shin-1さんの日記

○今年度の授業も全て終わりました

 「年末までが期限です。遅れた人には点数をつけませんから注意して提出してください」と、送り先と内容を黒板に書いて愛媛大学法文学部総合政策学科の年間60時間の講義を終えたのは12月でした。学生の中には「先生消印有効ですか?」と尋ねる学生もいてレポート提出が危ぶまれましたが、それでも速達で何とか間に合った学生もいて、19人全員がレポートを提出してくれました。

 正月休みに片づけようと思い開封して一応目を通したものの、これを成績に反映するまでには至らず、延び延びになっていましたが、昨日やっとレポートを読み終わりパンチで穴を開けて表紙をつけ点数作業を終えました。

 私の授業のテーマは「楽苦しい(たのくるしい)」なのです。授業はできるだけ楽しく、出席日数がそろえば第一関門はOKです。そして前期で出かけた市町村をレーダーチャートに落とす作業による個人提出レポートが第二関門、第三関門は判別発表レポート、そして第四関門は「学びの感想」A4一枚、「私の考える地域振興とまちづくり」(A43枚)の個人レポート提出と続くのです。今年の学生は風邪や部活で公認欠席した以外は授業も全員出席で、レポート提出や発表のハードルも全てクリアーしていて申し分がないのです。

 過去の6年もそうでしたが、7年目の法文学部総合政策学科非常勤講師の役目も、パソコンで成績表を入力すれば全ての今年度作業を終えるのです。


 役場に教育長として勤めた時期から始めた、大学での非常勤ながら講師としての仕事は、私に大きな成果をもたらしました。何が一番と問われたら、学生からいただいた若いエネルギーと答えるのです。人間はどちらかというとそれが楽だから同質同族を好むものです。確かに私のような大学も出ていない人間にとって、年間60時間と言いながら講義を仕組むことは、傍目で見るほど楽ではないのです。レジメが嫌いでも作らなければならず、ましてや勉強もしなければ追いつかないのです。そういう意味ではこの7年間はむしろ自分自身が学生たちにパワーをいただき、学ぶことの方が多かったような気もするのです。一年目の緊張とは比べ物にならないほど今はリラックスして学生たちと向かい合い、いい成果を修めているのです。それは学生の書いたレポートにも表れていて、頼もしく思います。

  さてこれからどうするか、ここが思案のしどころのようです。


  「七年も 大学通い 若者に パワーいただく お陰で元気」

  「学校じゃ 劣等生の この私 人に教える 資格あるのか?」

  「今年も 何事もなく なにぬねの 来年どうする あいうえおかも」

  「レポートを 読んで点数 つけ終わる これも区切りの 仕事なのかも」 

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○健康力を鍛える

 昨日から少し寒さがぶり返して、肌寒い一日となりました。人間はこういう寒さがくると怠慢になり、風邪を引いてはいけないなどというもっともらしい理由をつけて、できるだけ室内の暖かい場所で過ごすような気持ちになるものです。本当はこんな寒い日だからこそ戸外へ出て体を動かした方が健康にも良いのです。

 そんなこともあり、また今年の目標が「人間力の向上」~人間力向上のための10の力~に⑧健康力(心・体)があるので、思い切って戸外へ出て柿の木とスモモの木の剪定をすることにしました。外に出て僅か四本の木の剪定をするくらいに、勿体ぶって人間力の向上や健康力などを持ち出す理屈っぽさが歳をとった証拠だとつくづく納得するのです。

 まず作業小屋へ行って鋸と剪定鋏を取り出し、剪定鋏のネジを外し砥石で研ぎました。剪定をするのに道具から選ぶあたりも理屈っぽいですね。さあ準備はできました。裏の急斜面に植えている柿の木2本と柿の木2本をそれぞれ木に登ったりしながら鋸で切り取り、剪定鋏で切り落として行くのです。別に剪定に確固たる信念や技術がある訳でもないので、適当に強い枝から切って両手を広げたような姿にして行きました。

  ものの30分もすれば終わるのですが、この木の剪定はこれまで親父がやっていましたが、3本だけやって残りは危ないからと辞めていたのです。親父も所構わず強剪定していたので、私も思い切って切り落としたため、剪定した枝の始末をしなければなりません。これをほおっておくと、1ヶ月後に始まる草刈り作業の邪魔になるのです。

 柿の枝は優しいのですが、スモモの木は刺があって中々扱いにくく苦労しながら、家庭菜園の隅に設置している自家製焼却場まで何回も足を運び難義難儀持って行きました。私の作業風景を見ていた親父が自室から出て来て、鋸で小切りして片づけるのを手伝ってくれました。こうして乾燥すれば紙ごみ類と一緒に風のない日を選んで親父が焼却処分してくれるのです。

 わが家の菜園の端の方は田舎らしく藪斜面になっていますが、クヌギの木やチチモモの木が何本か勢いづいているため、梯子をかけてそれらの木もついでに切り落とすことにしました。クヌギもチチモモの木も家の周辺に無数の枯れ葉を落とし、下水などに溜まるのを防ぐための処置なのです。既に今年はもう葉っぱを落とした後なので、容易に幹を切り落とし片づけをして作業を終えました。

 親父も手伝いながらこれで一安心と声をかけてくれましたが、戸外は寒い風が吹いているのに作業をして体を動かすと体がポカポカしてきました。逆に室内にいると部屋の戸を開けただけでも寒く感じるのは、やはり人間の心理と気温の変化かも知れません。

 作業を終えたので長靴を運動靴に履き替え裏山散歩をしました。急な坂道を誰はばかることもな少し早足で声を出して歩きました。携帯電話についた万歩計も家に置き忘れたため、どれ程の穂数か分りませんが、まあ今日一日の目標である1万歩には到達したものと思われます。冬の運動は春夏の基礎体力を作ります。これからも積極的に健康力を鍛えたいものです。


  「健康力 などと理屈を つけながら 作業をするは 加齢の証拠」

  「剪定を すれば木々など 若返る 俺も剪定 若返りたい」

  「切落とし 摘み落としたる 枝運び 親父と二人仲良く小切り」

  「さあこれで 春の準備は 整った 後は芽吹きの 季節を待ちぬ」

 

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○質屋へ立ち寄りました

 先日松山市内を歩いていると、何気ない風景の中に「質屋○○」という看板が目に入りました。私は幸か不幸か質屋の世話になったこともないし、ましてや質屋の店に入ったこともないのです。入る気もないのでもの珍しそうにゆっくりと店の中の様子をうかがいながら歩いていると、「若松さんですよね!」と目があった女主人が中から出てきました。「はいそうですが?」と答えました。とっさに「えっ、何で私の名前を知っているのかしら?」と思いながら、「どうぞどうぞ」という言葉に甘えて店の中へ入って行きました。まあ座ってお茶でもどうぞ」と差し出すお茶を飲む前に、「失礼ですがどうして私の名前を?」と問い返すと、どうやら私がまつやま工業高校のPTA会長をしていたころ、PTAの総会や入学・卒業式で私のあいさつを聞いていて、あいさつが上手い人だと記憶に残っているというのです。それほどまでに私のことを好意的に思っててくれるのだったらと、ついつい言葉に甘えて応接椅子に座りお茶をいただきました。


 わたそも詳しいことは分らないので、「質屋とは一体どんな仕事ですか?」とこの時とばかり聞きました。「質屋は余りいい印象をお持ちでない人が多いようですが、客が持ってくる物を質草として受け入れ、その価値に応じて金を短期間融通する仕事ですが、質屋の起源鎌倉時代中期に遡ります」と、何とまあ歴史の話までし始めました。消費者金融などなかった時代に、お金を短期間に調達しなければならない時、質屋へ着物や刀を持って行った話は時代劇のテレビで何度も見ている光景なのですが、やはり私には縁遠い場所でした。

 若いころ友だちが質屋に時計を入れて金を借りた話や、質流れの品を安く買ったと見せびらかせていたことを思いながら、店内のショーケースを見せてもらいましたが、カメラや時計、それに貴金属品などが「安い」と感じる値段で置かれていました。

 見ず知らずの人の見分け方、質草に取ろうとする品物の値踏みの目利き、貸付金額の設定、資金運用など、いわゆる専門知識と財力がないとこの仕事はできないという話を聞いて大いに納得し店を出ました。

 しかし考えてみればマイホームを手に入れる時に銀行ローンを組む時だって、土地を担保に入れるのは質草と同じですし、ローンの支払いが滞ると土地も建物も没収され競売にかけられるのですから、銀行のやっていることも元はといえば銀行の名を借りた、質屋の真似ごとではないかとも思いました。

 世の中が不景気になってデフレ感が漂っていますが、このような時代になればなるほど質屋へ融通を頼む人が増えてくるのだそうです。現代はリサイクルショップなどがかなり普及したり、時には仲間が集まって不用品を販売したりする光景を見かけますが、質屋もまた都会の片隅にこうしてしっかりと生き残っているのです。

 「時々立ち寄ってください」という女主人の言葉に、「はいはいまた」と相槌を打ちましたが、多分私には「質屋」はこれからも遠い存在であるのかも知れません。


  「えっ質屋? 今の時代に 生き残る 初めて質屋 門をくぐりて」

  「そういえば  見栄張る友の 腕時計 質で流れた 物を買ったと」

  「何年か 前にあなたの あいさつを 聞いたと主人 私持ち上げ」

  「金もない 貧乏だけど 質屋には 行ったことない これから先も」

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○遅ればせながら今年のカレンダー届く

 わが家には部屋のあちこちにカレンダーが吊るしてあります。建築設計の仕事をしている息子が職場で貰ってきてくれたものが殆どですが、カレンダーには製作した人の思いや利用意図によってその趣きが随分違うものだなあと、今月も残り少なくなった余白を見ながら感じました。

 数日前、市役所双海支所に勤める友人の大森さんが、わざわざ自宅まで今年の卓上カレンダーを届けてくれました。今年のカレンダーにしては遅い感じもしますが、それでも有り難いことと妻が受け取ってくれました。大森さんはかつて合併前の双海町時代に町の広報を担当していたので、写真のストックはお手の物でしょうが、この卓上カレンダーは大森さんが手作りしたオリジナルなもので、オンリーワンを自認する私としてはこの上ないプレゼントとなりました。

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 「双海カレンダー2010」カレンダーの上蓋を飾るのは昨年友人の松本さんたちがシーサイド公園で始めたオレンジデーの手づくりローソクによるイルミネーションの写真です。海に向かった砂浜に沢山のローソクの灯りが「オレンジDAY ?INふたみ」というオレンジ色の文字を暗闇に浮かび上がらせているのです。

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 さて、新春一月の月間NVPに選ばれた写真は?とめくってみると案の定、初春の下灘水仙畑でした。この水仙にもかなりの入れ込みと思い出があるのですが、亡くなられた金山泰森さんが手塩にかけて育て、私がマスコミに売りまくって双海の顔に育てた逸品です。港の見える丘に咲く水仙は今ではすっかり愛媛の風物詩となりました。今は息子の洋一さんがしっかりと世話を受け継いでいるようです。

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 今年の水仙も年末の暖冬気味の気温で、もう終わりに近づいてきました。大森さんからいただいた今年の卓上カレンダーは表紙も含めて双海の風物が13枚の写真で紹介されています。習い覚えたパソコンのスキャナーを使って、取り込めるようになったので、これから12ヶ月、折に触れてこのブログで紹介したいと思っています。それにしてもパソコンの技術も、勿論大森さんの力もありますが、このようにして利用することができる時代になったのですね。

 私もスライドを作るなど、もう少し技術の習得を勉強しないと、いくら言い機能のあるパソコンを持っていても、結局は宝の持ち腐れになるのです。

 パソコンの調子がいまいちなのに一喜一憂するくらいしかできない自分が情けないとしみじみ思うのです。

 さて来月はどんな双海の写真がカレンダーを飾ってくれることでしょう。お楽しみに。


  「今頃に なって届いた カレンダー オリジナルゆえ 貴重に思う」

  「一月は 何といっても 水仙が 一番だねと 私納得」

  「何もない 町だと人は いうけれど そんなことない 色々あるよ」

  「一月は いぬる(帰る)と 速さ表現す 残り少ない 月末見つつ」 

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○21世紀えひめニューフロンティアグループの総会

 春が来たと思わせるような気温をたった一日で真冬に逆戻りさせる自然の力はやはり偉大です。そんなことを思いながら、山周りの国道317号を選び水ヶ峠を越えて今治へ向かいました。ひょっとしたら峠の道は雪が降るかもしれないと思い、4WDの軽四トラックに乗って出かけましたが、私と同じような考えがあるのか、週末土曜日なのに交通量は少なく、仙遊寺下の能面道路を通って今治市新谷の河上さん宅へ到着しました。昨晩は私が主宰し私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの一年に一度の総会ともいえる協議会が、今治に住んでいるメンバーの河上和夫さん宅で昨晩行われたのです。

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(河上さんの奥さんと5人の孫たち)

 少し早いかなあと思える午後5時半過ぎに到着しましたが、豊田さんは何処から歩いたのか期せずして私と同じ時間に到着しました。奥さんにあいさつを終え、居間でのテレビで大相撲を観戦しながら、河上さんの5人の孫に囲まれて、クレヨンしんちゃんと命名された私は、遊び相手になってやりましたが、まあ小学校2年生を頭の特に4人の男の子はやんちゃでいたずら盛りでまあ蜂の巣をつついたような賑やかさでした。

 やがて仲間も全て集まり、座敷で賑やかな宴会です。この日は皆のリクエストに応えてホルモン鍋と魚料理、それに猪肉の焼肉でした。もうもうと立ち込める煙の中で子どもたちも参加して大宴会となりました。

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 すっかり恒例となった新年早々の行事だけに主だった顔ぶれは全員集まりました。形通りの事業報告、決算報告が行われ、次年度の役員留任、事業計画も予算も原案承認の拍手で終わったのですが、この一年間フロンティアグループからかまど小屋の建設に30万円の助成があって完成、また私が書いたフロンティアグループのレポートが、明日の日本を創る協会の地域活動将来賞をいただくなど、それなりの成果を収めているのです。

 しかし、寄る年波には勝てないのか最近は口は口角泡を飛ばす議論はするのに、こと実践となると中々前へ進まず、活動は主に人間牧場に限定され、老化しつつある組織の実態を浮き彫りにしているのです。でもこれでもいいとみんな納得しているので、少しだけ私がいい方向に誘導することを考え今年もやっていこうと思っています。2年前から始めた国内世界遺産を巡る旅も熊野古道・広島原爆ドーム・安芸の宮島・石見銀山と続き、今季は4月に白川郷の合掌造りをめぐる旅を計画しているのです。


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 フロンティアグループは結成以来30年近くになりました。これまで無人島に挑む少年のつどいや、丸木舟瀬戸内海航海、ふるさとを空から見る運動、竪穴式住居シンポ、フロンティア塾など、①今やれる青春、②1年1事業、③社会への揺さぶりなどをテーマに、様々な斬新な活動を展開し、県内はもとより全国的に注目を集める活動をやってきましたが、何時の間にか若かったメンバーも白髪や頭が薄くなり、時の流れの早さを感じているのです。元気だった仲間の体も、酒が飲めなくなった私や大野さんのように、加齢とともに衰えが目立ち始めました。これからは健康に留意しながら、次世代へバトンを引き継ぐことを考えなければなりませんが、はてそんな華麗な変身が出来るかどうか疑問のようです。

 私は今朝大事な用件があるので、田宮さんとともにお泊り組を残して10時過ぎに河上さん宅をお暇しました。一緒についてくる下弦の月を冬空に見ながら水ヶ峠のトンネルを超え、11時半過ぎにわが家へ到着しましたが、30年のを超えたグループから学んだことややった思い出などを思い出したいい一日となりました。


  「いつの間に 頭薄くて 白髪増え 仲間歳とる 俺も歳とる」

  「今年は 白川郷へ 行くという 遺産訪ねる 旅も楽しや」

  「在りし日を 思い出しつつ 水ヶ浦 突きと一緒に トンネル越えて」

  「イノシシの 肉焼く煙り もうもうと 立ち込め涙 一緒に食べる」 

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○楽しかった子ども教室

 たった一日で冬から春へ、そして春から冬へと気温をまるで魔法のように逆戻りさせることが出来る自然は、やはり凄いと思いつつ、その猫の目のように変わる天候に順応出来にくくなる自分の体力の低下を、嘆きながら暮していますが、これから3月いっぱいまでは三寒四温におののきながら暮らすことでしょう。

 昨日は前日の温かさから一転して寒い一日となりましたが、私が実行委員長を務める青少年の催しがシーサイド公園であって、開会のあいさつや手伝いを頼まれて出かけて行きました。地域政策研究センターの松本さんや市役所支所の大森さん、それにボランティアスタッフとして何人かの人が応援に駆け付け賑やかな催しとなりました。


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 子どもたちを三班に分け、たこ焼き、じゃこ天、餅つきという三つのメニュー順番に体験するというものです。私は手薄な餅つきの手臼取りを担当することになりました。既にシーサイドの加工場のボイラー釜で蒸し上がったもち米を運び込んで臼の中に入れるのです。それを松本さんが杵で小づき、大森さんの指導で子どもたちが入れ替わり立ち替わりダイガラでつくという算段なのですが、子ども10人ほどが一人五回突く度に間延びの休憩があるため、手臼はやりにくくて仕方がありませんでした。それでもこれも体験と熱い臼の中のもち米を臼につかないように手臼しながら餅にしてゆく作業をしました。時間的にはそれほどかかりませんが、やがて餅がつきあがり台の上で女性スタッフによって小切りされ、みんなが丸めた餡子を入れて更に丸めて餡子餅が出来上がりました。

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 この日はクチナシ入りの黄色い餅、紫いもの入った紫色の餅、ヨモギの入った緑色の餅を各班が順番でつき上げ、まるで信号のような綺麗な餅が出来上がりました。餅が出来上がる度にお一つどうぞと味見を勧められるものですから、その美味しさにつられて三個も食べてしまいましたが味は抜群でした。

 最近は杵でつく餅つきも珍しくなり、ましてやダイガラ餅つきなどは見ようと思っても中々お目にかかれない時代になってきました。ゆえに子どもたちのとっては貴重な体験となりました。子どもたちはたこ焼きやじゃこ天を漁協女性部の皆さんの指導でそれぞれ体験し、自分で作ったような顔をしてお礼に貰ったたこ焼き四個とじゃこ天二枚を、美味しそうに食べていましたが、子どものお腹は一体どうなっているのでしょう。

 土曜日とあってシーサイド公園はかなりの数のお客さんが来ていて、私たちの行事風景を物珍しそうに遠巻きにして眺めていました。

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 今年最初の教室は段取りの良い作業に助けられて予想した時間を三十分も早く終えることができ、後片付けをして少し早目の閉講となりました。三人の小学校の校長先生や学校の先生たちも休日でありながら毎回のように参加して子どもたちに様々な声かけをしてくれています。また婦人会や更生保護女性会などからも毎回のようにボランティアとして手伝ってもらい、頭の下がる思いです。口だけで余り役に立たない私も職務上出来る限り参加するようにしていますが、少し足手まといの感じも感じています。でもこの日ばかりは特技?とも思える手臼の妙技?が役に立ち、ボランティアとして少しだけ役立ち感を感じました。

 双海町はこのように地域で子どもを育てる環境は随分整っているように思いました。また地域づくりの輪も他地域に比べて進んでいるように思います。市役所ではこれらを組織化して自治活動にと目論んでいるようですが、他地域をモデルにしたり、規約を作ったり、また組織を作ったりする作業に追われ、正直これらの活動を育てながら進める方法を逸しているような感じもします。出来れば私たちがその仕掛けを作った方が早道かも知れないと何人かで話しました。いずれそのジレンマも解決するのかも知れませんが・・・。


  「子どもから しんちゃん元気  声かかる この歳なって 嬉し恥かし」

  「頭上から ダイガラ杵が ドッスンと 手と餅めがけ 落ちてくるなり」

  「よく言った ものだ思いつ 昔取った 杵柄なんて 言葉納得」

  「ボランティア した後感じる 心地よさ 今日も子どもの 笑顔癒され」 

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○大根の首切り

 「首切り」と聞けば物騒な感じや職場でのリストラを思いだしますが、わが家ではこのころになると大根にすが出来るのを防ぐため葉っぱの部分を切り落とし、地下茎だけにする作業をします。この仕事は親父の役目で、少し早いかなあと思いますが、親父は昨日その作業をやったようです。

 外出先から帰って家庭菜園に行くと何やら畑の様子が昨日までと打って変わっていることに気がつきました。見ると青首大根の殆ど全ての首が切り落とされているのです。とっさに春近しを思いましたが、季節はまだ大寒の入りくらいですから、親父のせっかちを少々憂いました。

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 これまで畑は緑のジュータンを敷き詰めたようでしたが、首を切られた大根畑の土が露出し無残な姿をさらけ出していました。でもこうしておけば、3月いっぱいは美味しい大根が食べられるのですから良しとしなければなりません。首を落とされた大根はこれまでのように葉っぱを持って引き抜くことができないため、収穫は少々難儀をしますが、反時計回りにねじるようにして引き抜くと案外簡単に引きぬけるようです。

 今年は青首大根と聖護院大根の2種類を植えましたが、いずれも秋の好天に恵まれて育ちは順調で大豊作、今年も既に切干大根と沢庵漬けに加工され美味しく食べているのですが、もうそろそろ2度目の沢庵漬けと切干大根を作る作業をしたいと思うのです。


 首切り大根の畑を見ながら、デフレの厳しい社会を思い浮かべました。すっかり正月の恒例となった派遣村も先日閉鎖されたようですが、依然として失業率は高く、就職内定率も昨年度より悪い数字が示され、この春卒業する若者にとっては、悪い星の巡り合わせに失望しているのではないかと思われるのです。

 デフレはものが安くなるメリットもありますが、安さが労働賃金に跳ね返って低賃金を誘発したり、失業やリストラなどの悪循環を生み、社会全体の経済を冷え込ませているのです。政府は景気対策として様々な手を打っているようですが、ない袖を振る一見国民の機嫌取りのようにも見える愚策は、効果のないまま国債発行による借金行政で益々首を回らなくしているようです。

 こうなったら聖域である国会議員の数を減らしリストラして欲しいと大根の首切りを見て思いましたが、自分のこととなると何ら策を打たず、むしろ政治と金の問題をまるで検察庁が仕組んだ人ごとのように、うそぶいている民主党には、少々あきれてものが言えない気持ちです。ああ日本はどこへ行くのでしょう。


  「わが菜園 今年も首切り しましたよ 国会議員も 見習いなさい」

  「生活の 知恵が大根 首を切る これで春まで 大根美味い」

  「美味いねえ 殆ど毎日 食べてます 大根役者 芸名大根」

  「ジャスターゼ 見たこともない 栄養だ 体内巡り 至って健康」 

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○食卓を飾る電子レンジ利用の温野菜料理

 年末に20年間も壊れず使っている古くなった電子レンジを買い換えることになりました。何せまだ電子レンジが珍しいころの遺物なので、中に入れた温め物がグルグル回る旧式です。わが家の家訓ほどではないものの、ものを大切にする気風はかえって消費電力を使うため、省エネタイプを息子が選んで買ってきたのです。台所の隅の食器置き場の上にでんと座った真新しい電子レンジは、何処となく風格があって一際輝いて見えるのです。

 あれから20日余りが経ちました。これまで電子レンジの使い方は主に温める程度の役割しか使っていませんでしたが、妻は眼鏡と虫眼鏡を使ってカタログを読みながら最近は料理に凝っていて、特に家庭菜園で育っている冬野菜を使った温野菜は、これが飛び切り美味しく私が褒めるものですから、温野菜が一品増えて毎日の食卓が何か違った感じに見えてくるようになりました。

 今はキャベツ、白菜、大根、カブ、ホウレン草、チンゲンサイ、ブロッコリー、カリフラワー、ニンジンなどに加え、保存野菜のタマネギ、ジャガイモ、サツマイモにリンゴが加わって、温野菜のオンパレードなのです。電子レンジ専用の耐熱皿に入れてラップをかけ、数分すると熱々の温野菜が出来上がります。私たちが子どもの頃は、野菜は温めたり煮たりすると栄養価を損なうから生のままで食べる方がいいと指導を受けたものです。しかし最近は野菜も生だと量を摂取できないので、煮たり温めて量を食べた方が得策だという風潮に代わってきました。

 温野菜にすると野菜の風味はむしろ生より多くなったような気がします。ポン酢やドレッシングで食べるのもいいですが、何もつけずに食べると野菜の香りが楽しめてとても美味しいのです。

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(青虫のがいも殆どなく丈夫に育っているキャベツ)

 これまで冬野菜は家庭菜園で作るけれど、そのうち余って花が咲いたり頭が立ってしまっていましたが、温野菜を作るようになって野菜の消費量が格段に増え、毎日料理が始まる前に畑へ野菜籠を持って採りに行くのが楽しみになってきました。昨晩はサツマイモとチンゲンサイ、ブルっこりーに加えリンゴまで温野菜にする豪華さです。お陰で主食であるご飯の量が幾分か減って野菜と魚中心の食生活になっているようです。

 昨日家庭菜園に行って驚いたのですが、友人の伊予市三谷に住む水口さんから昨年の秋にいただき植えていた苗物が丈夫に育っているのですが、中には見たこともないような色のブロッコリーや未だに何という野菜なのか分らないものまであって、水口さんにどんな名前でどのようにして食べるのか聞いてみようと思っているのです。さて紺屋の食卓の温野菜は何でしょうか。楽しみです。

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(名前が分らない幾何学模様の野菜)

  「新品の 電子レンジが 活躍し 温野菜たち 食卓飾る」

  「そういえば 最近体調 いいようだ 妻のお陰か? 野菜のお陰?」

  「名前さえ 知らない野菜 あちこちに 今年も豊作 菜園楽し」

  「肉嫌い ゆえに肉など 食べてない 指折り数え 記憶をたどる」  

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○身近な場所と身近な人の前では話しにくい

 見ず知らずの場所や人ならどんな話でも出来ますが、自分のことをよく知っている身近な場所や身近な人を前にお話するのは中々骨が折れるものです。昨日はそんな場所と人を前にお話しするよう地元の公民館から頼まれ、昨晩灘町5丁目公民館へ出かけて行きました。夜7時30分からの集会なので役場へ車を置き、公民館の赤石主事さんと二人で歩いて行きました。ものの5分もすれば到着する5丁目の自治公民館は、お地蔵さんのお堂が直ぐ横にあり、若いころ何度もお邪魔してお酒を飲んだ懐かしい場所なのです。

 少し早く行き過ぎて到着した時にはまだ鍵も開いていませんでした。空を見上げ星や月を見ながら雑談しているとそのうち世話人の市役所に勤める大森さんがやって来ましたが、鍵の様子が違って少し慌てたようです。やがて公民館に明かりがつき、私たちも中へ入れてもらいました。

 「今晩はどのくらいの人数が来るかな?」と赤石主事さんと話していましたが、最終的には20人を超えこの寒い時期ゆえに大盛況でした。

 この日の講演会を仕組んだ大森さんからは、「双海町の公民館活動」というテーマをいただいていましたが、之を話すと参加した人には余り面白くないようなので、公民館のことを織り交ぜながら少し楽しい話にシフトさせながら90分の話を終えました。

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 双海町の公民館活動も、かつては自治公民館活動でその名をとどろかせ活発に行われていましたが、過疎や高齢化の影響をもろに受け、自治公民館活動はそれなりに行っているものの、それらを集めた文化祭や体育祭、スポーツ行事などは不参加が相次ぎ、このままではいけないといいつつ妙案もなく、深い悩みの淵に入っているようです。

 私が住んでいる比較的人口の多い灘町さえも高齢化や空洞化が目立って、もう公民館活動どころではないという言葉がささやかれています。でも昨日のように小さな集会を企画するリーダーがいれば結構人が集まり、それなりの学習が組み立てれるのですから、頑張らなければなりません。

 人間は学習する動物といわれているように、学びによって「無智によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」のですから、学んで進化しなければなりません。現代の情報手段といわれるパソコンさえも使えない、むしろテレビが唯一の情報手段の人たちに、身近な正しい情報を正しく教えなければいい生き方は出来ないのです。

 「いかに豊かな心で生きれるか」、これは私たちの大きなテーマだと思うのです。私の話がその問いかけになればと思っています。


  「知り人の 前で話すは 照れくさい いつもと違う 雰囲気呑まれ」

  「この町も 次第に馬力 下降気味 どうにかしたい 気持ちはあるが」

  「どう生きる ただ漫然と 生きるより ましな生き方 学んで見つけ」

  「面白き 事もなき世と 思えば終わり もっと楽しく 思えば楽し」

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○地域づくり人養成講座

 一年間に6回の学習をする、えひめ地域政策研究センター主催の「地域づくり人養成講座」の最終第6回学習会が一昨日開かれました。毎年のことながら地域づくり人を目指すこの会に招かれ、今回は発表に対するコメントと対談を行いました。それにしても昼食を挟んでの発表や対談それに閉講式と、午前10時から午後5時まで、延々7時間も続くかなりハードなスケージュールには、会議に慣れている私でも多少疲れてしました。

 今年の受講生は21人ですが、大学生あり、女性あり、多少お年を召した方ありでバラエティに富んでいましたが、地域づくりは年齢でするものではないのでみんな熱心に取り組んでいました。この日のために皆さん研究レポートを書いていて、カラーでい印刷されたレポート集は一人2ページ程度のいずれも力作ぞろいでした。

 地域づくり人に求められるのは読む、聞く、見るという学習によって得た受動的知識を、書く、喋る、実践するという能動的知恵の発露で表現しなければならないのです。正直いってレポートの書き方も、枚数の指定はあるものの書くことの指導は余り行われていないため、不出来と思いました。ましてやレポートを元に発表する発表の仕方も、何人かを覗けば素人に少し毛が生えた程度で、満足いく物ではありませんでした。でもこうしてレポートを書いたり発表をするプロセスを経て成長するのですから、むしろこれは修行と思えばむしろ立派過ぎるほど立派な成果でした。

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 レポートを見ながら発表を聞き、それらに対し意見を述べる仕事も容易ではありません。仕事の都合でやむなく欠席した人を覗いても17人が入れ替わり立ち替わり一人10分ずつ話すのですから、聞く方も真剣なのです。発表ごとのショートコメントはNPO法人まちづくり支援えひめ代表理事の前田眞さんに委ね、時間の都合で私は最後にまとめて話をさせてもらいました。

 前田さんとの対談は「これからの地域づくり人とは」がテーマでした。対談といいながら前田さんが司会をし、私が前田さんの質問に受け答えするするような形で進行しました。1時間30分の予定でしたが、発表の時間が押して結局1時間になってしまいました。前田さんも私もそこら辺は慣れているので、何の事前打ち合わせもなく適当に喋りましたが、テーマの本質だけは外さず、あえて点数をつけるならまあ70点の出来くらいで終わりました。ポール・J・マイヤーの言葉に「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」という言葉を引用して締めくくりましたが、この学びを自分づくり、地域づくりに是非役立てて欲しいと願っています。

 閉講式終了後、市駅前の「庄や」という居酒屋へくり出し、30人の大宴会が持たれました。会費4千円2時間限定飲み放題でした。最近はこうした安い店が多くなりました。先日東京へ行った地域政策研究センターの松本さんの話によれば東京では、6千円6時間飲み放題という店もあるそうです。それで儲けるのだろうか?、そんな長い時間体力が持ちのだろうか?と考えさせられましたが、デフレ気味の世相を反映して、安売り、安呑み現象は当分続くのかも知れません。

 酒を呑まない私にとっては、ウーロン茶一辺倒のこうした飲み会は元も取れませんが、それでもウーロン茶で酔ったような雰囲気になりながら受講生と楽しく話をさせてもらいました。

 今年の受講生は概して理論型知識人が多いような印象を受けました。既に社会人、地域づくり人としての人格形成が出来ているのです。しかし違う側面から見れば多少理屈っぽく、変化しにくいようにも思えました。

 最初に発表した鍋井さんの名前を借りれば、地域づくりは鍋とかまどと火によって構成されます。地域というかまどに鍋というきっかけを乗せます。その鍋の中に事や情報を入れて味付けをするのですが、それらを温める火となるのは自分や地域の人たちなのです。火にも色々あって炭火もあれば薪を燃やすことだってあります。この日の受講生は人の作った炭のような感じがしました。赤く燃えるものの所詮は人の作った炭なのです。初々しい受講生には是非薪になって燃えにくいながらも煙を出して欲しいのです。煙は時に目に涙を誘発するかも知れません。またこの煙は狼煙となって情報発信をするかも知れないのです。でも煙が上がること、やがて燃え始めることの意味をしっかりと覚えて欲しいと思いました。


  「今年また 新たな種が ばら撒かれ それぞれの地に 根付き芽を出す」

  「文章も 発表さえも 下手くそだ けれどもこれが  こやしになりて」

  「小理屈を 言う人なるな 手と足を 更にはハート 動かす人に」

  「おっ、やるな そんな人にも 巡り合い 今年も無事に 修了証書」

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