shin-1さんの日記

○岡山県公民館連合会の研修会に招かれました

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 岡山県公民館連合会が主催する研修会に招かれ、一泊二日の日程で会場となった総社市山手公民館へ行って来ました。前日の泊りは岡山駅前の東横インだったので、少し早目に起きて散歩がてらのような気持ちで、会場のある東総社駅を目指しました。総社といえば吉備線と伯備線が交わるところですが、東総社は吉備線にあるのです。岡山駅発8時36分、東総社着9時7分の予定でしたが、岡山駅に早く着いてしまったので、岡山発8時9分の列車に乗ってしまいました。この日は放射冷却現象で沿線は霜が降りてまるで雪が降ったように真っ白な霜降りでした。

 駅に降りて何するでもなくそこら辺をぶらぶらしていましたが、迎えの課長さんが早く着いて、せっかくだからと国分寺の五重塔を見に行きました。まさに早起きは三文の得でした。このお寺へは何かのついでだったと思いますが、妻と一緒に訪ねたことがあり、境内の茶店でお茶を飲んだことを思いだしました。

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(国分寺の山門)
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(境内にある見事な枝ぶりのクロマツの庭木)
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(均整のとれた五重塔)
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(五重塔の軒先を飾る十二支の彫刻)

 さて研修会は午前中は鏡野町の山本主事さんが通学合宿について、倉敷市の岡野主任さんが市民講座についてそれぞれ発表しました。私もコメントを求められて、ショートなコメントを話させてもらいました。講演は昼食後午後1時から質疑も含めると2時間をいただきお話ししました。

 私の話は前半はまちづくり、中盤は新しい発想、後半は公民館の問題点について話をしました。立派な会場に100人を超える人が集まって、眠る人もなく楽しくお喋りをさせてもらいました。

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(総社市山手公民館ホールには100人を超える人が参加していました

 この日話した「ないないづくしの公民館10ヶ条」を書いておきます。

 第1条  一山百円で特徴がない公民館

 第2条  子どもと青年と婦人が集まらない公民館

 第3条  職員のやる気が感じられない公民館

 第4条  事業バランスが崩れている公民館

 第5条  金もないし知恵もない公民館

 第6条  公民館運営審議会が機能していない公民館

 第7条  いのちとくらしに役立たない公民館

 第8条  自治能力が向上しない公民館

 第9条  行政に当てにされない公民館

 第10条 未来性がない公民館


  「早起きは 三文の得 国分寺 見上げる空に 五重の塔が 」

  「この寺は 妻と来た寺 境内の 茶店で抹茶 二人味わう」

  「発表を 聞きつつ昔 懐かしく 思い出される やはり歳だな」

  「寝る人も いない会場 張り詰めて 午後と思えぬ 聞く人立派」 


  

 

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○若松進一の主な講演テーマ及びコーディネーター関連ジャンル

 私のホームページhttp://www.yuuhi.jp にアクセスすると、下灘駅の改札口の写真が出てきます。このホームページは、大学に勤める私の娘婿が私のために作ってくれたものです。作ってもらった当時はその意味も分らず使っていましたが、最近になって私のことをよく知っている友人が「若松さんこのホームページはあなたにピッタリですね」と褒めてくれました。そう思ってみれば、このホームページがよく自分を表現してできているとしみじみ思うのです。

 下灘駅のプラットホームが見えるこの写真の下に、夕日のドラマはこの日本一海に近い「下灘駅」から始まった。と書いていますが、まさに私のドラマはここから始まっているのです。

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  もしこの下灘駅でNHK「明るい農村」のテレビ番組を取材に来た人に、美しい夕日の存在を言ってもらわなかったら、また山田洋次監督がフーテンの寅さんシリーズ「寅二郎と殿様」をこの駅で撮影していなかったら、はたまたこの駅を舞台に私が「夕焼けプラットホームコンサートをしていなかったら、今の自分もなかったであろうと思うと、日本一海に近いと形容された下灘駅の存在はとてつもなく大きいのです。

 私のホームページにはコンテンツに書かれている通り、夕日の観覧席、プロフィール、講演活動、ブログ、リンクと5つの項目が索引できます。その中でアクセスが圧倒的に多いのはプロフィールでしょうが、次のページの講演活動もかなり多いようです。ページを開くと「若松進一「主な講演テーマおよびコーディネーター関連ジャンル」という項目が出てきます。


 まちづくり部門

  ・まちづくり活動の進め方

  ・地域の活性化

  ・イベントによるまちづくり

  ・特産品開発

  ・地域間交流

  ・ツーリズム

  ・市町村合併と自治活動

  ・観光事業の組み立て方

  ・道の駅など第三セクター施設の運営と経営

  ・人づくり

 青少年問題部門

  ・子育て講座

  ・青少年の健全育成

  ・青少年団体活動の組織と運営

  ・無人島体験などの野外活動

  ・PTA活動

  ・金銭・金融教育

 女性活動部門

  ・女性の企業家育成

  ・男女共同参画社会

  ・女性団体の組織育成

 高齢者問題

  ・高齢者の生きがいづくり

  ・ニコピンコロの人生設計

 生涯学習部門

  ・公民館活動の活性化

  ・生涯学習とまちづくり

 その他の部門

  ・人生の生活設計

  ・人間牧場構想

  ・人生論

  ・遊び心の創造

  ・自分史づくり

  ・マネージメント


  これはこれまで私のオファーがあった講演の内容を分類したまでなのですが、よくもまあこんなに広いジャンルをこなしているなあと、自分で驚いているのです。昨日もこのホームページを見て、「ニコピンコロの人生設計」というタイトルで、ある県外の市町から講演の依頼がメールでありました。有り難いと思いつつ今日も木になるカバンを提げていざ出発です。


  「娘婿 ホームページを プレゼント 今は私の 顔となりぬる」

  「わがドラマ 下灘駅から 始まった キャプション読めば 一目瞭然」

  「講演を 頼む人あり 演題は ホームページの ニコピンコロと」

  「情報化 俺にゃ無縁と 思ったが 最後尾つけ ノロノロ歩く」 

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○後楽園から岡山城へ②

 後楽園は水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園の一つに数えられる名庭園です。岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて貞享4年に着工、元禄13年に完成しています。明治17年に岡山県に譲渡され一般公開されています。園内は広い芝生地や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるように工夫された回遊式庭園です。

延養亭、能舞台、二色が岡、花葉の池、馬場・弓場、地蔵堂、御船入り跡、茶畑、慈眼堂、沢の池、簾池軒、唯心山、千入の森、井田ハス園、流店、八橋、花交の池、茶祖堂、梅林、桜・紅葉林など、見ても飽きない工夫が随所にちりばめられて、何時間でも飽きない程の美しさで名園の名を欲しいままにしているのです。

 名園後楽園の散策を楽しみながら川面を見ていると、何やら騒々しい人たちに出会いました。見れば池面にはたくさんのカモメが羽を休めていました。また池の中には沢山の錦鯉が悠然と泳いでいました。茶屋の店先には「鯉の餌あります」と書いていました。その餌を買って鯉に餌をやろうとするのですが、目敏いカモメは鯉の上前をはねて餌を食べてしまうのです。餌やりに講じているのは、言葉尻からするとどうも韓国人の観光客のようでした。まあ楽しいずっこけぶりで、見ているこちらが楽しくなるような雰囲気でした。

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 後楽園は池田公の庭園なので傍にある岡山城が何処からでも一望できるのです。私も芸術家ぶって、休憩所の格子窓から見える講演とお城を、少しリアルなタッチで撮ってみました。じぶんながら言いアングルで、正月早々お墓参りの際に壊れたカメラとは思えない出来栄えに思わずにんまりしました。

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 後楽園を出た私は別の門を出て、岡山城へと続鉄の橋を渡りました。黒金の廊下門をくぐって鉄砲弓矢の穴のあいた土塀を伝うようい坂を上がると、いきなりド迫力な本丸城が目の前に姿を現しました。別名烏城ともいわれるこの城はその名前の通り一面黒く見えるのです。でも威風堂堂とした姿は、やはり岡山市のシンボルとして県民・市民愛されているようでした。残念ながら御城の中へは時間切れで入りませんでしたが、のんびりと別の門から出て、再び歩いて岡山駅を目指して歩きました。

 私の日ごろ鍛えた健脚も相当なもので、携帯電話についている万歩計を見るとこの日の歩数は一万八千歩を超えていましたが、足が痛くなることもなく岡山市内の散策を終えました。

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  「のんびりと  後楽園から烏城 冬の夕暮れ 一人で歩く」

  「名の知れた 天下の公園 さすがなり 冬には冬の 趣ありて」

  「一年中  日本国中  旅をして しみじみ思う  いい国生まれ」

  「今回も 荷物にならぬ 思い出を 沢山持ちて 我が家帰りぬ」 

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○日本三大名園後楽園を訪ねる①

 私の講演旅行の機会も加齢とともに、体力的な限界が近付きつつあります。退職してからこの5年間、ほぼコンスタントに毎年120回くらいな講演をこなしていましたが、さすがに少し疲れるようです。そのため今年からは毎月約1週間は連続して休むよう心がけています。それは気力と体力、それに知力がうまくマッチしないと、講演先の相手に失礼なからなのです。そんな思いもあって出かける時はこれまで以上に少しのんびりしようと心がけています。

 今回の岡山での講演も、本来なら総社市で朝10時からですから早朝5時に家を車で出れば、瀬戸大橋を渡って何とか日帰り出来ると思ったのですが、相手から前日の宿泊を、そして妻から公共交通機関を利用を勧められたのをいいことに、一泊二日の旅と相成りました。


 岡山といえば何度も足を運んでいる場所だし、街中も相当歩いているのですが、それでも冬の芝生の枯れた後楽園を見たいと思い、一便早い特急しおかぜに乗ったのです。岡山駅に着くと直ぐに相手先の先生が手配をしてくれた宿舎である東横インに向かい、まず荷物を預けてカメラ片手の身軽な格好で歩き始めました。ホテルは西口、後楽園は東口の反対側なので、かなり歩かなければなりませんでしたが、それも承知の上で体力づくりだと思い歩きました。

 川に架かった長くて太い橋の向こうにこんもりとした後楽園公園が見えてきました。箒を逆さにしたような大きな欅の木はすっかり葉を落とし、冬の風情で私を迎えてくれました。チケットを買い求め講演の中に入りましたが、シーズンオフの夕暮れ時とあって人影もまばらで、イメージした通り芝生は冬枯れして真っ青な空の青とマッチして美しい光景を見せていました。

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 水辺に写る空の色も格別美しく、水面に写る空の色も周辺の松の緑もまさに絵になる光景で癒される思いがしました。公園は平地にあるものの築山の妙とでもいうのでしょうか、公園のほぼ中央にこんもりとした小山があって、公園内の日とん度を見あ渡せるようになっているのです。築山には茅葺の東屋があって心憎いばかりの見事な設えです。この日は乾燥注意報が出るほど空気が澄んでいて、歩く足元は歩く度に土煙るがたち靴もズボンも土埃だらけになってしまいましたが、そんなことも気にせず園内を楽しく散歩して歩きました。

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 以前妻と来た時は確か燃えるような若草でした。春の梅や桜、夏の菖蒲、秋の紅葉などを連想しながら歩くのもまた一興です。公園の池に浮島のような小さな島があって太鼓橋が架かっていました。またその袂には池に張り出した船隠しの小さな小屋があって、目と足を奪われました。近くの茶屋の赤毛氈を敷いたひろしきに腰をかけ、お茶子さんの差し出す抹茶を飲みながら止まったような時空を楽しみました。

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  「せっかくの 機会だからと 欲張って 一便早く 列車に乗りぬ」

  「荷を預け カメラ片手に 冬道を 長閑に歩く これぞ幸せ」

  「冬枯れの 公園風情 これもよし 足にまとわる 土煙り無視」

  「大名が 贅の限りを 尽くしたる 庭園我も  銭を払って」

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○こんばんは少々お疲れモードです

 昨日は自宅を出る前に2本、旅先で2本の計4本のブログを書きました。今晩家に帰って自分のブログを見て驚いた次第です。そんな訳で、今日は少々疲れましたので、この続きは明日にしたいと思います。お休みなさい。

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○Mさんに出会って妻が優しく見えました

 「遠出は危ないから」という妻の忠告を受け入れて、公共交通機関を利用した今回の岡山行き一泊二日の旅も、午後7時半に松山駅へ到着する特急しおかぜ便で無事フィナーレを迎えることができました。わが町はそこから先へ8つものローカル駅を通り越さねばならないのですが、案の定伊予市より向こうへ進むことができず、妻が松山駅へ迎えに来てくれました。

 本当は出張している私が電話をかければいいものを、相変わらずの無精者ゆえ、妻から朝夕定期的に電話がかかって近況を報告してもらっているので、久しぶりの出会いとは思いませんが、それでも列車で巡った旅なので少し懐かしい感じもしました。

 夕食時ゆえ久しぶりに帰り路、馴染みの中華料理店へ立ち寄り、坦々麺と酢豚を注文して大汗をかきながら舌鼓を打ちました。

 自宅に戻ってみると、どっさりの郵便物と、FAX通信、それにメールを開ければこれまた沢山のメールが届いていました。少しため息をつきながら、これらの処理は後にして、とりあえず今日のノルマであるブログを一本書き始めました。

 今日は偶然にも岡山から同じ特急しおかぜに友人のMさんが乗り合わせていました。そのことに気がついたのは、Mさんが今治付近でトイレに立ち、その帰りぎわに新聞を読んでいる私を目敏く見つけてくれたのです。岡山から同じ列車に乗り、同じ松山を目指しながら気がつきませんでした。今治からだと僅か30分足らずしか時間が残っていませんでしたが、お互いが懐かしく話をしました。

 私より2歳年下の彼も私と同じように既にリタイアしていますが、退職離婚というのでしょうか3年前奥さんと別れたそうです。子どもも片付いているので今は気ままなひとり暮らしだそうです。彼の視線の向こうに一見品のある見知らぬ女性を見つけました。見ず知らずの私に軽く会釈するその女性は、聞けば世に言う彼の恋人のようで、今日は岡山の後楽園に日帰り旅行をしたというのです。私は驚きました。私も昨日と今日の日こそ違え、出張のついでに昨日後楽園へ行っていたのです。

 彼の気心を察して私は、昨日一人で後楽園へ行ったことはついに最後まで言えませんでした。彼の彼女は私の妻に比べれば所帯やつれもしていない美しい女性でしたが、私は羨ましいとは思いませんでした。むしろ真実一路私やか家族のために一生懸命働いてくれる私の妻が立派に思えたのです。

 列車は何事もなかったように松山駅に着き、Mさんと彼女は卓氏乗り場へ消えて行きました。私は駅前の車止めに行くと、見覚えのある私の愛車の中に笑顔で手を振る妻を見つけました。「お父さんお帰り。疲れたでしょう」。「うん少し疲れた」。月並みな夫婦の会話でしたが、今晩の妻はどことなく優しく感じました。

 縁あってわが家に嫁いで来てから早くも40年が経ちました。幸せなことに色々な荒波もありましたが、何とか今は二人とも健康にこうして穏やかな老後を迎えているのです。これも妻のお陰と思いながら、これからも二人仲良く生きて行きたいと思った夜でした。


  「別れたが 早くも次の 人連れて 日帰り旅行  楽しむ友あり」

  「俺などは 生涯一人 しかいない 羨ましいと 思わぬほどに」

  「若し別れ 別々な道  歩んだら 私は直ぐに 死んでしまうな」

  「もう少し 感謝を態度 表せと 言う妻だけど これで十分」    


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○岡山にて今宵社会教育を語り合う

 今晩のお宿は岡山駅近くの東横イン岡山駅西口右というホテルです。今宵は誘われて飲み屋街のとある居酒屋へ行きました。「少し暗いかなあ」と思われるような照明でしたが、人間の目は不思議なもので、その暗さに慣れてくるのです。私は酒が飲めませんが、他の二人はビールを飲み、私はウーロン茶を飲みながら、社会教育談義に花を咲かせました。私もかつて教育委員会で13年間も社会教育をやり、最後は教育長として2年間社会教育行政をやりました。そして退職後は請われるままに社会教育の現場に指導を頼まれて講演などで出かけています。ゆえに社会教育のことは分かっているつもりですが、想いの違いがあって話が少しかみ合わない感じがしました。しかし学校現場から社会教育現場にやってきている二人の先生は、社会教育の話を熱心にしていたようです。

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 酒が飲めない私と、酒を飲む二人を相手の話は9時まで続きました。6時半からはじめたので都合2時間半は話に熱中したようです。先生は私が方向音痴と思ってか、少々ほろ酔いながらホテルまで送ってくれました。先生は聞けば総社市に住んでいるとのこと、これから列車に乗って帰るとのことでした。

 まだ宵の口なので、東横インのロビーに置かれているパソコンのインターネットをいじくりながら、アメーバブログの私のサイトを呼び出し、こうしてとりとめもなくブログを書いているのです。いつも思うのですがなんて便利な世の中になったのでしょう。出張先でこうして自宅の書斎にいるのと同じようにブログが書けるのです。

 今日、主催者が予約をしてくれた東横インの受付嬢に声をかけられ、割引特典があるから東横インの会員に登録しないかと誘われました。受付嬢が感じがよかったので、1500円も出して会員になりました。でも今日は月曜日割引とかで今日のホテル代が安くなるため、支払い金額は少しオーバーした程度の出費ですみました。


 明日は岡山駅発8時36分の吉備線総社行きに乗って9時07分に東総社駅へ着く予定です。駅へ迎えに来ていただくそうです。会場は10分足らずの山手公民館なので、10時からの発表を聞いて、講演の内容を考えなければなりません。いつものことながら、明日もアドリブで楽しいお話をしたいと思っています。

 今日は旅先ながらズボンのポケットに忍ばせて持ち歩いている携帯電話のバイブレーターが着信を知らせるため何回も震度しました。旅先ゆえ、また列車内ゆえ、また居酒屋ゆえ短い会話で終わりましたが、旅先でインターネットや携帯電話が使えるようになった私は、1年前から比べると相当進化しているようです。


  「酒肴 それに人あり 旅先で 思いのたけを 色々語る」

  「いかがです ホテル受付 声かかり 訳も分らず カードを造る」

  「立ったまま ホテルロビーで ブログ書く 俺も進化の 跡がうかがえ」

  「若し酒が 呑めたらどんな 進展が 思ってみても 叶わぬ願い」


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○岡山に来ています

 明日は岡山で公民館の研修会があって、講演を頼まれいます。今日は移動日なので、少しのんびり旅をしようと思い、少し早めに特急しおかぜに乗っていよ上灘~松山~瀬戸大橋~岡山と小旅行を続け、夕方岡山に着きました。岡山といえば後楽園という公園が有名なので、久しぶりに岡山駅から後楽園へ歩いて行きました。少し遠い道のりですが、まあ体力づくりのためにも歩こうと思い、少し大股で胸を張って歩きました。

 岡山は晴れの国といわれるような、瀬戸内海気候の気候穏やかな土地です。加えて今日は天気もよくって空は晴れ渡り、とても気持ちのいい一日でした。


 デジカメで写真は何枚か撮りましたが、ホテルのロビーのパソコンを使ってブログ記事を立ったまま書いているので、写真のアップは自宅へ帰ってからになります。今晩の泊まりは東横イン岡山駅西口右という珍しい名前のホテルです。主催者が確保してくれたホテルなのですが、明日は早朝に列車に乗って総社市へ行かなければなりませんので、便利この上ないホテルでゆっくりと旅の疲れを癒したいと思っています。

 松山を出発するとき、主催者から電話が入り、有難いことに今晩は気のあった数人で夕食会をするそうです。酒の飲めない私ですが、またいいご縁が深まることを願っています。


 最近車を使った旅が多く、中四国や九州などは車で行きますが、少し年齢を重ねた私の運転が気になって仕方がないと妻が言うのです。その点列車の旅は眠りこけても目的地へ連れて行ってくれるから安心だそうです。新年早々事故でも起こしたら大変と、列車利用を強く勧めてくれました。

 忠告を守ったお陰で特急しおかぜの列車内で過ごす往復6時間近くの時間は読書と、夕日徒然草の草稿についやすることができました。地の書・水の書と発刊した夕日徒然草もいよいよ火の書です。3月までには原稿を仕上げようと思っていますが、30話を書くことができるかどうか、少し心もとない心境です。

 明日は自宅へ午後9時ごろには帰る予定です。御機嫌よう。

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○地震を感知したのか西洋ナマズ

 1995年1月17日午前5時14分、この15年前の日時を覚えている人も、6435人の尊い命が失われたことを記憶している人も、だんだん少なくなってきました。私自身でさえ、新聞やテレビの報道を見たり聞いたりしなければ、記憶の中から殆ど消えているのです。多くの犠牲者を出した阪神淡路大震災の起こったその時刻、当時私はオープン間もないふたみシーサイド公園のイベントホールに設置した活魚展示水槽の中で、一人黙々と早朝掃除をしていました。早朝ボランティア掃除は当時私の日課だったのです。


 円筒形の五本立ての水槽には海の魚に加え淡水魚も飼っていましたが、その中には西洋ナマズも何匹か飼っていて悠然と泳いでいました。まだ外は暗く中も最低限の明かりしかつけていませんでしたが、突然水を落としかけた淡水魚水槽のナマズが暴れだしたのです。そしてその中の50センチもあろう一番大きいナマズが、水槽の枠を超えてジャンプし外へ飛び出してしまったのです。驚いた私は急いで水槽の外に出てそのナマズを抱きかかえ、元の水槽へ戻しました。脳しとうを起こしていたのかそのナマズは口から血を出し、少しの間もがくように泳いでいましたが、やがて何事もなかったように悠然と泳ぎ始めました。


 地震とナマズの関係は古来から取りざたされていましたが、このナマズは西洋ナマズなので日本の地震を感知しての行動とは思えないのです。それでも私しか知らない本当に出会ったナマズの珍現象を、この日が来る度に思い出すのです。そのナマズも10年ほど長生きし、シーサイド公園を訪れる子どもたちのアイドルになっていましたが、寿命尽きて死んでしまいました。

 掃除を終え家へ帰ってシャワーを浴びてテレビの前に座って、長田区の大火災や高速道路が横倒しになっている小劇的な映像を見て初めて大震災が起こったことを知りました。


 刻々と届く悲惨な地震の惨状を見ながら、わがことのように憂い悲しんだ記憶も、戦争と同じように歴史の一こまとなって過去へ押しやられてゆくのでしょうが、やはり平和や安心安全への願いとして語り続けて行かなければならないと思うのです。

 私たち人間は、喉元過ぎればその苦しみを忘れ、他人事であればなおさら他人事として関係ないことと思う悪い癖があります。でも地球上では先日起こったハイチの大地震のような事故が起こっても、海の向こうの他国の出来事としてついつい思ってしまうのです。忘れまい1995年1月17日、忘れまい5時14分、そして忘れまい阪神淡路大震災です。


  「地震予知 能力あるか 分らぬが ナマズ飛び出す  あの日あの時」

  「天災は 忘れたころに  やって来る 忘れまいぞや 阪神淡路」

  「十五年 苦しみ抜いた 人もいる 地震大国 これから先も」

  「あのナマズ ひげを伸ばして ひょうきんな 姿今でも 記憶に残る」 

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○日食で欠けた夕日

 3日前16日付の愛媛新聞に、部分日食の記事と写真が掲載されました。「夕日のことだったら双海町の若松に聞け」と言われるくらい、夕日については色々と知っているつもりの私でしたが、この新聞記事を見て、うかつにもその夕日の写真を撮影することができず、悔しい思いをしてしまいました。

 もともと、部分日食の情報は、知人の長野県に住む小松隆史さんから私のブログにコメントが入り、「部分日食はいかがでしたか」と近況に添えて問合せがあったのです。この記事を見たのは夕日が沈んでからのことだったのですが、いずれにしてもこの日双海の海岸は水平線近くに雲が垂れこめ、夕日を見ることはできませんでした。

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 鹿児島辺りではこの日、三日月形の夕日が水平線にまるで立っているように見えた映像が、テレビで公開されていて私も映像を見ました。自分自身は残念でしたが、それでもこうして新聞記事にせよ見れたことは幸せだと思っています。

 さてこの頃になると、外気温が下がり風が強くて水平線近くの雲が吹き飛ばされるため、蜃気楼が発生しダルマの夕日が見える時期となりました。この季節は寒いため余程の頑張りがないとダルマの夕日を見る機会を逸するのです。私もこれまでに何度かダルマの夕日を見ましたが、その日に限ってカメラを持参していなかったりして、未だに私のアルバムに、双海町のダルマの夕日の写真が収録されていないのです。日本一の夕日を自認する私としてはお粗末な話ですが、私の町で夕日の写真を撮り続けているKさんにお願いしてとっておきのダルマの夕日の写真をいただこうかとも思っています。

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 上の写真は夕日夕焼けフォトコンテストで最優秀賞をとったくつなさんの写真ですが、この写真の版権を町がいただいて、名刺やポスターに良く使わせてもらいました。ご存知恋人岬の穴のあいたモニュメントに夕日がすっぽり入るこの写真は当時も今も双海の象徴として大切にして使っているのです。

 夕日は太陽が沈むほんの数分しか見ることのできない自然現象だけに、余程気にして見ないと見えないし、ましてやそれを写真に撮ろうと思えば余程の技術がないといい作品には仕上がりません。寒さを来られて写真をものにしようと頑張っているカメラマンの姿を見るにつけ、人はそれなりに努力しないといいものには巡り合えないのだとも思ったりします。私も再び夕日に狂ってみようかと思いました。


  「新聞で 日食夕日 鑑賞す 俺の町では 見れず残念」

  「何枚も 夕日の写真 持ってるが 日食夕日 これが初めて」

  「今年こそ ダルマの夕日 撮りたいと 思っているが 撮れるかどうか?」

  「故障した ままのカメラじゃ 撮れぬかも カメラのせいに したくはないが」    

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