shin-1さんの日記

○残暑が厳しいねえ

 朝起きて顔を洗い、書斎に入りパソコンの電源を入れてから戸外へ出ました。清々しい朝です。今日も残暑が厳しいだろうなあと思いつつ、ブルーベリーの庭に行くと、何やら少し水切れかな?と思うように心なしか元気がありませんでした。そいえばこの二日間ほど忙しくて水やりを忘れていたようです。今までなら井戸の水をバケツに汲んで運ぶか、長めのホースを引っ張ってやるのが普通ですが、先日来親父はそんな私の水やりの作業を軽減しようと、エス欄パイプを数本買ってきてブルーメリーのすぐ近くで水が出るように麹をしてくれたのです。土中を掘ったり水路を這わしたりと二日間もかかったようですが無事通水し、今日はあっという間に水やりを終わりました。親父様々です。

 水やりが終わってさあブログを書こうと机に座って3行余り書いた時漁師の友人から電話が入り、「ハマチが獲れたからから獲りに来るように」とのことでした。途中でブログを書くことを止め単車で漁協の魚市場まで行きました。かなりの大漁のようで、3本程度を目論んで単車で行ったのに8本もいただき、単車の後ろに積んで帰りました。さあそれからが大変です。今日はゴミの日なので早々に荒調理をして内臓や尻尾、それにエラなどを取り出してゴミに出さなければならないのです。妻にエプロンをかけてもらい、出刃包丁を取り出して3本の頭を落とし内臓を開け3枚におろしました。

 綺麗に水洗いしてパレットに入れ、妻はラップをして冷蔵庫に保管をしました。急いでゴミを出し、朝食もそこそこに友人のところへおすそ分けに走りました。今日のハマチは大きいためおすそ訳は1本ずつとなりましたが、多分晩酌の肴にはなったことでしょう。

 人間牧場のかまど小屋の工事がいよいよ佳境に入り、今日から築炉工事に取り掛かるので、その模様を写真に撮るよう息子から言われていたので、急いで人間牧場へ向かいました。築炉工事を手掛ける左官さんと元請けの大工さんが既に到着して作業を始めていました。左官さんにとってはかまどを築く工事は今時殆どないため、二人の職人さんが思い出しながら作業を進めるため作業が中々はかどらないのです。私は草刈りをしなが撮影をしましたが、それくらいのペースでした。

 今日も残暑が厳しい一日でした。草を刈るのですが体中から汗が吹き出しました。時折休憩のつもりで工事現場を見ながら冷蔵庫の冷えたお茶を飲みましたが、今日は500ミリリットルのペットボトルを2本飲み干しました。

 このところの好天続きで草は日中ぐったりしていて、草刈り機の刃に容赦なくまとわりついて、作業効率は余り良くありませんでした。それでも午後4時近くまで刈りましたが、少し疲れたので今日の作業を終えました。彼岸が近付きハズムシが発生する前に刈りたかったので、今日の草刈りはいいタイミングだったようです。

 午後5時には左官さんたちの作業も一段落して、後片付けをして帰って行きました。草刈り作業はもう半日残っているので、次回にしたいと思いますが、かまど工事の進捗状況をカメラに収めながら結構いい勉強になった一日でした。かまどの工事は明日も教に引き続き行われるようです。でも明日は所用があってカメラに収めることができないのが残念です。


  「汗をかく 健康的で いいけれど 少し疲れた 体力的に」

  「汗をかく 水分補給に お茶を飲む 繰り返しつつ 草刈り進む」

  「一日の 歯車狂い 夜になる ブログ終わりは 10時半過ぎ」

  「洗面所 鏡に写る 自画像は すっかり日焼け 元気そう見え」 

  

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shin-1さんの日記

○親父と二人で大根の種を蒔きました

 最近近所の人に出会うと、「雨が降らんので大根の種が蒔けんので困る」という言葉を耳にします。そういえばこのところお天気続きで、雨が少ないようです。屋外で行う夕焼けコンサートも好天に恵まれていいイベントとなったので、私としては満足しているのですが、一方では「大根の種が蒔けない」という人がいることも事実です。

 かくいうわが家でも親父は、「そろそろ大根の種蒔きをしなければ」と思っているらしく、私の予定の空いた日に種を蒔きたいと再三再四ご機嫌をうかがいにやって来るのです。そんなこともあって昨日の午前中、倉庫から新品の耕耘機を取り出して畑を耕し、大根の種蒔き準備をしました。比較的広い畑なので、前もって種物会社へ行き、大根、カブ、聖護院大根、高菜、シュンギク、ホウレンソウなどの種を買っていました。わが家はたった3人の家族ですが、近所に畑を持たない親類が沢山いるため、そんなに植えてどうするの?と思われるほど沢山植えるのです。

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 私が耕耘機で耕した後を親父が丹念に整地し、植える種によって尺度を変えて畝を作り、私が袋を開けて種をお皿に移し、一粒一粒確かめるように蒔いて行くのです。9月1日で92歳になった親父は目が薄くなって、さすがに種を一粒ずつ蒔くことはできませんが、私が種を蒔いて土をかぶせた上に牛フンや化成肥料を撒いてくれるのです。この10年ほどは毎年このように親子で冬野菜の作付を行っているのです。

 親父は几帳面な性格なので畝間も自分が造っている定規を利用して採寸し糸を張って畝を造るのです。私などはいい加減に早く終わらせたいと思うのですが、少し広いとか狭いとか、私のやることなすことにいちいち文句を言うのです。昔は口喧嘩のように丁々発止をしていましたが、最近は私が丸くなったのか、親父に従う術を覚えて適当にやっているのです。

 この日は残暑が厳しく座ったり立ったり、また耕耘機を使うため思い切り汗をかきましたが、お陰さまでいい時期に種蒔きができたようです。私は種蒔きが終わると直ぐにジョロに水を汲んでたっぷり水をかけました。こうすることによって発芽を促すのです。

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 今晩外出先から帰ってみると親父は、畑の隅に引き込んだ井戸水使用のホースで畑に散水をしていました。台風10号が北上していますが、まだ当分は雨が期待できないとあっての配慮です。私などは植えれば目が出て育つと思って殆ど何にもしませんが、親父は草を削ったり水や肥料をやったりと、手入れに余念がないのです。

 何年か前、発芽して二つ葉から3つ葉になったころ、大きな台風がやってきて全滅し、再度種を蒔いた苦い経験が頭をよぎりました。多分あんなことはないと思いますが、台風シーズンなので用心が肝心です。

 私の芸名が「夕日亭大根心」なので大根には殊の外思い入れがあります。大好物の大根が今年も大豊作でありますよう、そして親父も私も去年よりは一つ歳を重ねましたので、健康に留意して美味しい大根の味を楽しみたいと思っています。


  「雨降らず 大根の種 蒔けないと 天に向かって 不平ブツブツ」

  「九十二 なった親父の 作る畝 一粒丁寧 種蒔き入れる」

  「水をかけ これで発芽は 大丈夫 思うが親父 水の追い撒き」

  「健康で 今年の冬も 大根を 食べて正月 迎えたいもの」

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shin-1さんの日記

○クモの巣の幾何学模様は面白い

 今朝起きて書斎の窓を開けると抜けるよううな空の青さの中に、何やらクモの巣が夜露を浴びて光っていました。クモの巣は暮らしでは厄介者ですから、普通は箒などで取り払うのですが、その幾何学模様の余りの見事さに時の経つのも忘れて見とれてしまいました。

 これは面白いとデジカメを取り出して写真に撮ろうと試みましたが、カメラは人間の目のように鮮やかな姿をとらえることができずついには断念してしまいました。というのも今のデジカメは全てオートピントのため、カメラから発射されたピント制御の光はクモの巣を通り越して背景に反応してしまうのです。でも人間の力では不可能と思えるクモの巣の幾何学模様は見れば見る程美しく、しかもクモの種類によってクモの巣の造り方が違うようなので、クモの不思議に挑戦してみる価値はあるかもしれないと思いました。

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 私たちが子どもの頃は戦後間もないこともあって、遊び道具など殆どない時代でした。ゆえにカブトムシやクモさえも遊び道具の一つでした。クモには大臣クモというクモがいて、それを木の枝で捕まえてきてクモ同士の喧嘩をさせるのです。喧嘩の強い腹や背中に金縞の入った太い大臣クモを持っていると、子ども世界では優越感が得られるとあって、野山に探しに行きました。どういう訳か喧嘩の強いわんぱくな子どもが持っているクモは強くて、私などが持っているクモは喧嘩でいつも負け、「頑張れ頑張れ」という応援など聞こえないのかすごすごと逃げまどう有様でした。手に汗握ってクモやカブトムシの喧嘩を応援した懐かしい少年時代は思い出の彼方に消えてしまいましたが、もう一度あんなワクワク・ドキドキするような遊びをしてみたいものだと思いました。

 部屋に入ってテレビのニュースを見ていると、偶然にもクモの巣の話題が出ていました。途中からだったのでどこの誰かも分らず終いでしたが、クモの巣を収集している人がいるそうなのです。何でもクモの巣を青い色の紙のようなものでそのまますくい取り、その上に固定させるスプレーのようなものを吹きかけていました。そうして作ったパネルをかなりたくさん集めていて、各地で展示会をしているそうなのです。一つとして同じもののないクモが造る幾何学模様の巣の造形美は、とても魅力があると語られていました。世の中には暇で面白い人がいるものだと笑ってしまいましたが、密かに自分もやってみたいと思ったりしたのです。

 わが家は海沿いの町ながら山沿いにあります。ゆえに家の周りはクモの巣城ではないかと思うほどクモの巣が、除けても除けても造られるのです。クモの巣が張ったままだとどこかみすぼらしい手入れの行き届いていない家に見られるので、気がつけば出来る限り片づけるようにしていますが間に合わないのが実態です。でもこれが収集となるとこれまた面白い話に発展するかも知れませんね。

  「何見てる 妻が横から 不思議がる クモを見ている ?首をかしげる」

  「クモの巣は 見れば見るほど 美しい あれを造れと いわれ造れず」

  「ひょっとして クモの巣集め ひと儲け 暇があるのか そんな考え」

  「クモ喧嘩 手に汗握り したっけな 今の子供に 伝わるはずなし」

 

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shin-1さんの日記

○今年もいい夕焼けプラットホームコンサートでした

 昨日も忙しい一日でした。本当は午前中鱧祭りに参加したかったのですが、以前から決まっていた大阪からの取材と広島のお客さん対応に追われ、午後は香川県高松市三谷地区の皆さんと人間牧場での研修、それに恒例の夕焼けコンサート鑑賞と、まあ目が回りました。それでも息子が家族でやってきて、人間牧場で水平線の家の掃除をしてくれたり、三谷の皆さんたちに足湯のサービスをしてくれたりしてサポートしてくれました。三谷の皆さんは一週間前にも水仙の球根堀にやってきた折、人間牧場へ来ているのですが、溝渕さんや三好さん以外は人間牧場は初めてらしく、感動の面持ちでした。私の話や足湯サービスの後はお定まりの場所でお定まりのポーズの記念写真を撮りました。このアングルでもうどれ程の人が写真に収まったことでしょう。

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 一行を見送り、水平線の家の簡単な掃除とロケ風呂の湯抜きを行い急いで下灘駅へ引き返しました。下灘駅は既に夕焼けコンサートの準備も整い、観客が集まり始めていました。やがて午後5時になると小林真三さんの司会でコンサートが始まりました。天気予報では晴れ時々曇りでしたが、西の空に雲がかかり、夕日の行方が心配されました。会う人たちは私が夕焼けコンサートに長くかかわってきたことを知っているのか、「若松さん、今日の夕日は出ますかねえ」などと、聞いてくるのです。「多分大丈夫でしょう」といい加減な返事を繰り返していましたが、時間が経つにつれて雲が取れ、綺麗な夕日が見え始めました。音楽もさることながら、じゃこ天やビールを片手にほろ酔い機嫌の観客の顔を、真っ赤な夕日が照らして雰囲気は最高になりました。

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 この日は私と交流のある香川県高松市三谷地区のバス一台のお客さんも加わり、また遠路はるばる毎回のようにやって来る、広島県大竹市の元青年会議所理事長の森本さん夫婦など、沢山の顔見知りの顔も見えました。24年前、誰にも相手にされず私一人で始めたコンサートが、4半世紀近くの24回も続くとは私自身も思っていませんでした。これまで陰で支えてくれた多くの人々に感謝しなければなりません。今では私の人脈で観客を集めるくらいしか役割はありませんが、もう少し続いてほしいと願っています。

 少しだけ夕日やコンサートの雰囲気をお楽しみください。

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 最後に夕焼けトロッコ列車がホームに滑り込んできました。空はサーモンピンクの夕焼けです。フーテンの寅さんもやってきた日本で一番海に近かった下灘駅は、ひなびた無人の駅舎やプラットホームの屋根とベンチだけの質素なたたずまいが、夕日を余計引き立たせる道具立てとなって、郷愁をかきたててくれるのです。頬を撫でる爽やかな初秋の風も、鳴き始めた虫の声も、舞台で歌う人の音楽や歌声も全てが絵になる光景で、少しだけ感傷にふけり涙が出そうになりました。このコンサートでやっと今年も暑い夏が終わったという感じがしました。


  「金もなく 何にもないのに この場所で 始めたことが 24年も」

  「若かった あの頃私 無鉄砲 今ならやらぬ 多分やらない」

  「イベントは 続けることの 意味ありて 多くの人の 想い集める」

  「今年また 遠来の友 やって来た 感謝をしつつ 夕日見つめて」

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shin-1さんの日記

○昔の娘はいいですね

 昨日の午後、西予市野村町更生保護女性部の皆さんが40人ほど、人間牧場へ大挙してやってきました。人数が多く中型バスは道が狭くて入らないためマイクロバスに乗り換えたり、シーサイドのワゴン車を借りたりと多少混乱をしましたが、まあ何とか人間牧場へたどり着くことができました。それにしても最近の人間牧場の来訪者はすさまじく、地元の人も時ならぬ度重なるバスの通行に目をパチクリさせながら傍観していました。

 旧野村町は私の友人も多く、来られて方々の中にも顔見知りがいて、懐かしい会話を交わさせていただきましたが、それにしてもこれだけの人数は久しぶりなので、昔の娘さんの来訪に気を良くした私はハッスルしてお話をさせてもらいました。

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 訪れた中には若い人もいましたが、年代的には私と同じ時代を生きたと思われる人も多く、私が落伍の高座に上がり講話の中で吹いた「ああ上野駅」や「南国土佐を後にして」「みかんの花咲く丘」のハーモニカの音色に、皆さん納得され、思わず口ずさむ人もいて驚きました。

 この日は残夏が厳しく、しかも皆さんが研修している時間は少し早目の夕凪で、ムシムシするあいにくの天気でしたが、うちわ片手で私の話を聞いてもらいました。

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 遠くで雷がゴロゴロとなっていたのでもしや?と思っていましたら、案の定わが家のある上灘では、少しの時間ですがうつすような雨が降ったのだそうです。見れば青い初秋の夏の空の彼方に真っ白い入道雲が湧き上がり、夏の名残りを見せていました。運よく人間牧場では雨に出会うこともなくゆったりと過ごしました。

 野村町には海がありません。ゆえに皆さんは海の見える広々とした眺望が珍しく、すっかり見とれていました。残念ながら昨日はガスがかかっていて遠望は効きませんでしたが、皆さん満足をして帰られたようです。ついでながら自著本「夕日徒然草」を沢山買ってもらい感謝に堪えません。ありがとうございました。


  「大挙して 山の町から 海沿いの 牧場訪ね あれこれ話す」

  「湧き上がる 名残懐かし 入道が 雨を降らして 立ち去るわが家」

  「海のない 町から来れば 海がある 羨ましいと ないものねだり」

  「ハーモニカ 音色に合わせ 口ずさむ 昔懐かし 歌の幾つか」

 

 

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○会報誌「いのちの田圃」の取材

 世の中にはいろいろな団体があるもので、聞いたこともないような団体やNPOがいっぱいあるようです。先日突然私のメールに、ガンの元患者によって設立されたNPO法人ガンの患者学研究所の会報誌「いのちの田圃」担当の藤井さんという女性から取材の申し込みがありました。送信先を見ると横浜市青葉区とあります。愛媛県でもガン元患者の会などが設立さえていることは新聞などで知ってはいますが、内容はあまり詳しくないのです。

 藤井さんのメールによると「若松さんのご活躍を、数ヶ月前に朝日新聞にて知り、その後著書やインターネットなどで卓抜なアイデア、行動力、そして地域は人々への深い愛に非常に感銘をいただきました。そしてぜひとも私どもが刊行している会報誌『いのちの田圃(たんぼ)』にて、ご紹介させていただきたく、取材のお願いをさせていただきました」とあるのです。

 持ち上げられ過ぎだと分っていても、「今の日本はガンで命を落とす方が残念ながら非常に多い現状ですが、患者さんが健康を取り戻すには、ただ、病院に治療をゆだねるだけでなく、患者本人が自分の免疫力を高め、生活習慣を改める努力が大切なことを私たちは訴えております。ご本人がどれだけ自分の命を大切にしようとするか、勇気と希望を持っているかによって、いい結果に結びつくことが多く、まさにその方の生き方の問題でもあるように思えます。

 そこで、私どもは、様々な分野で困難を切り開き、大きな社会貢献を果たされている方々をご紹介して、患者さんの生きる力にしてもらう「人生の教室」という連載コーナーを企画しています。お忙しいところを大変恐縮ですが、2、3時間取材のお時間をいただければ幸いです」というメールを読めば断る理由もなく、数回のメールのやり取りで昨日の午前中で日程調整し、藤井さんは早朝7時40分に上灘駅に着きました。

 私は田舎のオープンカーで迎えに行きシーサイドで1時間余り、自宅で30分余り、更には人間牧場で1時間余り取材を受けました。昨日は残暑が厳しく日陰を選んでの取材となりましたが、はてさて私の生き方がどのような活字になり、元ガン患者の皆さんにどのように受け止められることでしょう。

 私の親父もその昔ガンを患いました。もし親父がガンにかからなかったら私の人生はもっと違っていたでしょう。幸い親父はガンを病み捨て、今年の9月1日で満92歳の長寿を生きているのです。ガンを患った親父も、親父の周りの家族もガンのことを忘れたことはないほど悲喜こもごもの人生を過ごしてきたのです。私たちは健康な時は自分の健康など殆ど考えもせず暮らしていますが、当時は不治の病といわれたガンにかかり失意に打ちひしがれた親父や、重く沈んだ家族の心情は、経験者だけに痛いほどわかるのです。

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 取材が終わってホッと一息入れ、藤井さんに人間牧場の背もたれ椅子に座ってもらい、心地よい初秋の風を体いっぱいに受けていただきました。「この背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝をする、これが私の理想です」と顔に似合わぬ話をして人間牧場を後にしました。


  「わが家でも 親父がガンに 冒されて 再発不安 今日の今日まで」

  「もし親父 ガンにならねば 今の俺 違った道を 歩んでいたはず」

  「肺ガンで 逝きし母親 遺影置き 日々欠かさずに お茶を供える」

  「他人事じゃ ないなと思い 快く 取材に応じ 役立つ信じ」

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shin-1さんの日記

○双海の子どもたちと一緒に夕日鑑賞会

 大人も子どもも毎日忙しそうで、夕方西の空を真っ赤に焦がして沈む夕日をのんびり見る余裕なんてないようです。でも一日の終わりに当たり「ああ今日も元気で過ごせたなあ」とほっと一息つきながら、夕日に向かって感謝の祈りをささげるのも悪くはないものです。

 先週の日曜日からふたみ潮風ふれあいの館で通学合宿「夕焼け村」が始まりました。この事業は親元を離れて1週間、共同生活をしながら学校へ通うというものです。お世話人の指導で色々なことを体験しますが、食事づくりも買物も洗濯も自分たち自身でしなければならないため、敬遠する子どももいますが、常連の子どももいて私に「進ちゃん」などと気軽に声をかけてくれるのです。

 今週の月曜日の夕方私は「夕日の話」と題して子どもたちに夕日の話をするためふれあい公園へ出かけました。この日の夕食メニューはカレーでした。少し早目に行ったため「進ちゃんも一緒に食べようと誘われ食事の和の中に入りました。失礼ながら子どもたちが作ったカレーですが中々の味で感心しながら食べました。少し時間が押していましたが、この日の夕日が6時36分に沈むため、後片付けは後にしてとりあえず外へ出てもらいました。

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 電柱をいただいて私が現役時代に造った細長いベンチに腰をかけて、夕日の話をしてやりました。この日はボランティアでやってきた東雲大学の学生たちが感動したというとおり、まずまずの美しい夕日でした。私は思いつくままに夕焼けと小焼けの違い、夕日は何秒で沈むか、双海の夕日は何処の朝日か、夕日と食べ物、夕日と音楽などなど面白おかしく話してやりました。子どもたちには概ね年に一度夕日の話をしてやりますが、最近はすっかり夕日に魅力を感じているようで、私以上に夕日のことを知っている子どももいて頼もしく思っています。

 私は近頃子どもたちに夕日にまつわる歌をハーモニカで聞かせるように心がけています。この日は夕焼け小焼けと赤トンボ、それにぎんぎんぎらぎらの3曲を聴かせました。私のハーモニカも練習や講演の度に吹くためすっかり上手くなって、子どもたちから大きな拍手をいただくほどになりました。でもこの拍手をアンコールと思うほど上達はしていないので、あくまでも謙虚に披露しているのです。


 私にとってはすっかり見慣れた瀬戸内の夕日ですが、それでも見る場所と一緒に見る人が違うため、昨日とは趣の違った夕日を楽しむことができました。私のデジカメは腕が悪いのかどうか分かりませんが、夕日をアップで撮影するとぼけたような写真になってしまいます。少しお金が貯まった一眼レフのデジカメを買いたいものだと自分の腕の未熟さを棚に上げて思っているのです。

 いよいよ一年中で最も夕日が美しいと思われる秋の頃とンなりました。明日は恒例の夕やけプラットホームコンサートも開かれる予定です。夕日からますます目が離せなくなってきました。明日は香川県高松市の三谷地区から昨年に引き続き20人ほどの団体がやってくる予定で今からワクワクしながら待っているのです。

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shin-1さんの日記

○ヤッホー、新車を買ったぞー

 「地球を一周すると4万キロ」と教わったのは小学校の頃でした。その距離が大きいのか少ないのか分らぬまま私は若いころ、大航海時代そのままに愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸や総理府派遣第10回青年の船に乗って、赤道や日付変更線を超える旅をし、4万キロの長さの幾分かを長いと実感したものでした。

 4万キロを遥かに超える24万キロ、これは私がこの10年間、愛車トヨタプラッツで走り続け、車のメーターが刻んだ記録なのです。つまり地球一周の4万キロに換算すれば、何と地球を6周もした計算になるのです。ちょっとそこまでというちょい乗りから、遠くは鹿児島県国分や熊本県牛深まで、走りに走った無意識な距離の積み重ねでしょうが、色々な人に聞いても24万キロは走り過ぎだと言われるのです。

 10年前にこのプラッツを買った55歳の時、妻が「お父さん、車は大事に乗れば長持ちするから1500ccくらいな大衆型新車を買おう。10年間乗ると仮定するとお父さんの人生で車を買うのはもう後2回だよね。次に買うときは定年後だから今まで我慢していた分少しいい車を買おう。75歳になったら軽4輪にしよう」などと、訳の分らぬことを言っていました。ところが知らず知らずのうちに定年を迎え、私の手足のように走って長く慣れ親しんだ愛車も10年間の走行に終わりを告げるのです。妻の「車は手入れ次第」という言葉そのままに私は車の手入れとオイル交換は欠かさずやってきました。車庫の上に置いたシーカヤックカヌーが落下してボンネットや屋根に多少のへこみや傷があるものの、また追突されて修理をしたものの、海岸線を乗った割には錆も殆どなく、車屋さんが「綺麗に乗っていますね」と褒めてくれました。しかし24万キロの走行距離はまるでボディーブロのように疲労を蓄積していて、先日は車のパットが故障して修理に出したりしたのです。車検を前に後2年乗ろうという私と、新車を買うと言い張る妻の間で確執がありましたが、遠出をする私のために妻は思い切って2百万円余りも車を私にプレゼントしてくれたのです。「よっ、太っ腹」と声をかけたいのですが、妻の太っ腹は皮下脂肪なので滅多なことはいえないのです。

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 私は車の車種など無頓着です。ところが妻や息子はこの半年余り、買い替えるこる間の車種について色々とカタログを貰ってきては話していました。そして1ヶ月前から車種の違う車を見定めにディーラーを訪ねていました。私も最後は連れて行かれましたが、時あたかもエコカー減税の嵐が吹き始めた時期であり、「トヨタプリウスにしたら」という息子の勧めもあって買うことに相談がまとまったのです。しかし私たちが決めた時は品薄で来年まで車が入らないというのです。仕方がないので私が思っていた1500ccの大衆車「トヨタカローラアクシオに決めました。「エコカー志向のこの時期に何で」と息子は不満でしたが、乗るのは私なので決めました。

 さて車検の切れる前の先日、大安の日に車を受け取り行きました。古い車の荷物を下りし、水洗いをして綺麗にふき取りおさらばです。10年間も私や妻のために働いてくれた車を廃車にすることは忍びないのですが、まあこれも仕方がないことと諦めました。

 新しい車はワックスの匂いも初々しく汚れもない新車です。さてこれから10年、私も元気でこの車を使って仕事や楽しい旅をしてみたいと思っています。人から見れば「なんだそんな車ぐらいで」と、「ヤッホー、新車買ったぞー」と言われそうですが、自己満足の世界ですので拍手を送ってください。

  「エコカーを 買わぬ私は へそ曲がり 自分満足 いいじゃあないの」

  「10年に 24万 キロ乗った 古い車に 別れを告げる」

  「ETC 民主が勝った どうなるの? 矛盾の多い 世の中ですね」

  「何処となく リッチな気分 新車乗る 金もないのに 妻は決断」

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shin-1さんの日記

○人間牧場にチャレンジクラブがやって来た

 「チャレンジクラブ」という名前を聞けば多分青少年の活動団体を思い浮かべるのですが、この名前はれっきとした経営者の集まりなのです。記憶は定かでありませんが、私の保存している予定表をめくると2005年7月28日に桜井啓子さんの名前と電話番号か記されているので、多分その辺りではないかと思われるころ、このチャレンジクラブは10人ほどで私のところへやって来ています。その時は役場の3階の一室を借りてまちづくりについてお話ししたような気がするのです。当時教育長だった私は夕日のことやシーサイド公園の経営のことなどを目いっぱいお話ししました。経営者に経営者でもない私が何を話したのかよく分らないのですが、いいフィーリングであったことは確かです。愛媛県に縁のある桜井さんとはその後も個人的な付き合いが続いていますが、今年になってチャレンジクラブの会長である徳島に住む内藤裕敬さんが急遽人間牧場を訪ねられ、9月の2日に人間牧場で会員研修をしたいとの申し出がありました。桜井さんのように衣料系のお店を15店も持っている経営者が集まるので、私のようなものの話などと思いましたが、甘んじてお引き受けしたのです。

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 昨日は午後1時に双海総合支所の前に集まりました。メールで送られてきた名簿を見ると宮崎県、香川県、山形県、熊本県、徳島県、大阪府、岡山県、愛媛県とまあ日本全国から集まるようで、12人それぞれ車のナンバーもバラエティに富んでいました。人間牧場には駐車場がないので、しもなだコミュニティセンターの駐車場で3台の車に乗り合わせて牧場へ向かいました。心配された台風もこちらには影響がなく、昨日はまずまずの遠望も楽しめて皆さん感激の面持ちでした。

 さて私は約1時間余り、商売人を相手に何の話をレクチャーしたのでしょう。水平線の家での座学は2時間にも及びましたが、鋭い質問もあっていい雰囲気の集会となりました。


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 この後一行は佐田岬半島の突端にある民宿大岩を目指しました。前回は道後温泉で一泊したので今回は趣きを変えたのです。事前に誘われて了解していたので私はその交流会に参加するため一行に加わりました。夕やけこやけラインと潮風メロディーラインを通りましたが、13里といわれる佐田岬の突端付近まではやはり遠いというのが第一印象でした。佐田岬には無数の風力発電の風車が並び、瀬戸内と宇和海を左右に見ながら走る景色に、遠来の皆さんは目を奪われ、折しも落ちようとする夕日を眺めながら初秋の岬を楽しみました。

 民宿大岩は魚や貝、イセエビなどの海の幸を食べさせてくれることで近年人気のあるところで、私の妻も一度だけ宿泊したそうですが、私は一度だけ食事をしに訪れたことがあるだけで、場所も忘れていたため、三崎の塩崎さんに事前に連絡して教えてもらいました。

 交流会は海の幸がずらりと並ぶご馳走でしたが、私には食べきれない程で、元来た道を今度は一人で引き返さなければならないこともあって、宴会が始まって1時間ほどで早々にお暇をさせてもらいました。夜の道は交通量も少なく2時間ほどで自宅に到着し、長い長い一日のスケジュールがやっと終わりました。体力的には少し疲れましたが、気力的には色々な人との出会いもあってとても充実した一日となりました。


  「西東 300キロの 道のりを たった一日 妻も感心」

  「経営者 前に一丁前 口をきく 結局最後 人がするもの」

  「右左 二つの海を 見て走る 遥かかなたに 夕日が沈む」

  「経営の 極意学びに やって来た 逆に学んだ 経営極意」 


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○松山大学での講義

 いつも通う愛媛大学の裏門に面して松山大学はあるのですが、愛媛大学へは一週間に一度通っているものの、松山大学へは一年に一度程度しか行かないため、松山大学の存在を忘れていました。松山大学の先生をしている金融広報アドバイザー仲間の岸本さんから講義を引き受けて欲しいと依頼があったのは前年度でした。そのうち教務課からレジメの提出依頼があっても、日ごろの忙しさにかまけてスケジュール表での確認しかできていませんでした。月も変わって9月に入った2日の予定表を見てびっくりしました。その前後に次々と予定が入って、昨日は早朝のセミナーが終わると直ぐに午前中の松山大学の講義が入っていました。

 身支度を整える間もなく松山大学へ向かい、守衛さんの誘導で教務課へ行きました。平成21年度大学コンソーシアムえひめ共同授業と銘打った今回の授業は愛媛大学、愛媛県立医療技術大学、松山東雲大学、松山東雲短期大学、聖カタリナ大学、聖カタリナ短期大学部、放送大学愛媛学習センターが共同で行うのです。私を含めた15人の先生たちが5日間にわたって講義をするのです。

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 私はその中日の午前中を担当するのです。参加者は146人と伺っていましたが、広い844番教室には夏休み中にもかかわらず、沢山の学生が集まっていました。

 私の講義タイトルは「まちづくりの新しい風です。レジメ通りに話すことの苦手な私は、提出していたレジメを殆ど無視して90分の授業を終えました。大学側の説明によるとこの講義は試験がレポート提出が義務付けられていて、10分ほど早めに終わってレポート作成の時間を取って欲しいとのお話でしたので若干早く終わって提出されたレポートは後日私のところへ届けられるとのことでした。後日評点をして送り返すのだそうですが、はてさて私の話をどのように理解したのか、読んでみたいような気もしますが、手間暇の少ない私には時間的にきつそうです。

 余談になりますが、今回の授業を教務課の若い女性が聞いてくれました。そして帰り際嬉しい感想を話してくれました。学生ではないものの、一人の人を満足させることができればいいと思って毎回大学で授業をしている私としては、満足の意思表示をしてくれたこの女性の一言で救われた感じがしました。

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 ふと気がつくと、最近私は意に反した方向に自分の日常が向いていることに気がつきました。大学の講師などをもう7年もやっているのに、未だに大学の授業がなじまず、いつも止めたいような心境なのに、大学とのかかわりがどんどん増えているのです。不味いと思いながらもやっていますが、もうそろそろ幕を引かなければと思っています。私は大学が大の苦手です。論理を旨とする私には理論を教えることは難があるのです。これまでは主に論理を教えてきましたが、少し理論的にならなければ大学の授業はできないのです。

 悩みながら授業をやることは学生にとって決していい影響はないので、そろそろなのです。加えて忙し過ぎるオーバーワークな日々を少し整理もしなければなりません。さてどうするか正念場のようです。


  「意に反し 大学授業 増えてくる そろそろ幕を 引くこと思う」

  「教壇に 立って時々 ハッとする あるべき論を 唱える私」

  「レジメ見ず 勝手に喋る 癖ありて 私やっぱり 大学向かぬ」

  「点数を つけろといわれ どう評価 うーん困った 俺にはできぬ」

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