shin-1さんの日記

○倫理法人会早朝セミナー

 「今日は毎日日課の朝一本ブログを書くことも、夜一本ブログを書くことも忙しくてできないだろうなあ」と思い、朝5時に起きて身支度を整えながらパソコンのスイッチを入れ今日の簡単な予定をブログに書き込みました。妻の差し出す牛乳を飲んだだけで、薄暗い早朝の道を車に乗り、ライトをつけて松山へ向かいました。今日は男時(おどき)と言うのでしょうか、最初の信号が青だったので気分よく走ると度の信号も殆ど青で、今朝の松山北倫理法人会早朝セミナーの会場となった西堀端にある東京第一ホテルまで約30分そこそこで着ききました。30分も前に到着したものですから、車を立体駐車場に止め、手持無沙汰で11階の会議室までエレベーターで一気に駆け上がりました。会場の中では何やら今日の会の進め方のリハーサルをしているようでしたのでロビーから窓越しに早朝の松山堀端周辺の風景を眺めていました。やがてリハーサルも終わり中に案内されて窓越しに朝日に輝く松山城の姿がまぶしく輝いて見えました。

若松進一ブログ

 やがて時間が経つにつれて参加者が集まり始め、開会ごろには満席となりました。実はこの倫理法人会の早朝セミナーには一昨年の9月19日に招かれ同じ場所で講演をしているのです。前回の講演内容について全て覚えている人は殆どなく、話した私自身も全く覚えていなのです。言ってみればそのことが救いで、私は今回も思いつくまま与えられた45分を「新しい発想で生きる」と題して目いっぱい話させてもらいました。会場には顔見知りも何人かいて、「あなたが来ると言うので来ました」とか、「今日もいい話でした」と持ち上げてくれました。

 講演会終了後1階のレストランでお話をしながら皆さんとバイキング形式の朝食をご馳走になりました。私はどちらかというと和食系なのでご飯に味噌汁、それに野菜類とトマトジュースをいただきました。

 私の前に座った女性は今回初めて参加したようで、感想を述べていただきましたが、楽しいおしゃべりに花を咲かせながら、楽しいひと時を過ごしました。

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 倫理法人会の早朝セミナーに参加していつも思うのですが、人が寝ている間に起きて、朝飯前に学ぶ人が意外と多いことに気がつきました。多分このセミナーに参加した人たちは自分の休む時間を割いて学習しているのでしょうが、こうしたポジティブな生き方をする人はネガティブな生き方をしている人から比べると、はるかに高い次元の人間になるはずである思いました。何故なら人は学習によって知識を得、その知識を知恵にして生きることそのものに意味があるのです。知識をいくら体中に詰め込んでもいい仕事はできないのです。

 今日は懐かしい出会いがありました。この会の主催者である倫理法人会の武田哲也会長さんからは事前にお電話をいただきました。最初電話を貰った時は「たけだてつやです」と聞いて一瞬「えっ、あの俳優のたけだてつやさん?」と勘違いするほどでしたが、直ぐに正気に戻りました。ロープウェー街で写真館を営む松原さんは相変わらず面白い写真を持ち歩いていて、前回は土佐礼子さん、今回は石原裕次郎さんのブロマイドをいただきました。まあこんな風に古い人、懐かしい人、更には新しい人が沢山加わって今の私があるのですから、これからも沢山の友人と楽しい交流をしたいと思っています。

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(武田哲也会長さんのあいさつ)

  「朝早く 学ぶ人あり 手助けに 私も参じ あれこれ喋る」

  「気持ちよい 朝の挨拶 交わし合い 口パク歌を 歌って始め」

  「人は皆 知らぬところで 努力する やがて智となり 輝き増すな」

  「寝る前に 寸暇惜しんで 一本の ブログを書いて 安堵床就く」

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shin-1さんの日記

○今日は6時30分から東京第一ホテルで早朝セミナーがあって出かけます。

○午前中は松山大学で講演会があり講演します。

○午後は全国から14人の方々が人間牧場へ研修に見えられます。

○夕方は三崎半島の民宿大岩で夕食交流会があり参加します。

○帰りは深夜の予定です。

 こんなメッセージを書き込んで家を出ました。一日に走った車の走行メーターが県内にもかかわらず230キロですから、いかに忙しかったかがお分かりでしょう。それにしても今日一日は早朝の部、午前の部、午後の部、夜の部とまるでで4本立ての映画を見ているようでした。

 早朝の部の倫理法人会で「万人幸福の栞」というコピーをいただきました。

 万人幸福の栞

 1、今日は最良の一日、今日は無二の好機

 2、苦難は幸福の門

 3、運命は自らまねき、境遇は自ら造る

 4、人は鏡、万象はわが師

 5、夫婦は一対の反射鏡

 6、子は親の心を実演する名優である

 7、肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号

 8、明朗は健康の父、愛和は幸福の母


 9、約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う

10、働きは最上の喜び

11、物はこれを生かす人に集まる

12、得るは捨つるにあり

13、本を忘れず、末を乱さず

14、希望は心の太陽である

15、信ずれば成り、憂えれば崩れる

16、己を尊び人に及ぼす

17、人生は神の演劇、その主役は己自身である


 この日の輪読は、13の本を忘れず末を乱さずでした。文の中に「世に恩を忘れるなということがやかましく言われているのは、本を忘れるなという意味である。食物も衣服も、一本のマッチも、わが力でできたのではない。大衆の積み重ねた幾百千乗の恩の中に生きているのが私である。このことを思うと、世のために尽くさずにはおられぬ、人のために働かずにはおられない」。「そうした中でも、最も大切なわが命の根元は両親である」でした。

 ああ今日もいい勉強をさせてもらいました。


  「行く先で 色々学ぶ ことありて 今日も倫理の 本を学びぬ」

  「グラグラと 話の途中で 地震あり 自身の話 自信ないのに」

  「17の 教え輪唱 しながらに 己の日々の 粗末を思う」

  「もう少し 襟を正して 生きなくちゃ 思うだけでも 随分違う」



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shin-1さんの日記

○残暑の中水仙の球根堀り

 地域づくりには地縁・人縁というのがあって、それらを大切にしないといい地域づくりはできないのです。地縁・人縁は同じ場所に住む人たちとだけではなく、交流によって生まれた地縁・人縁もまた大切なものなのです私にとって高松市三谷地区のコミュニティのメンバーとは公園に二回も招かれたというだけでなく、地縁・人縁において特別な意味を持った地域なのです。

 まちづくりで活発な活動をしているところの共通点は、①あさつができて時間が守れて人の集まりが良い、②その街にある公衆トイレが美しく掃除されている、③街の至る所に綺麗な花が咲いているという3つの点です。三谷地区はそのいずれもが揃っていていい地域なのです。そこの溝渕さんとひょんなことで知り合いとなり、昨年はバス一台を仕立てて夕焼けコンサートに見えられましたが、今年は人間牧場訪問とからませてやって来るようです。そんな夕焼けコンサートの押し迫った8月31日、10人の花の会の方々が水仙の球根堀にやってきました。朝7時に香川県を出発したという一行は9時過ぎにはシーサイド公園に到着し、早速双海花の会の圃場で水仙の球根掘り作業に取り掛かりました。目安は2千個と言うことでしたが、前もって私が1日がかりで草刈りをしていたためと畑の状態が非常に良くて、残暑厳しい中ではありましたが、やはり10人もの人数ゆえ思いの外作業がはかどりました。

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(三谷の皆さんの球根堀り作業風景)

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(私もそれなりに働きました)
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(香川県高松市三谷の球根、麻袋を用意する周到さに驚きました)

 実はこの日、大分県日田市大山町のひびきの里からも、水仙の球根堀のグループがやって来ることになっていたのです。大山町と言えば「梅栗つくってハワイへ行こう」というキャッチフレーズで有名になった村おこしの元祖みたいな町なのです。ひびきの里の支配人は元大山町企画情報課長であった緒方さんなのです。彼とは古い付き合いで、肝胆相照らす仲なのです。前回大分県へ講演に招かれた時、水仙の球根の密約が交わされていて、この日に来ることになっていたのです。ところが直前になって緒方さんが来れなくなり松原部長さんともう一人のお二人で見えられました。三谷のみなさんにはそのことを前もってお伝えして、ボランティア活動として大山町の分まで掘って欲しいと懇願し、潔く応じていただきました。三谷のみなさんが彫り終わって食事をしている時彼らも食事をしていてばったりでした。

 大山の二人に理由を言ってイモ掘り作業をして貰い、その間に三谷の一行は人間牧場見学をしました。三谷のみなさんは一度人間牧場へ来ていると思ったのは私の勘違いで、少し道に迷うハプニングもありましたが、瀬戸内の穏やかな眺望にみんな感心していました。

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(大分県大山町の球根)

 三谷の皆さんとは牧場の近くでお別れし、急いで引き返しました。あれから1時間半近くも経っているのでさぞや暑かろうと気をもみましたが、お二人は三谷のみなさんが掘ってくれたものと合わせて、軽く10箱もの球根を既に道まで運び出していました。帰りのフェリー便の予定もあるので私のトラックに積み込んで、亀の森の車まで持って行って積み替え、やっと忙しい一日の午前の部と午後の部を終えました。時計は4時過ぎを回っていたので、急いで引き返して車とキャリーを水洗いして収納し、シャワーを浴びて夜の部に備えました。

 少しの時間に沢山のメールが入っていたので返信をしようと思いましたが、どういう訳かワープロ機能が働かず、ついには諦めて夜の部の会場へ向かいました。すっかり日焼けした私の顔を見て「お父さん大丈夫」と冷えたリポビタンを一本飲ませてくれました。「ファイトで行こうリポビタンD]って感じです。人と会い、人と会うための段取りをし、予定をこなすのはさほど苦労とは思いませんが、パソコンの故障は疲労に追い打ちをかけるような出来事でした。これも夏休み最後の淡い夏の思い出として記憶に残ることでしょう。それにしても大山町のために水仙の球根を掘っていただいたみなさんに、心から感謝いたします。


  

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shin-1さんの日記

○パソコン故障は台風襲来に似ている

 私の一日はパソコンの前に座ってブログを書くことから始まります。昨日もその前の日もそんなことを繰り返し、余程ことがない限りこれからも当分はブログへの書き込みによって一日は何となく始まり何となく終わっているのです。ところが昨日の夕方メールの整理をしていて突然ワープロ機能が働かなくなり、文字の入力ができなくなってしまいました。仕方がないので娘婿に助け船を出し直してほしいと頼みましたが、残念ながら夜遅かったことと、今日から今週末まで仕事が忙しくて対応ができないとの返事でした。続いて息子に連絡を入れると息子は11時前にやってきて対応してくれましたが、残念ながら治りませんでした。息子はパソコンを修理するため私のパソコンをさっさと持ち帰ってしまったのです。さあ困りました。今朝は机の上にいつも置かれているパソコンがなくなり寂しい感じがしたものですから、早朝読書を試みましたが、何となくリズムが狂ってピンときませんでした。

 ただならぬ私のため息を見てとったのか妻は、「お父さん、今日は午前中予定が空いているようなので娘のところへ行ってブログを書いたら、そして娘のパソコンを借りて帰ったら」と勧めてくれました。急な思いつきで8時に自宅を出て娘のマンションへ着いたのは先ほど午前9時でした。娘はパソコンで買い物をしているので一週間もパソコンを書くことはできないと突っぱねている矢先、息子から携帯電話が入り、「dynabookの会社である東芝に電話をかけてトラブルを解決して治った」というのです。うれしく連絡でした。

 孫の朋樹は今日から学校で留守です。孫尚樹はテレビを見ています。娘は私と孫を残してさっさと買い物に行きました。しばらくすると帰ってくるのでしょうが、帰りに息子の会社に立ち寄ってパソコンを受け取りかえりたいと思います。

 私のイライラの一番の原因は目下のところパソコンの不具合です。パソコンが故障するたびに娘婿や息子に頭を下げて直してもらったり苦情を聞いてもらっていますが、毎度のことなので適当に対応してくれています。メールの整理や返信も少し遅くなったり忘れていたりするものですから、相手から催促や督促が入ります。その度に自分の非力を嘆き、進化を誓うのですが退化はしても一向に進化もせずイライラは募るばかりです。

 もし娘婿や息子たちがいなかったらどうなるのだろう?とまさかの時に依存できる大樹の影に甘んじている自分を発見するのです。色々書きましたがパソコンの故障は関東に接近した台風とどこか似ているようにも思いました。日頃はパソコンも当たり前のように酷使していますが、故障すると大騒ぎをするのです。昔は台風の通り道は九州か四国と通り相場が決まっていました。ゆえに九州や四国の人は台風に備えた日々の暮らしができていたのです。ところが関東では台風など滅多に来ないので備えもなく、漫然と過ごしているのです。備えとはやはり学習だと思います。もっと学習を続けて備えを固くしたいと思いました。


  「パソコンが 治った通知 携帯で イライラ治り やっと正常」

  「非力なり つくづく思う わが知能 これから先も 思いやられる」

  「今日だけは 息子の力 信じよう パソコン治し 俺の手助け」

  「パソコンを 使い過ぎだ 妻が言う 奏かもしれぬ 優しく使う」

 

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