shin-1さんの日記

〇無常観

 無常観とは、一切が無であるとするものの考え方のことです。関東や東北地方を襲った今回の大震災を目の当たりにして、呆然と立ちつくす被災者の姿を見るにつけ、無常観を強く感じるのです。阪神淡路大震災の時以上に無常観を強く思うのは津波の爪跡の凄さです。これまで先祖代々が営々と築いてきた生命や財産が、まるで箒で掃いたように跡形もなく消えた姿は想像を絶するもので、自然の偉大な力と人間の無能さを改めて思い知らされました。

 震災で家や身寄りの人命をなくした人たちは、文字通りゼロからの出発となりました。過去の歴史を紐解くと、日本人は台風や地震、冷害、それに戦争などなど多くの苦難に出会い、その度にそれらを乗り越え見事に復興したのですから、あながち今回の震災からの復興は不可能ではなく、早くも各地で復興の力強い足音が聞こえ、頼もしく思っているのです。しかし今回の震災は私たちの力ではどうすることもできない、目に見えない放射能という怖い存在があるだけに、心配の種は尽きないようです。

 私たち人間の欲望は留まることを知りません。一を手に入れると二になり、二が三や四へと欲望は次第に大きくなって行くのです。それはそれとして上昇志向や進化なのでいいことなのですが、願望が肥大化し過ぎると、とんでもない落とし穴が待っているのです。原子力は化石燃料に頼った従来のエネルギーから比べれば、二酸化炭素も出さないし安全だといわれてきました。そして原子力発電所の誘致に反対している人たちの姿を、他人事と思い、見て見ぬふりをしてきたのです。

 先日原発事故で壊滅的な打撃を受けた、チェルノブイリのその後の様子がテレビで紹介されていました。目に見える部分では、居住禁止となった住居や公共施設が廃墟になっていましたが、草木は茂り入らずの森のようになっていました。しかし放射能で汚染された土地では農作物から高い放射能が今なお検出され、また放射能を浴びた人たち、特に当時子どもだった人たちに甲状腺異常やガンが多発し、暗い影を落としていました。日本の子どもたちはどうなるのだろうと思う時、目に見えないだけに迫り来る危険な放射能の影響を心配するのです。

 心静かに冥想して無常を観ずるのも無常観です。今の世の中は進歩の速度が速く、冥想している暇などない人が殆どです。でも人間は生まれた時ゼロから始まったことを思えば、今一度無常観を感じるのも悪くはないことです。私も60歳という還暦を迎えた折、ゼロに帰るという発想で心静かに冥想しましたが、今まで見えてこなかった自分の存在や周りのものが違う視点で見え、大いに役立ちました。無常観といえば何か宗教じみた感じもしますが、人間の生き方の根本でもあるような気がするのです。

  「震災の 姿思いつ 無常観 感じる心 俺にはまだある」

  「日本は 地震冷害 台風を その都度越えて 今の繁栄」

  「我々は ゼロに戻りし 訓練を この際しかと 身に着けるべき」

  「座し冥想 すれば今まで 見えぬもの 見えて生き方 変化の兆し」 

   

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shin-1さんの日記

〇失われつつある日本人の土着思想

 子どものころ、「日本人の祖先は何処から来たのか」という話を聞いたことがあります。南方系は黒潮に乗って東南アジアから琉球・九州へ来たという説、北方系はロシア辺りから樺太・北海道へ渡って来たというアイヌ系説、日本に古来から住んでいた大和民族という説など色々です。しかしその当時の人が生きていないので、どれも正しくどれも間違いというのが正確な答で、長い歴史の中で混血しながら日本人が形成されて来たようです。

 最近はDNA鑑定などにより、日本人のルーツが科学的に随分明らかになってきましたが、「自分の先祖は一体何処から来たのか」、ミステリーじみた話ですが興味があるのです。私は父母、祖父母までのことは覚えていますが、祖祖父母のこととなると顔もあまり思い出せず曖昧模糊なところがあって、つまり3代前くらいの先祖のことしか知らないのです

 日本人は縄文時代までは狩をしながら移動して暮らしていましたが、弥生時代にかけて稲作が始まると土着するようになりました。その暮らしの形態は江戸時代になって幕藩体制や鎖国によって人々の移動が制限されたこともあって、江戸末期まで続いていました。

 明治維新により日本が開国され、外国と貿易をするため殖産が盛んになったり徴兵による外国との戦争や大陸への進出によって、日本人の異動が活発になってきたものの、それでも日本人の殆どは土着して暮らしていたようです。

 戦後の復興は土着型社会から流動型社会へと大きく変化しました。向都離村の教育と工業地帯が労働力を求めるようになって日本は完全に流動型社会になったのです。

 土着から流動への変化で都会は過密、田舎は過疎という構図が昭和30年代末には出来上がり、そのひずみは人間関係や社会風潮において様々な変化をもたらしましたが、そのことに警鐘を鳴らす人はいても大きな時代のうねりの中に飲み込まれ、時の流れとしてある意味目と口と耳を塞いできたのです。

 その好ましくない姿に気付いたのは、皮肉にも阪神淡路大震災でした。人間はひとりでは生きてゆけないし、お互いが助け合って生きることの大切さを学んだのです。各地でボランティア活動の必要性や参加が始まり、その流れが多少薄くなりつつあるこのごろになって、未曾有の新潟地震や今回の東日本大震災が起こり、再び土着思想が見直されているのです。

 本来人間は家を建て家族や隣人と共に暮らすのですが、今の社会は家は借家や、家があっても転勤などの理由で隣人とコミュニケーションをとらなくても暮らして行けるのです。

 しかし日々の暮らしが跡形もなくなくなる今回の大震災のような災害に見舞われると、行政やボランティア以外頼る人がいないという、孤独であった自分の今までの暮らしぶりに始めて気がつくのです。敗戦は土着の思想を呼び戻しました。大震災に遭った今も土着の思想は日本再生の大きなキーワードだと誰もがいいますが、日本人の「喉元過ぎれば」といった風潮に歯止めをすることができるかどうか、日本人の性根が問われているようです。流動型社会から土着型社会への回帰は容易なことではありません。煩わしいコミュニティのしがらみも当然ついて回るのですから・・・・・。


  「震災に 遭って初めて 日本が 土着社会で ないこと知りて」

  「土着には 煩わしこと 多いけど まさかの時に 大きな力」

  「まず自分 その次他人 当たり前 少し他人に 思いを寄せて」

  「土着ゆえ 生きる実感 目の当たり みんな仲良く 暮らして行こう」

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