shin-1さんの日記

○宿命のバケツから運命のバケツへ

 内外を綺麗に洗い空のバケツに水を入れます。水道の蛇口から勢いよくバケツの中に入る水を見て、今年1年生になった孫朋樹を思い出しました。これまでは幼稚園生活や同年代とのふれあいだったのが、小学生になると一気に年上の人と出会って交流を深めるため、会う度に良きにつけ悪しきにつけ成長の跡が伺えるのです。孫の体内バケツは空っぽで毎日沢山の水が入るのです。

 一方私はどうでしょう。残念ながらそんなに大きくないバケツを持っていますが、その中には必要な知識も入っていますが、その殆どは古くなって使い物にならず淀んで腐ってるかもしれないのです。ゆえに水道の蛇口から綺麗な水を入れようと思っても満水状態で入るどころかあふれこぼれてしまうのです。さてどうするか、バケツの容量は30代までで決まると言われていますから、容量を増やすことは64歳の私にはもう無理な話です。唯一可能なのはバケツの中に溜まっている汚れた水を捨てて、新しい水を入れることしか方法がないのです。しかしこれとて容易なことではないようです。

 体内の知識が満水状態な人はある部分「私は知識が豊富である」との自負心を持っているものです。しかし他者から見ればそれは満水に違いはないのですが、新しい知識が入らないということでもあるのです。古いものを捨てずに新しいものを入れることが不可能ならば、やはり古いものを捨てるしかないのです。その方法は絶えず学習することであり、学習すれば自己再生できるかも知れません。

 私は学校でパソコンを習わなかった古い時代の人間です。ゆえに私たちと同年代の人の中には今もパソコンを使えない人が沢山います。多分私もその宿命を背負って生きているのでしょうが、パソコンを習わなかったのは宿命ではないと思い学習したことによって、最低限のお粗末な知識ですがインターネットも使えるしメールも打てるようになりました。これは私の宿命のバケツがひっくりかえり運命のバケツに変わったのです。運命のバケツは私に大きな禍福をもたらしました。運命のバケツによって多少のトラブルや混乱はありますが、許容範囲のようです。パソコンを「あんなものなくったって日々の暮らしはできる」と考えている友人は多分、もう永久にパソコンという20世紀が生んだ優れモノを手に入れることができないまま一生を終るのだと思うのです。

 「もしパソコンを使えなかったら」私の暮らしはこれほど充実していたかどうかは疑問です。毎日のようにお気に入りに登録している素敵な女性とのときめきながらのメールのやり取りも、私へ他者からの講演依頼も、また朝晩書き綴っている膨大なブログ記事もなく、頑固者の田舎の年寄りとして余生を過ごしているに違いないのです。

 世の中重要なことは色々ありますが、重さも軽さも長さもないものの情報くらい大切なものはありません。北の国北海道の友人と居ながらにして会話を交わせる便利さは、現代人の最高の喜びなのです。その喜びを知っただけでも運命のバケツの効果は大ありです。これからも時々宿命のバケツをひっくり返して古い水を捨て運命のバケツに変えて生きてゆきたいものです。

 あっそうだ。私の近くに宿命のバケツしか持ち合わせていない妻がいる。妻は職場のパソコンは使えるのですが、家ではやらないので、メールが使えません。人に教えるほど上達はしていませんが、せめてパソコンで家計簿をつけれるようなことだけでも教えてやりたいと思っています。


  「宿命の バケツを返し 運命の バケツ手に入れ 人生変わる」

  「孫見ると いかに私が 古いのか 一目瞭然 遅れてなるか」

  「学習は 学校行かずも やれるもの 日々の学びが 人生変える」

  「パソコンを 嫌いと決めて やらぬ人 意見が合わず ブログって何?」

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shin-1さんの日記

○梅干しの土用干し

 最近湿度が高くてむしむしし、寝苦しい日が続いているものの、今年は例年のようなカラッと晴れる夏を感じることができず、異常気象かも知れないようです。北国北海道の仲間からは「気温が20度以上上がらず朝晩は寒いくらい」とメールが届き、冷害にならなければいいがと他人事ながら強く心配するのです。

 わが家のこの時期の風物は梅干しの土用干しです。気象庁が四国地方の梅雨明け発表したので、妻から頼まれ納屋からサナを取り出して水洗いして乾かしました今年は梅が普通作だったため2樽です。6月に漬けこんだ梅を樽からしずくを切って取り出し、サナとよばれる天日干し用の道具に重ならないよう丁寧に並べてます。手荒に扱うとせっかく綺麗に姿で塩漬けされた梅の実が壊れたりするので、優しく時間をかけてゆっくりゆっくり干して行くのです。現時点では塩漬けの具合は完ぺきで、天日に干されていないためほんのりとした色なのです。


若松進一ブログ

 麦わら帽子を被り、汗をタオルでぬぐいながら午後1時に始めて30分ばかりかかりましたが、あいにくの薄日の差すような天気でも外気温は30度近くまで上がって悪戦苦闘でした。祖母や母が存命中「三日三晩の土用干し」という言葉をよく話していました。つまり梅の土用干しは3日間直射日光に当て、三日間外で夜露を取れというのです。昼間太陽で日焼けさせると本漬けした時、一緒に入れるシソに染まって赤くなるのだそうです。夜露は昼間の天日干しで空気中に逃げた水分を夜のうちに補い、柔らかい梅が出来上がるので、これも欠かせない作業なのです。大粒の汗のように夜露を含んだ梅干しは本当に綺麗です。

 今年は土用丑の日が2回もあって、最初の日はご多分にもれず世間並みにうなぎを食べましたが、土用は過ぎているものの、私が比較的家にいるため妻はいい時期と判断してこの作業を始めました。

 ところがです。夕方郵便局へ単車で手紙を出しに行って、先々で世間話をしているとにわかに空が暗くなり、雄大を予感させるような小雨の粒が落ちてきました。さあ大変とばかり単車を走らせて帰り、濡らすことなく選択干し場へ一時避難をさせました。仕事から帰った妻は、「珍しいことをするから雨が降る」と大笑いをしていましたが、こちらは気が気ではなかったのです。

 今日は友人のお母さんが亡くなり伊予市の葬祭センターで葬儀があるため出かけなければなりません。ついでに9月に東京経由で北海道へ講演旅行に行くチケットの手配を、美幌の三浦さんに無理を言ってして貰っているので撮りに行く予定です。昨晩は2時過ぎに小雨が降って夜露を取ることができませんでしたので、天日干しも夜露取りもできそうにありません。天気を見誤ると雨に濡らして台無しになる可能性があるので目と手を離せない2~3日になりそうです。主婦ならぬ主夫は家にいても忙しいのです。(エヘン)


  「夏が来た 三日三晩の 土用干し いつの間にやら 梅干し爺に」

  「土用干し 色々なこと 思い出す 梅干し持って アメリカ行った」

  「手間暇を かけて梅干し まろやかな 味に仕上がる 手抜くことなく」

  「にわか雨 濡らしてなるか スピードを 上げて単車は 急坂登る」 

 

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shin-1さんの日記

○釜戸小屋整備プロジェクト工事始まる
若松進一ブログ

 息子の書いたこの一枚の設計図に基づいた釜戸小屋整備プロジェクト工事がいよいよスタートしました。この二日間、その工事の行方を見届けるような行動を炎天下で行いました。その一部始終をブログに記録し記憶させておきたいと思います。
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 まず水平線の家の南側の敷地をミニ重機で掘り土台作りをしました。ここには息子が友人から頂いた古い瓦を埋めて少しい洒落に演出していた前庭ですが、無残にも土建屋さんの手によって取り外されてしまいました。敷地としては畳4枚分くらいの土が削り取られ、倉庫下の駐車場に移動されました。
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 造成が終わると敷き砂利で固められ、鉄筋が組まれました。排水と給水のためのエスロンパイプも埋め込まれました。その後板で外枠がつけられ、その後のコンクリート工事のための立ち上がり鉄筋も組まれて土間づくりの基礎工事は終わりました。
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 今度は練りこみです。ミキサー車から一輪車で運び込まれたコンクリートが奥まった場所から順次入れられ、次第に土間らしくなってゆくのです。柔らかいコンクリートの上に長靴をはいた人夫さんはかんじきのようなものをつけて入り、木製の鏝で器用にならして行くのです。
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 ミキサー車の運転は土建屋の社長が伊予市大平の大協生コンから運んできたものです。よくも入れる量と運んでくる量が一致するなあと感心して見ていました。考えてみれば何のことはありません。縦×横×高さ=生コンクリートの量なのです。
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 全てのコンクリート打設は1時間ほどで終わりました。固まって少し硬くなった頃に再び人夫さんが鏝で仕上げをしてこの日の作業は終わりました。一番奥の少しくびれた部分あたりに釜戸を築炉する計画ですが、ここまではかどるとおぼろげながら私にもその姿が描けるようになってきました。
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作業二日目です。昨日打設したコンクリートも夏の暑さですっかり固まり、その上にマク板を並べて地上部分の工事が始まりました。型枠組みという作業です。コンクリートを流し込んでも外にはみ出さないよう、またコンクリートの圧力で膨れないようしっかりと固定されてゆきました。
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 ふたたび生コン車がやってきてあゆみ板の上を器用に一輪車でコンクリートが運ばれてきて、順次流し込んで行くのです。この部分はコンクリートの打ちっぱなし工事なので、バイブレーターを突っ込んで空気を外に出し、豆ができるのを予防していました。
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 やがて一連の作業は昼過ぎで終わりました。周辺を片づけ鏝でならしてこの日の作業が終わったのは午後3時ころでした。真夏の暑い太陽が照りつける中での作業は人夫さんは勿論のこと見てる私も汗だくでしたが、いい仕事をしていただきました。後は養生をして型枠を外し整地をすれば終わりとなり、大工工事へバトンが移ります。


  「土建屋の 一部始終を 見学す お陰で顔は 真黒日焼け」

  「設計図 見ただけ俺は 分らぬが 餅屋は餅屋 偉いもんだね」

  「さあ銭の 工面をせずば なるまいと なけなし財布 打ち出の小槌」

  「柔らかい コンクリ何故に 固まって 石になるとは 何とも不思議」

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○釜戸小屋の工事始まる

 「お父さん、顔が真っ赤になっている」と昨晩妻が言うのです。鏡に自分の顔を写してみると、確かに顔が赤くなっていました。「はて、どうしてだろう」と思いきやそれもそのはず、炎天下の人間牧場で二日間も草刈り機で草を刈っていたのです。いくら新品の麦わら帽子を被っていたとはいえ炎天下の戸外は無防備で、日焼け止めを塗るほどの顔でもなく、そのまま作業を続けた結果の日焼けだったようです。最近戸外での作業が多いので顔は黒く日焼けしています。顔を見合わせる人たちからは「若松さん、元気になったね」と、顔の色が焦げているからそう見えるのか、すっかりたくましくなったように見えるのです。顔の色が白いとまるで半病人みたいに見られるのですから、これからは適当に色を黒くしておきたいと思っているところです。

 この二日間人間牧場へ行ったのは理由があります。釜戸小屋の工事が始まり、土建会社の人が3人やってきて、土工事とコンクリート工事を行っているため、その様子を記録したりしようと思ったのです。一日中工事の監視もできないので、草を刈りながら一石二鳥の作戦と相成ったのです。世の中不景気なのか土建屋の社長は「仕事の段取りがいいので、できれば明日からでも仕事をさせてほしい」と私に頼みました。「いいですよ、そちらさえよければ」ととんとん拍子に話が進み、一日目はミニ重機で予定地を掘り、整地をして土台固めをした後鉄筋とマク板を組んでゆき、夕方には生コンミキサー車がやってきてコンクリート打ちが終わりました。天気の様子が微妙なので帰り際にブルーシートをかぶせていたようでしたが、何事もなく朝を迎えました。

 昨日は既に渇いた土間上に鉄筋とマク板を組み立てて午前11時にはミキサー車が再びやってきてコンクリートを流し込み、昼食の後手入れをして全ての作業が午後3時過ぎには終わって人夫さんは片づけをして帰られました。人夫さんの仕事ぶりを見ながら、何と要領を得た仕事かと感心してしまいました。それぞれが打ち合わせをしている様子もないのに、痒いところに手が届くように役割をきちっと分担して仕事をしているのです。

 息子の書いた設計図によると、これでコンクリート工事はすべて終わり、後は大工さんの手に委ねられるのです。私のような素人には設計図を見ただけでは想像の域を脱しませんが、こうして工事が始まると次第にその形が見えてきて楽しみになってきました。釜戸を築炉する行程も楽しみの一つです。大工さんを通じ左官さんに頼んでいるようで来週には始まるのかも知れません。

 「子どもの頃のように釜戸でご飯を炊いて食べたい」という単純な発想から計画した今回の小さなプロジェクト事業はいよいよ大詰めを迎えようとしています。この5年間様々な小さなプロジェクト事業を経て人間牧場も、まるでダッシュ村のように少しずつ進化をしています。やぐら休憩所や本物のツリーハウスも将来は作りたいと、既に夢が膨らんでいます。これからは少し自分の力で作り上げて行く喜びも感じなくてはなりません。息子と相談しながら楽しい夢を描き、楽しいリアルをやりたいと思っています。

  「牧場で いよいよ最後 プロジェクト 釜戸を作る 工事始まる」

  「土建屋の 工事する見て 感心し 思わず写真 撮るのを忘れ」

  「この二日 麦わら帽子 炎天下 外で過ごして 真黒日焼け」

  「元気そう 色が黒くて そう言われ 鏡を見たが なるほど黒い」 

  

  

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shin-1さんの日記

○敗れた麦わら帽子と新品の麦わら帽子

 この4年間、人間牧場での作業の度に私の手足ならぬ、頭と足を守ってきたのは麦わら帽子と地下足袋でした。人間牧場を作るという話をしたとき妻が買ってくれたものです。あれから4年があっという間に過ぎ去りましたが、その作業の激しさを物語るように、地下足袋も所々に穴が開き、麦わら帽子に至っては頭のてっぺんが窓のように大きく開いて、熱射から頭を守れなくなってしまったのです。地下足袋も麦わら帽子も人間牧場の水平線に常備していて、滅多に家へは持って帰りませんが、先日作業をしたそのままで帰宅したところ、「何、その格好は」と妻に笑われてしまいました。そして先日の日曜日妻とお墓参りに行った帰り、ホームセンターに立ち寄って麦わら帽子を買ってもらいました。買ってもらったといっても、480円の安物だし、帽子の中には「中国製」と書いてあるので、大した買いもではありません。でも私にとって、特に今は夏場だけにこの麦わら帽子は大助かりなのです。

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 早速昨日から新品の麦わら帽子を被って作業を始めました。前の帽子が4年間も頭になじんでいたので、少々違和感はありますがそのうち慣れることでしょう。はてさて新しい麦わら帽子に私の心が移ってしまって、古い麦わら帽子はお払い箱なのですが、捨てるのも焼却処分にするのも勿体ないと思って今も水平線の家の棚の片隅に置かれています。頭の部分がぱっくり口を開け、まるで笑っているような顔に見え、「笑うセールスマン」を自任する私としては、落伍のネタに使えるかも知れないとふと思いました。

 頭の部分が敗れた理由は、梅林での草刈りや収穫作業で木の下を、腰をかがめてあちらこちらと動き回るために木と接触したのです。いわばこの麦わら帽子は日除け以外にも頭を怪我から守ってくれたのです。確かに中腰での作業時には木に頭をぶつけて帽子を何回となく跳ね飛ばしました。その都度帽子を拾い被り直して作業し事なきを得たのです。


 買ってもらった当時は破れた初代の麦わら帽子も新しい麦わら帽子と同じように表面は真っ白でした。その麦わら帽子もいつの間にかご覧のような色に変身しています。多分太陽の直射日光をいっぱい浴びての変色でしょうが、私の顔も帽子のおかげで紫外線から守ってくれたのです。先日はこの帽子に黒い網を被ってハチミツ採集を行いました。雨だったので頭の先から雨水が顔に流れてきましたが、ミツバチはこの穴を巣箱と感違いしたのか2~3匹飛び込んできて大慌てをしました。まあこれも今となっては良き思い出の一つとなりました。

 さて新しい帽子は推測すると余程のことがない限り、大事に使えば4年は持つものと思われます。これからも麦わら帽子の世話になって、作業をしたいと思っています。


  「開いた穴 ミツバチ住処 間違って 二三匹入り 危ないところ」

  「何処となく 間抜けな俺の 顔に似て 開いた穴が 笑いかけてる」

  「四年間 私の体 守り抜き やっとのことで お払い箱に」

  「新品の 帽子被って さっそうと 何だ草刈り 恰好つけて」

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○私も夏休み

 リタイアしている私には土日も祭日も、ましてや夏休みも小島さんのすっかり古くなったギャグではありませんが、「そんなの関係ない」と思っていました。ところが7月30日になって、「私にも夏休みがあるんだ」ということを発見したのです。というのも7月30日は愛媛大学法文学部の非常勤講師をしているため、毎週木曜日の第2時限目は授業日で、大学へ行かなければなりません。19人の学生が私の講義を楽しみというよりは義務感で待っていてくれるからです。でも7月30日の授業を最後に大学は8月、9月と約2ヵ月間の長い夏休みに入るのです。

 学生たちが休みということは私も夏休みということです。しかし残念なことに8月22日と23日は客員教授を務めている愛媛大学農学部の集中講義があって、二日間で15時間の自殺行為のような講義が待っていますし、9月には法文学部のフィールドワークの授業も予定していて、8時間の視察研修を予定しているので、大学で行われるシンポジウムのパネラーなどの出番を合わせると、夏休みといえども結構出払って夏休みにはならないようですが、まあせっかくの夏休みなのでしっかりと楽しみたいと思っています。

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(下りの列車が入る立川駅)

 その夏休み前の最後のフィールドワーク授業を先日行いました。松山市堀江地区、伊予市佐礼谷地区と続いている地域づくりの現地研修の次の目的地は内子町立川地区を選びました。佐礼谷を訪れたと同じ時間に学生たちはJR予讃線下りに乗って、内子駅の一つ手前の立川駅に降りました。駅から会場となる立川公民館までは川沿いに国道56号線の歩道を少し歩かなければなりません。私は自分の車で立川駅まで学生を迎えに行き、公民館まで歩くよう指示をして引き返し、公民館で亀田事務局長さんと進め方について打ち合わせを行いました。

 間もなく学生たちはやってきて、亀田さんの話を1時間余り聞きました。亀田さんとはかつて公民館主事時代から公私にわたって活動を共にした間柄ですので、私の注文通り楽しい雰囲気で話をしてくれ、学生たちも鋭い質問をしてくれました。その後自治会長さんのご厚意で9人乗りのマイクロバスを運行して、道の駅からりまでピストン輸送していただきました。

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(道の駅からりの直売所)

 食事はからりの食堂で食べましたが、ここの売りはもち麦という小麦の品種を使った見た目は蕎麦的な自慢のうどんを食べました。学生たちは思い思いに食事を楽しみ、午後からの研修に備えました。午後からは道の駅の社長さんのお話を冷房の効いた研修室で聞きました。顔馴染みの沖野女史のご厚意でアイスコーヒーまで振る舞っていただき、様々なお話を聞きました。

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(研修は農業関係の視察者と一緒に聞きました)

 全国でもトップレベルの道の駅だけあって経営理念もしっかりしていて、経営も安定しているようでしたが、学生たちの目や耳にはどう映ったことでしょう。

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(森の中の木陰で自由な時間を過ごしました)

 現地解散ということで、道の駅で次の授業のミーティングを行い、学生たちは梅雨明け間近な内子の町を少し離れた内子駅まで歩き、松山へと帰って行きました。私は大洲を出て肱川沿いを下って長浜へ出ました。海育ちの私はやはり海を見ないと息苦しくなるようで、長浜に出た途端広がる瀬戸内海の海に癒されながら帰ってきました。(内子町立川地区のルポは学生用に詳しくメモします)

  「予讃線 どこへ降りても 長閑なり まるで貸切 降りれば空に」

  「酒飲んだ 旧友頭 いつの間に 薄さ目立って 自分もドキリ」

  「コーヒーを 入れて歓待 してくれる 友の気配り 感謝をしつつ」

  「集まりし 人は野菜を 品定め 手に持つ袋 中からキュウリ」

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○さしすせそ亭主

 私は自分で言うのもおこがましいのですが、昔堅気の古い人間です。ゆえに「さしすせそ」亭主ではありません。「さしすせそ」とは、「さ(裁縫)、し(?)、す(炊事)、せ(選択)、そ(掃除)」をする人のことです。私たちが育った時代はさしすせそは女性の仕事と決められていました。ゆえに何の疑いもなく私はさしすせそを今でも妻の仕事だと思っているのですから、時代錯誤も甚だしいのです。

 私の結婚している長男は「さしすせそ」を嫁と分担してやっているし、娘婿も「さしすせそ」の質と量こそ違え同じです。今夕のことです。人間牧場の草刈り作業を終えて午後5時ころに家へ帰ってきました。今日は標高130メートルで涼しいと言っている人間牧場も真夏日で汗を沢山かき、その分水分補給を沢山しました。帰るころには作業着も下着も搾るほど汗を吸っていました。家に帰ると妻は仕事に出て留守でした。このまま汗をかいた作業着ではまずいと思い、脱衣場で全てを脱ぎ洗濯機に洗剤とともに入れ回したのです。わが家の洗濯機は乾燥までできるような優れモノではありませんが、それでも脱水までできました。シャワーを浴びて着替えてすっきりしたところで、洗濯物を取り出して篭に入れ浴室のドアから外に出て干したのです。

 洗濯物を干しているとそこへ甥の家族がやって来ました。先日胆石で急にお腹が痛くなり入院治療していて、今日退院したそうで、お見舞いお礼と退院報告にやってきたのです。私が洗濯物を干している珍し姿を見て不思議に思ったのか、「おいちゃんも中々やるじゃない」と褒めてくれました。私は顔から血の気が引くほどではありませんでしたが、少し気恥ずかし気持ちになりました。私のような古い型の人間にとって一番気になるのは、やはり他人の目なのかもしれないと思ったりして、少し自分のこれまでの生き方を反省しました。

 

 「さしすせそ」の「さすせそ」はよく分りますが、はて「し」とは?一体何を言うのだろうと妙に気になりましたが、私はすっかり「し」の意味を忘れてしまって思い出すことができませんでした。「支度」「指圧」「飼育」「試食」「仕事」などの言葉が頭の中をぐるぐる回り始めました。そして行きついた答えはしつけ」でした。「しつけ」は「躾」と書きます。今でこそ子どもを巣立てるのは夫婦同権と誰もが思いますが、実はPTA活動などに参加してみて子育ての重要な部分を握っているのは妻たる女性が圧倒的に多いのです。勿論私たちが小さい時は親父など学校に顔を出したことなど運動会と学芸会くらいなもので、子どもの躾も全て母親任せだったし、ひょっとしたら今も日本の子育ては母親が殆どやっているのではないかと思ったりしたのです。

 さて人は「し」の意味をどのように解釈するのでしょうか。あえて「?」で隠してみましたが、妙案があったら「し」の意味を教えてほしいものです。

 ちなみにお母さんのよく作る食べ物は「か・あ・さん・や・す・め」だそうです。「か」はカレー、「あ」は?、「さん」はサンドウィッチ、「「や」は焼きそば、「す」は?、「め」は目玉焼き、「あ」と「す」は一体何だろう。これが今日の問題です。答えはブログのコメントでお願いします。


  「さしすせそ そんな亭主が 常識と 私失格 古い人間」

  「『し』の意味が ぐるぐる頭 回ってる はてさて何に すればいいのか」

  「十年に 一度の現場 甥が見て おいちゃん凄い 洗濯干してる(笑い)」

  「自立せず ここまで生きて 来たけれど これから先は どうなることか」

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○県立北宇和高校のトライアル研修

 「何年続いているのだろう」と指折りながら、毎年のことゆえ思い出すこともできず、今年も県立北宇和高校のトライアル研修に招かれ出かけました。この学校は鬼北町、旧広見町にあるため、旧宇和町経由にしようか旧肱川町経由にしようか迷いながら、行きは旧宇和町経由にしました。というのも先日宮本常一歩きフォーラムに格別のご尽力をいただいた井上商工観光課長さんへ会ってお礼が言いたかったし、旧友三好女史の顔も久しく見ていないので、少し早めに出て市役所へ立ち寄りました。お二人とも元気そうで一生懸命仕事に取り組んでいるようで嬉しく思いました。

 私はこのように、講演を頼まれて出かけるとき殆ど毎回、途中や近所の顔見知りの顔を思い出し、プラスワンの出会いを重ねるように心がけているのです。こうすることで沢山の人と交友が深まり、私と友人の人間関係がいい方向に向くのです。時には訪ねた人が留守の場合もありますが、職場や自宅に名刺を渡して帰るのです。それは人間関係だけでなく、時には県内外の動きや情報を知るための重要な情報収集にもなって、いアマの私があるのですから、今後も続けて行きたいと思っています。

 旧宇和町の下宇和辺りではもうブドウを売る店が国道沿いに何軒も出ていて、夏の深まりや季節の移ろいを感じさせてくれました。歯長峠の曲がりくねった道を登り降りしながら四国遍路の札所仏木寺の前を通りました。この辺りは旧三間町ですが、既に高速道路の工事もほぼ終わっていて、開通間近を感じさせました。道の駅に立ち寄り一服して長閑な予土線の線路沿いを走って北宇和高校へ到着しました。この学校は元県高校PTA連合会の会長をしていた高山さんと、私が副会長でコンビを組んだこともあって懐かしい学校なのです。

 校長先生はあいにく留守でしたが、教頭先生の案内で校長室で色々なことをお話ししました。進学のための夏季特別授業とでもいうべきトライアル研修はこの日が最終日らしく、生徒の皆さんはすっかりリラックスしてお話を聞いてくれました。毎年思うのですが北宇和高校の生徒さんはとても真面目で、いい雰囲気の研修会となりました。1時間があっという間に過ぎましたが、お土産にいただいた学校が実習で作ったカルピスはとても美味しい飲み物なのです。

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 帰りは夕方になったので旧日吉村、旧肱川町、内子町を経由して旧中山町に出る道を選びました。前日大学生を連れてフィールドワークの授業に出かけた場所でもあり、急ぐ旅でもあるまいとのんびり長閑に走りました。

 南予の山間地を走って感じるのですが、南予には東予や中予とは違う人をやさしく包み込むような独特の長閑さがあります。しかし一方で変わらないし変われないような一歩遅れも同時に感じるのです。南予振興は県政の大きなテーマでもあって、様々な施策が講じられていますが、未だその道は遠いような気もするのです。

 少子化や高齢化、加えて市町村合併によって行政区域が広域化し、行政サービスが遠のいた不安の中で人々は暮らしているのです。限界集落、田畑の荒廃、学校の統廃合など、まさにマイナス要因が次々と頭を悩ませているのです。「10年後南予はどうなるのだろう?」としみじみ思いながら今年も北宇和高校の生徒たちの将来のことを考えました。


  「来る度に 何処か寂しい 南予路を 元気にしたい そんな思いで」

  「時すでに 遅しの感は 否めない 人間地獄 動物天国」

  「この子らの どれほどここに 残れるか 残念ながら 一しか二かも」

  「プラスワン 久方出会う 人の顔 懐かしかりしき 次はいつ会う」 

 

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○平家谷のそうめん流し

人間牧場での釜戸小屋の工事打ち合わせが終わって午前8時30分に家に帰り朝食を済ませると、妻が実家のお墓参りに行こうと私を誘いました。そういえば今月はお盆月なのでお墓をきれいにしなければなりません。わが家のお墓は91歳の親父が毎週お墓の掃除に行っているので、私たちの出番はないのです。妻の実家は八幡浜です。八幡浜湾や魚港の見える高台の見晴らしのいい場所にお墓はあるのです。長男つまり妻の兄が実家も後を継いでいるのですが、最近大病を患い、声帯を取ってしまって気分がすぐれないため、お墓の掃除もままならず、はずの葉っぱカが少し目立つようになったのを、前回のお墓参りの時に聞きかけていたので、ここは私の出番とばかり鎌やバケツを用意して出かけました。

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 途中旧保内町にある長いごぜが峠のトンネルに入ると妻が急に、平家谷のそうめん流しを食べに行こうと持ちだしました。いくらなんでもまだ11時だし、昼食にはまだ少し早いと思いましたが、国道から枝分かれの道に入って登ること4キロ、昔はこの峠の道を走って峠越えをしたのかと思うと急に懐かしくなり対向車に気をつけながら登って行きました。昼なお暗い平家谷は、川のせせらぎと木陰の緑陰が程良くマッチしてとても気持ちがよく、坂道を下って行きました。まだ昼には早い時間だというのに既にそうめん流しを楽しんでいる人たちもいて、私たちも自販機でそうめん流し500円のチケットを購入し、ステンレスの雨どいがかかる流し場に並んで座り、麺つゆに九条ネギや玉ねぎ、ゴマやワサビを入れて準備OKです。ところが私たちの場所は水下に位置しているため、大食いと思しき人が先手先手とすくって食べてしまうものですから、私たちの元までは中々流れてこないのです。妻はそのうちと待っていましたが、せっかちな私は相手に聞こえるように「流れてこないよう」と声をかけると気がついたのか少し流してくれるようになりました。

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 余り腹が減っている訳でもないし少し年齢が高いので結局は500円分の元は取れなかったようだとヒソヒソ話をしてそうめん流しを終えました。私たちが席を立つ頃には昼も間近となって列ができるほどでした。「少し早かったがゆっくり食べれてよかったね」と妻が言うとおり、子ども会と思しき集団が沢山やってきました。そうめん流しの下はニジマス釣りや釣ったニジマスを塩焼きにして食べれるようになっていて、夏安物お楽しみなのか親子連れがニジマス釣りに講じていました。

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 二人で川沿いを散策し早めにお暇をしましたが、妻の思い付きでしたがとてもいい一日となりました。

 私たちはその足で八幡浜のお墓へ行きました。途中選挙戦まっただ中の八幡浜市議会議員選挙立候補者の宣伝カーに4~5組で会いました。黙って通るのも悪かろうと手を振ると、「手を振りながらのご声援ありがとう」とアドリブの反応があって中々のものです。

 大宝寺でお水を汲み二人でフーフー言いながら登り、その余勢をかって一気に草取りをしました。二人とも汗が沢山出ましたが、とてもいい汗をかきました。帰りに妻の実家に義兄を見舞いましたが、足も捻挫していて踏んだり蹴ったりだと嘆いていました。幸い声が出ないだけで体は元気そうで安心しました。

 金もかけず今日は有意義な小旅行を二人ですることができました。


  「つづら折り かつての道を 平家谷 分け入る里は 夏なを涼し」

  「流れ来る そうめん箸で すくい取り 麺つゆつけて 味を楽しむ」

  「久方に 妻と二人の 小旅行? そんな気分で ゆるり散策」

  「雨の水 もらって木々も 活き活きと 緑したらる 中を歩きぬ」 

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○釜戸小屋の工事始まる

 5年計画で進めていた人間牧場整備工事も、1年目の水平線の家とウッドデッキ工事、2年目のロケーション風呂工事、3年目のツリーハウス工事、4年目の赤とんぼの家工事・要壁石積み工事と進み、いよいよ5年目の釜戸小屋の工事が大安の今日から始まりました。今回の工事費は約80万円の予定ですが、僅か1坪半程度の工事なのに坪単価が高く、設計を担当している息子から工事費を聞いた時は少々びっくりしました。でも息子も素人ではないし、本式の釜戸を築炉してもらう予定だし、まあ仕方がないと思ってオーナーである私はゴーサインを出したのです。

 昨日出張先の山口県へ息子から電話がかかり、「明日は大安で日がいいので形ばかりだが着工したい」というのです。息子は現代人なのに建築に携わっているためか古風で、特に今回は釜戸小屋を作るということで、荒神さんなどの信仰にのっとり大安吉日を選んだのです。

若松進一ブログ

 あさ7時前にわが家にやってきた息子とともにトラックに乗って人間牧場へ行きました。これまでツリーハウスを除いて人間牧場の建築工事に携わってきた橋本大工さんにお願いしていたので、橋本棟領さんは私たちが到着するより早く待ち合わせ場所である人間牧場へ既に到着していました。水平線の家の鍵を開け中に入って板間の上に設計図を広げて作戦会議が始まりました。そのうちコンクリート工事を担当する大栄建設の社長も見えられ、話がとんとん拍子に進んで行きました。私だけは専門的な話が分らないため加わることができませんでしたが、早速明日から土工事は始めることになったようです。

 梅雨末期の長雨と私のスケジュールが混んでいて人間牧場へはすっかりご無沙汰していましたが、このところの雨続きで雑草は伸び放題となって美観を損ねていました。一昨日四国地方は梅雨が明けたと発表されましたが、雨は昨日も強く降って、大阪や兵庫では大雨による被害も出ているようで心配をしています。でも明日は天気もよさそうだし、釜戸小屋の工事も始まったようなので、久しぶりに人間牧場へ出かけ草刈りでもしようかと思っているところです。

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 釜戸小屋が完成するとご飯を炊いたり加工品を作ったりする様々な食に関するプログラムが実施できますが、釜戸にとって薪割りという労働も伴うため、薪を割る用材の確保から始めなければならないのです。薪割りは主に冬の仕事ですが、少年時代に会見していることもあって今からワクワク・ドキドキしています。

 私にとって人間牧場の建設は、仕事が忙しくすっかり疎遠になっていた家族の絆をすっかり回復させてくれました。特に建築設計の仕事をしている息子は、この人間牧場の設計を一手に引き受けて、私の夢を形にする作業をしてくれています。長男でわが家の跡取りでもあるので、やがては長男の持ち物になるのでしょうが、今は牧場の整備という親子共通の目的があるため何かと話す機会も多く、いい親子の人間関係を保っているのです。

 後10年もすれば私にとって山の上に作った人間牧場は車に乗れなくなると遠くなるはずです。息子にバトンタッチするその日まで、しっかりとスキルをアップしていい人間牧場に仕上げたいと思っています。


  「五年目の 手並み拝見 釜戸小屋 金が要るため 妻は不満だ」

  「よくもまあ 五年の間 次々と 計画通り 事が運ぶな」

  「後十年 すれば全てを 次世代に 譲って私 隠居するかも」

  「大安を 選んで息子 古風だね そういう俺も 古風な男」 

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