shin-1さんの日記

○鱧料理

 鱧といえばスズキやイサキと並んで夏が旬の魚です。魚辺に豊と書いハモと読むのですから何か訳があるのでしょうが、水産高校出身の身でありながら、凡人の私にはその深い意味がわからないのです。鱧はアナゴやウツボと同じように細長い体形をしています。ゆえに気持ちが悪いと食べない人もいるようですが、これが料理をすると器の中でまるで白い花が咲いたように生まれ変わるのですから日本料理は奥が深いと思います。

 鱧といえば京都の夏を彩る食べ物という印象があります。氷の上に載せられた鱧を真っ赤な梅酢をつけて食べると、夏の暑さを忘れさせ食欲が進みますが、鱧は徳島や愛媛などの海で沢山獲れ大阪市場を経て京都へ運ばれるのです。わが双海町も鱧の一大産地で、7月から9月にかけて沢山の鱧が水揚げされるのです。

 私はかつて若いころ漁師をしていたこともあって、鱧を漁獲したことがありました。ゆえに鱧の鋭い歯で手指を噛まれたりしましたことが何度かありましたが、その痛いことは言葉では言い表せないほどです。

 今日の昼過ぎ、親類の漁師さんから「鱧があるので取りに来ないか」と誘われました。港に行くと今漁から帰ったばかりで、鱧の水揚げをしていました。この時期は港の海水温度が高いため、鱧がイケスの中で酸欠状態になって死に易く、生きている鱧と死んだ鱧とでは値段が雲泥の差なので、漁師さんは鱧を生かすために気を使っていてまるで戦場のような姿でした。

 私は死にかけている鱧の首に包丁を入れて〆たものを発泡スチロールの箱の中へ入れていただきました。「好きなだけ持って帰れ」と気前のいいことをいってくれましたが、持ち帰ると自分で料理をしなければならないので、適当に頂いて帰りました。

若松進一ブログ

 さあそれからが大変です。外にしつらえた流し台まで運び、砥石で包丁を3本砥ぎ、千枚通しと少し長めのまな板を用意して,

妻の前掛けを着用してさばき始めました。30本ほどの鱧を次々と背開きにして骨や内臓を取り除き最後に頭を落として行くのです。夏の魚は鮮度が落ちやすいので、発砲スチロールの箱に冷蔵庫から取り出した氷を敷き、5本くらいの調理が終わると水洗いをしてその中へ入れて行きました。その作業に2時間ばかりかかり、いよいよ鱧の骨切りです。これは素人には中々できない包丁さばきです。強く切ると皮目まで切り、弱く切ると骨が残るといった具合です。また面倒くさいと思って荒く切ると骨が残るし、細かく切ると時間がかかるしで、丁度よいことを覚えるのには相当時間がかかるのです。

 妻が帰ってきたので、私の包丁さばきをカメラで写真に収めてもらいました。

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さあそれからが大変です。骨切りした鱧をトレーに小分けしてラップをかけ、発泡スチロールの箱の下に氷を敷いて友人や子どもたちに配るのです。地元だけならまだしも、息子の職場の社長さんや息子がお世話になっている人ににもおすそ分けの話がまとまり、松山まで持参したので、家に帰ったのは9時近くになってしまいました。偉い難儀でしたが、それでも皆さん喜んでいただき、わが家も冷凍庫にしっかり保存してお盆の食料品を確保することができました。目出度し目出度しです。

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  「骨切りに 骨が折れるや 鱧料理 恰好だけは 板前のよう」

  「お上手ね 妻の言葉は 褒め殺し 悪い気もせず その気になって」

  「友人に 日ごろのお礼 鱧持参 俺が骨切り 自画自賛する」

  「湯晒しの 鱧の料理や 盆近し 美味い美味いと 褒めてほおばる」 

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shin-1さんの日記

○久しぶりに煙会所での集会

 昭和51年に青年の船で建国200年のアメリカへ渡ってからもう34年が経過しました。アメリカで受けた衝撃的な異文化ギャップや価値観の変化によって、わたしは様々な取り組みをして大きな成果を得ました。まさにカルチャーショックの旅でした。そのひとつに煙会所建設がありました。青年を育てるにはたまり場が必要と、家の横に施設公民館を建てようと思いついたのです。若いころの想いは突拍子もなく、また何のためらいもなく行動に移すことです。早速自分で設計図を引き妻の止めるのも聞かず予算7万円で始めました。当時は町の教育委員会で社会教育主事をしていたこともあって青年たちの協力を存分に受けることができました。また親父の物心両面の協力も大きな存在でした。僅か4畳半の囲炉裏を切った小さな庵でしたが、完成後は様々な人を迎え入れ、特に町に宿泊施設がなかったことも幸いして、宿泊所兼ミニ集会所兼、居酒屋のような場所として活発な活動を行ってきたのです。双海町の青年教育も、地域づくりもこの場所が火種となって広がりました。特に夕日による町づくりはまさにここが震源地だったのです。

 5年前に人間牧場を作ってからは人間牧場に活動の軸足が移りましたが、人間牧場構想も煙会所教育の延長線上にあって、すみ分けや使い分けをしていましたが、人間牧場に気を取られて分だけ煙会所の使用は少なくなり、今はむしろ私を訪ねてくる人たちの打ち合わせ場所としての利用が増えているのです。

 昨日も人数が少ないものの3団体がやってきて、囲炉裏を囲んだ話し合いが持たれました。特に夜7時30分から始めた年輪塾の打ち合わせは、煙会所の名前にふさわしい狼煙を上げる集会でした。集まったのは年輪塾の塾頭清水和繁さん、小番頭松本宏さん、塾生第一号浜田久男さん、それに塾長の私の計4名でした。

 年輪塾は人間牧場で開いている塾ですが、今週11月7日(土)に、ノンフィクション作家の佐野眞一さんを迎えて公開セミナーを開こうと計画しているのです。既にそのプログラム原案は出来上がっていて、その詰めをしようということになりました。集まった3人は私を除けば見識のある連中なのであうんの呼吸ですんなりと話が進み、未定だったパネラーの一人も決まっていよいよゴーサインが出るところまで漕ぎ着けました。

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(左から浜田さん、清水さん、松本さんの各氏)

 密談はとかく楽しいものです。思い切り夢の風船を膨らませ、大空を飛んでいるような錯覚になるのです。これまでにも無人島キャンプや丸木舟での瀬戸内海航海、夕焼けコンサートなど煙会所で話し合った密談が大きな行動と成果を生んできました。維新胎動といわれた京都近江屋のような、刺客に襲われることもない他愛もない話し合いではありますが、ワクワク・ドキドキするような予感を感じさせてくれました。

 宮本常一に焦点を当てた一連の講座の集大成ともいえる11月の公開講座はいよいよ佳境を迎えます。後3ヶ月ほど、宮本常一に関する本をしっかり読んだりしながら勉強し、スキルをアップして臨みたいと思っています。

 人間牧場に勝るとも劣らぬ私設公民館煙会所は今も健在です。


  「久方に 囲炉裏を囲み 話し込む 酒も飲まずに お茶を濁して」

  「新しき 集う場所でき 忘れてた 和みの場所の 存在するを」

  「どれ程の 人と面談 したことか 囲炉裏の部屋は 今も健在」

  「スイカ食い お茶を飲むだけ 下戸の会 湯呑持つ手が 不満言いたげ」

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