shin-1さんの日記

○明日は北広島で講演です

 明日は北広島で午前中講演が予定されています。本当は北海道で泊まりたかったのですが、北広島の担当者からしても前の日に帰って欲しいと懇願されました。元々この話は以前に講演に行く予定でしたが、先方さんの都合で延期になり、その後北海道釧路から夕日のシンポジウムの基調講演の話は入り、結局は日程的に重複してこんな難しい日程調整となってしまったのです。まあそれでも何とか間に合いそうで今夜はぐっすり寝込み、明日は元気を回復していい講演ができるよう頑張りたいと思います。

 実は明日、公演が終わればタクシーで広島宇品港まで帰り、高速船で松山を目指し、妻の迎えの車で県民文化会館へ直行し、松山工業高校100周年のレセプションに間に合わなければならないのです。どういうわけか開会の言葉を言わなければならないのだそうです。ですから今日は早めにとこに着く予定です。

 昨日の夜は主催者が青年会議所で全日空ホテルへ泊まりました。全国チェーンの格式あるホテルだけあって清潔でサービスも行き届いていました。今夜は一転広島新幹線口駅からそんなに遠くないビジネスホテル東横インを選びました。便利な場所にあるし安いので、しかも土曜日の夜とあって満室状態で、しかも学生さんたちが多く泊まっていて、また韓国人と思しきお客さんもいて、私が到着したのは10時過ぎだというのに、ラウンジは大きな話し声が聞こえていました。全日空の静かな雰囲気とは違って活気があるようにも見えましたが、やはりサービスの違いには相当の落差があるようでした。私はビジネスですからそんなに高いサービスは望みません。むしろ寝れたらいいくらいな軽い気持ちで選んだので別に気もせず、一夜の宿をむしろ有難い気持ちで利用しました。多分明日の朝は、全日空のお取り寄せバイキングのような朝食は食べられず、おにぎりに味噌汁程度でしょうがこれも若者向きでいいと楽しみにしているのです。


 私が東横インをよく使う訳はラウンジに置かれたパソコンを使ってブログを書けるからです。本当は携帯用のパソコンを用意してどこででも書けばいいのでしょうが、旅先までパソコンを持参するほどの凝り性でもなく、また荷物になるのでそんなことはしたくありません。また携帯電話でブログを書くほど上達もしていないので、ホテル設置のパソコンを使えるホテルを選ぶようになるのです。

 今日もホテルへ入るなり2台のパソコンは既に二人の人が専用していて使えないだろと思いきや、ラッキーにも一人はパソコンから離れたので、荷物もそこそこに打ち始めたという訳です。

 私のブログは日記風で思いつくままに書いています。ゆえに自己満足のそしりはぬぐえませんが、それでも読んでくれる人もいるので、とにかく許す限り毎日書いているのです。前回の北海道はパソコンが故障した宿泊所でした。それは美味しいご馳走を出してくれましたが、ご馳走がいくら素晴らしくてもインターネットが出来ない宿舎はクリープを入れないコーヒーのようなものなのです。(私はコーヒーが飲めないのでものの例えです)

 いずれにしても今回の旅はどうにかブログのタスキをつなぐことができました。

 

  「明日は雨 天気予報は よく当たる 傘がなければ 濡れるとするか」

  「旅先で 日記のつもり ブログ書く 備え付けたる パソコン使い」

  「無事着いた? 見透かすように 妻電話 風邪をひくなと 注意おさおさ」

  「東京で 出ていた月を 広島で 同じ月かな? 一瞬まどう」

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○北海道から東京経由で広島に帰りました

 午後4時40分に北海道釧路のタンチョウ空港を発って、羽田経由で広島に飛びました。広島空港に午後9時に着く予定の飛行機が15分送れて到着したため、リムジンバスに乗り遅れないか心配しましたが、どうにか最終便に間に合い、予約していた広島新幹線口の東横インチ10時30分に到着し、とりあえず近況報告のつもりでラウンジでインターネットを見つけ、立ったままこのブログを書いていますが、さすがに長旅だったので、無事着いたことのみを知らせて今日は「おやすみなさい」をします。

 朝早く起きて、まだ食事の準備もできていないラウンジでブログを書き始めました。昨晩はゆっくり休めて頭がすっきりしていますが、釧路の余韻が頭の中にまだ残っています。釧路といえば釧路湿原といわれるほど湿原が有名で、NHKプロジェクトXでも紹介されて一躍有名になりました。また釧路は霧の町と言われるように春から夏にかけて深い霧に包まれますが、その霧を逆手にとって霧の街釧路としてもアピールしているのです。青年会議所が中心になって始めた霧の街のイベントも25回を数える超ロングランなのです。夕食が終わって一人フィッシャーマンズワーフや、幣舞橋周辺を散策しましたが、ガス灯のような黄色味を帯びた街灯の光が、まるで石原裕次郎の世界のようでした。

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(フィッシャーマンズワーフ界隈の夜の街)

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(夜の幣舞橋も素敵な雰囲気でした)

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(演歌歌手水森かおりの歌碑が建っていました)
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(少し肌寒くて囲炉裏火が恋しく屋外炉端焼きの店で観光客が飲んでいました)
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(朝日に輝く釧路の街は綺麗でした)

 旅先北海道釧路から旅先の広島に来て、ふるさとは一層近くなりましたが、やはり遠くになってしまった釧路の思い出も忘れられないものとなりました。これまでにも北海道へは若いころから何度か訪ねてきていますが、釧路は一度通過しただけで殆ど思い出がなかっただけに、いい思い出として記憶と記録に遺しておきたいと思いました。釧路湿原も霧の釧路もまだ見ていませんが是非次の機会にはと願っています。


  「幣舞の 橋から見える 夕日なら 自慢できると 自慢はするが」

  「宵闇の 中に輝く 街路灯 漁船繋いで 何処か絵になる」

  「お兄さん 何処から来たの 可愛い女(こ) 俺は旅人 さすらうままに」

  「霧港 酒に女に 旅人と まるで演歌の 釧路街行く」


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○今日から北海道釧路へ出かけます

 今日と明日の二日間北海道です。帰りは広島へ飛んで日曜日は広島辺りです。御機嫌よう。

     人間牧場主敬白

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○魚のおすそ分け

 昔から漁村では門日、つまり祭りや正月などのハレに日の前には魚の値段が上がると言われていました。今のように冷蔵庫が普及していなかった時代ですから、庶民は祭りや正月用に魚を買って食べるため値段がつり上がったのです。しかし冷蔵庫の普及もさることながら、庶民の日々の暮らしが豊かになり、食べようと思えば毎日だって魚や肉を食べれるような裕福な暮らしをしているのです。ゆえに祭りだからといって値段が上がり儲けるようなことは殆どなくなりました。それでも秋祭りになると私の家にも親類の漁師さんが、普通は高くて余りくれない鯛やヒラメなどの高級魚を持ってきてくれるのです。今年の秋祭りには鯛を沢山貰って鯛をたらふく食べ、漁師町に住んでいることや親戚に漁師さんがいることを喜んでいるのです。

 そんなハレの日である秋祭りも先週終わり、私たちの暮らしも漁師さんたちの操業も元に戻って落ち着きを取り戻してきましたが、祭りの反動で少し魚の値段が下がるため、今度は大衆魚が安くなるのか、昨日もその前の日もトロ箱に2つづつ「アマギ」という魚が届きました。スーパーなどでは「シズ」という名前で店頭に並んでいますが、この魚は炊いてよし焼いてよし、酢漬けやから揚げによしと三拍子も四拍子もわが家が好む魚なのです。でもトロ箱に一杯貰ったところで食べきれず、知人友人におすそ分けするのです。昨日もその前日も夕方漁船が漁から港に帰ったころ電話が入り軽四トラックで取りに行き、あちらこちらに配って歩きました。大洲の友人などは酪農をしていて夕方は乳しぼりで忙しいため、奥さんが勤務の帰りに立ち寄るなど大変迷惑をかけてしまいましたが、山里の魚が少ない地域だけに甘んじてに来てもらいました。


 幸いわが家には家庭用としては大きな冷凍庫があります。魚をいただく度に妻は私の協力(少し)を得て、魚を下ごしらえして小分けして冷凍保存するのです。私の親父は元漁師なので毎日魚が食卓に必要で、余程のことがない限り刺身や煮付けなどを毎夕隠居へ運ばなければなりません。そのためにも魚は必需品なのです。お陰さまで自家用冷凍とは言いながら毎日美味しい魚が食べられるのです。

 私は貰った魚をおすそ分けに配るのですが、配られた人は私から貰ったと勘違いをして私にみかんや野菜をくれるのです。昨日もいただきましたが、極力いただいた分のおすそ分けを、魚を貰った漁師さんに盛って行くと、私にもらったと勘違いし、勘違いが勘違いを生んで魚が届くという、なんとも面白くて良好な人間関係が続いているようです。

 私も肉は殆ど食べずお魚党です。毎日魚は飽きずに食べています。お陰さまで日々健康に暮らせると信じて今日も元気に過ごしています。


  「おすそ分け 貰った魚 おすそ分け 頂き物を またおすそ分け」

  「軽四の トラック重宝 しています 魚を積んで あちこち走る」

  「最近は 駄目な亭主も 変身し 魚さばいて 手助けしてる」

  「お魚の DHAが 働いて 最近健康 すこぶる元気」


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○届いた500枚のはがき

 正月までまだ2カ月もあるというのに、早くもお正月商戦がスタートしています。デパートはおせち料理やお歳暮の販売促進に熱を上げ、政権交替で政府の要らぬ人事介入によって、その行方が混とんとしている民営化した郵政会社は、これまた早くも年賀状を発売し始め、どうも日本中が速さを競って世の中のあくせくに拍車をかけているような気がしてならないのです。一方ではスローライフなんて言いながらも「そんなに急いで何処へ行く」と言いたくなるような昨今なのです。

 そんな中私の元へ年賀状ならぬ普通のはがきが500枚も届きました。「何で?」とお思いでしょうが、実を言うと私はもう20年を超えて一日に3枚のはがきを書いていますが、役所を辞めてからもその凡事は止めることなく続いているのです。今は殆ど失敗はしませんが、草創期には書き損じたり、またパソコンで写真などを入れる慣れなかった頃はプリントアウトを逆さまにしたりして、ハガキを随分無駄にしてきました。加えて年賀状も毎年何枚か各時期を逸したものも会ったのです。それらを書棚の一角に無造作に積み上げてしまっていたのです。


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 時々わが家へやって来る娘は、時間があれば私の書斎に入りパソコンを使ってインターネットを楽しんでいますが、たまたまそのはがきが目にとまったようです。また名刺入れのナイロン製の名刺箱に、返信用として同封してきたものの使わなかった切手類が二箱も集められていたのも見つけ、「勿体ないから郵便局で変えて来てあげる」と提案され持ち帰っていたようです。

 娘は切手を風呂のお湯につけて封筒台紙からはがし、新聞の上で水分を取って乾燥し、書き損じはがきとともに松山中央郵便局へ持っていったようです。何とその数ははがきだけでも500枚にもなったのです。一枚のはがきに5円程度の手数料が差し引かれるそうなので、実際の枚数はもっと多かったに違いないのです。またはがした切手はまだ全てではないので、そのうちよく使う50円の切手に変わって手元に戻って来るのでしょうが、50円切手80円切手も沢山帰ってきました。

 今回手に入れたはがきはインクジェット式、つまりパソコン対応ができる官製はがきで、普通のはがきに比べれば紙面が白くてきめ細かくプリンターのインクの乗りが格段にいいようで、同じ金額ですから大助かりなのです。

毎日はがきを書くため私には必需品になっているこれらのはがきは多分これから半年くらいは使える量なので、何か得したような、まるで年賀状の当たりくじに当たったようなささやかな嬉しさでした。これも娘のお陰と感謝しています。娘も私に似て字はへたくそながらはがきを書いています。特に懸賞応募には再々チャレンジして、子ども用三輪車も無償でゲットしたようで、そのしたたかさはやはり親譲りなのでしょうか。

 「年賀状の注文をお願いします」と、早くも年賀状でさえノルマ達成のための分捕り合戦が巷では行われています。比較的枚数の多い私は毎年ターゲットにされて頼み込まれますが、売る方も買う方も大変です。「ああまた年賀状を出す時期がやってきた」、忙しい日々を過ごしながら少し憂鬱な気持ちになりました。


  「五百枚 何にするの?と 妻が言う はがきの束見 札束ならばと」

  「ありがとう 娘の機転 捨てられる 運命はがき 再び命」

  「さあ書くぞ 腕をまくりて プリントし 二十枚もの はがき出したる」

  「郵政省 俺を表彰 するべきだ 毎日三枚 二十五年も」

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○庭先に小さい秋を見つけました

 わが家の庭にも遅い秋が訪れ、窓越しに見える風景は私の心を癒してくれます。海に面した双海の秋は何といってもそこここに自生しているツワブキの黄色いかれんな花です。じっと見ていると目の覚めるような黄色で、抜けるような秋の空や夕日に映えると少し物悲しく見えるのもこの季節ゆえの風情でしょう。野の花ゆえに派手さはありませんが、行く秋を惜しむように人知れずひっそりと咲くツワブキの花は、水仙とともに清楚で大好きな花の一つなのです。

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 庭の後ろは斜面になっていますが、春先から秋口まで何度か草刈り機で刈り払っているにもかかわらず、生き延びたように野菊やヨメナが綺麗な花を咲かせています。野菊もまだ清楚な花で、時々摘んで一輪ざしに挿して楽しんでいます。野菊は香りが強くたった一輪ほどでも部屋中かぐわしい香りを漂わせてくれます。野の花は野で見るから美しいと言われているので、余り摘みませんが、それでも野の花は小さな一輪ざしによく合うので食卓や机の上、時には来客をもてなす煙会所の茶花としても重宝して使っています。

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 小さい秋といえばわが書斎の掃き出し窓の向こうに大きな石つきシノブがこのところの朝夕の冷え込みで少しずつ紅葉し始めました。もう40年も前に下灘黒山から一握りほど採集して帰ったものがどんどん増えて株分けし、その一部を親父が庭石に網で縛りつけておいたものですが、今ではしっかりと岩にへばりついて季節を感じさせてくれているのです。シノブにはトキワシノブという年中青いものもありますが、わが家のシノブは落葉シノブなのです。春にゼンマイのような葉っぱを出したシノブはやがてシダと同じ葉っぱを広げ目の覚めるような緑に変わります。そして夏中茂り、秋には見事に紅葉して葉っぱを落とすのです。深山幽谷を連想するようなわが家の庭の石つきシノブは、これから次第に紅葉して私の芽を楽しませてくれることでしょう。

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(色づき始めた庭の石つきシノブ)

 早いもので10月もあと二日で終わりです。今年もあと2カ月で正月です。急ぎ早に深まる秋をもう少し楽しもうと思っていますが、やがて迎える11月は県外への旅が何度も予定されていて、秋を愛でる暇もないほどですが、65歳の秋は一度きりだと心に決めて楽しもうと思っています。

 そういえば、私が借景として楽しんでいる目の前の本尊山の山々の松の木が紅葉と目を疑うほど枯れています。多分この山の松はもう全滅するのではないかと思うほどです。せっかくいい山だと次男し楽しんでいたのに少々残念でなりません。

  「松などが 枯れたところで 気にもせず 人は行く秋 楽しみもせず」

  「庭先に 小さい秋を 見つけたり 六十五歳の 秋が過ぎゆく」

  「野の花は 清楚がゆえに 美しい タダひっそりと 誰見るでなく」

  「一握り 山採りシノブ 四十年 こんなに増えて 今年も紅葉」

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○行く人あり来る人あり

 日本をかすめた台風20号は時速100キロという信じられない早さで足早にはるか北の海へ去って行き、変わって秋の高気圧が張り出してきました。昨日から爽やかな秋晴れです。しかし日本列島は狭いと言いながら東西南北に細長く、友人と旅をしている島根県雲南市の松島さんから昨日電話が入り、北海道は凄い荒れようだったようで、楽しみにしていたアイヌの祭りも中止になったようでした。松島さんは釧路湿原を見に行ったある場所で、私の名前の入ったポスターを偶然にも見つけたようで、懐かしさのあまりに電話してくれたのです。

 そうなんです。私は今週末10月30日釧路青年会議所が主催するくしろ夕日プロジェクト2009「くしろ夕日シンポジウム」の基調講演に招かれていて、明日空路松山~羽田~釧路へ旅立つのです。これまでにも夕日と言えば四国えひめの若松に聞けと言わんばかりに、島根県松江市などへお邪魔していますが、今回もお言葉に甘えて忙しいスケジュールを調整して僅か一泊二日の北海道への旅と相成ったのです。

 そんなこんなで相変わらず日本列島講演一人旅を木になるカバンを持って楽しんでいますが、このように私が行く旅もあれば、人が私やわが町を訪ねて来る旅もあるのですから世の中は面白いものです。

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 昨日はえひめ地域政策研究センターの松本さんの依頼で、研修を受け入れました。松本さんは今年度地域活性化センターの主催する地域づくり塾に参加していますが、その現地研修を受け入れたのです。一行は全て自治体職員で、内子や保内を訪ね帰りに双海を訪ねるスケジュールのようでした。午前中大学の授業があったので、終了後急いでシーサイド公園まで引き返し、昼食会食をしながら私の話を聞いてもらいました。また公園内を歩きながら話したり、イベントホールで少し議論をして束の間の研修を終え飛行場へと向かわれました。


 私もこの手の研修には若いころから参加して腕と頭を磨いてきました。残念ながら凡人ゆえ腕も頭も素材が悪いだけに未だ光ってはいませんが、それでも行く先々で出会った人に教えを請い、物まねから始めてそれがいいアイディアを生んでゆくきっかけになったのです。いわば潜在能力を高めれたと思っています。潜在能力はそのままだと知っているだけで何の役にも立たない知識ですが、知識を知恵に置換する能力さえ身につければ、それこそオンリーワンとなって大きな成果を生んで行くのです。

 ゆえに鉄は熱いうちに打たねばなりません。若い人たちはもっともつと旅をして武者修行をして、いつか役に立つ日を迎えて欲しいと思いました。

 「何を求める 風の中ゆく」 山頭火


  「行く人も 来る人もあり それぞれに 何かを求め 風の中ゆく」

  「向かい風 追い風変える 時が来る 同じ風中 風見鳥なる」

  「行政に 身を置く甘え 気がついて タダの学びを 深く戒め」

  「飯食った お土産買った 潤った 地域活性 視察効果だ」 

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○秋の夜長を語り合う

 請われるまま講演や会議などが予定されている日程の空いた曜日や時間に、人との出会いを入れて行くものですから、私の予定表は現職時代以上に日程が詰まって、毎日忙しく振舞っています。まあこれも元気だから出来るのだろうと諦めていますが、今では自分の自由時間が取れず多少オーバーワーク気味なので、調整したいと思っています。

 昨日はメルパルクでの講演が終わってからその足で、来月7日に予定されている年輪塾公開セミナーの打ち合わせと称して市駅の裏にある「ふじ」という米湊大番頭行きつけの居酒屋へ7人ばかりで集まりました。いつものことながら打ち合わせは口実で、実際は酒を飲みながら積もる話をしたいだけなのです。米湊大番頭に店の場所をあらかじめ聞いていたので迷うことなく一発で居酒屋を発見し、有料駐車場へ車を止めて店の暖簾をくぐりました。私が一番乗りです。初めての店なので女将さんや店員さんと雑談をしていると間もなく一人二人と集まり予定された7人すべてが集まり、乾杯をして酒盛りが始まりました。私は昼ご飯を食いっぱくれていたため、出されて料理を食べながら、酒の飲めない憂さを晴らしました。

 気心の知れた仲間との歓談は楽しく、飲みながら自分の持ち場の説明や議論を繰り返し、7日の大まかな進め方が見えてきました。事務局を務める松本小番頭の微細な計画は非の打ちどころがなく、安心して任せていますが、他の人はむしろ型破りな発想にしようと目論んでいるので、議論百出でした。

 秋の夜長も深けて9時近くなったので、新宮から来た大西さんも、勿論明くる日大学の授業がある私もそろそろお暇と相成りましたが、大番頭たちは更なる詰めが必要とばかり、松山の闇夜に消えて行きました。

 最近は毎日毎晩のように忙しい小番頭も体格体力的には心配もないのですが、家庭のこともあって、出来る限り私が乗せて帰るよう心がけているのです。昨晩も私の車に乗って積もる話をしながら伊予市の彼の自宅前まで送り届けました。

 小番頭もセンターに出向して3年目の秋を迎え、いよいよ残任期間が半年となりました。この2年半縁あって私が代表を務めていた団体の事務局を担当していましたが、今はその任を解かれて別の仕事に意欲を燃やしているのです。人材として順調に育ってきているので、温かくも時には厳しく見守ってやりたいと思っています。

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 酒を飲んでいた昔なら「もう一軒」と梯子をし、その挙句は10円タクシーと呼ばれた妻の迎えに甘んじていましたが、今はそれもなく自分で帰るために、家に帰ると必ず「早かったのね」と妻のねぎらいの言葉が返って来るのです。家に着いたのは10時近くですからそんなに早い帰宅とは思えませんが、その言葉を聞くたびにホッとするのです。

 素面故、その日の出来事を逐一妻に話して聞かせてやります。他愛のないことも話しますので、私の友人のことは大体理解しているようです。これから自分の仲間の数も加齢とともにどんどん減って行くことでしょうが、私以上に私の友人のことを思いやってくれる妻に感謝せねばなりません。

 昨日の秋の夜長はまた、次につながる楽しい思い出ができたようです。


  「秋夜長 人が恋しい 季節です 飲むほど酔うほど 話大きく」

  「酒飲まず お茶で付き合う 夜長かな こちら素面で あちら呑み助」

  「もう一度 呑み助なって 皆のように 憂さを晴らして みたいもんだな」

  「打ち合わせ ほんの少しで 茶を濁す 飲み会なんて そんなものです」

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○高松矯正管区管内篤志面接委員研究協議会に招かれて

 聞いただけでは覚えられない、しかも文字を読んだだけではどんな団体の研修会なのか、自分にも分りづらい研修会に講演で招かれ道後のホテルメルパルクへ出かけて行きました。はてさてどんな話をしようかと少し不安な気持ちで会場へ入るなり、「進一君元気」と声をかけられました。既に白髪となった初老と思しきその人は私のいとこなのです。「えっ、何であなたがここにいるの?」と一瞬思いましたが、そういえばこのいとこは刑務所の刑務官として長年勤め、刑務所の所長を最後に退職し、郷里松山に帰って東温市に住み、家裁の調停員などをしているときいていましたが、まさかこんな所で会おうとは意外でした。

 私も詳しいことは分りませんが、7月の半ばころ松山学園つまり少年院の所長さんが篤志面接委員の会長さんと一緒にわが家へ講演依頼に見えられ、少しだけ聞いた話によると、篤志面接委員とは「受刑者、少年院在院者に対する篤志面接活動を充実発展させることにより、これらに人の改善更生と円滑な社会復帰を図り、もって再犯の防止を通じて社会福祉に貢献する」ことを目的の団体のようなのです。つまり罪を犯した人の更生や社会復帰の指導助言をする人たちの集まりだと理解しました。

 四国管内の篤志面接委員と施設関係者が100名近く集まる集会に「あなたが何で?」と妻も言いましたが、「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」などと日ごろから戯言を言っているのですが、昨日はホントに刑務所関係に招かれてしまったのです。

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(こんな立派なステージでお話しさせてもらいました)
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(参加した篤志面接委員は立派な方ばかりでした)

 「地域社会における人づくり」という演題をいただき、1時間ばかりお話をさせてもらいましたが、お堅い集会にもかかわらず笑いも聞こえる楽しいお話をして何とか終わりましたが、妻が言うように私のようなズッコケた人間には少々格調が高い集会だったようで、少しだけ反省をしています。しかし参加した人からの演壇への反応はすこぶる良く、大きな拍手をいただいて会場を後にしました。

 最近は広島の少年院での看守による事件などもあって、その存在が明らかになっていますが、いつの世にも犯罪は絶え間なく起こり、その度に周りの人が深い悲しみを持つのです。そしてその罪を犯した人を立ち直らせて社会に復帰させ、二度と罪を犯させないよう陰ながら努力する人たちがいることを、私たちはもっと知って感謝すべきだと思いました。昨日は心洗われるいい一日となり、講演には招かれたけどこちらが勉強になり感謝しています。


  「受刑者の 更生力 貸す人に 出会い心を 洗われました」

  「最近は 少年犯罪 多くなり 深い悲しみ 社会を覆う」

  「妻が言う 何であなたが? そんな会 話す自分も 妻と同じで」

  「呼ばれたら 刑務所以外 何処へでも 戯言笑い 本当なりて」


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○人を遺すは上とする

 10月半ばになるとプロ野球のように一年間のリーグ戦が終わり、戦績が悪かったり思わしくなかったチームは、早々と来年に向けて監督やコーチを一新したり、選手の獲得に動くなど何かと慌ただしく動いているようです。成績が良いのに首を切られることが決まった野村監督はボヤキの名手で、試合後のボヤキは一冊の本にまとめられるほど面白く、楽天の人気の秘密も少なからずボヤキ効果も手伝っているようです。

 東北仙台に本拠地を移してから4年、最下位から楽天を2位に押し上げた野村監督の管理野球はこれからも長く語り継がれていくことでしょうが、心から野球の好きな野村さんは監督業への思いを捨て切れず、早くも就職活動ともとれるレクチャーを新聞やテレビで吹聴しているようですが、年齢で野球をするわけでもない監督という仕事ならまだまだやれるはずで、野村さんのような個性派のひとがいるから野球は面白いので、これからも頑張ってほしいと願っています。

 さてその野村監督が中国のことわざを引用して面白い話をしていました。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする」ということわざです。この言葉は色々な人が色々な場所で引用しているので、ことさら目新しい言葉ではありませんが、特に経営に携わる人にとっては意味ある言葉だと思うのです。

 我欲の強い人間にとって地位や名誉それに財は誰もが求めるものです。そのため人を蹴落としたり時には画策もしたりして手に入れようとするのです。しかし人間の値打は自分で決めるものでもなく人が決めるものですから、自分がいくら偉いと思っても地位や名誉はついてこないのです。しかし財だけは才覚があれば一億円でも二億円でも稼げるのです。私たちが知らないだけで世の中には財をなした人が沢山います。世の中に奉仕したりお返しいたりするでなく、財の蓄積にのみ執着して一生を終える人の何と多いことでしょう。

 しかしその財も歳を取ってやがて死んで行く時、全てをあの世に持ち込むことはできず、あの世への旅立ちは6文銭もあれば十分と定められているのです。残した財を親族が裁判までして骨肉の争いをする姿がよくドラマで紹介されていますが、何と悲しい人生なのかと同情するのです。

 その点人を遺すとは、自分の意思を汲んでくれるような心を持った人を育てることですから、自分の子どもも含めてしっかりと遺し伝えなければならないのです。

 人は自分の考えを押し付けようとしても反感反目されることも多く、人に自分の考えを理解してもらうことは容易なことではありません。人と人とを結ぶ信頼がなければなりませんが、退団する監督のために涙した選手が多くいたという自身が語らない野村監督の裏話は、野村監督が目指した管理野球を通して培ったヒューマンな生き方が深く深く心としているように思え、「人を遺すは上とする」という言葉の重みを感じるのです。

 さて私は人を遺すは上とする」ことをしているであろうか。?の疑問符です。


  「下よりも せめて中上 目指そうと するが凡人 財しか見えず」

  「結局は 人が決め手と 誰も言う だけど一番 人が難し」

  「もうそこに 終焉見える この歳に なっても未だ 心ふらふら」

  「昔人は 何でこんなに 明快な 言葉残して いるのだろうか?」 

 

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