〇心を磨く100の智恵・その9「私心にこだわらない」
【心身が清廉であれば、暗い部屋にいても晴天のような晴れやかな気持ちで過ごすことができる。しかし、心が陰〇であれば、白日の下でも邪悪な鬼のように殺伐な気持ちとなる】
私心のある人は「今」をテーマにするから、物事の判断を「好きか嫌いか」と「損か得か」で見てしまい、嫌いな人や損をする人から遠ざかるものです。「過去」や「今」はある程度目に見えますが、10年後、20年後、50年後の「未来」となると目に見えないため、余程人徳を積んでないと先は読めないのです。しかし未来のことを「善か悪か」で価値判断するとおおよそ間違いないといわれています。
嫌いでも多少損をしても、世の中にはやらねばならないことが沢山あって、それが出来る人が私利私欲なき公心の人なのです。
私心の多い人ほど用心深く、周りの様子を覗いながら隠れるように動き回り、常に策略をめぐらせた言葉を発します。人の言葉の上げ足をとったり、要らぬ噂を流したりして相手を落とし入れようとしますが、世の中はそんなに騙されやすい人ばかりではありません。
夕日をテーマにまちづくりを始めた頃、その拠点施設としてシーサイド公園を整備することになりました。ある議員さんが大っぴらに反対をし始めました。その折議員さんは「シーサイド公園の整備はみんなが反対している」というのです。勿論町の命運をかけた町にとっては大規模な投資ですから、反対意見や危惧する意見があることは承知していました。しかしそれが「みんな」の意見となると話は別で、再検討をしなければなりません。私は大方の町民がシーサイド公園の整備を望んでいることを、小さな町ゆえ肌で感じていたので、議会で「みんなとは誰と誰か」と反論しました。議員さんが日常的に使う便利な言葉「みんな」とは一体誰なのか、その議員さんも最後は「みんなはみんなじゃあ」で反対の矛先を置いてしまったのでした。
反対のための反対や、相手を陥れるための私心的言動はいつしか見破られ、信用を失墜するものです。公や他人を第一とし、自分を二の次にするような人間になりたいと常々思っています。私などはまだまだ修行の身ゆえ、一生かかってもそこまでは到達できないと思いますが、少し軸足を移すだけでもいい生き方ができ、人間関係がスムースになるようです。
「私心捨て 公に生きねば ならぬ人 公務員とは そんな生き方」
「私欲捨て 人に尽かさば いつの日か 信用されて 楽し生きれる」
「嫌いでも 損をしてでも せにゃならぬ 未来のために 善悪判断」
「暗闇で 星は見えるが 昼間だと 明るいゆえに 星は見えない」