shin-1さんの日記

○人間牧場界隈あれやこれや

 このところ台風の影響で、南から暖かい空気が流れ込んで毎日のように雨が降り、人間牧場へも行けずモジモジしていましたが、今日はまるで梅雨の晴れ間のような湿度の高いまずまずの天気となりました。人間牧場の様子も気がかりで、息子から工事の進捗状況も見てほしいと頼まれ、加えてお盆が近くなったのでお墓に供えるシキビも親父から頼まれていたので、10時過ぎに出かけました。

 山々はこのところの雨を一杯吸い込んで緑滴るような感じでしたが、海は空を写す鏡ですから真夏の太陽や入道雲とまではいかず、むしろこのところの雨が大量に河川から海に流れ込み、緑色に変色して見えました。ここら辺ではその濁った水のことを水潮といっていますが、近くの肱川から出た水が海の水とせめぎ合ってる様子が、高台にある人間牧場のウッドデッキから一目で分りました。

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(水潮現象)

 この現象は滅多に見えないし、見てもそれが水潮だとは気がつかない人が多いのですが、何年か前大洲市田処に住む旧友亀本幸三さんが写真に収めてメールに添付して送ってくれたのを思い出しました。その当時はメールに添付した写真を取り出すような技術もなくそのままになっていますが、今日は遠望ながらその姿を写真に撮ることができました。

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(わがふるさとのひょうたん型由利島共和国・後ろは二神島)
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(青島・その向こうは大小水無瀬と周防大島)
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(寄港の途に就く漁船)

 今日は普通だと火曜日で休むはずの下灘の漁師さんも、お盆休みが近いということもあって出漁していたようで、早くも午前中に港を目指して帰ってくる船も沢山見えました。また沖合に浮かぶ青島や山口県周防大島、それに夏になると毎年通っていた由利島や、豊田さんのふるさと二神島も墨を流したように懐かしく見えました。

 親父から頼まれていたシキビを鎌で切り、小束にしてトラックに積みました。この日は大工さんの仕事はお休みでしたが、屋根にFRPを張る業者さんが来ていて、屋根に上って黙々と作業をしていました。

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(始まった外装工事)
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(アフター・FRP処理前)
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(アフター・FRP処理後)

 夕方になって息子から電話が入り、FRPを張る業者さんから電話があって車が出なくなったので応援に行くよう頼まれました。私はそんな心配があったので、4WDではない普通の軽四トラックの業者さんに念入りに回転の方法を伝授していたのですが、出れないのなら仕方ないと再度人間牧場へ行きました。

 私が運転を変わって車を出して回転させてあげましたが、業者さんは恐縮して何度もお礼を言って下山して行きました。なれない山道はハプニングやトラブルが多いので気をつけなければなりません。

 業者さんは一日でFRPを張り終え綺麗にできていました。息子はどうやら屋根を屋上緑化したいらしく、雨漏りしないようにときつく注意をしていますが、今頃になって息子の意図することが分かるのですから私も浅知恵ですね。


  「人知れず 海の中でも せめぎ合い、真水塩水 いつかは混ざる」

  「屋根の上 緑化計画 あるという さすがは息子 建築志向」

  「困ったと 電話連絡 駆けつける 何の事なし 車直ぐ出て」

  「あの船と 一緒出漁 したかもと 過ぎ越し昔 懐かしみつつ」 

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○顔が黒けりゃ健康ですか?

 最近出会う人が私の顔を見て口々に「若松さん、お元気そうですね」というのです。はてさて私自身は別に変った様子もないのに、「これはお世辞かな?」と思ったりして、今朝顔を洗う時鏡を見ました。醜いアヒルの子どもほどではありませんが、別に変化は感じられないのです。その時傍にいた妻が、「お父さんも今年の夏は久しぶりに黒く日焼けしたね」というのです。そういえば先週は人間牧場のかまど小屋の工事着工や建前、それに草刈り仕事などがあって、結構炎天下で過ごす時間が長くなり、麦わら帽子を被っていても紫外線の乱反射で皮膚の出ているところが相当日焼けしていて納得、納得です。

 男だし、そんな暇もないし、ましてやつけたことのない日焼け止めクリームなど私には必要ないと思っていて、まあノーガードだったこともあってこの日焼けの顔となったのです。「元気そう」を実物で示した方がいいと思い、今朝書斎でデジカメをセットして自画像を作りました。最初の一枚はランニング姿だったのですが、写った写真を見て下着姿ではいけないと思い、慌ててシャツを着てもう一枚撮りました。驚かないでください。笑わないでください。これが私の現在の顔なのです。写真に収まった顔を見て確かに黒いと自分自身で納得しました。

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(平成21年8月11日朝7時の自画像)

 昔は色の黒いのは貧乏人の証拠といわれ、お金持ちは室内で過ごすことが多いので色白と決まっていたようです。ところがつい最近ではこのジンクスが逆転し、今はお金持ちがアウトドアーの活動をしたり、レジャーで海外旅行をしたりして日焼けし、逆に貧乏人はまるで働き蜂のように冷房の利いた部屋で冷房病になりながら太陽を拝むこともなくあくせく働くのです。

 ちなみに私は色が黒くなった分精悍な顔つきになり、人もうらやむようなお金持ちの代名詞である小麦色の肌を
手に入れているのです。確かに色の白い人を見ると「病人かしら?」と思うし、私自身も足をチェンソーで切って20日ほど入院した時は、自分自身を見まがうほど本当に肌白な姿になっていました。


 私は青年時代の7年間漁師として船に乗っていました。その頃は仕事柄重労働に耐えれるような筋肉隆々の筋肉マンで、顔の色も潮風で日焼けしてそれは逞しい姿をしていました。その後病気を理由に転職して公務員になりましたが、やはり仕事が体の風貌になるのか、いつの間にか筋肉は消え顔色も昔に比べれば比較にならないほど色白となったのです。その後胆のう摘出手術で13キロも体重が減り、一進一退を繰り返して55キロ~56キロを往復する現在の体になったのです。そんなこともあって少し痩せた私の体を見た人は、「えっ、若松さんが痩せている。もしやガンかも知れない。大丈夫かしら」なんて思われていたのです。でも今はご覧の通り穏やかなお金持ちのボンボン(笑う)みたいな姿に落ちぶれているのです。

 顔は心や健康を現す代名詞です。せめてこれからは健康に留意しながら少しだけ太陽に当たって「若松さん、お元気そうですね」と言われるような自分でありたいと思っています。


  「そういえば 鏡に写る 自分見て 色黒々な 自分納得」

  「色黒は お金持ちだと 人が言う 聞きつつ俺も にっこりしたり」

  「デジカメで 自分の顔を 写したり しながら顔の 黒さしみじみ」

  「ランニング 慌ててシャツを 着こなして 10秒シャッター 息をひそめて」


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○梅干しの本漬け

 母や祖母から聞いていた知ったかぶりの梅の土用干しを、梅雨明けを待ちかねたように晴れ間を利用してやろうと妻と相談がまとまり始めました。土用干しは三日三晩と言われているから長期予報を当てにしてやったところ、思わぬ台風が二つもやってきて、三日三晩どころか一日一晩しか土用干しと夜露取りができず、結局は洗濯干し場を占領して雨の避難騒ぎとなってしまいました。

 それでも一日半は夏の太陽に当て、一晩は夜露も取ったので、色も赤くなり柔らかく仕上がりました。8リットルの瓶を7本、それに梅干し用の壺を一つ用意し、仕事で留守の妻に変わって午前中瓶と壺の中へ仕込みました。

昼に帰った妻がその中へ塩漬けした時の梅酢を上から注ぎ込みました。さあこれで準備OKです。あらかじめ買っていた塩漬けされた紫蘇を梅干しの上っ面に乗せました。去年は紫蘇の量が少なくて、2瓶ほどは紫蘇なしで漬け込んでいたのでその梅干しも地下室から取り出し紫蘇を加えました。

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 これで全ての作業が終わりました。蓋をしっかり締めて蛇口から水を流して汚れた瓶の周りの塩分を流し、タオルできれいに拭き取って地下室へ運びました。元鯉を飼っていた池を潰して地下室を作っているので、梅酒や梅干しは夏でも気温が上がらないためこの場所が最適なのです。これから1年じっくり寝かせて紫蘇に染まったまろやかな梅干しを楽しみたいものです。

 先日釜戸小屋の話を書きましたが、数日前ギノー味噌の田中社長と偶然出会い釜戸小屋の話をすると、今度釜戸小屋が出来上がったら釜戸で炊いたご飯と一緒に味噌汁や漬物、それに梅干しも似合うので是非一緒に食べたいという話になりました。味噌も漬物の麹も全てギノー味噌の商品にあるので、今から楽しみが増えてきました。

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 梅干しを地下室に入れナイロン袋を被せていると、何やら外で子どもの声が聞こえるのです。孫たちは午前中に帰ったはずなのにはてな?と思ってまるでモグラ叩きのように頭を出して外をうかがうと、見覚えのある二人の女の子が中を覗いて「進ちゃん」と声をかけてくれました。見覚えのある小学校一年の隣の子どもとそこへ遊びに来ている親類らしい子どもでした。最近ふとしたことから知り合いになり、声をかけるようになったのです。私は外に出て二人の女の子とお話をしました。二人とも小学校一年生です。夏休みのこと、宿題のことなど聞きもしないのにどんどん話をしてくれました。その後家へ帰りましたが、暫くするとまたやってきました。私は庭の草を引いていましたが、二人の女の子は私と話ししながら草を引いてくれました。東屋で一服し頂き物のもみじまんじゅうを3人で食べながらお茶を飲みました。「進ちゃん、明日も来るね」と言って帰りましたが、いやはや嬉しい女友達の出現です。私も女にもてるのだと改めて思いました。


  「紫蘇を入れ やっと本漬け できました これから熟成 一年かけて」

  「進ちゃんと 呼んでくれるか 女の子 俺もまだまだ 捨てたものなし」

  「土用干し やっと終わって 盛夏なり 今年は天気 どこか変です」

  「食えるのに クエン酸とは これいかに 馬鹿げたギャグで 人を笑わせ」

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○やなせたかしアンパンマンミュージアム②
 まるで犬猫のように動き回る3人の孫に翻弄されて、昨日は高知県香北町にあるやなせたかしアンパンマンミュージアムで2時間余りを過ごしました、大雨警報が出たあいにくの天気だったため外にも出られず、私たち大人にとっては少々憂鬱な一日でしたが、孫たちは大張りきりでした。悪天候が幸いして大した混雑でもなかったため、孫の視点、つまり来館者の視点で色々と見学させてもらい参考になることが多かったように思います

 まずアンパンマンの石像などに迎えられ、夢の橋を渡って夢の箱の中に入って行く導入は子どもたちのワクワク感を引き立たせてくれました。中に入るといきなり着ぐるみのアンパンマンが出迎えてくれ記念撮影です。もうこれだけで来館の価値があり、孫たちの心をしっかりとつかんでいました。3人ともアンパンマンになったようなポーズで写真に収まりました。

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 私は残念ながらアンパンマンの漫画を読んでいないので、ストーリーをまったく知りません。でも孫朋樹がボランティアガイドの役目をしてくれ大助かりでした。中に入るとまるで夢の国へ来たような錯覚をするほど色々な展示が並んでいました。孫たちは夢中で走り回り楽しそうに遊んでいました。またビデオ館ではビデオも上映されていて、多くの家族連れが見学していました。私たち夫婦も付き合ってビデオの漫画を見ましたが、朝が早かったためついウトウトでした。

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 孫たちが喜んだのはやはりアンパンマのマンガに登場してくるアイドルたちで、食パンマンやバイキンマンなどがいたるところに描かれていて、見る度に楽しそうでした。孫たちはイラストの前で楽しく遊んでいました。

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(ああ疲れたとソファーの上でくつろぐ朋樹)
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(スリリンの中でゆったりとくつろぐ生後3か月の孫奏心、母親ではないおばちゃんと)

  「また行きたい 孫は一斉 手をあげる 大人もういい 反応返らず」

  「二歳だと 言うのに孫は アンパンマン 全て知ってる 私知らない」

  「お土産に グッズ一つを 買い求め 納得しつつ 家路へ急ぐ」

  「雨などは どうでもよいと 思うほど、あんぱんまんと一緒に遊ぶ」



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○アンパンマンミュージアムを訪ねる①

 昨日の夕方、日曜日に講演を頼まれていた先方から、「雨がひどいような予報なので明日の講演会は延期したい」と電話がかかってきました。相手がそういうものですから、「いやいや大丈夫、これしきの雨で延期だなんて」とも言われず、「仕方ありませんね」と10月への延期を決めました。たまたま泊りに来ていた娘たちとその話が持ち上がり、「せっかく日曜日に休みが取れたのだったら何処かへ連れて行って」とせがまれました。「雨が降って中止の所がるのだから、そんなことはできない」と思いながらも、「じゃあ行くか」と気安く請け負い、2歳と3歳の孫たちが片言で「アンパンマン」という言葉を発する、高知県香北町にあるやませたかしアンパンマンミュージアムに行くことにしました。他所は雨で中止になったのにわが家は計画して実行するなんておかしな話です。

 早速息子にも電話して朝6時起床、7時出発という話がまとまりました。孫たちは嬉しいのか興奮してなかなか寝付きませんでしたが、「朝起きれない人は置いて行くから」と脅すと、そのうち夢の中へ旅立ちました。四国ではJR四国が四国全線にアンパンマンの漫画を描いた列車を数年前から走らせており、子どもたちにとってはすっかりお馴染となっているのです。

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 昨日の朝の一番の早起きは勿論私が4時に起きましたが、妻は5時過ぎに起きて持参するお茶やフルーツを用意したり、食事の準備をしていました。あれほど寝坊の孫たちは今朝に限って6時にはお目覚めです。身支度を整えて軽い朝ご飯を食べさせさあお出かけです。途中松山に住む息子の家で合流し松山インターから高速に乗ったころから雨が激しくなり、時折ワイパーが効かないくらいの激しい雨の中を走りました。どうやら四国沖にある熱帯低気圧に向かって南から湿った空気が流れ込んでいて、各地で大雨警報が出されるなど高速道路はこの雨のために最高速度50キロに制限されていましたが、お盆の帰省客のためか、またどこまで乗っても千円の高速道路割引料金のせいかいつになく多い交通量で、80キロ以上の猛スピードで水しぶきをあげて私たちの車の走る左車線の横の追い越し車線をどんどん追い抜いて走っていました。

 私たちは急ぐ旅でもなし、また孫や子どもたちを載せているので安全を第一に、サービスエリアでは必ずトイレ休憩を取って走りました。その都度孫たちはお店に立ち寄り欲しいものを品定めしているようでしたが、買物は一個と決めているので、特に小学一年生の孫朋樹は真剣にお店の中をうろちょろしていました。

 カーナビがあるし、私自身も行ったことのある施設なので2時間も走れば迷うことなく到着するだろうと思っていましたが、サービスエリア3ヶ所の休憩が予想以上に長引き、3時間半もかかって到着したのは10時半を過ぎていました。到着するころには雨は一段と激しくなりました。高知の雨は半端ではなく雨粒の大きさが違うといつも思います。高知県には四万十川、仁淀川、鏡川、安田川などの大きな河川が幾つもあって、四国山脈に降った雨は太平洋へ注いでいますが、付近にある物部川も満水の状態で、国道も2か所ほど冠水したような場所もあって至る所から水が溢れていました。

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 長旅で疲れているだろうと思いきや孫たちはアンパンマンミュージアム屋上に取りつけているアンパンマン像を見るなり目はぱっちりです。かなり強い雨が降っていたためお盆休みながらそれほど混雑することもなく、駐車場に無事車を止め入場ができました。今は携帯が普及しているため迷子になるような子どももいないし、あちらこちらでは両親やおじいちゃんやおばあちゃんたちがデジカメ片手に記念撮影とあって、Vサインの子どもたちが人気の展示の前では長い列を作って順番待ちをしていました。人のことは言えません。私も孫3人の後ろを必死でついて歩きカメラに収めようとしましたが、あちらが向こうを向けばこっち、こっちを向けばあっちとまるで糸の切れた凧のように右往左往して、結局はまともな写真は殆ど撮れませんでした。

 それでも孫たちは私たちの心配をよそに館内を走り回り、泣いたりわめいたりしながら熱心に見学して、同じ場所を何回も見ていました。結局入場してから2時間近くも館内で過ごし、外の降りしきる雨をよそに楽しい日曜日を過ごしました。

 降ってわいた思わぬ講演延期の恩恵にあずかった子どもや孫たちはいい夏休みの経験ができたようで、カメラに収めた写真をその日の深夜までかかってプリントアウトし、忙しかった一日を終わりました。


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  「雨のため 延期になった 講演会 お陰で孫と 楽しく過ごす」

  「アンパンマン 何処に魅力が あるのだろう 二歳の孫の 心とらえて」

  「私など 理解のできぬ アンパンマン 時代の落差 感じ一日」

  「低レベル 笑ってアニメ 馬鹿にして いたが今では 立派な文化」 

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○親友西川さんから「ちろりんだより」が届きました

 私の元へはリタイアした人間とは思えないほど毎日沢山の郵便物が届くのですが、それを整理して保存したり必要でないものを捨てたりする作業は中々骨が折れます。特に私が2~3日出張で家を空けたりすると、妻がそれら全てを私の書斎に置いている郵便物用の段ボールにどっさり入れてくれるのです。本当は秘書を自認する妻ですから、文章の整理ぐらいはして欲しいのですが、どれが重要なのか必要なのかも分らず、結局は本人しか片づけができないのです。

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(平井悦夫さんの「ときめ木堂の悦びタイムス」)

 そんな郵便物に交じって私の旧友である西条市丹原町来見に住む西川則孝さんから今回も「ちろりんだより」が届きました。個人的なシリーズ物としては、福山市新市町に住む平井悦夫さんの「ときめ木堂の悦びタイムス」とともに、群を抜くロングランなのです。平井さんのシリーズは181号、西川則孝さんの157号を数えているのですからこれはもう尋常ではないのです。

 

 私と西川さんの出会いは記憶にないほど古く、多分何処かの研修会で出会ったのではないかと思われますが、私のことを「ししょ~」と呼んで私の主催していたフロンティア塾の塾生として40回の塾の大半に参加していました。また彼が私の自宅に造っている「煙会所」に触発されて自分の家に造ることになったたまり場に「第二縁開所」と名前を付けて看板をプレゼントした記憶もあるのです。また私の紹介で愛媛新聞のシニアサイト「自悠くらぶ」にちろりんだより」を私とともに連載執筆してもらっているのです。何年か前彼が執筆出版した「晴れ時々ちろりん」という本に請われて前文を書いたこともありました。

 有機農業をやりながら自然とともに生きている彼の姿は昔も今も変わらず、私の理想とする生き方をしているだけに、何とか少しでも彼の生き方を見習いたいと、人間牧場を作ったりしていますが、まだ意思半ばなのです。

 まあこんな具合につかず離れずの出会いを深めていますが、奥さんや成長した二人の子どもさんを巻き込んだお付き合いをしているのです。

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(西川則孝さんの「ちろりんだより」)

 さて今回送られてきたのは初夏の号と盛夏号の2号です。毎回色々な話題を取り上げていますが、ちろりん暦やパーソナリティを務めるコミュニティFMの予定、俳句、奥さんの後記などなど読みごたえのある内容が沢山ありました。文字の大きさも濃いさも丁度よく読め、所々にちりばめられたカットの絵も中々味があるようです。

 西川さんのいいことは、新聞形式のこの便りが奥さんと合作であるということです。私も含めてまちづくり人は案外奥さんの存在をないがしろにするものです。自分ひとりだけがええ格好をしたり、家族のことを語らない人が多いようなのに、西川さんは鳥取大学農学部の同級生である奥さんと夫唱婦随の関係を保っているのです。

 まあそんなこんなで、「ちろりんだより」を愛読している私としては理想の情報誌だと毎回感心しながら読ませてもらっているのです。


  「旧友が 夫唱婦随で 書き作る ちろりんだよりを 読んで納得」

  「デジタルな 時代になって アナログが かえって新鮮 そんな気がする」

  「ああ俺も こんな新聞 作りたい 思うけれども 俺にはできぬ」

  「100号を 越えればそれは 物語 なりて後世 歴史となりぬ」 

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○せめてパソコンでもやりたい

 私の町は人口が5千人を割った小さな町です。大した産業もなく農業と漁業で生計を立てている人が殆どでしたが、昭和40年代から今日まで続く第一次産業の不振によって、農業と漁業はずっと右肩下がりの状態です。多分このままではじり貧どころか、10年後には農業も漁業も壊滅的になるのではないかと危惧しています。これまで農業と漁業は選挙がある度に、自民党の集票マシーンのような組織を動員した選挙を行ってきました。それは政治家が言うような第一次産業の振興政策に一縷の望みを持ったからでした。確かに国も県も第一次産業の振興には莫大な資本をつぎ込み、農民や漁民を助けようと努力してきましたが、結果的に農業も漁業も振興せずこの惨めな結果になっているのです。

 じゃあ民主党など別の政権が誕生すれば農業や漁業の振興ができるかといえば、素人が手や口を出すのと同じように、そんなに甘いものではないのです。農民も漁民もそのことを承知で選挙を前に揺れ動いているのでしょうが、選挙の1ヶ月前だけあなたたちの味方だと言われても、戸惑ってしまうのが正直なところです。

 昨日ある親しい漁師さんに会いました。彼は漁師の長男に生まれ多少の抵抗はあっても長男として、中学校を出ると直ぐに家の家業を継いでいるのです。漁師さんは自分の船で漁獲物を取ると言いながら、船も家も港に近いため車を持つ必要がなかったから運転免許証を持っていません。当然家には車も車庫もなく無駄な出費は抑えられてきたのです。しかしここにきて暮らしに車が必要になってきました。特に医療と教育において田舎で暮らして行くのには車は欠かせないのです。それは公共交通機関がだんだん縮んできたからです。私の町には高校がありません。子どもは近隣の高校に通うのですが、部活をしていると夕方遅くなって、最終便に間に合わなくなり、子どもを伊予市まで迎えに行かなければならないのです。また高齢者を抱えた家庭では込み入った病気だと地元の診療所では間に合わず、都度都度タクシーという訳にもいかず、病院すら満足に行けないのです。

 奥さんは思い切って65歳で免許を取り車を購入したようですが、これから何年先まで車に乗れるかと気を揉んでいるようです。目ン卿や車を持っている私自身も他人事ではなく、同じような不安の中で生きているのです。


 この漁師さんが最近パソコンを始めたようです。正直言ってこの年代の漁師さんでパソコンをやっている人はわが町には余りいませんが、私は彼と時々メールをやり取りして思いをぶっつけています。船の免許は持っていても車の免許を取れなかった悔しさからパソコンを始めたと、その動機をパソコンメールで読んだとき、前向きな人だと思いました。彼からくるメールはwた市がそうであったように、いや今もそうかも知れませんが、誤字脱字が多く読みづらいところがありますが、私にとってはとても新鮮な感じのするメル友なのです。

 彼は私にやり場のない不満をぶつけてきます。私にだって彼と同じようなやり場のない不満はありますが、聞き手応え手として返しているのです。

 数日前、私より年上の彼からパソコンのことについて電話がかかってきました。私がそうであったように、「こんな時どうするの」でした。私は人に教えるほどパソコンを使うことはできません。ゆえにたどたどしいのですが何点かの疑問に答えました。ひとつクリアした喜びは大きいもので、昨日その漁師さんからお礼にと大きな鯛が1匹届きました。貰う理由のない贈り物に妻も私もびっくりしたましたが、お礼の電話をかけたついでにまたもやパソコン談義です。車に乗れなかったうっぷんを晴らすように、パソコンでは漁師一番とばかりに気負って生きているこの漁師さんに大きな拍手を送ります。(鯛を貰ったからい拍手を送るのではありません)


  「ここにきて 車に乗れない もどかしさ 田舎の暮らし 車なければ」

  「パソコンを 知らない私に 聞いてくる 知ったかぶりも できないままに」

  「近づいた 天下分け目の 選挙戦 どっちになっても 次元が低い」

  「何気なく 車に乗って いるけれど 乗れない人の 気持ちが分る」


 

 

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○長生きの親父とともに暮らす

 あと1カ月もすれば92歳になる親父はまあまあ元気で、今朝も私と同じ午前4時に起床して、朝の散歩や食事を終え、朝の涼しいうちに草削りをしようと、家の横の畑に出ています。今年は梅雨が遅く明けた分雨が適当に降って水やり作業はまだないのですが、草の勢いが強くてそのことが親父を悩ませているようです。草削り用の鍬で畑や道の草を丹念に削っていく作業は容易なことではなく、年寄りがアリのようにする作業にはほとほと感心するばかりです。綺麗に引いたり削った草も1週間もすればまた青々と伸びて、まあ親父と草のいたちごっこは死ぬまで続くことでしょうが、徐々に衰える体力を自分も、そして傍で見ている私も認めながらお互いが日々を暮らしているのです。

 近くに住む親類の親父の兄弟からは、親父の健在ぶりを喜んでくれますし、几帳面で気難しい性格を知っているため、私や妻への同情もしてくれますが、多少の不満はあって100パーセントではないものの、100パーセントに近い満足度の親父であることは断言できるようです。

 私の妻はそんな親父のために毎日夕方には一汁一菜を作って隠居へ運んでいますが、母親が亡くなってから始めたのでもう10年間も続いているのです。その姿を見て頭が下がる思いがするし、感謝をしてもしきれないほど感謝をしていますが、歳をとってくると食べ物の許容範囲が狭くなって、親父の健康のことを心配して料理を運ぶ妻をしり目に、「あれはわしの歯では食べれん」とか言って残すことも度々あるのです。10年間もそんな姿を見ていれば大体の好みはわかるのですが、妻は親父の体を心配して好きなものを中心に献立を組み立てるのでしょうが、カレーはダメ、肉はダメとなると魚と野菜中心の料理になってしまうのです。ましてやできるだけ私たちと同じものを食べてもらいたいので、いくら親子といっても好みも違うのです。したがって時々妻と対立することもありましたが、最近は知れもない半面、残すという反逆をしているようです。

 昨日は妻の仕事が夕方あったため、おかずを作ってくれたのを私が運びました。親父はあいにく来客中で、近所の人が戦後クジラ漁をしたころのことを聞き取り調査に来ていました。まだ陽も高い4時過ぎだったので、親父の食事の時間まで刺身など悪くなってはいけないと冷蔵庫へ入れ、「じいちゃん冷蔵庫へおかずを入れてるよ」と大きな声で伝えました。親父はそのことを「分った」と言ったのでてっきり了解していると思いました。

 ところが6時になって親父の隠居へ行ってみると、自分の作ったキュウリやラッキョウなどを食べながら晩酌をしていました。私が冷蔵庫へ入れた食べ物をすっかり忘れていて、「今日はおかずを持ってこんので」と多少妻への不満の声でした。言い争っても仕方がないので、冷蔵庫から取り出して食卓に出してやりましたが、親子でも中々難しいものです。昨日は新鮮サンマを刺身にしていたので、私はとても美味しく食べましたが、元漁師の親父には何とも不味く感じたのでしょうが、食べずに冷蔵庫へ入れていました。

 まあ一事が万事、年寄りとはこんなもんだと思いつつも、年々耳も遠く目も薄くなって衰える親父を見ながら、人間の一生をしみじみ思い、昨日はなかなか寝付かれませんでした。長寿は寿と書くようにいいことに違いはありませんが、時々漏らす親父の弱音を聞きながら長生きの厳しさを垣間見るのです。


  「歳をとる 周り何かと 気配るが 思うようには 思うことなく」

  「あれ食えぬ 不満の言葉 言わずとも 残すくらいの 態度で示す」

  「嫌だなあ 俺もなるのか あんな風 立秋の風 まだまだ暑く」

  「献身の 妻の料理に 文句つけ 中に入った 私うろちょろ」

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○64年目の夏

 昨日はアメリカが史上初めて人類に核兵器を使用してから64回目の「原爆の日」でした。広島平和公園にある原爆記念館を訪れた人なら誰でも、その生々しい惨状が記憶の底に焼き付いているものと思われますが、50年は草木も生えないと言われた広島は多くの人の努力で奇跡的な復興と発展を遂げ、表面上原爆の後遺症など見えず、人々の記憶の薄らぎを感じさせています。しかし一方では、未だに後遺症に苦しんだり、二世への影響が出ていたり、はたまた悪夢にさいなまれたりする悲しい現実を思うと、記憶が薄らぐことへの危惧や核廃絶への誓いを、国民運動として継承することは日本国民の義務だと思いを新たにしたのです。

 昨日は所用で外出し、11時から友人の母さんの葬儀に参列したためたため、車を運転しながらカーラジオで、平和式典の模様を興味深く聞きました。特に印象深かったのは秋葉市長の平和宣言です。オバマ大統領とマジョリティーを組み合わせたオバマジョリティーという造語、yes we can(必ずできる)という言葉、まさに全政世界へのメッセージでした。

 しかしいち早く昨晩のテレビと今朝の朝刊では、「オバマに依存し過ぎで市民や国民の主体性がない」との手厳しい反論もありました。また同時に行った麻生太郎首相との原爆訴訟原告との会議で、原告全員の救済を盛り込んだ政府案が議論され、合意したことを選挙の前の茶番だと言う人もいて様々でした。でもオバマ大統領の言動にしろ、原告救済にしろこれまでと違った一歩踏み込んだ前進であることに間違いでなく、特に原爆訴訟和解は被災者にとって64年目の朗報であったに違いないのです。

 私は昭和19年に生まれた私は今年64歳です。間もなく65歳になりますが、私の生きてきた時代と原爆に苦しんできた人の苦しみの年数が々ゆえに胸が痛むのです。

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 そんな悲喜こもごももあって昨日は何か複雑な気持ちの一日でした。夕方食事が終わって妻と二人で七夕のための笹飾りを作りました。私たちの地方で七夕は8月7日今日なのです。妻は箪笥の上に置いている小さな紙箱を降ろして中から七夕の短冊などを出しました。私は町内会から配られてきた笹を適当な長さに鋸と鎌で切り、部屋の中へ入れて短冊などに紐をつけて結んで行きました。私は大きな包み紙を何重にも折って挟みで切り分け網を作り、妻は短冊に筆ペンで願いを書いていました。息子娘たち、孫たち、親父、私たちと願い事を書いていましたが、「幸せになりますように」とか、「○○が元気でありますように」と素朴な願い事を書いていました。

 昨晩は散歩時には満月近いお月さまも見えましたが、雨が降るかもしれないと思い庭に立てかけていましたが、今朝は夏の日差しも回復したので、毎年吊るす2階のベランダにくくりつけました。そしてその傍にお盆を置きスイカやキウリ、リンゴなどを備え手を合わせました。私にとっては64回目の七夕かも知れませんが、記憶にあるのはリタイアしてからここ数年だけです。それ以前は妻と子どもたちがやっていたようですが、忙しかったため任せきりでした。今晩は七夕笹飾り越しに天の川や星を妻と二人で見たいと思っています。


  「いつの間に 妻と二人の 笹飾り 願い短冊 孫も含めて」

  「原爆の 苦しみ逝きし 友思う 今頃何処を 旅しているか」

  「六十四 俺の年齢 同じ年 故に毎年 心が痛む」

  「忘れたい だけど忘れちゃ 困ること 戦争悲劇 語り伝える」

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○好きなことと嫌いなこと


好きな仕事は近づいてくるが 嫌いな仕事は遠ざかる

好きな仕事は直ぐに済むが 嫌いな仕事は中々はかどらない

好きな仕事は楽しいが 嫌いな仕事は苦しい

好きな仕事はまたしようと思うが 嫌いな仕事は二度とやりたくない


好きな本は読もうと思うが 嫌いな本はいつまでも積まれたままである

好きな本はあっという間に終わるが 嫌いな本は中々読み終わらず途中で止める

好きな本は記憶に残るが 嫌いな本は記憶に残らない

好きな本は何回でも読み返すが 嫌いな本は二度と読まない

好きな人には逢いたいが 嫌いな人には逢いたくない

好きな人は逢いたいのに中々逢えず 嫌いな人は何故かよく逢う

好きな人の夢は時々見るが 嫌いな人の夢は再々見る

好きな人は同じ仕草も好きであり 嫌いな人は同じしぐさでも嫌いである


好きな食べ物は美味しいが 嫌いな食べ物は不味い

好きな食べ物は栄養価が高そうに見えるが 嫌いな食べ物は糞になるだけだと思う

好きな食べ物は好んで食べるが 嫌いな食べ物は勧められても食べない

好きな食べ物は金を出しても買うが 嫌いな食べ物はタダでも要らない


好きな場所は何度も行くが 嫌いな場所へは行かない

好きな場所は人に紹介するが 嫌いな場所は人に紹介しない

好きな場所は心が洗われるが 嫌いな場所は心が沈む

好きな場所は例え形が違っても覚えているが 嫌いな場所は忘れる


好きな道具は使うが 嫌いな道具は使わない

好きな道具は自慢するが 嫌いな道具は自慢しない

好きな道具は手元に置くが 嫌いな道具は陰に置く

好きな道具には名前を書くが 嫌いな道具には名前を書かない


好きは好き 嫌いは嫌い

好きに余り理由はないが 嫌いには理由がある 

好きはより好きになり 嫌いはより嫌いになる

好きと嫌いはいつの間にか 自分の価値判断の物差しになっている


好きなものがある日嫌いになり 嫌いなものがある日好きになる

好きと嫌いが逆転し 好きが嫌いに嫌いが好きになる

好きの理由も 嫌いな理由もいい加減

好きを増やし嫌いを減らすと人生はまた面白くなる


  「好きだった 人に出会って 思うこと 何で焦れた 意味が分らず」

  「好き嫌い 意味もないのに 決めている いいじゃあないか 幸せならば」

  「嫌いだと 思う相手は 俺のこと 鏡と一緒 多分嫌いだ」

  「嫌いでも やらねばならぬ こともある 嫌い熱中 やがて大好き」


   

 

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