shin-1さんの日記

〇トイレは文化

 私が始めてトイレを文化だと気付かされたのは、ふるさと創生一億円事業を担当した頃でした。当時全国に3200余りの自治体があり、当時の竹下総理がどのまちにも一律一億円をばら撒くと発言したのです。どの市町村も同じ一億円を使って目立とうと必死になり、あるまちは一億円で金塊を買って展示したり、あるまちは温泉を掘りましたがお湯が出ずに一億円を棒に振って小さな騒動になったところもありました。

 私の町もアンケートや検討委員会で様々な意見が出されましたがまとめきれず、公園整備と人づくり、福祉事業に消えました。

 

 北海道のあるまちでは一億円をかけて公衆トイレを作りました。「トイレなんて汚いものに何で一億円も?」と一般の人は思うでしょうが、その頃から「トイレは文化」であるという認識が日本の各地に広がり、「トイレ文化研究会」なるものも全国にできて活動が始まりました。

 日本はトイレを臭いものと思う程度の文化しかありませんでした。駅や公園のトイレは悪臭がして汚く、時には蚊やハエがいて鼻をつまむような格好で用を足したことだって何度もありました。また旅行に行くとバスの中で鱈腹ビールを飲み、道端に車を止めて旅の恥はかき捨てとばかりに、並んで小便をしている姿は、何ともみっともない日本人の恥ずべき行為なのです。

 わが家にも本宅の一階と二階、隠居、私設公民館煙会所の4ヶ所にトイレがあります。息子と同居する条件として本宅の一階と二階のトイレを和式から洋式に替えたいと提案がありました。私は古い人間なので同じ便座に誰もが座って用を足すことに抵抗感があるのですが、歳をとると足腰膝が不自由になるので今のうちにと、一緒に改修工事をすることになりました。

 とりあえず二階のトイレを直す工事に取り掛かりました。震災の影響で資材が入らず少し時間がかかりましたが、やっと二階の工事が終わりました。息子は設計士らしく凝った造りに造り替えました。これまでのサッシも男女便器も一掃し、二つの部屋を一つにしてそれはモダンで、先日私たち夫婦に一般公開されましたが、まるで別世界のようでした。

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 二階のトイレが完成したので、今度は一階のトイレ工事に取り掛かりました。ゆえに現在は二階のトイレか煙会所のトイレを臨機応変に使っていますが、息子の注文は小便は座ってすることです。便所でそんなゆったりはできないと反論しましたが、老い先短い私たちゆえ、「老いては子に従え」の例えどおり、ただ今小便を座ってする訓練中なのです。

 しかしこれまでのトイレと違って快適で綺麗なトイレに入って過ごす時間は、短い時間ながらとても大切な時間のように思うように思いました。あと4~5日もすれば私たち専用のトイレも出来上がることになり、今からその完成が待ち遠しい感じです。「トイレは文化」という言葉がこれほど身近なものになろうとは・・・。


  「トイレとは 汚い臭い ものでなし 快適空間 わが家出現」

  「老いて子に 教わることも 多かりし でも何となく 違和感ありて」

  「寸借の トイレ使いて 不便なり 早く落ち着く 場所が欲しい」

  「設計の 息子自慢の トイレでき 古民家わが家 少し輝く」

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〇心を磨く100の智恵・その5「人の心は移ろいやすいと知る」

 【人の心は移ろいやすく、人生の道のりは険しい】


 人の情けは紙風船のように軽いと人はいいますが、それでも私は自分の人生において人の温かい情けを沢山受け、それを心の支えにして生きてきました。でも中には日和見や風見鶏のような人も沢山いて、日和や風向きが変わると見方から敵のような言動で追い討ちを掛けるのです。そんな人は再び日和や風向きがこちらに向いても二度と出会うことはないのです。

 私の35年間の地方公務員生活で小さいながらも天上の役職をいただいたのは課長と教育長でした。課長といっても課長の私以外部下がまったくいない一人だけの珍しい課長を9年間の間に3年間過ごしました。その後市町村合併で双海町という自治体がなくなるまでの2年間教育長をしましたが、教育長を含め全ての公職を辞して素っ裸になった時、人の心は移ろいやすいと知ったのです。


 それまで私にへつらうようにお辞儀をしていた学校の先生の中には、私と分かっていても挨拶や言葉を交わさず遠ざかるような態度の人も何人かいたようです。勿論私の教育に対する厳しい言動や、私の人格の未熟さがそうしたのでしょうから、相手を責める訳には行かないのです。そんな先生たちも退職後6年間ですっかりいなくなり、今はむしろ退職して長いというのに、昔のご縁で深い付き合いをしている先生も沢山いるのです。

 私の町の町長さんをしていた人のお父さんは目が不自由でした。ある時部下と一緒に公用車で走っていて、そのお父さんが散歩している姿を見かけました。私は深々と頭を下げて会釈して通り過ごしました。すると部下の若い職員は私の行動に奇異を感じたのか、「あの人は目が不自由です。挨拶しても見えませんよ。あなたは町長さんのお父さんだから挨拶したのですか」と質問されました。私は「町長さんのお父さんだからではなく、一人の町民として頭を下げたのだ。たとえ目が見えなくても心眼は見えるものだ」と格好良く切り返しました。


 確かに町長さんの父さんは目が不自由なので科学的には挨拶しても見えません。しかしある時町長さんのお宅へお邪魔してお父さんと面談した時、「いつも私に挨拶してくれてありがとう」と唐突に言われた時は、ハッとして驚いてしまいました。

 人の心は移ろいやすいと感じるのは一般市民ではなく、むしろ席を並べた経験のある職場の同僚が多いようです。しのぎを削って言い争ったり競争したりした人は辞めた途端に疎遠になりがちです。

 任ゲッは自分の人生において貧乏だったり、左遷されたり、時には病気になったり落ちぶれたりします。そんな時暖かい手を差し伸べてくれた人は忘れられないものです。こうした人の心の移ろいを嘆かず驚かず憤らず、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありと泰然自若な平常心を持てるかどうか、自分の心の大きさが試されるのです。辛酸を嘗め尽くしていれば、世の中はそういうものだと思って生きてゆけるのです。

  「人生の 谷底落ちた その時に 手を差し伸べし 人は忘れじ」

  「手の平を 返したような 人もいる 泰然自若 生きてゆきたい」

  「人心 移ろいやすいと 思いつつ ついつい信じ ついつい落胆」

  「心得よ 毀誉褒貶は 人の常 せめて自分は ならぬようにと」 

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