shin-1さんの日記

○せめてパソコンでもやりたい

 私の町は人口が5千人を割った小さな町です。大した産業もなく農業と漁業で生計を立てている人が殆どでしたが、昭和40年代から今日まで続く第一次産業の不振によって、農業と漁業はずっと右肩下がりの状態です。多分このままではじり貧どころか、10年後には農業も漁業も壊滅的になるのではないかと危惧しています。これまで農業と漁業は選挙がある度に、自民党の集票マシーンのような組織を動員した選挙を行ってきました。それは政治家が言うような第一次産業の振興政策に一縷の望みを持ったからでした。確かに国も県も第一次産業の振興には莫大な資本をつぎ込み、農民や漁民を助けようと努力してきましたが、結果的に農業も漁業も振興せずこの惨めな結果になっているのです。

 じゃあ民主党など別の政権が誕生すれば農業や漁業の振興ができるかといえば、素人が手や口を出すのと同じように、そんなに甘いものではないのです。農民も漁民もそのことを承知で選挙を前に揺れ動いているのでしょうが、選挙の1ヶ月前だけあなたたちの味方だと言われても、戸惑ってしまうのが正直なところです。

 昨日ある親しい漁師さんに会いました。彼は漁師の長男に生まれ多少の抵抗はあっても長男として、中学校を出ると直ぐに家の家業を継いでいるのです。漁師さんは自分の船で漁獲物を取ると言いながら、船も家も港に近いため車を持つ必要がなかったから運転免許証を持っていません。当然家には車も車庫もなく無駄な出費は抑えられてきたのです。しかしここにきて暮らしに車が必要になってきました。特に医療と教育において田舎で暮らして行くのには車は欠かせないのです。それは公共交通機関がだんだん縮んできたからです。私の町には高校がありません。子どもは近隣の高校に通うのですが、部活をしていると夕方遅くなって、最終便に間に合わなくなり、子どもを伊予市まで迎えに行かなければならないのです。また高齢者を抱えた家庭では込み入った病気だと地元の診療所では間に合わず、都度都度タクシーという訳にもいかず、病院すら満足に行けないのです。

 奥さんは思い切って65歳で免許を取り車を購入したようですが、これから何年先まで車に乗れるかと気を揉んでいるようです。目ン卿や車を持っている私自身も他人事ではなく、同じような不安の中で生きているのです。


 この漁師さんが最近パソコンを始めたようです。正直言ってこの年代の漁師さんでパソコンをやっている人はわが町には余りいませんが、私は彼と時々メールをやり取りして思いをぶっつけています。船の免許は持っていても車の免許を取れなかった悔しさからパソコンを始めたと、その動機をパソコンメールで読んだとき、前向きな人だと思いました。彼からくるメールはwた市がそうであったように、いや今もそうかも知れませんが、誤字脱字が多く読みづらいところがありますが、私にとってはとても新鮮な感じのするメル友なのです。

 彼は私にやり場のない不満をぶつけてきます。私にだって彼と同じようなやり場のない不満はありますが、聞き手応え手として返しているのです。

 数日前、私より年上の彼からパソコンのことについて電話がかかってきました。私がそうであったように、「こんな時どうするの」でした。私は人に教えるほどパソコンを使うことはできません。ゆえにたどたどしいのですが何点かの疑問に答えました。ひとつクリアした喜びは大きいもので、昨日その漁師さんからお礼にと大きな鯛が1匹届きました。貰う理由のない贈り物に妻も私もびっくりしたましたが、お礼の電話をかけたついでにまたもやパソコン談義です。車に乗れなかったうっぷんを晴らすように、パソコンでは漁師一番とばかりに気負って生きているこの漁師さんに大きな拍手を送ります。(鯛を貰ったからい拍手を送るのではありません)


  「ここにきて 車に乗れない もどかしさ 田舎の暮らし 車なければ」

  「パソコンを 知らない私に 聞いてくる 知ったかぶりも できないままに」

  「近づいた 天下分け目の 選挙戦 どっちになっても 次元が低い」

  「何気なく 車に乗って いるけれど 乗れない人の 気持ちが分る」


 

 

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shin-1さんの日記

○長生きの親父とともに暮らす

 あと1カ月もすれば92歳になる親父はまあまあ元気で、今朝も私と同じ午前4時に起床して、朝の散歩や食事を終え、朝の涼しいうちに草削りをしようと、家の横の畑に出ています。今年は梅雨が遅く明けた分雨が適当に降って水やり作業はまだないのですが、草の勢いが強くてそのことが親父を悩ませているようです。草削り用の鍬で畑や道の草を丹念に削っていく作業は容易なことではなく、年寄りがアリのようにする作業にはほとほと感心するばかりです。綺麗に引いたり削った草も1週間もすればまた青々と伸びて、まあ親父と草のいたちごっこは死ぬまで続くことでしょうが、徐々に衰える体力を自分も、そして傍で見ている私も認めながらお互いが日々を暮らしているのです。

 近くに住む親類の親父の兄弟からは、親父の健在ぶりを喜んでくれますし、几帳面で気難しい性格を知っているため、私や妻への同情もしてくれますが、多少の不満はあって100パーセントではないものの、100パーセントに近い満足度の親父であることは断言できるようです。

 私の妻はそんな親父のために毎日夕方には一汁一菜を作って隠居へ運んでいますが、母親が亡くなってから始めたのでもう10年間も続いているのです。その姿を見て頭が下がる思いがするし、感謝をしてもしきれないほど感謝をしていますが、歳をとってくると食べ物の許容範囲が狭くなって、親父の健康のことを心配して料理を運ぶ妻をしり目に、「あれはわしの歯では食べれん」とか言って残すことも度々あるのです。10年間もそんな姿を見ていれば大体の好みはわかるのですが、妻は親父の体を心配して好きなものを中心に献立を組み立てるのでしょうが、カレーはダメ、肉はダメとなると魚と野菜中心の料理になってしまうのです。ましてやできるだけ私たちと同じものを食べてもらいたいので、いくら親子といっても好みも違うのです。したがって時々妻と対立することもありましたが、最近は知れもない半面、残すという反逆をしているようです。

 昨日は妻の仕事が夕方あったため、おかずを作ってくれたのを私が運びました。親父はあいにく来客中で、近所の人が戦後クジラ漁をしたころのことを聞き取り調査に来ていました。まだ陽も高い4時過ぎだったので、親父の食事の時間まで刺身など悪くなってはいけないと冷蔵庫へ入れ、「じいちゃん冷蔵庫へおかずを入れてるよ」と大きな声で伝えました。親父はそのことを「分った」と言ったのでてっきり了解していると思いました。

 ところが6時になって親父の隠居へ行ってみると、自分の作ったキュウリやラッキョウなどを食べながら晩酌をしていました。私が冷蔵庫へ入れた食べ物をすっかり忘れていて、「今日はおかずを持ってこんので」と多少妻への不満の声でした。言い争っても仕方がないので、冷蔵庫から取り出して食卓に出してやりましたが、親子でも中々難しいものです。昨日は新鮮サンマを刺身にしていたので、私はとても美味しく食べましたが、元漁師の親父には何とも不味く感じたのでしょうが、食べずに冷蔵庫へ入れていました。

 まあ一事が万事、年寄りとはこんなもんだと思いつつも、年々耳も遠く目も薄くなって衰える親父を見ながら、人間の一生をしみじみ思い、昨日はなかなか寝付かれませんでした。長寿は寿と書くようにいいことに違いはありませんが、時々漏らす親父の弱音を聞きながら長生きの厳しさを垣間見るのです。


  「歳をとる 周り何かと 気配るが 思うようには 思うことなく」

  「あれ食えぬ 不満の言葉 言わずとも 残すくらいの 態度で示す」

  「嫌だなあ 俺もなるのか あんな風 立秋の風 まだまだ暑く」

  「献身の 妻の料理に 文句つけ 中に入った 私うろちょろ」

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