shin-1さんの日記

○健康に注意をしてもうひと花咲かせましょうか

 自分では若いつもりで今日まで生きてきました。ゆえに無謀なことも、不可能だと思えることも前向きに挑戦し、数々の反対や失敗に遭いながらもそれなりに成果を収めてきました。それは多分私の心情を代弁する、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」というポール・J・マイヤーの言葉を信じて生きてきたからかもしれないのです。

 しかしこの言葉に出会ってから今日までとこれからの生き方は、年齢という避けて通れない大きな落差があることを念頭に置かなければ、失敗や時には健康を害することだってあるのです。「お父さん、話会と思ってももう歳だから、余り無理をしないでね」という、私に最も近しい妻の言葉が心にずしりと重く響くのです。確かに気力・知力とも、時には体力も第一線を退いて気苦労もなくなり余裕があるのか、これまでで一番充実しているように思えるのです。しかしそう思えても体力だけは衰えたと、時々思うことがあり、思い出すように多少の体力増進訓練を繰り返していますが、それも焼け石に水といった感じがすることもあるのです。

若松進一ブログ
(kazuのブログに登場したイラストと写真)
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 10月3日の誕生日が終わり、前期高齢者というレッテルを手に入れた覚悟をし、あちらこちらから頂いた誕生日祝福の嵐(隙間風かも)が一応止んだ昨日、お気に入りブログに登録して毎日のように読んでいる友人のブログを開いてびっくり仰天してしまいました。何と「kazuのブログ」に、私の誕生日を祝う記事が載っていました。「お誕生日おめでとうございます」というタイトルで、「10月3日 お誕生日おめでとうございます」「海の男の若松さん」「これからも 益々の ご活躍を お祈りしておりま~す!!」という文字に加えイメージイラストと写真が添えられていました。

 伊予市商店街で親子三人で「たにおか」というブティックを営む彼女とは、伊予市商業組合の徳本理事長さんを介して昨年、空き店舗を利用した憩いの場所いっぷく亭で知り合いました。以来集落問題の勉強会などでもご一緒する機会があり、そのうちブログの愛読者となって急速にデジタル付き合いが深まったのです。

 時々お店にも立ち寄り、人の良さそうなご主人と絵を描く娘さんとも親しくなって会話を重ねる程度のお付き合いをしているのです。

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(今年も届いた西岡さんと緒方さんからの花束)

 はてさて私の今年の誕生日はこのように、ことさら人生の区切りにふさわしいものとなりました。いつものことながら毎年若い二人の女性から届く花束にも心の中で感涙し、また講演の旅先では500人もの参加者から大きな拍手や花束をいただき、家族の祝福を加えると、幸せをしみじみ感じたのです。

 私は思うところがあって予定通り60歳で再就職もせず、リタイアして自由人、サンデー毎日の道を選びました。その時65歳を一応の目安にして第一線ならぬ第二線から退こうと決意をしていました。妻にも折に触れそのことを告げて「好きにしたら」というお墨付きもいただいているので、これからは今まで以上に自由人のグレードを上げようと思っています。でも家族や地域への恩返しだけはグレードを提げず、むしろ高めなければならないと、「kazuのブログや西岡さん・緒方さんから届いた心温まる花束に決意をししたのです。健康に注意してもうひと花咲かせましょうか。


  「友人の 気に入りブログ 驚いた 全面割いて 誕生祝福」

  「殊の外 今年は異変 誕生日 嬉し恥かし この歳なって」

  「高齢者 いよいよ俺も その歳に 何処か恥ずかし どこか気落ちが」

  「気負っても ダメダメあなた もう歳よ これからですよ 言葉交錯」

  

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shin-1さんの日記

○わが家の貯金箱

 わが家にやって来る孫3人にはそれぞれ、動物をあしらった貯金箱が置いてあります。それぞれの貯金箱には名前を書いているので、わが家へ来ると孫たちはその貯金箱を私のところへ持ってきて中にお金を入れてくれるようせがむのです。さすがに1年生になった孫朋樹はお金の値打を知っていて、50円玉や100円玉以上を入れてくれるよう求めますが、2歳の尚樹と奏心はたとえ一円玉でもその数が多い方が納得するのです。

 私の家でも一円玉はあちらこちらに転がっていて、特に風呂場に通じる脱衣場は洗濯の度にズボンのポケットを洗濯役の妻が点検して洗濯機へ入れるので、一円玉や10円玉が無造作に置いているのです。

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(孫たちの貯金箱)

 先日わが家へ孫が泊りに来た時風呂から出た時、孫尚樹が目敏くその一円玉を見つけ、風呂からあがるやいなやその一円玉を欲しいと私に頼み、テレビの横に置いている自分のスティッチキャラクター貯金箱へ持って行って入れてしまいました。それを見ていた朋樹は「おじいちゃん、僕の貯金箱へも入れて」と頼みに来ました。私は自分の財布から100円と10円を取り出して渡し、朋樹もイノシシキャラクターの貯金箱に入れてましたが、尚樹もまた欲しいと頼むので一円玉を5つ入れてやり、あいにくわが家に来ていない希心の分も平等に入れてやりました。二人は大喜びでその貯金箱を枕元に置いてその夜は深い眠りにつきました。今頃二人はどんな夢を見ているのだろうと寝顔を見ながら私も床についたのです。

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(私の貯金箱)

 私にもわが家にも同じように貯金箱が用意しています。私の貯金箱はちょっとでか目で、郵便ポストの恰好をしています。これは郵便局長に懇願していただいたものなのですが、退職してから4年半、一度も開けたことのない貯金箱です。思いついた時に思いついた小銭を入れるだけで無目的なのですが、私はこのお金でデジカメを買おうと密かに思っています。子どもたちが私の誕生日にパナソニックのデジカメをプレゼントしてくれ、今はそれを使っていますがそろそろ替え時だと思っているのです。

 貯金箱ってこんな使い方をすればささやかな楽しみも増えるのですから、それぞれ貯金箱を持っている孫たちにも、金銭教育などと仰々しいことではありませんが、おじいちゃんの知恵袋として教えてやりたいと思っているのです。

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(わが家の貯金箱)

 さて、わが家の貯金箱は退職して直ぐに私の発案で始めました。35年間役場に勤め給料は安くても夏と冬のボーナスをいただきました。退職したらそのボーナスがなくなるのです。そこで夏冬と年二回とまではいかなくても、せめて年末にはボーナスが欲しいという話しになりました。妻と相談して折に触れわが家の貯金箱に小銭を入れ、年末のクリスマス頃に開けるのです。そしてそのお金で正月準備をするのです。既に3回このことをやりましたが、妻はその度大喜びで、今年も後2カ月もすればわが家にも貯金箱ボーナスが貰えるのです。

 退職後の年金暮らしは侘しいと多くの人から聞きます。確かに収入の道が閉ざされ年金に頼ると将来への不安もありますが、こうして自分流の少しケチ、少し節約、少し貯金箱だけでも随分メリハリの効いた暮らしができるのです。人生はなるようにしかなりませんが、なりたい夢を持つと結構楽しいもの、それもこれも自分次第なのです。お金は10万円儲けても11万円使うと1万円の赤字、10万円儲けても9万円使うと1万円の黒字です。こんな単純な経済を私たちはもう一度考え直して生きて行かなければなりません。その出発は孫が教えてくれた一円の貯金箱なのです。


  「小さくも されど一円 貯めこむと ささやかなれど 夢が実現」

  「無造作に 脱衣場ある 一円を 貯金箱入れ さすがわが孫」

  「一円で 喜ぶ孫と 百円を 欲しがる孫は 程度が違う」

  「幼くも 金銭教育 できるもの 孫たちキャーキャー 貯金箱振る」

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shin-1さんの日記

○バスはバスなりメリットが

 先日所用で遠出をしたとき高速バスに乗りました。私が時々利用する高速バスは、広島県バスセンターを起点に発着する中国地方行きと松山を起点に走る大阪行き、それに東京行きなどです。いずれのバスも得割り早割のある飛行機を除けば飛行機や新幹線などの料金と比べると半額程度なのが魅力で、回数券などを買うと更にお得で安くなるのです。年金暮らしとなった私には暇もたっぷりあるので安さの魅力に引かれるのです。

 バスの最大の欠点は乗車時間が長いことと交通渋滞などに巻き込まれたまに遅延することですが、飛行機のように飛ぶ時間より飛行場でのチェックインや荷物受取に時間がかかる時間的ロスや、欠航などのことを思えばバスは目的地も近くこの上ない便利な乗り物だと思うのです。

 私が高速深夜バスを利用する最大のメリットは寝ながらにして目的地へ着くということです。「若松さん、あんな狭い座席でよく寝れますねね。疲れませんか?」と尋ねられますが私はいたって平気です。座席に座って本を読み消灯まで必ず起きておく、これが私の眠る秘訣です。他の乗客のほとんどは座席に座るなり椅子を倒して寝むるのですが、たとえば松山を夕方6時30に出た東京行きのバスだと新宿に午前7時半に着きますが、12時間以上も眠れる訳がないのです。10時の消灯まで起きていると外が明るくなる時間まで眠ることができるという算段なのです。お陰で今はバスの中も私にとっては快適なタイムカプセルのようなもので、旅を楽しんでいます。

 世の中不景気になったのでしょうか、昔は若い人が中心だった深夜バスも、最近は中高年の人たちが沢山利用しているようです。

 先日バスの中で4人組の女性に出会いました。どうやら追っかけのような様子で「氷川きよしショー」を見に行くようでした。また別の二人組女性は「ヨン様」の追っかけのようでした。この人たちを見て隣の席に座った中年のおじさんたちが小声でひそひそ話していました。「世の中も変わったものじゃなあ。ええ歳こいたおばさんが、氷川きよしもヨン様もないものよ。自分の顔を鏡で見て欲しいよなあ」などと悪言の限りでした。最後には「わしらの嫁がこんなことしたら離婚してやる」なんて結末でした。確かに今の世の中どこかおかしい気もしますが、日ごろの憂さを晴らすにはこれもいいのではと、他人事ながら思いました。ちなみにこのことをわが妻に話すと、「私はそんなことしません。そんなお金と暇があるのだったらもっとあなたと旅行したい」とけなげで泣かせるような言葉が帰ってきました。

 先日こともあろうか、その深夜高速バスに私の大事なデジカメを忘れてしまいました。松山インター口で下車するため少し多めの荷物を預けるでもなく車内に持ち込みました。出先でいただいたお土産と一緒にビニール袋入れて座席の下に置いていました。やがてインター口で降り自宅へ帰り、はじめてカメラのないことに気がつきました。急いでバスの最終目的地である八幡浜営業所へ電話しましたが、バスはまだ到着していませんでした。私の連絡先へ電話が入ったのはそれから2時間後でしたが、忘れたカメラを営業所まで取りに行きことなきを得たのですが、妻の言うことには「カメラをバスに忘れるなんてあなたも歳ね」でした。そうです。私は日本でも一番ほやほやの前期高齢者のですから。

  「あなた歳 言って笑った 妻でさえ 眼鏡忘れて あちこち探す」

  「ヨン様を 追っかけしてる 気が知れぬ 旦那の顔が 見て見たいよね」

  「往復で 二万円もの 得をする 節約ですよ 高速バスは」

  「どこででも 眠る特技が 生かされて 座席でグーグー 朝を迎える」

  「寝れないと 言ってる割に よく寝てる 隣のおばさん 掃除機いびき」

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shin-1さんの日記

○久しぶりに孫たちとドライブ

 9月中旬から北海道や昨日までの埼玉県へと県外出張が続き、またフィールドワークの授業でわが家へ学生が沢山やってきたため、またかまど小屋の建築など忙しくも充実した日々を過ごしてきたので、久しぶりに気分一新をと考え、週末やってきていた孫たちを誘い宇和島へ行きました。というのも昨日は愛媛県栄養士会宇和島支部の研修会が宇和島市保健センターであって、その講演を頼まれていたからです。

 この一ヶ月私の留守がちと学生始め来客が多くあって孫たちも殆ど顔を見せていなかったため、新しい車を手に入れたこともあって罪滅ぼしのつもりでのドライブとなったのです。

 私が宇和島市祝森にある保健センターで午後1時近くまで講演している間、孫や娘たちは近くの旧内海村の自然公園へ遊びに出かけ、公園が終わるころ迎えに来てもらい合流する算段でした。昨日は日中絶好の日和で車中は汗をかくほどの温かさでしたが、戸外はとても気持ちのいい秋風が爽やかに頬を撫でてくれました。

 支部長さんの話によると、私はすっかり忘れていましたが支部の研修会でお話しするのは2度目だそうで、現職の頃無人島に挑む少年の集いなどの話をしたそうで、はっきりと覚えておられました。今回の話は「心豊かに生きる」と題したライフプランの話でした。参加者は若い栄養士の女性たちが殆どでしたが熱心に聞いていただきました。市役所の和田さんの紹介によるのでしょうが偶然にも愛大農学部の小田先生講演が私の前にあって、控え室で再開しました。

 遅い昼食をとるため私の母校である水産高校のすぐ前の東洋軒というお店へ入りました。入るなり中年の店員さんが「あなたはテレビで時々お見受けする双海町の若松さんですよね」と、唐突に話しかけてきました。いやあ驚きました。田舎のくたびれた親父を自認している私を覚えてくれていたのです。連れもいて詳しい話はしませんでしたが、声をかけていただくなんて有り難いことです。

 早速お寿司などを注文し久しぶりに美味しいご馳走を孫たちと一緒に食べました。小学校1年の孫朋樹と2歳になった孫尚樹もすっかり大きくなって随分会話が交わせるようになりました。

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 帰りに八幡浜経由で伊方町にある亀が池温泉に立ち寄りました。私は小学校1年の朋樹と一緒に入りましたが、サウナや塩サウナなどを楽しんだ後夕闇せまる夕やけこやけラインを沈み行く夕日を見ながら走りました。長浜出海の特産品センターの前に車を止めて夕日の写真を撮っていると、「あなたは双海の若松さんでしょう」とまたまた特産品センターの方に声をかけていただきました。「景気や売り上げの方はいかがですか」「いやあ中々厳しくて」とこれまた立ち話で色々なことをお話ししました。

 「お父さんも顔が広いのね。おちおち歩けやしないね」と妻にからかわれましたが、世の中狭いものだと感じながら、久しぶりの南予路へのドライブでした。


  「若松さん? はいそうですと 返事する あちらこちらに この顔売れて」

  「賑やかな 孫の笑いを 積み走る ドライブ楽し 日ごろを忘れ」

  「じいちゃんと ばあちゃん二人 マゴマゴと 孫と一緒に お手てつないで」

  「この孫が 大きくなるまで 頑張らにゃ 妻とヒソヒソ 決意を語る」

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○目出度く高齢者になりました

 昭和19年10月3日生まれの私は、この度の誕生日で目出度く高齢者となりました。「目出度く」という表現は、加齢を嫌がる風潮がある中で、避けて通れないこの人生の関門をあえて夢や希望を持って反骨たくましく生きてやろうと思ったからです。

 ゆえに今回の誕生日はあえて旅先で迎えることにしました。埼玉県寄居町のかんぽの宿で65歳の初日の出をたった一人で迎えました。宿となったかんぽの宿からは、前日の雨が嘘のように私の前途を祝福して晴れ渡った田舎の原風景がまばゆいほどに美しく見え、自分の将来を祝福しているようでした。

 妻から朝一番の携帯電話が入り、「おめでとう」と言われ、更には自宅へ花束やメッセージが届いているとのことでした。四国の田舎に住む何の変哲もない私にでも、こうして祝福してくださる人が沢山いることを思うと、これからもうかうかすることなく、力強く生きて行こうと決意をせざるを得ず、心を新たにしたところです。

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(これまで一番のお気に入り自画像似顔絵)

 旅先での10月3日は忙しい一日となりました。朝こそゆっくりしたものの午後からは親学講演会で浅学非才を披歴し、その後寄居の駅を旅立って自宅へ帰る帰路途中にも東京で人に会うなど忙しくも充実した65歳高齢者となった第一日は、今までの度の誕生日よりも素晴らしい人生の旅立ちの一日となったようです。

 帰宅すると妻が自宅に届いた花束をほどいて花瓶に美しく活けてくれていました。毎年毎年いつものことながら決まったように届く西岡真由美さんと緒方二三子さんお二人からの誕生日花束プレゼントなのです。もう10年も前のことでした、毎年12年間にわたって続けていたシーサイド公園の砂浜清掃や水槽掃除が終わってドロドロになった私の元へ、どこでどう調べたのか誕生日のプレゼントだといって花束を持ってきてくれたのでした。汚い作業中の格好をしていたゆえに少々赤面やたじろいだことを今でもはっきりと覚えているのです。

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(今年一番のお気に入り自画像写真)

 一昨日は65歳の誕生日ゆえにことさら重い気持ちで迎えました。これからが人生だと思えば目いっぱい楽しまなければなりません。さすがに体力の衰えは日を追うでしょうが、気力と知力はまだまだ衰えるつもりはありませんし、弱気になることもないのです。わが家では親父が92歳でまだかくしゃくとしていて、生きる見本があるのですから頑張らなければなりません。むしろ引っ張る機関車から後押し機関車になって、人にしてあげる幸せ人でありたいものです。

 人はどうであれ私は私の道を行こうと決意した今年の誕生日でした。メールやハガキ、そして花束やプレゼントをいただいたみなさんありがとうございました。


  「やっと来た ついに来たかと 高齢者 なってしまえば 気分サバサバ」

  「これからが わが世の春と 大威張り へつらうことなく 生きてやろうと」

  「わが家には 立派な見本の 親父いる 似ないようにと 似たいものだと」

  「まだ若い 私若松 老いてなお 気分まだまだ 負けてなるかと」

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○原風景が素晴らしい寄居町

 深谷での講演が終わり、あくる日の会場である寄居町中央公民館を下見した後、黒瀬さんにその夜の宿であるかんぽの宿へ送ってもらいました。夜の帳が下り雨模様や土地に不案内なこともあってその日は余り気付きませんでしたが、ふと昔のことを思い出しました。私が初めてこの寄居町を意識したのはこの町の役場に勤めていたSさんがきっかけでした。Sさんはその後県公連に転出しましたが、何かにつけて出会いを深め何かにつけて議論をしたものでした。もう一つは私の町が双海町から伊予灘町に町名変更をしようとした折り、荒川の上流である長瀞町の町名変更の顛末を調査に、秩父鉄道を乗りついで一人やってきたことがあるからです。Sさんのその後のことも町名変更騒動も過去のことなので、余り触れたくはないのですが、それでも私にとってはつい昨日のことのように蘇ってくるのです。

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 旅の疲れがそうするのか、金山温泉という埼玉県では珍しい温泉の湯が温めてくれたのか、はたまたきのこ三昧という美味しい料理のせいなのか、早めに床についたため、早い目覚めとなりました。早朝読書をしたり、朝風呂に入ったりしながら外の風景を眺めていると、周布と言う地名そのままに白い霧が山の中腹をゆっくりと流れ幻想的な風情を醸してくれました。

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 昨日は午後からの講演会だったので、かんぽの宿で11時まで、久しぶりにゆっくりとくつろぎました。やがて黒瀬さんが迎えに来られいよいよスタンバイです。驚いたことに私の似顔絵が掲示板や至る所に張り出され、また会場の玄関には私のな目入りの看板がこれでもかと言わんばかりに立てられて恐縮してしまいました。やがて少し早目の昼食となりました。地元では有名なかつ丼を楽屋で食べさせてもらいましたが、これがまたとてつもなく大盛で、美味しさに下包みを打ちました。

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 さてこの日の会場は中央公民館のホールでしたが、500席の会場はかなり埋まっていました。残念ながら楽屋から直接ステージにあがったため、会場の写真を撮ることができませんでしたが、舞台の設営も見事でしたし、皆さん方の役割分担のしっかりと打ち合わせができていて一糸乱れれぬ運営はさすがプロだと思いました。

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 90分の講演はあっという間に終わりました。私がステージから見る限りでは、13時30分からの講演にもかかわらず眠る人はまずいないようでしたし、私の話の最中も大きな笑うの渦ができてかなりの手ごたえがあったようです。その反響は講演が終わって帰途に就くので玄関先へ出ると、沢山の参加者が待ち構えていて、色々な感想を言いながら私を最大限に持ち上げてくれました。

 後ろ髪惹かれるほのぼのとした思いで寄居の駅から、東武東上線に乗って小川町を経由して池袋へ出て、埼京線で新宿へと向かいました。

  「ああそうか ここが寄居か 昔来た 思い出すのに 時間かかりて」

  「会場の 入り口辺り ウォンテッド 私似顔絵 沢山張られ」

  「実物も さることながら 似顔絵も 男前だと 自画自賛し」

  「聞く人の よき反応に 助けられ どうにか役目 終わりて帰る」
   

 

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○深谷での大里地区公民館研修会での講演

 9月30日に予定されていた松山工業高校の創立100周年記念大運動会が雨で順延になり、10月1日になりました。運動会だけであれば所用があればキャンセルできるのですが、この日は運動会終了後学校評議員会があるので外すことができず、評議委員会に参加してからと結局飛行機便を最終まで遅らせましたが、運動会の閉会がこれまた遅れ、評議員会へは出席したものの途中で会議を退席し、埼玉県での講演を二日間受けていたため東京へ旅立ちました。


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(県立松山工業高校の百周年記念大運動会)
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 東京で一泊したこともあって明くる日はスムーズに埼玉入りすることができたものの朝から雨に遭い、予定いしていた新幹線ではなく思い切って、新宿駅から高崎線で熊谷まで行くことにしました。到着してから今回の企画の中心的役割を果たしてくれた埼玉県寄居町の黒瀬仙一に熊谷駅まで迎えに来ていただきました。黒瀬さんとは4年前に出会って以来何かにつけて手紙のやり取りがあって気になる人なのです。


 今回の埼玉行きは、寄居町中央公民館の黒瀬仙一主任さんが津久井寄居町長さんの発想した親学講演会の6人の講師陣の中に私を加えてくれたからでした。講師の中には国連開発計画親善大使の女優紺野美沙子さんなどもいて、私を除けばそうそうたるメンバーなのです。第一回目は紺野美沙子さん、第二回目は中央大学教授の広岡さん、第三回目は私、第四回目は精神科医の香山リカさん、第五回目は京都造形芸術大学教授の寺脇研さんなどその道を極めた人ばかりなのです。

 私が何故選ばれたかは定かでありませんが、聞くところによると東京で開かれた講演会で私の話を町長さんが聞いていたので、黒瀬さんの提案がスンナに決まったようです。他の人は知名度もあるので公民館ホールの積は満席になるのでしょうが、まったく知名度のない私は、主催者に、とりわけ私を選んでくれた町長さに恥をかかせることのないよう、多少の不安はあっても、ましてや参加した人の数が多少少なくても来た人重視で臨みたいと思いました。私は若いころから埼玉県とは殊の外縁が深く、昔教友社という出版会社に勤めていた北本市に住む工藤さんと知り合ったことが縁で、とりわけ社会教育関係者に地縁人縁が今も深いのです。

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(文通をしている龍前宏さん)
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(大洲市出身の永田隆さん)
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(大里地区公連の研修会風景)

 黒瀬さんはそのため前日に寄居の矢部伸昭中央公民館長さんが会長を務めている大里地区公民館連合会の研修会を抱き合わせて開催して私は前日の講師も務めることになったのです。「これからの公民館活動・社会教育活動に求められるもの」と題した講演会には100人を超える関係者が集まり、事例発表屁の助言などもさせてもらい、さらにさらに出会いを深めることができました。

 会場となった深谷市幡羅公民館には文通をしている熊谷市の龍前宏さんや、双海町在住の西田利子さんのお兄さんである永田隆さんも駆けつけていただき、お土産まで届けてくれて恐縮してしまいました。


  「遠隔の 土地だというに 知り人が 次々訪ね 深いお出会い」

  「その昔 あんたの話し 聞きました 町長さんも 楽屋訪ねて」

  「痒いとこ 手が届くよに 気配りを 私は言うまま 壇上あがり」

  「公民館 離れて月日 経つけれど 思い変わらず 熱めに話す」

  

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shin-1さんの日記

○埼玉県へ出張します

 今日から埼玉県へ出張します。帰りは日曜日になります。

 土産話を持ち帰る予定です。御機嫌よう。

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○ススキを活ける

 わが家は田舎ゆえに滅法敷地が広く、菜園に使っているところを加えると660坪もあるのです。若いころは何ともなくかえって広いゆったりとした敷地に満足していましたが、庭の手入れを一手に引き受けていた親父が9月で満92歳となり、私も後三日もすれば満65歳の高齢者となるため少々手を焼いてきたというのが正直な話なのです。「歳をとったら都会のマンション暮らしが一番」と、仲間が話す言葉を聞きながら、「なんて馬鹿なことを言うのだろう。歳をとったら自然とともに暮らすのが一番」と思っていましたが、今になって仲間が話している言葉の意味がわかるようになってきました。確かに無機質な都会のマンション暮らしは私の性分には合わないものの、「じゃあ誰が庭木の剪定をし草を刈ったり引いたりするのか」と尋ねられると、行く先々不安が頭を持ち上げるのです。


 今は私が草刈り機で草を刈り、親父が草を引いたり庭木の手入れをしていますが、親父もあと2~3年が限界のようです。同居を望んでいる息子もいずれ帰って来るでしょうが、果たして私が親父の代役を、息子が私の代役をできるかどうか疑問が多いのです。私は親父のように庭木の手入れをする技術を持ち合わせてはいません。息子も草刈り機など使ったことがないのです。あらためて遺し伝えることの大切さを思うのですが、残念なことに世代交代のシナリオはまだまだ未熟なままなのです。

 近所にそれは見事な庭や盆栽を作っていた家がありました。ご夫婦が亡くなって既に5~6年が経ちました。最初の1年は度々息子さんが帰って家の戸を開けて風を入れ、庭の手入れも行っていたようでしたが、そのご1カ月が2ヶ月、3ヶ月と遠のいて、今ではすっかり雑草に覆われて無住の庭となっているのです。その家では優秀な息子さん二人は都会に出て帰って来る当てはないので、再興は難しいようです。

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 「今にわが家も」と不安がよぎりますが、妻が「お父さんも息子も働き者だから大丈夫」と太鼓判を押してくれています。

 先週に日曜日、私のゼミの学生19人がわが家へやって来ました。妻は数日前から肩が凝るほど張り切って掃除をしていました。突然「玄関先へ花を活けるのでススキを取ってきて欲しい」とせがまれました。「急に言われても近くにない」と私が言うと、「畑の畔にススキが沢山あるから」と剪定鋏まで手渡されました。行ってみると確かにススキは新穂を出していました。石垣の近くなので慎重に切り取り10本ばかり取って帰り妻に手渡しました。妻は早速砥部焼の花瓶に活けてくれました。

 花は買うものと思っていますが、どうしてどうしてこの時期のススキの穂は見事に玄関先に秋を演出して、やってきた楽師たちを温かく迎えてくれました。外はもう秋真っ盛りです。彼岸花はもうそろそろ終わりに近づきましたが、ススキは虫の音とともに当分秋を満喫してくれることでしょう。


  「野の花を 活けてお客を 出迎える 綺麗なススキ お褒めのことば」

  「この庭を 誰が守るか 俺の後 心配するな 息子がちゃんと」 

  「荒れし庭 近所の姿 焼き付いて 転ばぬ先を われと重ねる」

  「わが部屋の 窓に初秋の 気配見ゆ 露草露が 朝日輝く」

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○孫奏心の寝返りを喜ぶ爺馬鹿

 一昨日の夜、長男の息子から電話がかかってきました。人間牧場のかまど小屋新築工事も無事終わり、元請けの大工さんから請求書が出たので支払いをと言うのです。月末だし月も変わるので早速支払いをしようと金策に走りました。金策といっても銀行預金を引き出すだけなのですが、所用があって隣町長浜へ行ったついでに、オンラインで結ばれていることをいいことに隣町の銀行で引き出しました。地元の銀行は何となく引き出しにくいもので、自分の預金といいながら人の目を気にせず引き出せてホッとしました。

 私は貧乏性なのか普段は店外に設置されているATMを利用して通帳記入をするだけで、殆ど銀行などへは行きません。行かないといより全てを妻に任せきりなので必要がないのです。したがって銀行は何処か敷居が高いのです。たまに行くと支店長さんが応接間に案内してくれて雑談に講じます。というのも支店長さんは、私が日銀松山支店が事務局を持っている愛媛県金融広報委員会で、金融広報アドバイザーをしていることを知っているので、情報交換したいと思っているのです。

 資金支払いの準備ができたので松山市の息子が勤める設計事務所まで持って行きました。息子の立て替え払いも含めると片手を有に超える帯のついた金額なので、久々に少し緊張しました。

 「ついでにみかんと栗をいただいたので孫たちのところへ持って行って」と妻から頼まれ長女宅を訪問しましたが、駐車場に車があるのに娘はあいにく留守でした。携帯で連絡しましたがこれもあいにく留守でした。仕方がないので厳寒策へ置いて帰りました。聞けば所用で近所まで出ていたとのこと、孫朋樹は学校、孫尚樹もお預け保育に入っているとのことで結局は合わず終いでした。

 続いて長男家族が住んでいるマンションを訪ねました。一昨日息子からかかった電話のついでに、孫奏心が寝返りをしたという話しを聞いていたので、顔を見るのが楽しみでした。6月に生まれた孫奏心は母乳も沢山出て満ち足りているのか丸々と太って元気そのものです。この日はあいにくお昼寝タイムだったので、そっと寝室へ入って写真を撮ってやりました。目敏くそれを見つけたお兄ちゃんの孫希心は、僕も撮ってとせがむのです。

 孫希心も2歳の誕生日を迎えおむつが取れそうで、お兄ちゃんパンツを履いたと喜んで見せてくれました。

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(上は寝返りを打った孫奏心、下は2歳の孫希心)
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 「寝返る」という言葉は普段、余りいい言葉として使われませんが、子どもの成長にとっては極めて大事な通過点なのです。生まれてからこの方天井しか見て暮らさなかったののに、自分の意思で反転し地上からものを見たのです。そのうち騒々しくて目を覚ましたようですが、寝返りしたといいながらまだぎこちなく、手助けをしてやると喜んで寝返りを見せてくれました。

 寝返りの次ははいはい、その次は座る、歩くと成長して行くのでしょうが、加齢とともに気力も体力も下降線をたどっている私とは反比例して上昇線をたどっているのです。孫の成長に目を細めながら栗とみかんを渡し岐路につきました。折しも秋雨前線の影響がかなり激しい雨が軽四トラックのウインドーを洗っていました。学校評議員をしている松山工業高校の運動会も学校評議員会も明日に順延され、昨日は久しぶりに自由な時間を満喫しました。折しも南太平洋でマグニチュード8の大地震があり、津波注意報が発令されるなど、カーラジオは繰り返し警戒を呼び掛けるなど、9月最後の日は慌ただしい一日になったようです。


  「寝返りを うったと息子 電話あり 見に行く爺 馬鹿もええとこ」

  「銀行は 俺の肌には 合わぬとこ 貧乏人の 血筋流れて」

  「運動会 雨で延期の 連絡が 空いた予定を 気の向くままに」

  「支払いを 終えて工事が 段落す ホッと一息 九月の最後」 

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