてやる重労働だったようでした。わが家も二代前の祖母の時代は子どもが12人もいる大家族だったため、洗濯も半端な量ではなかったようです。ましてや衣料品も今のように薄くて軽いものではなかったため、「ゴシゴシ、ジャブジャブ」と音で表現するほど時間と体力をかけていました。
 先日民俗学者宮本常一の撮った写真を見ましたが、写っている干した洗濯物を見る限り、貧しい農山漁村の暮らしぶりを髣髴するようでした。
 下宿でたらいと洗濯板で洗濯した懐かしい思い出、実習船愛媛丸で海水で洗濯した懐かしい思い出も記憶の彼方に消えようとしているこの頃です。

 物の3Cといわれたカー、カラーテレビ、クーラーよりも、主婦にとって洗濯機と掃除機は家庭の一大革命とでもいうべき道具でした。出始めの洗濯機は自動脱水機が付いておらず、手回しの搾り機がついていて、せんべいみたいになった洗濯物をよく見かけました。最近の洗濯機は洗う・脱水する・乾燥するという作業を全て行ってくれる、全自動もお目見えしているようです。
 「鬼の居ぬ間に心の洗濯」とは主人のいない間の骨休めでしょうが、今は洗濯機へ放り込みさえすれば自動的に選択が行われ、その間に煎餅や饅頭をつまんでお茶を飲みながらメロドラマを見る心の洗濯だってできる楽な時代になったとはいいながら、主婦は今も昔も沢山の、し・仕事を引き受けていて、よくぞ女に生まれなくて良かった思うし、今度生まれてくる時も男に生まれたいと思っているのです。

 服の裏地の隅に洗濯表示のマークが付いていますが、そのマークが近々洗濯機がたらいに変わるそうです。たらいや洗濯板など今ではすっかり死語となったと思うのに何故?と思う人も多いようですが、世界中には洗濯機が普及していない国がまだまだ沢山あるのです。
 今日も朝から雨です。わが家の脱衣場では、私たち夫婦の洗濯機と、息子家族の洗濯機が文句も言わず朝からブンブン音を立てて回っています。天気予報の洗濯情報も「乾きにくい」のマークがずらりと並んで、主婦泣かせの日々が当分続きそうです。

  「下宿して たらいで洗濯 した頃が 思い出される 懐かしき日々」

  「主婦仕事 目には見えぬが あれやこれ 私にゃ真似の 出来ぬことなり」

  「洗濯機 マークがたらい 変わるそう 世界は広い 洗濯事情」

  「実習船 乗って洗濯 塩水で これも懐かし 青春思い出」

 

[ この記事をシェアする ]