shin-1さんの日記

○講演拝聴の最年少記録をあっさり更新

 私は年中全国各地を巡って講演などをしていますが、その対象は小学生から高齢者まで実に様々です。その都度相手のレベルに合わせて、飽きのこない話しをつとめて分かりやすくするよう心がけているのですが、これが案外難しく、特に子どもには大人の言葉で喋っても伝わりにくいので心血を注ぐのです。

 これまで話した相手で一番高齢者は山口県で話した100歳ですが、昨日旧別子山村での講演会で、生後3ヶ月の赤ちゃんを前に話をして、これまでの最年少記録をあっさり更新しました。本当のことを言うとこの赤ちゃんは、お母さんと一緒に講演会場へ来られていただけの話ですが、私が90分話す間泣きもせお母さん抱かれて会場にいたのですから、これはもう立派な記録更新なのです。この子どもは果たしてどんな大人になるのかとても楽しみです。

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○旧別子山村で見つけた風呂を焚く風景

 講演が始まるまで、私たちはそこら辺を散策しました。中学校生徒5名、小学校児童2名の学校は鉄筋コンクリートでした。中学校校舎の軒先には田舎らしくスズメバチの大きな巣がぶら下がっていました。小学校は耐震基準に満たなくなったため、11月頃には取り壊しをするそうですが、連合自治会長さんの話によると、思い出のいっぱい詰まった学校なので、卒業生を集めてさようならイベントをやろうと計画中だそうです。

 賀xt工の近くの民家で風呂を焚く光景を見つけました。最近は余り見られなくなった光景ですが、思わず持っていたカメラのシャッターを押してしまいました。いいですね。夕暮れ時の平和で長閑な山村の暮らしを垣間見る思いがしました。この風景は私の少年時代の懐かしい記憶です。

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○資料館や渓谷が素晴らしい

 旧別子山村がふるさと創生一億円の交付金を活用して整備した資料館は、外観こそ負露の公共施設のようでしたが、中には鉱山で栄えた当時の資料や高山の動植物の資料が沢山展示されていて、見応えがありました。アカデミック過ぎるため残念ながら利用者は殆どないようですが、つり橋の架かった直ぐ下の渓谷美などは素晴らしく必見の価値がありました。また夜だったので残念ながら散策は出来ませんでしたが、高冷地ゆえに今が見ごろのアジサイや、連合自治会長さんが日本一と自慢する円形パーゴラは、一度ゆっくり見に行きたい規模でした。

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 パーゴラの写真は夜だったので撮影できませんでしたが、昨年のこの頃東予地方局の仕事で行った折撮影したものが手元にあったので添付しておきます。これは確かに凄いです。

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  「昨年の この頃訪ねた 写真あり 記録したから 記憶に残る」

  「風呂を焚く 懐かし光景 長閑なり 思わずカメラ シャッターを押す」

  「三ヶ月 生まれ間もない 赤ちゃんが 泣くことなしに 私の話」

  「思い出を 残して狭い つづら道 ヘッドライトで 照らして帰る」 

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○ダブルヘッターはさすがに疲れます

 私はこれまでにも毎年のように年に数回、1日8時間の講義をこなしています。その殆どは大学の集中講義なのですが、今年も来月8月と11月に2回予定されています。しかしそれらは同一会場で行われるため移動がないのです。昨日は松山の水産会館で共水連の研修会で90分の講演を行った後、高速道路を新居浜まで走り、新居浜教育委員会の関課長さんたちと落ち合い、さらに底から山奥の旧別子山村まで行き、午後7時から90分の講演をこなしました。関課長さんのご配慮でその夜はゆらぎの里に泊まる予定でしたが、交流会が始まる頃に県庁の職員から連絡があり、どうしても「明くる日の8時30分に県庁へ来て欲しい」旨の電話が入り、止む無く元来た道を引き返し、12時前に自宅まで帰ってきたのです。その走行距離は往復100キロを越えていました。

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 往復もさることながら、ダブルヘッターともいえる90分2回の講演は、慣れているとはいえさすがに疲れましたが、どちらの講演会場も盛況でした。共水連の研修会場にはわが町の下灘漁協と上灘漁協の顔見知りの職員さんもいて、多少気になりながらの話でしたが、水産関係は私の十八番なのですっかりその気になって話しました。しかしこの会場は50人で満席のやや狭い中会場ながらマイク施設がなく、後まで全員に聞こえるように話すには、かなりボリュームを上げて話さなければならず、最後は声がかすれ少しオーバーヒート気味となりました。

一方旧別子山村の会場は村民が200人程度の村なのに3分の1の人が集まる盛況ぶりで、嬉しさの余りに羽目を外したような話を越に入って行いました。参加者の中にはやはり何人か知り人もいて、いい交流が出来ました。

 昨晩は旧別子山村の講演のあと、連合自治会主催の交流懇親会が午後9時から持たれました。気がつけば昼食も忘れていただけに空腹で、アマゴの塩焼きや出された美味しい料理を完食してしまいました。

 昨年のカレンダーによれば、旧別子山村を訪ねたのは、アジサイの花が一際美しく感じる丁度この頃の7月8日でした。東予地方局の観光診断事業のアドバイザーとして、地方局の國元さんと井下さんの案内でこの地を訪れているのです。その時とは案内する人も違っているため、ふるさと創生事業で造られた渓谷に面した資料館やつり橋を見せてもらい、また違った切り口で地域の活性化案が何案か浮かんできました。

 連合自治会長さんは旧別別子山村村長さんの息子さんだそうで、実に生き生きとした方でした。人間牧場訪問を約束して暗闇の中でお別れしましたが、今回もワクワク・ドキドキ・ジーンとするような出会いでした。


  「野球なら ダブルヘッター 楽しいが 講演二回 さすが疲れる」

  「村人の 三分の二が 集まった 講演会場 大盛況で」

  「水先を 案内する人 違うから 違う切り口 アイディア浮かぶ」

  「昔なら とても日帰り 出来ぬ場所 今は便利に 日帰りできる」

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○論語の言葉「慎終追遠」

 論語カレンダーの今月のお題は「慎終追遠」(学而第一)です。「終りを慎み遠きを追う」と読みます。「年をとった親をよくお世話して、遠い祖先の恩を忘れぬ」という意味ですが、人情紙風船といわれるこのご時勢にあって、最も近しい人間といわれる親の世話など、忙しく毎日を過ごす子どもたちにとっては煩わしい存在のようです。ましてや体が不自由となった親の介護は大変で、「年をとれば高齢者介護施設」という考えが常識化していることも、ある意味理解できるのです。

 親は子どもを育てるために色々な苦労をします。しかし子どもたちは大きくなると、さも自分の力で育ったような顔をして、親の恩などすっかり忘れるものです。「親孝行しろ」と恩着せがましく言う人もいますが、殆どの親は恩返しなど期待することなく、ただひたすら子どもの成長を願うものなのです。

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 私たちは、「家付きカー付きババー抜き」が流行語となった高度成長時代に結婚しました。多くの人が流行語通りの暮らしをしている中で、親と同居をもう40年もしているのです。私は生家なのでどおってことはないのですが、嫁いで来た妻は嫁と姑、同居兄弟姉妹との目に見えない軋轢にひるんだり不平を言うこともなく今日まで同居してくれました。祖母と母を送り今もなお91歳の親父の世話をしてくれる妻には、感謝しても感謝しきれない恩があるのです。親の恩と同じくらい妻の恩を感じながら暮らしていますが、同居している親父への孝行は論語の通りこれからも尽くして行きたいと思っています。

 最近不調を訴えて鼠径ヘルニア手術のため入院した親父の、入院したり通院したりする世話をしたため、これまで以上に親父の傍にいました。次第に小さくなってゆく親父の姿を見ながら、恩返しをしなければ申し訳ないと思うようになりました。

 論語の後段に出てくる「遠きを追う」は先祖の恩ですが、私という人間が存在するには親父とおふくろ、親父にも親父とおふくろ、おふくろにも親父とおふくろがいる訳で、先祖をさかのぼると十代前には1024人の先祖がいるという計算になるのです。つまり私というジグゾーパズルの絵を描くのに1023枚のピースが必要なのですから驚きです。

 私は幸せか不幸せか分かりませんが長男に生まれました。子どもの頃から長男教育を受けていて、「この家の先祖祀りをするのはお前だ」と決められているのです。ゆえに最近は朝な夕な仏壇に手を合わせる仕草も少し板についてきました。論語の「慎終追遠」の4文字は私の永遠の課題であると同時に、わが長男息子への諭しの言葉でもあるのです。


  「日めぐりの 論語目にして 読んでみる  慎終追遠 深い意味あり」

  「このところ 少しい小さく 見える父 孝行せねば 罰当たるかも」

  「長男に 生まれたお陰 気付くこと やらねばならぬ 長男教育」

  「俺の絵を ジグゾーパズル 書いたなら 千二十四個の ピースが必要」

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○健康食はマゴワヤサシイ

 昭和19年10月生まれの私は戦後の物のない時代に生まれました。主食であるはずの白米のご飯さえも食べられず、麦ご飯におやつはサツマイモという質素な食事で、肉などは年に1度か2度お目にかかるのがやっとでした。幸いにも家が漁家兼農家だったため、魚ととサツマイモは腹いっぱい食べれることが出来たのは不幸中の幸いだったようです。しかし不幸中の幸いは、むしろサツマイモと魚にありつけたことよりも、貧乏の代名詞だった麦ご飯に加え、サツマイモと煮干が健康食の代名詞だったからなのです。「また麦ご飯やサツマイモか」と、親に不満を言いながら食べたものは、物が豊かになった現代ではむしろ贅沢な食べ物、観光に意食べ物として注目されているのですから世の中は分からないものなのです。

 何年か前、子どもの好きな食べ物やお母さんの手抜き料理を言い表す言葉として、「カアサンヤスメ」という言葉が流行しました。カはカレーとカップラーメンと鳥のから揚げ、アは甘いもの、サンはサンドイッチ、ヤは焼き飯と焼きソバと焼肉、スはスパゲティ、メは目玉焼きだったと記憶しています。つまりカアサンヤスメの頭文字を取った簡単に出来る食べ物をママは作り、子どももそれらを欲しがるのです。これらの料理は日本食ではなく戦後アメリカからやって来た食べ物で、何かにつけて油が使われているようで、そのことが原因なのか定かではありませんが、現代の子どもは一応に太っていて、時には大人しかかからない成人病にまでかかっている子どももいるほどです。


 昨日ある本を読んでいたら、現代の日本人の理想の食事は「マゴワヤサシイ」だと述べていました。マは豆、ゴはゴマ、ワはワカメやヒジキなどの海藻類、ヤは野菜、サは魚、シはシイタケ、イはイモ類だそうです。何とこれらの食べ物は私たちが不平不満を言いながら子どもの頃に食べさせられた貧乏食の代名詞のような食べ物なのですから驚きです。

 白米は籾殻を食べているようだとよく言われます。食味のいい白いご飯は玄米を加工する過程で栄養のある場所はどんどん削られ、まさに抜け殻のようなものなのです。玄米や麦ご飯の効能はミネラルやビタミンが豊富なのに、それを取り払って美味しい美味しい食べているのですから理解に苦しむのです。それは物のない時代に抱いていた「白いお米のご飯を腹いっぱい食べたい」という願望への回帰かもしれないのです。


 「頭の良い豊かな心の子どもを育てるにはどうすればよいか」聞かれたら、「豆」と答えればよいと思います。頭は豆辺、豊かにも豆が下に書かれているのです。そういえば私が日常食として毎日妻が料理をして食べさせてくれる料理は、「マゴワヤサシイ」を材料としたものが殆どのようで安心しました。人には食べ物に好みがあって好き嫌いがありますが、人のことは別として、私は「マゴワヤサシイ」が大好きなので、これからも健康保持のためにしっかりと食べたいと思っています。

 人間の生命は口から入れる食べ物や飲み物によって保持されます。これまでどちらかといえば食べ物や食べ方に無頓着でしたが、いいことは即始める、悪いことは即止めるを基本に実践したいですね。


  「理想食 マゴワヤサシイ 頭文字 喰えば長生き するのだそうな」

  「頭よく 心豊かな 人になる 豆を食べろと 漢字に表記」

  「今の親 カアサンヤスメ 手を抜いて 子ども育てて 子豚のように」

  「貧乏で 育ったゆえに 元気です 今は豊かで 病人ばかり」 

 

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○人間の心は天気を写す鏡かも知れない

 いつも思うことなのですが、雨の日に憂鬱になるのは何故でしょう。また爽快な青空の広がる日には心まで気分爽快になるのは何故でしょう。ひょっとしたら人間の心は天気を写す鏡かも知れないと思うのです。今日も朝から小降りの雨がぱらつくあいにくの天気です。人間はこれを「天気が悪い」と表現します。国語的には「天気が悪い」と表現しても別に可笑しくはないのですが、よくよく考えてみれば雨が降ったり曇ったりするのは自然現象で、天気のせいではないのですから可笑しい表現だと思うのです。「天気が良い」という表現も同じように天気のせいではないのです。このように人間は愚かにも天気に一喜一憂し、自分の心の在りようさえも天気のせいにしてしまって日々暮らしているのです。

 「店に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」とへそ曲がりな生き方をしている私は、いつも天気の悪い日は大歓迎とばかりに、雨の日の楽しみ方を考えて行動するように心がけています。お陰様にて「今日も雨、憂鬱ね」という妻の言葉を尻目に、今日のような雨模様の日でも、ワクワクしながら今日なすべきことを考えて生きているのです。

 そう考えるようになったきっかけは、母校である宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に出かけた時、佐藤さんという機関長さんが、休めるからと雨や大時化を期待しているように見えた私たち生徒に、「マグロ延縄漁はたとえ雨が降ろうが大時化になろうが満船になるまで休まない。だったら一日も早く満船になるよう雨も大時化も大歓迎と思って働け。そうすれば日々が楽しい。気持ち一つで結果は必ず付いてくる。天に向かってブツブツ言うな。」と諭しのゲキを飛ばしてくれました。機関長のたった一言が私たち実習生の生き方を変え、数日後満船し日本を目指し帰途にこぎつけたのです。

 それ以来私は自分の活動を天気のせいにすることなく生きることが出来ました。天気は宿命でありどうすることも出来ません。むしろその宿命を受け入れ運命としてどう生かすかを考えれば、人生はいかようにも生きれるのです。台風襲来の中で開いた無人島キャンプも、大野ヶ原地球人キャンプも悪天候のお陰で大きな感動を得ることが出来ました。また先日人間牧場で開いた公民館OB会も雨に対する備えや臨機応変な対応で、今までにないようないい思い出を残すことができました。

 天気におののかず、天気のありのままを受け入れて知恵を使えばまたよしです。詩人灰谷健次郎は「雨が降ったら傘さして、傘がなければ濡れてゆく」と詩っています。さしあたり私は「雨が降ったら喜んで、あえて雨濡れ水遊び」てな調子で、これからも心の曇りを振り払って生きて行きたいと思っています。

 そうだあの歌は私の心にぴったりだ。♭雨雨降れ降れ母さんが 蛇の目でお迎え嬉しいな ピチピチジャブジャブらんらんらん」♯・・・・・・・。

  「お天気が 悪いと憂鬱 妻が言う それは間違い 自分に暗示」

  「いい人に 教え請うたと 今思う 四十年も 前の出来事」

  「今日は雨 仕事片付く いい日だと 朝から心 浮き浮きします」

  「雨降って 地は固まらず 緩んでる あちらこちらで 土砂が崩れて」 

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○プリンターの修復

 3年前子どもたちが父の日のプレゼントとして買ってくれたプリンターは、書斎に置かれパソコンに接続されていて、酷使と呼ぶにふさわしい重労働を何の疑いもなく課していました。4・5日前ファックス送りの文章をプリントアウトして送ろうとすると、行間にかすれが出て判読が難しいことに気がつきました。これまでであればこれはもうお手上げの状態で、娘婿や息子に助け舟を求めるのです。最近は緊急駆け込み寺として地域事務所の赤石さんや松本さんの力を借りるずる賢さも覚えて、時々協力してもらっていますが、彼らにも仕事があるので何とかしたいといじくりました。

 普通は弄繰り回した結果元の木阿弥でかえって問題をこじらせることが多かったのですが、今回は見よう見真似でゆっくりと修復に挑戦しました。パソコン熟知の人から見れば他愛のない入門偏でも私にとっては、今まで触ったことのない未知の領域なのです。

 「ヘッドクリーニング」などという文字がやたらと出て、行ったり来たりの試行錯誤を繰り返した挙句、どうにか見事復旧させることが出来ました。その過程ではイエローのインクがなくなって、日曜日の午前中大風の中を単車を走らせて、松前のエミフル内にあるヤマダ電器までカートリッジインクを買いに出かけたり、それはもう涙ぐましい努力をした結果なので、嬉しい結果でした。

 私はプリンターを使う頻度が尋常でないことに、遅まきながら最近気がつきました。それは「お父さんプリンターのインク代も馬鹿にならないね」と、私の財布のお金が時々インク代に消えているのを見て妻が私に言うのです。「要るものは要る」とぶっきら棒に反論していましたが、確かにカーとっ時インクの減りは尋常ではないようです。その原因は3色~4色で書いているブログの記事をプリントアウトするからなのです。


 デジタル情報ですから別にプリントアウトしなくても、DVDに収めておけば場所もとらないしいいのでしょうが、紙文字になれている私はどうしても紙文字にしておかないと、デジタルはいつ消えるか不安に駆られて気がすまない性分なのです。大分県佐賀関に住む旧友渡邊又計さんが、私のブログは文字修正の後全てデジタル化して送ってくれているので、余計プリントする必要はないのに馬鹿な行動をしているものです。

 高知県馬路村に住む旧友木下さんが私のブログ記事をプリントしているのを見て始めたブログプリントも、表紙をつけてもう50冊にもなり、人間牧場の書棚の一角を独占するまでになりました。10年は続ける計画なので結果的には120冊もの綴りができる予定です。

 酷使してきたプリンターは今回無事修復しましたが、はてさてこのプリンターはいつまで持つのでしょうか、プリンターは今や備品ではなく消耗品だというけれど・・・・・・・。

  「自助努力 やったお陰で 復旧す パソコン技術 進化の兆し」

  「気がつけば 酷使し過ぎて 根を上げた だけかも知れぬ 少し大事に」

  「インク代 馬鹿にならぬと 妻財布 補充しながら 釘刺すように」

  「仕方ない ことと諦め インク買う プリンターより 高いインクを」

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○高松で開かれた地域活性化推進連絡会議

 今日は朝から雨でした。今日は午後4時から香川県高松市の駅前にあるサンポート高松で、四国圏ブロック地域活性化推進連絡会議があって、特急いしづちで出かけました。伊予上灘駅から松山駅を経由しようと考えましたが、前日は雨で海岸線が運転見合わせになるなどの混乱があったので、松山駅まで車で出かけ、駅前のキスケ駐車場に車を止めました。JRでは乗車促進のため高松や岡山へ出張で往復切符を購入すれば24時間駐車場が無料になる駐車券を発券する粋な計らいをしてくれるため、運よく切符売り場に本町出身の亀岡さんがいて、そのことを教えていただいたので恩恵に浴しました。

 予讃線の特急は、特急しおかぜと特急いしづちが瀬戸大橋の袂にある香川県宇多津駅まで接続して走り、そこで岡山行きと高松行きにそれぞれ分かれて走る珍しい路線なのです。今日は雨模様に加え平日の昼間なので、乗客もまばらで、隣の席も自分の席のように荷物を置いて大名気分のような小旅行となりました。

 今日はさした役割もないので暢気なもので、ウトウトや読書を決め込んで、すっかりリラックスしながらの旅を楽しみました。お陰様で持参した本を一冊完読することができました。

 雨脚はそんなに酷くはありませんでしたが車窓を濡らし、車窓に流れる風景は一面青田で、美しい日本の原風景はこの青田だともおもいつつ、秋もせず眺めていました。

 このところ美食が進み少し栄養過多のようなので、今日は思い切って昼食を抜くことにしました。どうせ帰宅が10時近くになるから、食の門限と定めている9時以降の夕食となる予想なので、苦肉の策なのです。これまでにも昼食は忙しくて食べ忘れはしょっちゅうでしたが、労働をする訳でもないので、食べ過ぎより一食抜く方が体調保持にはいいようです。

 高松といえばうどんで、駅の構内には「連絡船うどん」という懐かしい名前の立ち食いうどん店がありますが、今日は匂いだけにしようと心に決めて、目と鼻の先にある会場となっている合同庁舎サンポート高松ビルへ向かいました。雨も止んで持っていた傘を開けることもなく歩を進めました。玄関受付で同じ会議に出席する高知大学の坂本先生とばったり顔を合わせました。いつの間にかこの会場もセキュリティが厳しくなり、まるで飛行場のような認証カードを受付を終えていただき、ゲートをくぐりました。このビルにそれほどの安全や情報的価値があるのだろうかと、むしろ行政の閉鎖性を感じたりもしました。

 会議は内閣府地域活性化統合事務局の参事官と企画官が出席し、1時間余り政府の方針を微細に聞きました。政権交代や事業仕分けで事業内容もすっかり様変わりしていましたが、四国地方の活性化に向けた新しい取り組みが机上プランで進んでいることや、それを具現化するために四国内95市町村の状況把握が少し進んでいて、少しだけいつも私が言っていることが進捗しているように思いました。

 会議終了の予定は17時30分だったので、前もって17時50分の列車に乗ることを事務局に伝えていたため、意見交換では真っ先に手を上げ、4~5分程度のショートなコメントを述べさせてもらいました。意見に対する企画官のコメントをいただき、横に座った坂本先生や徳島上勝町の横石さんの意見を聞いたところで17時30分を越えたため、事務局の声賭けで会場を後にしました。

 考えていれば、僅か5分だけ意見を述べるだけのために往復8時間をかけて高松へ行ったのです。でも国の流れを知る上で貴重な資料をいただき、お陰で帰りは企画官の説明した資料を列車の中で読み返しながらある程度理解することが出来たようです。まあいい一日だったと自分を納得させ、雨の中を午後10時に我が家へ到着し、門下野振りの夕食を食べました。


  「久方に のんびり列車 本を読む 車窓流れる 青田見ながら」

  「JR 粋な計らい するものよ 駐車券つき 乗車券買う」

  「門限を 破ってまるで 夜食なる 夕食食べて やっと落ち着く」

  「金がない それは逃げ口 知恵あれば ここは宝の 山のようです」

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○昨日は大雨の土砂降りでした

 何年か前、高知県馬路村へ行って安田川沿いに下った時、ワイパーも効かぬほどの時ならぬ土砂降りに逢い、高知県の雨粒の大きさに驚いたものですが、昨日の朝の土砂降りの雨粒はそれに匹敵するような大粒の雨が、バケツをひっくり返すような勢いで1時間余りに渡って降りました。

 家の周りは時ならぬ雨でまるで洪水のように水が至る所から噴き出して、日ごろは自家菜園用に給水している小さな水の取水口も、流れ出た土砂に埋まって、パイプが外れて取水できなくなったり、また水はけ側溝も水が溢れんばかりに流れて、水音のする小川のようになっていました。

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(溢れるように流れる側溝)

 松山市ではあちこちで浸水被害が出たようで、正岡子規ゆかりの愚陀佛庵は裏山が崩れ、全壊したとテレビで報じていました。私はその直後に会議のため松山市外へ入りましたが、日ごろは水無し川のような重信川も中須は水没して濁流が勢いを立てて流れていました。

 松山市ではこの大雨と登校時間が重なって、大雨警報が出たため休校になった所もあるようです。大雨の被害といえばどちらかというと、過疎地や遠隔地が多いのですが、最近のゲリラ的大雨は都会や中都市でも見受けられ、浸水や土砂災害に意外と弱い盲点も指摘されているようです。


 わが家も今年はつい最近、地下室に水が流れ込み、思わぬ被害に見舞われました。その後片付けをしていてぎっくり腰になって難儀をしたり、その修理のため入院間近な親父の心労も患わせましたが、どうにか一段落したところで、あらためて「天災は忘れた頃にやってくる」の諺をかみしめて、しっかりと防災準備をしなければならないと、思いを新たにしたのです。

 病気が回復した親父は、一日中家にいるため尼がよく降る日などは水害に遭ったら大変と、雨の降る前には必ず側溝の掃除をしたりして対応してくれているのです。昨日も朝の大雨の中を傘を差して鍬を片手に一生懸命掃除をしていました。

 梅雨明け間近を思わせるような大雨も峠を越したようです。今年は今のところ台風の発生が少ないので、そのことが原因しているのか、鹿児島県では猛烈な雨が降り土石流が何度も発生した南大隅のことを気遣いながら、梅雨明けを待っている今日この頃です。

  「少しなら 雨も風情と 思えるが これほど降っちゃ 憎くっき雨に」

  「天災は 忘れた頃に やって来る 忘れるはずも ないほど記憶」

  「雨降って 地が固まると いうけれど 地盤緩んで 裏山心配」

  「もうこれで 渇水心配 ないものと 勝手解釈 雨を悪者」

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○岡山県瀬戸内市からのお客さん

 今日は朝から土砂降りの雨です。テレビのニュースでは伊予市にも大雨洪水警報が出て、伊予~長浜間のJR予讃線は運転を見合わせていて、月曜日の朝の通勤や通学の足に影響が出ているようです。外では梅雨の末期を知らせるようにゴロゴロと雷が鳴り、何となく憂鬱な朝を迎えています。雨が降るとわが家のように背後に急な斜面を持った所に家が建っていると、土砂崩れがありはしないかと、いつもビクビクするのです。わが家の裏山は2度にわたって崩れた前歴があり、雨が降れば親父は側溝の掃除や見回りを怠らないし、妻も雨具を用意して災害に備える周到さなのです。さりとて雨でも予定のスケジュールは入っていて、今日は委員を務めている愛媛海区漁業調整委員会が午後予定されているので、出かけなければなりません。

 こんな雨の多い時期ながら私は意外と晴れ男で、昨日も多少小雨がぱらつきましたが、岡山県瀬戸内市から商工会青年部の皆さんが視察に来られたものの、午後からの研修中は雨にも会わず無事終えることが出来ました。昨日は参議院選挙の投票日だったため、町中が何かざわざわしているような感じでした。

 シーサイド公園へ少し早めに出かけ待ち合わせていると、「若松さんじゃない」と、10人ほどの奥さん集団が私を目敏く見つけて声をかけてくれました。確かに見覚えのある女性が何人かいましたが、私が対応する予定の集団でもないので、雑談めいた話をしました。聞けば宇和島市下波の漁協女性部の皆さんです。前日宇和島へ講演に行ったばかりなので、宴の深さを感じながら持っていたデジカメで近くにいる女性の皆さんを写真に収めました。

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(声を掛けられた宇和島市下波漁協女性部の皆さん)

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(下灘駅のプラットホームにて)

 少し早くついた岡山県瀬戸内市商工会青年部の皆さんと落ち合い、下灘駅~人間牧場~翠小学校~私設公民館煙会所・海の資料館海舟館と巡りました。研修なので人間牧場では少し長めに時間を割いてまちづくりについてのレクチャーをさせてもらいました。

 下灘駅では揃いのTシャツを着た若者が、フーテンの寅さんが寝そべったことのあるプラットホームのベンチで、全員が後ろ向きに座り面白い写真を撮りました。この写真はひょっとしたらキャンペーンポスターに使えるかもしれないとひらめきました。研修では若手らしく色々な質問を受けましたが、どの町も商工関係は厳しいようで、身につまされる話をいっぱい聞きました。

 負を持っている、つまりマイナスを抱えているということは、プラスに転じる運命を持っています。マイナスをまるで振り子時計のようにああでもないこうでもないと嘆いてばかりではどうにもなりません。何かのヒントではずみ車になることが大事です。その点夕日によるまちづくりは見本のようなものだから、私の失敗や反対を大いに学んで欲しいと熱弁をふるいました。青年たちのみなぎる若さを感じ取ることが出来たいい一日でした。

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(人間牧場水平線の家のウッドデッキにて)

  「視察来た 若い人から 出るオーラ 土産に貰い 元気再生」

  「面白い 背中そろえて 写真撮る キャンペーンポスター 見ているようだ」

  「『お元気』と いきなり声を 掛けられる ぴちぴちギャル? 色気溢れて」

  「人が来る 度に牧場 山登り 日課のように 行ったり来たり」

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○送られてきた写真に疲労の後が写っていました

 先日7月8日に遠路はるばるやって来た島根県西ノ島町の角市正人さんから、お礼のメールに写真を添付して送ってくれました。またその模様は「牧畑」という自身のブログにも記事とともに紹介していました。私も明くる日のブログにその模様を自分の撮った写真とともに紹介しましたが、私の撮影した写真と角市さんの撮った写真では撮るアングルが違うので、考えさせられることが多くありました。


 まず角市さんがエールで述べているように、写真を見ると少し自分自身がお疲れモードで写っているのです。そういえば7月に入り自分自身が主催に加わる大きな行事が重なって疲労困憊していました。特に3日の子ども体験塾は雨のために一週間延期しての開催となったり、子どもたちを底引き網に体験させるため子どもたちと一緒に漁船に乗り込みました。また休む間もなく明くる日の4日には県公連OB公友会が人間牧場であり、妻と二人で準備や後片付けに追われました。

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(疲れたのか背もたれ椅子に座って説明をする自分の姿)

 写真にはそれらの姿がものの見事に写っていて、思わずハッとしました。象徴的なのは上の写真です。説明するのに背もたれ椅子に座っているのです。いやあ大失態です。人間は悲しいかな鏡に写さない限り自分の顔姿を見ることはできないのです。

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(わが家の海舟館で展示資料の説明をする私)

 上の写真も何気なく左手を展示ケースに手を置いて喋っています。またこの写真を少しアップすると、げっそりしているようでした。うーんまずい。さすが角市正人さん、鋭くお疲れモードを捕らえられてしまいました。早速修正せねばと思った矢先、明くる日は今治経済研究会と家庭教育のダブルヘッター、一昨日は宇和島出張、昨日は瀬戸内市商工会の来町などなど、休む暇がないほど忙しい週末を過ごしました。命あっての物種なので、角市さんのいうように、いつまでも若くはないのでしっかりと休養をとって頑張ろうと思いました。


 折角なので角市さんが送ってくれた写真をブログに記念写真としてアップしておきます。

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(夕浜館で食事をしながら説明をする私)

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(翠小学校ギンモクセイの緑陰にて)
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(下灘駅のプラットホームで)
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(玄関先で挨拶する妻)

  「人撮りし 写真に写る 自分見て お疲れモード これはいかんな」

  「いつまでも 若いと思って 無理してる 少し休めと 信号点滅」

  「世の中も 変わったものだ 写真直ぐ 手元に届く 西ノ島から」

  「さすが友 疲れ見抜いて 忠告を 写真に収め それとはなしに」 

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