shin-1さんの日記

○早朝のジャガイモ堀り

 梅雨に入り日中は25度を越す湿度の高い気温となって、わが家の羽毛布団は押入れの中に消え、いつの間にかタオルケットのような掛け布団に変わっています。眠ったり起きたりするため布団の中で過ごす朝晩は、寒くもなく暑くもなく、初老の私たち夫婦には一年中で一番いい時期かも知れないのです。

 梅雨の晴れ間だった一昨日は、畑の中に掘り残したジャガイモを掘らなければならず、親父にとっても気が気ではないらしく、再三「いつ掘る」「早く掘れ」と催促するのです。私もこのところ忙しいので無視していましたが、脱腸手術日が地被いた親父にとっては気になるようなので、結局朝早く起きて出張の前ながらジャガイモ堀をしました。

 わが家では2月にメークイン、男爵、キタアカリという3種類の種芋を植えましたが、今年は春先の天候不順でジャガイモの芽の出が遅れ、やっと出た新芽も寒波にやられ、その後回復もしないまま引きずって収穫期を迎えてしまったのです。ゆえに茎の状態から収穫量は掘る前から余り期待していませんでした。メークインもキタアカリも芋が小さかったのですが、一昨日掘った男爵は予想以上の大きさと収穫量で、先日収穫して軒に吊るしたタマネギとともに、一年分の食料は確保できホッとしています。これを見ていた親父も安心したのか、「これで心おきなく入院できる」と喜んでいました。


 新タマネギも新じゃか芋も美味しくて、このところの食卓にはタマネギとジャガイモを使った料理が、毎回これでもかというほど並ん出います。私にとってジャガイモもタマネギも大好物な野菜なので、少し食べ過ぎるほど食べています。卵より一回り小さいジャガイモは塩茹でにして夕食に出してくれます。茹でだちの熱々はホクホクしてとても美味しいです。本当はバターやマーガリンをつけて食べると美味しいのでしょうが、妻のコレステロールが少し高めなので、今は塩分、糖分、油分などを減らした食事に心がけていて、慣れれば素材の味が感じられ結構美味しいようです。明日は日曜日なので妻は傷ついたり小さいジャガイモを使ってコロッケを作る予定のようで、易尼からその味が楽しみです。


  「早朝の 二時間ばかり ジャガイモを 掘って汗だく シャワーを浴びて」

  「このところ 食卓飾る ジャガイモと タマネギ多く お通じ抜群」

  「バターなど 使わぬ料理 慣れました コレステロール これで改善」

  「一年分 食糧確保 倉庫には ジャガイモ眠り 軒にタマネギ」


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shin-1さんの日記

○壊れたかも?知れない電光掲示板

 この3年近く、私を最大限にPRしてくれた電光掲示板が突然「NONE]というエラー文字を表示して、3日前から動かなくなってしまいました。原因はデジタルに弱い私には知る由もなく、ただ今悶々の日々を過ごしているのです。元々この優れものの道具は、年輪塾のメンバーであるNPO元気!プロジェクトの加藤徹さんから、塾頭清水さんを通じていただいたもので、私がPR役として一役買うため落伍人型パネルとセットで、ちょっとしたチラシにまで登場しているのです。

若松進一ブログ

 こんな顔の利かない私でも日本全国回っている、と引き合いや問い合わせも何件かあって、加藤さんの所へ商談を持ち込みましたが、はてさてこの電光掲示板が壊れたかも知れないので、加藤さんや清水さんに連絡して、ちょっとした騒動を起こしてしまいました。何せ「動く広告塔」を自認する私にとって、この電光掲示板は珍しいこともあって行く先々で話題を振りまいていたのですから、それがなくなると思うと少々寂しい気もするのです。道具には人間と同じく寿命があって、壊れるのは当たり前なのですが、優れものだっただけに酷使したことを少々恥じています。

 この電光掲示板がデビューしたのは宇和島を主会場に開かれた全国地域づくり団体交流大会でした。私が実行委員長を務めていたこともあって、宇都宮民アナウンサーとともに大会パネルディスカッションのコーディネーターを努めた折、この電光掲示板をネクタイにつけて出たため、大きな反響がありました。またこれをつけて大阪道頓堀をおもしろ半分に歩いていたら大阪のおばちゃんに呼び止められて、それがご縁でそのおばちゃんたち10人が、夕日見学ツアーにはるばる双海町まで一泊二日でやって来る事業効果まで出ていたのです。


 故障なのか、修理可能なのか、はたまた廃棄処分なのか、まだ原因と結果が分かりませんが、早急に対応して結果を出し、また電光掲示板を活用して動く広告塔として活動したいと思っています。人間は不思議なもので、空気でもあればその存在に気付かないし、家族だっていつも鯖にいるからその存在意味さえ感じなくなって日々を過ごしているのです。空気や家族とは多少意味が違いますが、私にとって電光掲示板は最早なくてはならない持ち物になっていたことを、ここにきて初めて気がつきました。


  「三年間 私の武器で 活躍す 電光掲示の 文字が消えたり」

  「なくなりて 初めて分かる 有難さ 早急対応 復旧せねば」

  「電源は 訪ねる爺に 心電図 笑い飛ばした 日々が懐かし」

  「灯が消えた 意気消沈の 私見て 神や仏は 何を思うか」

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