shin-1さんの日記

○日本ミツバチ蜂蜜採集作業①

 何が原因か分からないもののつい最近、ミツバチの数が激減したというニュースを3年前に聞きました。その話で多いに盛り上がった挙句、こともあろうか人間牧場でミツバチを飼うことにしました。高知県馬路村へ講演に出かけた折、立ち寄った農家のおじさんにミツバチの飼育箱を二つ貰い受け、その気運は益々高くなったのです。しかし肝心の種蜂も、ミツバチ飼育の知識もなく、まるで手探り状態でした。幸運にも地域づくり人養成講座でミツバチに詳しい野村町山奥組の井上登さんと出会い、種蜂の嫁入りや分蜂準備まで全てご指導いただいて、初年度の昨年は1つの巣箱から4升もの蜂蜜を採集したのです。

 初めてにしては上出来の成果に甘い味を占めた私は、今年さらに2個も巣箱を増やし、計6個でスタートしました。幸いにも人間牧場は4個とも、自宅の裏山では2個のうち1個に分蜂して、毎日観察が楽しみになり俄然張り切りました。私のそんな姿に呼応して蜂たちも巣箱の入り口で集団でたむろするなど、期待は嫌が応にも高まって、そろそろ採蜜をと目論んだのです。

 ミツバチ師匠の井上登さんとあらし山山荘で開いた年輪塾で決起の日を7月30日と定め、昨日の夕方打ち合わせをして、今日の10時から作業を開始することにしました。

若松進一ブログ
(昨年から越冬していた重箱型巣箱は巣落ちしていました)

 準備をして人間牧場へ行くと井上さんは既に到着して待っていました。はやる気持ちを抑えるように井上さんはまず手始めとして、「練習のつもりで重箱方巣箱から始めることにして、観察しながら上の一段目、2段目とテグスで巣を切ったりしましたが、井上さんが心配していた通りこの巣箱は既に巣落ちしていて、採蜜は殆ど出来ませんでした。最初から出鼻をくじかれた感じがしました。

 次のターゲットは水平線の家入り口付近の巣箱です。ここのミツバチは柿の木に分蜂したものを、私が米袋に入れて定着させたものなのですが、巣箱の重さも今一で余り期待が持てませんでした。今回は家の裏山に設置しながら空き家となっている巣箱を持参して、その巣箱にミツバチを移動しようとの作戦でした。思わぬ抵抗にあって難儀をしましたが、まあそこそこ移転は成功したようです。去年は蜜を採集した巣箱はその後空き家となっただけにひとまず安心でした。

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(巣から飛び出しヤマモモの大木に群れているミツバチ)

 採蜜をしている最中に教育委員会の松原さんと近所の西嶋さんが見学にやって来ました。すると間もなく重箱方巣箱のミツバチが突然空中を飛び始め、やがて裏山のヤマモモの木に群れをなして止まりました。高さ4メートル以上もある場所なので、捕まえることは容易でないと諦めていましたが、みすみす逃がすことも出来ず、私は井上さんが下から見守る中米袋を持って木に登り、足場の悪い中必死でミツバチを袋の中に落とし込みました。それまでは対抗しなかったミツバチが袖口から4~5匹進入し、右腕を2ヶ所刺されてしまいました。幸いなことに腕だったので少し腫れた程度の災難でした。米袋のミツバチは先に蜂の巣を落としたものに入れ替え、中へミツバチを誘導しましたが、何とか営巣しそうな雲行きでした。


  「二年目の 自信過剰が 裏目出て 二箇所刺されて 泣きっ面」

  「二年目の ジンクスどおり 散々な 結果終わりて 高見山関」

  「分蜂の 群れを平気で 米袋 捕まえ入れる 猿のようだと」

  「師匠いて しっかりサポート してくれる お陰安心 一人じゃとても」 

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shin-1さんの日記

○4、巧言令色鮮矣仁

 論語日めぐりカレンダーの4に「巧言令色鮮矣仁」(学而第一・陽貨第十七)というのがあります。論語読みの論語知らずという言葉の通り、私のような浅学なものでも子どもの頃からこの言葉はよく知っていましたが、はてさて言葉の意味はそんなに教わることもなく今日まで過ごしてきました。「こうげんれいしょく すくなしじん」と読み、「心にもないお世辞を言ったり、お世辞笑いをする人は人徳が少ない」との教えです。

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 はてさて私たち人間には、お世辞を言って相手に媚を売る甘口人間と、絶えず相手に反論する辛口人間の二つのタイプがあるようです。強いて言えばその中間的な甘口と辛口を使い分ける人間もいるようですが、格好よく言えば私は甘辛併用、悪く言えばどちらつかずかもも知れないと一人苦笑するのです。相手に対して自分の考えを述べることは生きていく上でとても大切なことなのですが、相手に気に入ってもらおうと思い、殊更にお世辞を言ったりすることは厳に慎まなければならないことだと思うのです。

 私のようにまちづくりに深くかかわり、私設公民館煙会所や人間牧場を自費で造って来る人拒まずの暮らしをもう40年近くやっていると、沢山の人が訪ねてやって来ます。その度に相手と意見を戦わせ、時には大多数の人をも相手にしてきましたが、心の病の淵をさまよって救いを求めてやって来る人や、大きな人生の壁にぶち当たって失望し、その壁やトンネルを越えたり抜け出す手立てを求めてやって来る人には、時として甘口、時として辛口を使い分けながら対応してきました。

 私のようにある程度の年齢を重ねて、少しばかり色々な人の心を読みと取れるようになってくると、相手が殊更に心にもないお世辞を言ったり、お世辞笑いをする人の言動をある程度見抜くことが出来るのです。

 昨日人間牧場で座談をしていると、「若松さんは何故政治を目指さないのですか?」と唐突な質問がありました。勿論それは私の力を過信した巧言令色なのでしょうが、私は「政治家は巧言令色の人が多いように思うので、そんな人にはなりたくない」と、少しだけ強がって見せました。

 確かに私には政治家になるほどの実力はありません。しかも政治家のように言葉巧みに巧言令色を使い分ける便利な生き方が出来ないのです。私はこれまでにも選挙の度に田舎の政治ながら、「政治家にならないか」と誘われてきました。断る言葉が見つからず、「選挙に出るのだったら離婚すると妻に言われているので・・・」とお茶を濁してその道への誘いをすり抜けて来ました。結果的には正解で、私のある友人のように一度二度当選してヒーローになってもその後の落選で全てを失い凋落の日々を過ごしているのです。

 私には子どもが4人います。子育ての最中には子育ての手法として、時には優しく抱きかかえるように、時には厳しく突き放すように巧言令色的な言や態度を使ってきましたがこれは許される範囲で、どうにか人並みな普通の社会人に育った子どもたちを見て反省はせず、むしろ良かったような気もするのです。

 これからも「巧言令色鮮なし仁」を心の戒めとして、人に接したいと思いました。


  「日めぐりに 巧言令色 鮮なし仁 今日の言葉と 拳拳服膺」

  「人徳は 日々の精進 積み重ね 今日より明日 いい人目指す」

  「また一つ 自分戒め 今日言葉 論語読みにて 論語も知らず」

  「論語から 学びて時に 之習う わが子無理でも 孫に教える」

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