shin-1さんの日記

○真新しい貯金箱を買いました

 昨年暮れに貯金箱を壊して一年間貯めたお金を回収し、冬のボーナスとして活用した後そのままになっていた、新しい貯金箱を、昨日の休日松山へ孫を連れて行ったついでに、百円ショップのダイソーに立ち寄り買い求めました。今年の貯金箱は昨年のものより少し大きめの缶詰タイプで、表面に「目指せ!30万円、缶BANK]と黒い文字が書かれています。この缶に500円玉が一杯だと約30万円/100円玉だと約8万円だそうで、目標としては申し分ないのですが、さてこの中へ入れるお金の余裕があるかどうかが問題なのです。

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 役所を退職し、毎月決められた給料が入らなくなって5年近くが経ちました。その間基礎年金のみで年金が満額出ない時期もあって、家計のやりくりに追われた妻は大変だっただろうと思うのですが、どうにかその難義も乗り切り今日を迎えていますが、夏と冬のボーナスが出る時期になると、ボーナスが出た昔を懐かしんでいるのです。でも懐かしんでばかりでは鼻血も出ないので、何とか工夫をと妻と相談して始めたのがこの貯金箱貯金なのです。最初は嫌がって乗り気でなかった妻も今では年末23日の開封日が待ち遠しいようで、やってよかったとしみじみ話しています。


 昨年末開封した金額は私と妻の二人だけの秘密なので公表することはできませんが、私たち夫婦にとってはまるでサンタクロースがやってきたような喜びでした。今年の年末にも金額の大小はあれ、同じような楽しみが待っているのです。

  これとは別に私の貯金箱も、そして孫たち4人の貯金箱を既にスタートしています。ことしもいい貯金ができますように祈っています。


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○電子レンジで作った温野菜に舌鼓

 わが家の電子レンジは20年以上も使っている古いものでした。電子レンジが出回り始めたころは「夢の調理機」として持て囃されてかなり高かったようですが、今は一般家庭に普及して料理を楽しむ人にとっては欠かせない道具になっているようです。その電子レンジが年末に故障してしまい、正月帰省していた長男の力を借りて思い切って買い換えました。金額的にも臨時出費と意識するほど高くはなかったようです。

 私にとって電子レンジはものを温める程度にしか使えませんが、妻はこの際とばかりに使い方のカタログを読んでいました。そして昨日は自家菜園から採れた新鮮な野菜を使って温野菜づくりに挑戦し、その成果品が昨晩の食卓に並んだのです。サツマイモ、秋ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、ブロッコリー、キャベツなどなど、まるでレシピの中から飛び出してきたような色とりどりの温野菜に、思わず目を見張りました。ご馳走づくめだった年末年始も終わり普通の食生活に戻りましたが、わが家では夫婦そろってお餅が好きなため、朝は殆ど毎日雑煮を食べています。そんな所へ温野菜の出現とあって久しぶりに野菜本来の旨味をたっぷり味わうことができました。

 私はどちらかというと草食です。草食といっても今流行りの草食人間ではなく、肉を余り食べない野菜の好きな草食なのです、ゆえに三度三度の食事は野菜中心です。その好みは10年前胆のう摘出手術をしてからひどくなり、今は肉など殆ど食べないのです。その嗜好の変化は65歳を迎えた高齢者にはむしろ好ましいことかも知れないのです。

 わが家の菜園には昨日も数えてみましたが、大根、カブ、チンゲンサイ、ブロッコリー、カリフラワー、ネギ、白菜、キャベツ、ホウレン草などに加え、サツマイモやジャガイモ、タマネギも沢山倉庫に囲っていて、妻の手料理で毎日の食卓はバラエティに富んでいるのです。

 昨日前日から泊っていた孫を連れて娘の家へ行ったついでに、空と森という温浴施設へ妻と二人で行きました。久しぶりに温泉やサウナで汗を流しリフレッシュしました。その折立ち寄ったレストランでトマトのサラダを食べました。トマトを一個輪切りにしたものに酸味のあるドレッシングをかけていましたが、風呂上がりだったためとても美味しく食べました。

 年末に伊予市の水口さんから2箱もトマトの立派なものをいただいていたので、早速温泉で食べたトマトサラダをノンオイルのドレッシング仕立てで妻が調理して食べましたが、これがまたとても美味しく、食材は料理の仕方でどのようにでもなると実感したのです。

 私は残念ながら料理などはせず、むしろ評論家として「美味い」「まずい」などと口上を垂れるだけなのですが、できれば時々妻にも美味しい料理を食べさせて、美味しい料理を一品増やして欲しいと思いました。


  「結婚し 何より満足 妻料理 顔はほどほど これでいいのだ」

  「菜園の 野菜料理で 変化する 美味しい故に 少し食べ過ぎ」

  「レストラン 行かずも料理 美味いから 外食減って 一石二鳥」

  「今晩は 何が食卓 登るかな? 今日から出張 少しお預け」   

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○嘆かわしや荒れる成人式

 「私は成人式にもう20回以上出席しています」と言ったら、「えっ」と首をかしげる人が多いに違いありません。若いころは教育委員会に勤めていて成人式を担当し13回も出席しました。加えて主に田舎の町の成人式の、今は殆ど見かけなくなった記念講演に招かれて、新成人の前でお話を10回以上しています。さらに23歳の時NHK青年の主張の県代表に選ばれ、地元の新成人たちの前でもはん発表をしたのと、自らの成人式に出席したのを合わせると20回以上になるのです。

 私たちが若いころの話をすると、「ああ歳だ」と思われそうですが、当時の青年たちは純情そのものでした。私の町では昭和40年代から和服禁止の洋服成人式が長く続きました。何十万円もする和服は成人の旅立ちには馴染まないと、人を思いやる心を育てるために始めた成人式の簡素化運動でしたが、新成人も多少不満はあってもみんな明るく参加してくれていました。

 成人の日は1月15日で国民の祝日と決まっていました。ゆえに日本国中が国旗を立てて成人の日を祝ったものです。今は祝日が変わって、「えっ、成人の日は何時だったかしら?」と首をかしげる年もしばしばなのです。私は双海町の成人式のけなげな姿を随分マスコミに宣伝し、時には双海町民会館で南海放送の「新成人を囲んで」という特別番組まで招聘したり、新成人のために婦人会が中心になって朝早くからオードブルを作ってもらい、立食パーティまで企画実施して、それは和気あいあいの成人式でした。

 当然新成人たちもそれに応えて、「新成人の主張」などに応募し未来の夢を大いに語ってくれたものです。合併後30年以上経っても合併事情があって、下灘・上灘を交互に会場を変えたことも今は過ぎ去りし懐かしい思い出なのです。

 私は高校を出ると直ぐに、ガンで倒れた親父に代わって家の跡を継いで漁師になっていましたので、成人式用の背広は、地元の梶野洋服店の大将に作ってもらいました。これが私が背広を着た最初なのです。しかし背広と革靴、ワイシャツはこうして母親が用意してくれましたがネクタイを買うのを忘れて、近所にする松山のお店に勤めている同級生に頼んで好みなど全く無視して買い求めて貰いました。

 しかし成人式当日時間ぎりぎりになってもネクタイを結ぶことができず、結局は親父が私のネクタイを、まるで草鞋を作るように足の親指に引っ掛け、結んで首に入れてくれました。それでもあの晴れがましい成人式の思い出は、あれから45年経った今もはっきりと覚えているのです。

 当日は成人式が終わると列車に乗って皆で松山まで映画を見に行ったり、その夜は青年団員だったため、青年団主催の祝賀会に招かれ、随分お酒を飲まされメロメロうつろな一日でした。


 昨日テレビを見ていたら、全国各地の成人式が再び荒れている様子が映し出されて、呆れてものが言えなかったり、腹立たしい思いをしました。成人式の起こりは戦後間もない1946年ごろ、埼玉県蕨の青年団が新成人のために成人式を始めたのが始まりとされていますが、その崇高な精神を無視して、まるでバカ殿様のような紋付袴で成人式に参加して、酒は飲むは、私語はするは馬鹿騒ぎはするは、挙句の果てに壇上へ上がってあいさつをしている主催者まで小突くというあらん限りの悪ふざけをするのです。

 暴れる新成人の顔は人権的にモザイクや霞をかけていましたが、人の人権を無視するような人間の人権まで守らなければならないのか?とマスコミ対応へも個人的疑問を感じたりしました。どこかの街では新成人を祝おうと子どもたちが合唱団を組んで応援にかけてけていましたが、その前で堂々と暴れて生き恥をかく姿は言語同断で言葉もありません。まさにこの若者たちを育てたり、知らずにやり過ごす「親の顔が見てみたい」心境です。


 このままだと「成人式を止める」自治体も出てきそうです。いつの時代も物事を対処法で処理するから、主催する教育委員会は重い荷物を待たされ、形式的には運営に若者の参加を促す方法を取って、見て見ぬふりをするのでしょうが、普天間基地問題も大事、子ども手当も大事ですが、この若者たちに日本の未来を譲らねばならないのですから、成人式の荒れ方はそれ以上に大きな社会問題だと思うのです。

 成人式に名を借りた政治家の顔を売る政治活動の場となっていた、葉の浮くようなあいさつづくめの過去の成人式も振り返りながら、一人では何もできないくせに集団になると暴徒化する、まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」という今の若者の心を、どうこちらに向けさせるか、悪ふざけをする新成人は少数だけにいよいよ正念場といったところです。

  「バカ殿の ような格好の 新成人 テレビ番組 見ているようだ」

  「普天間も 大事なことと 思いつつ 荒れる成人 ほって置くのか」

  「この国は どこか可笑しい 思いません? 私は思う 何とかせねば」

  「わが息子 だったら頭 ぶん殴る そんな気持ちの 悲し一日」

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○人間牧場次の目標

 「お父さん、次は何にするの」と、人間牧場を作る時「私を撒き込まないで」と言ってた妻が、どう心境が変化したのか言うのです。かまど小屋が完成し思わぬ出費で懐が空になったという私に、「お父さん、もうすることはないよね」と言ってた妻とは偉い違いです。今では知人友人に「いいかまどができたのよ」と自慢している姿を見ると、どうやら妻を完全に巻き込んでいて、私の作戦は成功しているようです。

 さて、水平線の家・ロケーション風呂・農場・ツリーハウス・赤トンボの家・かまど小屋と続いた人間牧場の5年整備計画は目標通り一通り終息を見ました。これらの活用プログラムも既に始まっていて、いい雰囲気でスタートが切れました。

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 妻が言うように「次は何」と仲間から尋ねられますが、ほんの小さなツリーハウスと炭焼き窯を作りたいと思っています。ツリーハウスも炭焼き窯も投資金額は各1万円程度、つまり限りなくゼロに近いもので、手造りです。ある意味人間牧場の調度品程度、ベニヤ板一枚程度の広さを想定しています。

 ツリーハウスは人間牧場の枝分かれした杉の木を使いたいと思っています。まあ木の上に犬小屋が乗っているようなイメージです。炭焼き窯は苗床の直ぐ横の畑の斜面を掘って半地下にしたいと思っています。まあ畑の隅に小さなゴミ焼却場を作るようなイメージです。耐火レンガなどを使うと高くつくので、ホームセンターで安いコンクリートブロックを買ってきて周囲を囲い天井は鉄板を使いその上に土を被せるという構造です。私は絵心がないので上手く頭に浮かんだことを絵にすることはできませんが、絵にするとより具体的に夢が膨らむので、いつものことながら今朝絵に描いてみました。笑わないでください。

 この計画は今年の目標である人間力向上のための10の力のうち「⑨企画力」です。願わくばこの二つのささやかなプロジェクトは今年いっぱいを目途にしたいと思っています。さて上手くいくかどうか、まあ何でもそうですが、こうして夢を頭の中に描いている間が楽しいのです。私の発想は全てこのような手法でやって来ました。夕日も、シーサイド公園も、人間牧場も色々と夢の絵を描き自分の部屋の壁や天井にに貼りつけイメージトレーニングするのです。そうすればいつか夢は叶うのです。

 妻が「父さんはやることなすこと少年のままだね」と笑いながら言いますが、「お父さん、次は何をするの」の「何」が少しずつ見えてきたようです。


  「次は何? 突然妻が 聞いてくる しめしめ俺の 作戦当たる」

  「下手糞な 絵でも自分の 夢描く 実現するなら これもまたよし」

  「絵も描けぬ 歌も歌えぬ 俺だけど 夢は沢山 あり過ぎ困る」

  「これからは 金をかけずに 自らが 鋸と金づち 使って作る」

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○薪割り終わる

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(薪割りを始める前のクヌギの木)

 軽四トラックに2台も人間牧場に運び込んだクヌギの木の山を見て、はてさてどうしたものか思案しました。生木な間に処理をしなければ割りにくいことも長年の経験から分っているものの、一人で割るのには少々多過ぎるのです。でも今年の目標達成のために掲げた「人間力向上のための10の力」の中に、「②行動力」というのがあるので、まずそれを人に頼らずやってみようと決意して、前日の午後から昨日にかけて始めました。

 年末年始に温存していた体力を生かして、最初の一日は面白いように仕事がはかどりました。しかし作業が進むにつれて、マサカリを振り上げる力が衰え始め、特にクヌギの根元である大きな木や、小さい木、それに節くれだった部分は何度マサカリを入れても跳ね返され、難儀が続きました。

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(勢いよく燃える枯れ木)

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(今回の薪割りに使った大きなマサカリ)

 こんな倍は気分転換とばかりに、夏の間畑の隅に集めていた杉の枯れ木を集めてたき火をしました。昨日は風もなく穏やかだったので枯れ木は勢いよく燃えるのですが、この枯れ木は畑の一番下にあるため急な坂道を持って上がるのは大変で、火が燃え終わるのを見計らって10回ぐらい運び燃やしました。お陰で春から夏にかけて草を刈る時邪魔にならないで済むように片づきました。

 昼ごろ私が農地を貸している稲葉さんがトラックで様子を見にやって来ました。稲葉さんは途中わが家へ立ち寄って、私が薪割り作業をしている旨を妻から聞いたのだそうです。妹の経営するくじらというお店で買ったたこ焼きを2パック持参していて、休憩がてら二人で食べました。妹からの差し入れ稲荷寿司も届いて、これで昼休みを返上して作業を続行できると内心喜びました。

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(稲葉さんと四国犬の「からし」)
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(樹齢50年生のクヌギの一番大きな根元)

 稲葉さんは畑仕事の友にするため、つい最近軽四トラックと四国犬の犬を手に入れたそうで、車の中から元気な子犬が出てきました。猟犬とかで名前を聞いて思わず吹きだしてしまいました。稲葉さんの畑では昨年唐辛子が大豊作で、病害虫や鳥獣被害に遭うことなく収穫したようで、私にもおすそ分けを何回かいただきました。その名前にちなんで「からし」と命名したそうです。猟犬なのでいずれ気性が激しくなれば「唐辛子」と「唐」を冠につけるかも知れない笑っていました。

 黙々とただひたすら薪割りを続けた結果、手が少ししびれてきました。また割り木が勢いよく飛んで来て足にも当たり、思わず顔をしかめるほどの痛さにも出会いました。さらに軍手をした手の平に豆のような異変が起こりつつある傷みも自覚し始めましたが、スピードを緩めながら、何とか午後4時過ぎに、薪割りの土台に使った大きな切り株を割って、ついに全てを割り終わりました。

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(割り終わったクヌギの木)
 自分の目の前にうず高く積まれた割り木の山を見て、凄い仕事量をこなした満足感に浸りながら、周辺を片づけました。この年齢にしてこの仕事量です。昨日一日の「②行動力」で、右肩下がりのように思っていた体力も少し自信のようなものが復活したような気がして、どこか清々し感じがして嬉しくなりました。

 薪にした割り木はこのまま天日で乾燥して、今月中に前回と同じように軒先に綺麗に積み上げたいと思っています。軒先に薪を積んだ風景がこれまた人間牧場の田舎らしさを演出すると、今から楽しみにしていますが、薪積みは前回同様人介戦術なので浜田さんに協力いただきたいと思っています。

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(今回の薪割りの記念写真です)

  「長靴が 足を守って くれました 怪我なく終わり ホッと一息」

  「体力が 右肩下がり 思ってた 仕事なし終え 少し自信が」

  「この薪で ストーブ・かまど 風呂・たき火 燃料確保 昔に戻り」

  「昨晩は 疲れていたか 床につき 妻の存在 気づかず眠る」

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○孫と夕日を楽しむ

 「おじいちゃん、シーサイド公園へ夕日を見に行こう」と、前日から泊りに来ていた孫たちに誘われて、山仕事から帰った野良着そのままで夕方出かけて行きました。昨日まで吹き荒れた季節風も止み、穏やかな夕暮れでした。短かった陽足も正月が過ぎてから少しずつ長くなって、今はもう5時半くらいまで西の空が明るいのです。

 昨日の夕日夕焼けは今年に入って一番ではないかと思うくらい綺麗でした。冬至から北寄りに変わって行く日没の場所ももう長浜より少し海に出た場所に沈むようになりました。風もなく少し肌寒い感じはしましたが若いカップルや家族連れが何組も思い思いの場所で夕日を楽しんでいました。

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 「おじいちゃん小腹が空いたね」と、小さい孫らしからぬ言葉にドキリとしながら、ラブじゃこ天を買いに走りましたが、残念ながらもう売切れだそうでがっかりです。特産品センターに入ってトラの格好をしたほかほかの肉まんを二つ買い求め、ベンチに座って沈みゆく夕日を見ながら孫たちは肉まんをフーフーいいながら美味しそうに口にほおばっていました。

 同級生の娘さんが子どもを連れて散歩していて、孫たちは砂浜に下りて一緒に貝殻を探したりして遊んでいました。顔見知りのじゃこ天のおばさんたちが出来たてのドーナツをプレゼントしてくれましたが、肉まんを食べた後の祭りでした。

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 やがてクリスマスから恋人岬を照らしているLEDのカクテル光線が岬の鼻のモニュメントを照らすようになってきました。モニュメントが刻々と微妙な色調に変化して行くのです。「何故、どうして」と孫たちは色の変化に気づきながら私に質問しましたが、LEDなどといっても分らず、余り詳しい説明もできませんでした。

 でも身近な場所にある夕日鑑賞のスポットで自然現象とは言いながら沈みゆく夕日を観れる機会を得ることは、孫たちの成長にとってとても意義あることだと思いました。これからも折に触れ見せてやりたちと思っています。


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  「シーサイド 孫に誘われ 夕日見る これぞ爺が 育てた逸品」

  「夕日より 肉まん欲しい 幼子の 顔を夕日が 真っ赤に染めて」

  「何故赤い 孫の質問 鋭くて 詳し説明 しても分らず」

  「ゆっくりと 渚を散歩 砂浜に ついた足跡 波が打ち消す」

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○50年生のクヌギを薪にするための大作業

 今年の冬は薪を確保するため友人の井上さんにお願いしてクヌギの木を切らしてもらい、最低限の薪を確保しましたが、井上さんと同じく公民館長の宮栄さんにも頼んでいたため、公民館の赤石さん、それに宮栄さんの近所に住む宮田さんにも協力を得て、大きなクヌギの木を切りに、宮栄さんの山へ出かけました。

 宮栄さん宅の直ぐ裏山に宮栄さんの墓地があって、その切り立った断崖の上のクヌギの木を切ろうという作戦なのですが、その場所が梯子も届かない5メートルもある断崖、足場が悪くて作業が危険、下手をすると切り倒した木がお墓を直撃するなどなど、幾つもの不安材料が重なってかなりハードな作業になることを自覚しました。

 梯子で上がることを断念し、迂回して杉林を通って目的地へ登りましたが、林の中には無数にイノシシのヌタ場があって、昨晩もイノシシが出没したような痕跡が見えました。農作業が得意な宮田さんにチェンソーでの伐採を一任し、私たちは宮栄さんの縛ったロープにぶら下がって、お墓の方向へ木が倒れないよう必死に力を入れました。何せ50年生の大きなクヌギの木ですから一筋縄では行かず、縄が切れたりチェンソーが喰い込んで動かなくなるなどハプニングもありましたが、何とか思った方向に音をた立て落下しホッとしました。

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 作業が一段落したところで宮栄さんの奥さんが甘酒や豚汁を作って持ってきてくれたりして、まるでアウトドアー 気分にしたりながら楽しく四方山話をしました。

 やがて作業を開始しました。50年生の生木は重いので、持って行った私特製の定規に合わせてチェンソーで小切りしてトラックに積み込むのですが、一個でも20キロもあるような重さで、私と宮田さんがチェンソーで切り、赤石さんと宮栄さんが車に積み込んでくれました。

 途中私のチェンソーが石を切って切れなくなり、宮田さんの孤軍奮闘となりましたが、切った木は結局軽四トラック2台分にもなりました。宮栄さんのトラックも助っ人してもらうことになり、途中の稲田農機でチェンソーの刃を新品に替えてもらい(4,800円)、人間牧場まで向かいました。宮田さんも同行して下ろし作業を手伝ってもらったころには、昼のサイレンがなり、午前8時から4時間もかかってしまいました。

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 宮栄さんと宮田さんが帰った後、私は長めのままで運んだ木の定規を当てて小切りし、割り木を作り始めました。生のクヌギは面白いように割れました。乾燥すると割るのに一苦労するので、主に節々の割りにくい木を選んで積極的に割りました。豚汁や甘酒をいただいていたこともあって、昼食はせず午後4時過ぎまで割りましたが、また妻から心配の電話がかかるといけいないので急いで片づけ急いで山を下りました。

 割れた薪が足に飛んできて少し足元が痛いようですが、とりあえずこの日の作業は安全で、大きな収穫を得て終えることができました。これでたぶん2~3年は薪に不自由しない人間牧場の暮しが楽しめそうです。薪づくりは本来冬を迎える準備なのでしょうが、クヌギが紅葉の葉を落とした今しか作業が行なえず、冬に冬の準備となってしまいました。

 今日は来客や所用で忙しい一日ですが、合間を縫って出来るでけ早く薪割りをしなければ、来週から始まる本格的な講演活動などで家を留守にすることが多いので、生木が乾いてしまうのです。

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  「山仕事 足元少し おぼつかず 気力でカバー 体力限界」

  「五十年 生きてた命 いただいて 薪に加工し 命をつなぐ」

  「チェンソー エンジン音が 山谷に こだまし冬の 寒さ震わす」

  「豚汁の 差し入れ腹に 染みわたる 何より馳走 フーフー言いつつ」

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○冬にしかできない春への準備

 イソップ物語だったかどうか定かではありませんが、「アリとキリギリス」という話しがあります。秋の季節に冬の蓄えを忘れたキリギリスが、しっかりと冬の蓄えをしたアリに助けてもらった話は、子どもの頃からよく聞かされたものでした。逆に冬の間にやることをしっかりやっておかねばならないことだってあるのです。今年の冬はその点例年にない寒さで事を興すには最悪な条件ですが、それでも意を決し暇を見つけて冬しかできない春への準備を行っています。

 新年早々の苦土石灰を撒いた土の耕しや腐葉土づくり、ブルーベリの根元への油粕施肥、薪割りも一応一段落した昨日は、92歳の親父を連れて、近所に住む妹の竹林に竹を切りに出かけました。春から夏にかけて家庭菜園で使う垣根用の竹を確保するためなのです。

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(92歳とは思えぬ親父の働きで夏用の竹をゲットしました)

 昨日は2~3日前からの北西の季節風も幾分の収まり、作業にはさほど寒さを感じない一日でした。毎朝の会話で竹は今が切り時と親父が言うものですから、それじゃあ午前中の一時間余り竹を切りに行こうという相談がまとまったのです。紐や鋸、鎌などのいわゆる七つ道具を積んで出発しました。竹林までは山道を約四キロばかり走らなければなりません。毎年通う竹林なので勝手は知れていて、道の広い所に車を止め、私がドハをよじ登って竹林に入り、親父は私の切った竹を枝を切り払うのです。軽微なこうした作業は昔取った杵柄とでもいうのでしょうか、私よりはるかに年老いた親父の方が腕が上で、一も簡単に処理をしてくれました。

 作業中顔見知りの知人が上から車で下りてきました。道で作業をして邪魔をしていたので断りを入れてその辺を急いで整理すると、その人の車の荷台には何と人間ほどもあるイノシシが横たわっていました。聞けばイノシシ用の罠を仕掛けていて、その罠にかかったのだそうです。最近はイノシシの被害が多く、鉄砲を持たない農家はこうして罠を仕掛けて有害鳥獣の駆除をしているようです。

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(イノシシの鼻息は消えましたが捕まえたお百姓さんは鼻息が荒いようでした)

 竹伐りは20本ほどですから往復の時間を入れても約1時間で終わりました。この竹が夏野菜の栽培のための垣となって、キウリやトマト、ツルインゲン豆などを作る大切な役割を担うのです。竹も木も切り時というのがあって、切り時が悪いと竹や木に虫が入って直ぐに使えなくなるのです。必要な時に急場ごしらえで切った竹は一年しか持ちませんが、こうして寒の時期に切ると3年から5年は持つのだそうです。

 今日は公民館長さんのクヌギ山へ薪にするクヌギの木を伐採に行く手筈になっていて、公民館主事さんも私的に手伝ってくれる確約を取り付けていますの、間もなく作業着に気がえ、朝食を食べて出かける予定です。


  「竹を切り 春夏作業の 準備する 少し早いと? 首をかしげて」

  「トラックの 荷台堂々 イノシシが 罠で捕ったと 自慢鼻息」

  「キリギリス ならぬようにと アリ教え 地で行くように 寒さ堪えて」

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○送られてきた情報誌プラクティス(実行という意味)

 (財)北海道市町村振興協会から「プラクティス」というA4版の情報誌が送られてきました。この情報誌の編集を請け負っている北海道住宅新聞社の栗原さんがはるばる取材に見えられたのは11月5日でした。取材の依頼が舞い込んだのは、10月30日に釧路で夕日シンポジウムがあって北海道へ出張する直前だったので、電話がかかった時はてっきりその取材かも知れないと、勘違いをしたものでした。

 プラクティスという情報誌の名前の意味が、「実行」であることを栗原さんから聞いて、自治体職員に最も欠けていることだと納得しながら、午後の半日を私が手掛けたシーサイド公園や人間牧場へ案内しました。しかし2ヶ月も前のことなので正直その取材さえもすっかり忘れていたのです。


 昨日北海道佐呂間町の社会教育課長さんからメールが届きました。「情報誌のプラクティスを読んだらあなたのことが出ていたので懐かしくなってメールを書きました」というものでした。期せずしてメールを見たとほぼ同じ時間に、宅配便でその雑誌が届いたので驚きました。

 雑誌は「地域資源とニューツーリズム」という特集が組まれていて、北海道を中心に全国16市町の取材記事が掲載されていました。伊予市双海町の夕日を地域資源にした記事は66ページ立てのほぼ中ほど34ページから見開き4ページを割いて紹介されていました。「沈む夕日を立ち止まらせる?」「夕日で55万人を集客」という大見出しに加え、「公民館取材のNHKディレクターが・・・」「『夕日』がゲストのコンサート」「250人の町民が18時間夢を語る」「人と拠点を育てる」「とにかく目立つアイデアを」「反対とも闘う姿勢」「日本一を作る」などの小見出しが9枚のカラー写真とともい紙面を印象的に飾っていました。

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(プラクティスの表紙)
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(34ページ)
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(35ページ)
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(36ページ)
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(37ページ)

 北の国北海道から届いた情報誌プラクティスを読みながら、過ぎ越し役場職員時代を思い起こしました。この情報誌を読んでいる人たちもかつての私と同じ市町村職員です。金がない、上司の理解がない、住民が反対するなどとやらない理由を並べ立ててやらない職員の何と多いことでしょう。プラクティスという言葉の意味は実行ですから、この情報誌を読んで実行へとシフトして欲しいと願っています。佐呂間町の社会教育課長さんのように・・・・。


  「二つ海 越えた国から 送られた 雑誌見ながら 実行願う」

  「さすが記者 半日だけで エキス書く プロはやっぱり どこか違うな」

  「プラクティス 実行訳し 納得す 一番欠けて いるのはそれだ」

  「プロセスも 結果も大事 公務員 やる気があれば 岩をも砕く」 

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○二つの農作業

 つい最近、手仕事と機械仕事という二つの農作業をしました。まずひとつは人間牧場の段々畑の一枚を耕しました。耕すといっても猫の額ほどの小さな畑なのですが、雑草に覆われて見苦しくなっていたため、落ち葉を拾って腐葉土づくりの作業が一段落したので健康のために体を動かそうと一人黙々と3時間ばかり挑戦したのです。鍬を使った作業は殊の外難儀な作業で、背中や腕や腰にどっかり負担がかかるのです。私のような歳になるとその時は何ともない作業でも2~3日すると疲れが出てくるので注意しなければなりません。

 真冬の北西の季節風がもろに吹きつける畑なので、二枚も履いた靴下のしたから冷え冷えとした外気が伝わってきますが、体はポカポカと暖かくなってきました。土を掘り起こすと地下茎は偉いもので、もう春の準備でしょうか白い根がかなり伸びて雑草ならではの逞しさに感心しながら丁寧に草を抜き取りましたが、雑草が多いためにあっという間に集めた草が山のようになりました。この畑は私が子どもの頃白谷さんという石工さんにお願いして開墾してもらった畑なのです。そこへ母がみかんを植えていましたが今は跡形もなく枯れています。山林を開墾した場所なので掘るほどに小石がゴロゴロ出て来て、それを一ヶ所に集めたりしました。冬の季節風に晒しておくと掘り返した土は作付に適した用土になるのです。今年はここへも作付を考えています。

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(耕した段々畑の一枚の畑)

 4時過ぎに作業を終えて帰ろうとすると妻から携帯電話が入ってきました。「こんなに寒いのに帰らないので心配している」と気遣いの電話です。そういえば今日は町内で若い男性が正月から行方不明だそうで、消防団も出動する大掛かりな捜索が行われていて、県警のヘリコプターが海岸線を低空飛行して捜索しているのが人間牧場の眼下に見えました。この若い男性は水道屋さんに勤務していて、わが人間牧場の水道工事にも屋根葺工事にも来てもらった人だけに、この寒空に早く見つかって欲しいと祈りました。

 下の畑では寒風をついて伊予かんの収穫作業が行われていて、顔見知りの人たちがお喋りをしながらみかんを摘む様子が風に乗って耳に届いていました。

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(低空飛行で捜索する県警のヘリコプター)

 家庭菜園も冬の季節を迎え、大根などの根菜類やキャベツ、白菜、ブロッコリーなどの葉物類も食べごろを迎えています。ゆえに毎日自家菜園の野菜が食卓に上り、妻も料理を楽しんでいるようです。

 冬の間に土を掘り起こし寒風に晒すと病害虫に強い土になるそうなので、夏以来何も植えていない畑に耕耘機を持ち出して耕しました。昨年まではこの仕事も親父がこなしていましたが、92歳を迎える高齢なので、新しい耕耘機を購入したのを機会に、危険なためその使い方を教えず私が運転するようにしているのです。やがて椿さんが終わるとこの畑に春植えのジャガイモを作付しなければなりません。親父はそのことが気がかりなようなので、まだまだ元気で長生きしそうな雲行きで、人安心しているところです。

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(耕耘機を使って中耕する私ー自動シャッターで撮りましたー中々のものです)


  「野良仕事 いつか私の 身について 細々ながら 年中行事」

  「教えろと 言うが教えぬ 使い方 親父に変わり やっと天下を」

  「気が遠く なるほどせっせ 土を掘る 春の根吹き 雑草偉い」

  「今年こそ しかと百姓 決意する 気力体力 揃わぬままに」 

 

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