shin-1さんの日記

○断るつもりが断りきれずに

 昨日は久しぶりに町内の学校を訪問しました。4年前教育長を辞めた私ですからもう学校には縁もゆかりもないのですから、学校に行く必要はないにも関わらず「何故学校へ行くの?」とお思いでしょうが、実は昨晩双海町子どもおもしろ教室の実行委員会がありました。実行委員に名を連ねていることもあって小学校の校長先生も3人集まるため、それまでにどうしても片付けておきたいことがあったのです。

 私は昨年度まで上灘中学校と由並小学校、それに伊予市の学校評価委員をしていました。昨年はその評価が県の指定を受けていたためとにかく忙しく、これは私のスケジュールにとって限界と思い早めにお断りに出かけようと思ったのです。

 まず一番近い上灘中学校へ出かけました。上灘中学校はこの日の夕方修学旅行に出発するそうで、校長先生がいたため校長室に通され、しばらくの間お茶をいただきながら学校の話や人生観について話をしました。「教頭先生から電話のあった今年度の学校評議員就任の件ですが」と言いにくそうに切り出すと、校長先生は「そんなことを言わず今年も続いてお願いします」と、修学旅行の前に良い返事で旅立ちたい旨説得され、やばいと思いながら断る理由もなく引き受けることになりました。


 学校を出ようとすると学校の向こうから、市議会議員選挙の選挙カーが2台も立て続けに近づきてきたため、バッティングしてはならないと右折して翠小学校へ走らざるを得なくなりました。そうだ、久しぶりに翠小学校の和田校長先生にも会いに行こうと思い、学校訪問となりました。翠小学校では既にエコ改修工事が始まっていて、学校の校庭は鉄板の板で半分に仕切られ、まるで工事現場です。顔見知りの先生が変わられ、顔見知りの先生が来られていて、職員室で校長先生を中心に雑談にふけりました。和田校長先生に舞たうん100号と風おこしを一部ずつを、届いているだろうと思いつつ渡して、舞たうんに翠小学校をバックに写した私の写真を、無断で使ったことをお断りしました。この学校へ来るとついつい長逗留してしまう癖があり、昼のチャイムにせかされてお暇を終えました。

 午後からは所用があるので由並小学校まで急いで行こうと役場まで帰ると、珍しい人とたまたま顔を合わせました。松山の人ですが、聞けば私を訪ねようと思っていたそうで、由並小学校へ行くこともできず3人の方をわが家に案内することになったのです。

 昨日は午後6時におもしろ教室の実行委員会は始まりました。由並小学校の吉田校長先生から「若松さん、今年も引き続いてお願いします」といきなり切り出されてしまいました。やばいと思い、今日の上灘中学校での顛末を話し、結局はこれも断ることができず断念してしまいました。情けない話です。

 下灘小学校の辻井校長先生に青少年赤十字から送られてきた私の講演録のお礼を言いましたが、いやはや未だに今年もまた学校教育から足抜けができないようです。

 かくしておもしろ教室の実行委員会会長も留任と決まり、家に帰って妻に伝えると、「今年も忙しそうで大丈夫なの?」と心配されてしまいました。

  「断りの つもりがどういう 訳だろう 断りきれず またもズルズル」

  「久方に 学校訪問 校長と 談笑しつつ 少子驚く」

  「右曲がり 左曲がりと 右左往し 挙句の果ては 珍客招く」

  「舞たうん 風おこしという 二冊持ち 名刺代わりに 辞任伝える」 

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shin-1さんの日記

○パソコン故障に対する心情の吐露

 ずっと使っていたパソコンが壊れ、昨年東芝のDYNABOOKという新しいものに買い替えてからこれまで、何の問題もなく推移していた私のパソコンが、一昨日辺りから急に機嫌が悪くなってしまいました。思い当たる節はあるのです。東京の霞が関から膨大な資料がメールで送られてきて、それを開こうとチャレンジしましたが、そのことがパソコンにとっては重い荷物だったようで、機嫌を損ねてしまいました。いつもは格好よく知ったかぶりでパソコンに向かい、さも使いこなせているような錯覚になっていましたが、パソコンの機嫌が悪くなる度に、酷使し続けている自分を深く反省するのです。

 それでも何とか原状回復したいと、あらん限りの手当てを試みましたが、手当てをすればするほどパソコンは言うことをきかなくなり、こちらのイライラをあざ笑うようにどうしようもなく、ついに動かなくなってしまいました。

 こんな場合の解決方法は二つあります。ひとつは助け舟です。松山に住んでいる長男に電話連絡して、あれやこれやと電話口で現状を語り、分かる範囲で指示を受けて自分自身で現状回復を試みたり、最後は仕事帰りに立ち寄って修理してもらうのです。長男は建築設計関係の仕事をしていて、パソコンは毎日使っていますが、どちらかというと建築関係の専門ソフトを使って仕事をしているため、全てが分かるわけではなく、直らないこともあります。今回も一昨日仕事帰りにわが家へ立ち寄ってくれ修理にチャレンジして少しは回復、ブログ等に関しては復旧し何ら問題もなく書けるようになりましたが、メールの送受信は未だ止まったままなのです。

 もう一つの解決方法は長男の婿への助け舟です。娘夫婦の家族も松山に住んでいます。婿殿は大学に勤めていて、パソコンは私から見ると名医と思われるほど詳しいのです。これまでにもまるで名探偵コナンのように早業で問題を解決してくれました。しかしこの時期の大学は授業が始まったばかりで、婿殿は忙しく私のお遊びに関わる暇などないのです。それでも頼る所もなく途方に暮れて相談しました。今日の午後とりあえず時間を取ってくれることになっているので、パソコンをひっさげて出かけてみようと思っています。

 昨日私のそうした苦難に嬉しいFAXが届きました。婿殿からです。「メールが読みだせないということですが、インターネット・プラウザで下のアドレスにアクセスしてみてください。これであればメールソフトが動かなくてもメールが読みだせます」と書かれていました。私にとってはまるで暗号か呪文のような英語の文字が、幾つも羅列していました。

 慣れない手つきで書いているままの「暗号?」のような記号を入力すると、私のメールが出てきました。まあ凄いです。私はまるで戦争中に海軍が作戦を暗号で送信する自分だけの回路を見つけたような気持になりました。加えてこの二日間読まれなかった未読のメールが凄い量見つかりました。時間をかけながら一つ一つ未読メールを開いて読み、返信をしながらとりあえず昨晩までのものはお陰さまで処理することができました。

 名医のお陰で私には故障の際の迂回回線が一つ確保されたことになりました。これは強い味方のように思えるのですが、これはあくまで迂回回線なので、本線回路の復旧に全力を挙げねばなりません。今朝も朝が来るのが待ち遠しいくらいでした。

 パソコンに関しては無能とも思える私ですが、二人の息子という強い味方のお陰でここまで乗り切ってきました。これからもできるだけ疎んじられることのないように、また迷惑をかけることのないように努力して行きたいと思いながら眠れぬ夜を過ごし、朝を迎えました。


  「学校で 習わぬつけが ボチボチと ボロが出始め 心乱れる」

  「暗号の ような英語が ズラズラと 入力したら 迂回回線」

  「イライラを あざける如く 動かない メール受信も 返信さえも」

  「使い過ぎ 妻の一言 グサリくる 確かにそうだ 納得しつつ」

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shin-1さんの日記

○市議会議員選挙は激戦のようです

 「合併して早4年が経ったのか」と誰もが時の流れの速さを感じながら、合併して2度目の選挙戦が幕をあけました。市長選は対立候補がなく日曜日の告示日に早々と当選が決まり、市長さんの顔も見ぬままで、どこか拍子抜けした感じもあります。それでも市議会議員選挙は無投票かと思いきや立候補予定者がいて21人に対し22人が立候補し、にわかに少数激戦となりました。

 前日まで白い掲示板だった候補者ポスター掲示板には、22人の顔写真がずらりと並び、いずれも自分では最高の男前と言わんばかりにこちらを向いて何かを訴えているようです。写真と名前の横には、活力や元気などといった市政に対するメッセージが並んでいて、公約らしきものよりスローガンが目立っているようです。

若松進一ブログ(市議会議員立候補者の皆さん)
若松進一ブログ(早々と当選が決まった中村市長さん)

 選挙戦も2日目に入ったこの日は、選挙カーが目いっぱいボリュームを上げて市民に自分への投票を呼び掛けていました。

 伊予市では前回の選挙が合併前旧市町毎の小選挙区制だったため、今回から全市一区の選挙になりました。ゆえに中山や双海といった小さな町から立候補する人は慣れない選挙戦に少なからず翻弄されているようです。というのもこれまでは小選挙区だったため得票数が少なくてすみましたが、今度は千票近くを目指さないと当選が危ないのです。つまり自分の陣地を固めながら大票田といわれる旧伊予市へ食い込まないと当選はおぼつかないのです。

 伊予市が地盤の人も中山町が地盤の人も回数こそ少ないものの今回はあいさつ回りのような形で双海町へ街宣車を繰り出して、今まで以上に賑やかな選挙戦となっているのです。

 昨日は人間牧場で草刈りの仕事をしていましたが、人間牧場のすぐ近くまで街宣車は入っていました。その度に草刈り機を止めて候補者の名前を聞くのですが、「市議会議員に立候補した○○が立候補のご挨拶に参りました。○○です。清き一票をよろしくお願いします」とウグイス嬢の声が山々にこだまして、本物のウグイスも顔負けといったところでした。しかしあいさつに見えられても候補者自身の声は結局聞こえませんでした。

 昨日ある子どもがある親に言ったそうです。「○○という選挙に出る人はみんな男だのに何で女の人なの?嘘つきじゃん」と○○候補と名乗っているウグイス嬢が○○だと思っているような話でした。ドキリとしました。凄い洞察力です。立候補者はよくよく考え、当選したら言っていることを全て実行して、公約倒れにならぬよう頑張ってほしいと願っています。

 選挙に出る人の当選したいと思う深い悩みや血のにじむような努力を思うとき、そんな境遇に追い込まれない世界にいる自分を見てホッとするのです。


  「○○です ウグイス嬢が いうけれど あれはウソつき 鋭く指摘」

  「山いあの 道行く選挙の 声高く 本物ウグイス 少し戸惑い」

  「掲示板 みんないい顔 しています まるで俳優 顔より心」

  「今朝の雨 水入りのよう 顔濡らし それでも私 お願いいいたげ」


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shin-1さんの日記

○夕日の男だのに何故か朝日新聞

 私はこれまで仕事がら、テレビやラジオ、それに新聞、雑誌等、いわゆるマスコミに取り上げられてきました。特異な存在だった夕日をテーマにしたまちづくりはその最たるもので、現職を去って4年にもなるというのに、未だに私の元へは取材の要請が随分あるのです。電話で取材の要請がある度に、「すみませんが私はもう第一線を退いていますので、市役所の観光所管の人に聞いて下さい」と電話を回すのですが、「市役所に聞いたら分からないので若松さんに聞くよう紹介されました」と答えが帰って来る有様です。仕方がないので余程のことがない限り対応するのです。

 実は先週も朝日新聞大阪本社から取材の依頼がありました。夕日の似合う男だというのに何故か朝日新聞です。いつものことながら朝日新聞の取材は他の新聞や雑誌と違って時間的に長いこと、うるさいくらい何度も取材の内容の追加取材や確認があることなどなどの腹をくくり、天気も良いので取材場所はわが家の敷地内にある東屋を指定しました。自宅での待ち合わせ予定は午後2時でしたが、記者がやってきたのは10分前でした。カーナビのついたレンタカーにわが家の電話番号を入力して、一発でやってくるとはさすがです。

 記者はこれまでにも一度取材をしていただいた見覚えのある人で、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本に付箋をいっぱいつけて、事前に私の情報をかなりインプットしていました。直感的に「この記者はできる人」と思いました。

 やがて2時間余りの取材が終わり、いきなり「人間牧場は遠いのでしょうか?」というのです。私が「15分程度」と話すと「是非見たい」といい、早速同行してシーサイドで待ち合わせしているカメラマンに少し待つよう手配をしました。私はこの日保内町川ノ石公民館で公園の予定が午後7時からあるので、片道1時間かかる場所なので、取材は最終6時までと念を押していました。夕日の取材にカメラマン同行で来たのに日没午後6時30分なのにと、多少不満顔でしたが、人間牧場の壮大なスケールの眺望を見て納得しつつも、午後6時10分まで取材を延長してほしいと懇願されました。

 待ち合わせ場所に帰ってカメラマンと面会しましたが、まあそれからが大変です、テレビでもないのにそのカメラマンは私をモデルに様々な角度から写真のリハーサルをするのです。それもこれも午後6時10分というタイムリミットのためと我慢しました。リハーサルの最中に近くを沢山の人が通りましたが、みんな不思議そうに通っていました。

若松進一ブログ(車の中からサーモンピンクに彩られた西の空を見ながら夕やけこやけラインを、西に向かって走りました)

 無事取材を終えて6時10分にシーサイド公園を出発しましたが、この日は特に夕日が美しく、隣りの大洲市長浜町まで夕日を右手横に見ながら走ることができ、自分がかかわって命名した「夕やけこやけライン」という愛称に納得しながら走ることができました。

 川ノ石公民館へは丁度19時、時間通りについてホッとしました。会場には岡村さんや安藤さん、白石さんなど顔見知りの方も私の話を聞きに見えられ汗顔でした。かくして長い長い一日は終りましたが、取材の度に「マスコミ登場はもうこれが最後」と思うのですが、視察依頼や夕日の取材はもう少しの間ホローしなければならないのかも知れません。


  「こりゃ不思議 夕日の似合う 人なのに 朝日新聞 取材来るとは」

  「夕日地図 そこに座れと 支持をされ まるでモデルの ように写真を」

  「長いぞと 腹をくくった 取材にて それでも最後 時計イライラ」

  「今日もまた 双海の夕日 落ちて行く 幸せ気分 浸りながらも」

 

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shin-1さんの日記

○ふたみシーサイド公園はオレンジデーの震源地

 「若者が主役になるまちづくりはないものか」、いつもそんなことを考えていました。かつて私たちが若かった頃は青年団活動が活発で、まちづくりといえば青年たちがやるもの決まっていました。夏の盆踊りも村祭りも全て若者たちが仕切っていました。ゆえに多少危ないことをしても地域の人たちは、青年たちを温かく見守ってくれていました。いつの頃からか青年が一人減り二人減りといなくなって、青年団活動といえば役場と農協と郵便局という田舎では三大企業?に働く若者たちが仕方なくやるものに変わっていました。しかしその義理的活動もやがてなくなって、まちづくりの世界から若者が完全に姿を消してしまったのです。

 何とかしたいと思いつつ、残念ながらその答えが見つからないまま長い時を過ごしていました。多分もう田舎では若者によるまちづくりはできないだろうと完全に諦めていました。ところがどうでしょう。最近双海町で若者ではない若者(若者とは概ね20代までをいうのですが、最近は若者の概念が変わって30代も立派な若者)が少しずつ頭を持ち上げて、イベントを中心に活性化しようという動きが出始めたのです。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 私が役場に勤めていた若いころ、若者らしい活動を再燃させようと様々なことにチャレンジしました。夕焼けコンサートや海外に青年を派遣する人づくり10年計画、青年会議による桜並木づくりはそれなりの成果を収めて他地域よりも元気な活動として評価されていましたが、それらの活動の牽引者であった私たちが第一線を退くと、それらは闇に消えたようでした。しかし夕焼けコンサートも人づくりも桜並木づくりもどこかで細い糸をつないでいたのです。

 昨日まで双海町では青年(私から見れば青年も含む)たちが中心になってオレンジデーというイベントが催されました。バレンタインデーやホワイトデーなどのように、オレンジ産地としての心意気を示そうと企画されたのです。まだ始まったばかりで「えっ、オレンジデーって何?」と思われるほどまだまだ知名度の低いイベントですが、こと双海に関して言えばもうエンジン全開といった感じのイベントに仕上がり多くの人をひきつけました。

 特にこのイベントを企画したのが若者たちであり、運営に携わったのも若者ですから、動かす人も双海の子どもたちにお願いして廃油で作ったキャンドルを2000個も並べ、会場となったシーサイド公園を幻想的な雰囲気にさせました。

 また恋人岬では結婚式もあり、日没前には「海の夢」~詩・ダンス・音楽のコラボレーション~などなど、私たち大人の想像を超えた素晴らしいものでした。まさに恋人の聖地で出会う恋という表現がぴったりでした。

 私は残念ながら別の会議などがあって断片的な参加でしたが、企画や運営に携わった人の感想として確かな手ごたえを感じました。特に1市2町が合併してどちらかというと僻地の感じがしていたのですが、合併によってちりじりになっていた旧双海町の若手職員が勝手連のような形で骨身を惜しまず働いてくれたことは称賛に値する行動と胸が熱くなりました。

 私たちのような古い時代と違い、インターネットなどの情報を駆使し、若者のアンテナにキャッチさせて参加させる技法も、資金集めまでしっかりと目論む姿はさすが若者です。これからはこうした若者のやる気をしっかりと後押ししてやりたいものです。

 夕日の色もオレンジもどこか似ている愛の色、来年も4月をお互いの愛を確認しあう日・オレンジデーとして全国に発信したいものです。若者たちにご苦労さんと声をかけてやりたいものです。


若松進一ブログ

  「オレンジの 色と夕日を かけ合わせ 恋人聖地 若者集う」

  「おらが町 まだまだ捨てた ものじゃない 若者力 しっかり発揮」

  「シーサイド 公園ここは 震源地 オレンジデーが 社会面載る」

  「二千個の キャンドル子ども 手助けて 幻想的な 雰囲気醸す」

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shin-1さんの日記

○コープえひめ機関紙「ラヴィ」へのエッセー連載終わる

 私はこの一年、コープえひめの機関紙であるLavie[ラヴィ]というタブロイド版に、「進ちゃんの暮らしのエッセー」というタイトルでエッセーを連載してきました。そんな機関紙があることすら分からず、とりあえず何度も書いてということで書き始めましたが、あっという間に一年間が過ぎてしまったのです。最後の2009・5月1日号(4月20日付)とともに連載した1年分の機関紙が担当者のお礼状とともに送られてきました。

 どれ程の人に配布されたのかは分かりませんが、察するにコープえひめの組合員さんに配布しているのならこれはもう凄い数で、読む読まないは別として多くの方々の目にふれ、心ある人は愛読していただいたものと思うのです。愛読していただいた方から感想文やお便りが届いて嬉しい反応も何件かあった一年でした。

若松進一ブログ (一年間私のエッセーが連載され送られてきたLavie)

 昨日の朝私は台所で送られてきた機関紙をめくりながら、妻にエッセーを読んで聞かせてやりました。勿論妻はコープえひめの組合員でもないので、私がこんなエッセーを書いていることは全く知らないし見たことも読んだこともないのです。コープえひめの組合員である松山市に住んでいる娘からは時折、「お父さんがコープえひめの機関紙に面白いエッセーを書いているのを読んだ」と小耳に挟んではいたようですが、中身までは知らされていなかったのです。


 エッセーは短い文章なので読み聞かせるにはもってこいです。妻は笑いながらエッセーを読む私の声を聞いてくれました。それらを目次的に記録しておきます。

 「花の咲く町に住みたい」(2008・5月1回号)

 「リンキャベ」って一体何ですか?(2008・6月1日号)

 ハガキを書いたら人生が楽しくなる(2008・7月1回号)

 性格美人が「美人」への近道(2008・8月3回号)

 肩書のない私は値打ちのない人間(2008・9月1回号)

 臭い話ですみません(2008・10月1回号)

 幸せって何ですか(2008・12月3回号)

 服装で人間の値打ちは変わるのかな?(2009・1月号)

 あんたなんぼまで生きるん?(2009・2月号)

 おばあちゃんの携帯電話(2009・3月号)

 人間進化論(2009・5月1回号)

  一回一回は何を書こうか迷うものですが、こうして集めてみると結構面白い話題を提供しているようです。ちなみに最終回は「人間進化論」を書きました。

 -前略-進化論といえばチャールズ・ダーウィンといわれるくらい、誰もが知っているイギリスの植物学者です。彼は測量船ビーグル号で南半球を周航して育種動植物の異変をもとに、生物の進化を解き明かしました。ダーウィンは「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのではなく、唯一生き残るのは変化できるものである」という有名な言葉を残しています。つまり生き残れる生き残る人というのは、最も強い人でもなければ最も知的な人でもなく、最も変化に適応した人間が生き残れるということなのです。

 進化の基本がダーウィンのいうように「変化への適応能力」だとしたら、私のような凡人でも学習によって適応能力さえ身につければ、生き残ることができるのだと内心喜び、変化への適応能力を磨いてきました。その結果今の自分があると納得するのです。-後略-

 長分の論文にしろ短文のエッセーにしろ、文章に自分の思いを書くことは難しいものです。でもその難しさに挑戦し続け、自分らしく文章が書けるようになるのも進化なのでしょう。脳が衰えないうちにもう少し進化を遂げたいと思っています。

  「書きし文 読み返しつつ 相槌を ほうーこんなこと 思い書いたか」

  「ダーウィンの 進化の言葉 納得す 生き残る者 強者知者でも」

  「何につけ 適応能力 磨かねば 進化もせずに 一生終わる」

  「エッセーの ような短い 文章も 人に納得 させる難し」

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shin-1さんの日記

○今年も地域教育実践交流集会を11月に開きます

 私はこれまで社会教育と深い関わりを持って生きてきました。若い頃には青年団に入団し社会教育主事さんや先輩の指導を受けながら8年間でしたが、愛媛県青年団連合会の会長や四国四県の会長など殆どの人に味わえない活動を体験しました。自らの意志で飛び込んだ13年間の社会教育はプロとして存分の働きをさせてもらいました。また愛媛県公連では主事会の会長として6年間全国を舞台に活躍しました。その後まちづくりの世界に20年間いたので社会教育の現場を離れていたように見えますが、県公連専門委員としてほんの少しだけ関わりながら社会教育の現場へ講演に行くなどしていましたので、実際には離れていなかったのです。最後は教育長として教育を総括させてもらいました。また21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを立ち上げ無人島に挑む少年のつどいなどを主宰してそれなりに社会教育を推進してきたのです。

 自慢ではありませんが、そんじょそこらの公民館主事や社会教育主事には負けないくらいの気概を今も持っているのです。かつて私と同じように社会教育でまちづくりを志していた多くの仲間は、リタイアしたりリタイアの時期に差し掛かっていますが、その人たちは社会教育の現場から去ると、何故かあれほど熱く燃えていたのにまるで知らんふりを決め込んで、声をかけても一切応じないのです。

 多分彼らは飯のネタだからやったのだろうと思われても仕方がないような手合いで、そんな人に出会う度に歯ぎしりするような思いになるのです。「まあ仕方がないか、過ぎたことだから」と諦め、「自分は違うぞ」と自分に言い聞かせながら社会教育的生き方をしているのです。

 そんな社会教育大好き人間が集まって、昨年11月「地域教育実践交流集会」を開催しました。前述のような期待と不安の入り混じる複雑な活動でしたが、160人もの仲間が手弁当で集まり、手づくりの活動を見事成功させました。その裏には多くの秘話もありましたが、その盛り上がりを続けようとの一致した意見に後押しされて、今年度の第1回実行委員会が昨日愛媛大学で開かれました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 志を同じくする人の集まりは気持ちがいいもので、何のわだかまりもなく、何の損得もなく淡々と会議は進み、11月14日と15日の二日間の開催が決まりました。(内心はこの日愛南町でトレッキング空海があって、案内を受けているのですが大勢なので仕方がないようです)

 昨日は恒例によって近くの居酒屋で懇親交流を深める予定でしたが、私はどうしても外せない所用があってお暇してしまいました。私のような年齢になると考えと行動が中々一致しないものです。昨年も実行委員会の世話役でありながら、全国大会の実行委員長をしていたこともあって、手助けができなかった反省をしており、今年は貢献したいと思っています。

 社会教育も一方では重要といわれながら、市町村合併によってズタズタに引き裂かれた感がありますし、財政難を理由に社会教育に金をかけない風潮が蔓延し始めています。金が無くてもできる社会教育は私が実践済みですが、もう少し知恵を出す社会教育をみんなで考えてみたいものです。

 

  「あれほどに 燃えて理想の 火を掲げ 誓いし人も 燃え尽き寂し」

  「教育は 地域づくりの 基本なり 私だけでも 死ぬまで尽くす」

  「志 同じ人ゆえ 通じ合う 実に楽しい 次も楽しみ」

  「人は皆 自分本位で 動くもの かくいう私 自分本位で」

  

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shin-1さんの日記

○1千円と1万2千円の他愛のない話

 「あんたの車ETCつけてるの?」「定額給付金貰った?」という会話を巷でよく聞くようになりました。それだけ世知辛い世の中になったのかも知れません。民主党が高速道路の料金をタダにするという提案をした時、誰もが「そんな馬鹿な」と殆どの人が相手にしませんでした。その財源はどうするのだろうと疑い、民主党もいよいよ国民のご機嫌取りの政治団体になり下がったかと思ったものです。このことがきっかけではなかったのですが、民主党主小沢さんの株が急上昇し、麻生首相の人気をはるかにしのぐほど上昇、いよいよ政権交代かと期待されました。しかし小沢さんの自民党時代の暗い部分は秘書逮捕によって吹き出し、最近は涙の訴え会見をしてまで政権奪還に執着し、五十歩百歩の感をぬぐえないのです。

 その間隙を縫って自民党や政府は「どこまで言っても1000円」をキャッチフレーズに、高速道路の通行料値下げをテストケースとか景気回復と称して断行しました。バカ騒ぎが好きな私たち国民は早速悪乗りして、土日ともなると用もない群衆が高速道路をわがもの顔で走り、このままだと今年の連休は大渋滞を招くのではないかと危惧しているようです。

  私は天の邪鬼とでもいうのでしょうか、高速道路が値下げになってからまだ一度もその恩恵にあずかっていません。先日仲間と旅に出た世界遺産を巡る旅も中型のマイクロバスだったためアウトだったからです。妻は「せっかくETCをつけているのだからどこかへ行こう」と言っていますが、「無意味な走行は環境にも悪い」とCO2を理由にまだ出かける予定はないのです。

 先日伊予市役所から「定額給付金申請書在中」という封書が届きました。「ああこれが世の中を二分するような話題の手紙か」と思い封を切り中を開けてみました。わが家には家にいるのは私たち夫婦と親父だけですが、長男息子家族と次男も伊予市民です。ですから7人分の名簿と給付金額が記されていました。親父と長男の息子、つまり孫は2万円です。後の私たちは1万2千円です。私は今年の10月に満65歳を迎えますが、「お父さん残念じゃねえ、後少し早く生まれていたら2万円だったのに」と妻に言われましたが、金持ちの私(笑い)はどっちでもいいことなのです。

 それにしても「定額給付金なんて馬鹿げた自民党のばらまき」だと批判していた人たちも、何故かいざ貰うようになると一気にボルテージが下がり、定額給付金を寄付したなんて話は殆ど聞かれず、悪乗りするように1万2千円セールなどというアイディアで庶民の消費を喚起するような悪乗りも多くなってきました。確かに世の中が不景気になったと実感します。コンビニもスーパーも値下げして薄利多売を狙っているようです。悪評を叩かれた定額給付金ですが、ここにきて皮肉にも庶民から評価され始めたのか麻生総理の支持率が少しだけ上がってきたようです。

 それにしても政府にはよく金があるなあと思います。埋蔵金とか言われていますが、どこも火の車だというのに景気回復には何兆円という沢山のお金が湯水のごとく投入されているのです。凡人の私には分からない政府の台所です。

 まあ100円で好きな所へ行け、1万2千円の定額給付金を国民みんなが使えば消費は確実にするのですから、野暮なことは言わず私たちもしっかりと賢い消費をしたいものです。

 昨日定額給付金の申請書に所定の項目を記入押印し、本人である証拠として免許証と銀行通帳の写しを同封して発送しました。免許証と銀行通帳という命の次に大切な個人情報をいとも簡単に封筒に入れる不安が少しばかり頭をよぎりました。市役所を信用して送るのですが、もしや詐欺では?と思う私も随分振り込み詐欺などの情報に敏感になっているようでした。

  「千円や 一万二千の 文字並ぶ ささやかながら 心動いて」

  「あれやこれ 言いつつ金に 弱いなあ 小理屈いいつ 最後手を出す」

  「巷では 定額給付に 花が咲く 年金暮らしに ボーナス加算」

  「惜しかった 半年早く 生まれたら 孫と同じの 給付いただく」

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shin-1さんの日記

○散髪屋で男前を上げました?

 私は月に一回程度、大体月中の10日くらいに地元の散髪屋へ散髪をしに出かけます。短めの髪型の私は高校を出た頃からずっとこの髪型が気に入って、一度も長髪にしたことがないのです。「人のことなどほおっておいてくれ」と言われそうですが、長く髪を伸ばした男の人を見ると、どこか憂鬱になるのは性分かも知れません。自分の髪が少し伸びたなあと感じるようになると2~3日前から、妻に「そろそろ散髪しないと」とかまを掛けるのですが、答えはいつも「どこを散髪するん?」と言われます。

 「今日は散髪に絶対行く」と妻に言って午前中、単車で出かけました。今日は春日和の好天に恵まれ、野山も燃え立ち始め気持ちのいい朝です。合併して4年が経ちますが街中を走るとどこかさびしい感じがしてなりません。散髪屋はご夫婦が苅込はご主人、ひげ剃りや洗髪は奥さんとそれぞれ分担していて、大きな鏡に映った私の頭が次第に整い、男前に仕上がって行くのです。

 昔から散髪屋と風呂屋はその町の情報が全て集まるといわれるくらい町中のことがよく分かります。ご主人が開口一番「いい季節になりました」「選挙が近づきましたね」などと話の糸口を見つけてくれました。そういえば明日は市長と市議会議員の告示日のようで、自分には関係ないことなのでうかつに忘れるところでした。聞けば市長さんは無投票の公算が大きいようです。しかし議員は21人の定員に対し22人が立候補する予定でどうやら選挙になるようです。前回は合併ということもあって小選挙区での選挙でした。今回からは全市一区に代わるため、立候補しようとしている人は困惑しながら準備を進めてきたようで、私の家にも何人かの候補者が事前にあいさつに見えられたようです。わが家は私たち夫婦、親父、息子夫婦に次男と6票もある大票田ですから皆さんの当てにするのも無理からぬことです。

若松進一ブログ(街角に設置された選挙ポスター掲示板。明日はこの掲示板に男前の市長及び議員候補者ポスターが賑やかに貼られることでしょう)

 最近わが家のポストには選挙に立候補するある党のちらしが頻繁に入るようになりました。現職の政策実行実績についての意見が殆どですが、それなりに納得したりしながら読んでいます。明日から賑やかな選挙戦が展開され、連呼の声も賑やかになることでしょうが、一週間後には旨にバッチをつける顔ぶれが決まるものと思われます。せめてこれから一週間訴え続ける政策をマニフェストとして謙虚に実行してほしいと思うのです。


 散髪をしていると外を何人かの人が通ります。私が若かったころあの人も元気だったと思う人が高齢になり、まるでロボットのような歩き方をしている人が何人も鏡に写りました。その度にご主人とその人の近況を話すのですが、共通したのは「人事ではありませんな。もうすぐ私たちもあの人たちの仲間入りするのですから」と納得する会話を交わしました。

 老いは誰にも止めることはできません。子どもの数も少なくなり老いた人の数が気になるこの頃です。その分自分も歳をとったものだと実感しました。

 今日は若者たちがシーサイド公園で「オレンジデー」を開く予定になっています。頼もしい若者たちの行動を支援はできませんが、せめて枯れ木も山のにぎわいで参加しようと思っています。散髪して折角男前を上げたのですから見せびらかしたいと思っています。


  「月一度 頭すっきり 散髪屋 俺でも少し 男前なる」

  「歩く人 昔は若く あったけど 今はロボット 歩きのようだ」

  「散髪の 椅子にもたれて うとうとと 何時の間にやら 綺麗さっぱり」

  「散髪を しながら噂 耳向ける 知らないことが いっぱいあって」 

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shin-1さんの日記

○送られてきた一冊の講演録

 一昨日一冊の50ページほどの小さく薄っぺらい本が200冊、宅配便でわが家に届きました。届けた人が「ハンコを下さい」というので在宅だった妻が受け取り、「はて何だろう」と妻が開いて驚いたようです。中にはぎっしり本らしいものが詰め込まれていました。「地域と協力した青少年の健全育成」というタイトルで、人間牧場主(元双海町教育長)若松進一と表紙に書かれているのです。妻は急いで眼鏡を取りに行き玄関に座り込んで目次などを見たようでした。家に帰ると「お父さんあなたの本が届いている」と書斎まで運んできてくれました。

 ポケットサイズのこの本は、日本赤十字社愛媛県支部と愛媛県青少年赤十字指導者協議会が昨年10月21日、双海町下灘小学校で開いた研修会の折私が講演した講演集なのです。わたしはこれまであちらこちらの集会で請われるまま講演を続けていますが、講演のテープ起こしをして講演集が出版されたことは何度かあるものの、こんな立派な装丁をしていただいたのは久しぶりなのです。私の場合講演はその場の雰囲気で話すことが多く、そんなに筋道を立てて話さない性分なので、少し面映ゆい感じがしながら、思い出をよみがえらせるつもりで一気に読んでしまいました。

若松進一ブログ

 目次

 1、はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

 2、下灘小学校の思い出・・・・・・・・・・・・6

 3、青少年活動とのかかわり・・・・・・・・13

 4、青少年を取り巻く社会の変化・・・・・18

 5、青少年の健全育成・・・・・・・・・・・・・38

 6、これからの青少年教育・・・・・・・・・・47

 7、おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

 下灘小学校はわが母校です。2、下灘小学校の思い出という項目で私は三つ述べています。

 原風景

 こちらのほうには体育館ではない講堂があって、ここに木造の校舎がありました。そこから見ると、朝な夕な殆ど僅かですが、この校舎の窓から本当に瀬戸内海の穏やかな姿の中にきれいな夕日が落ちておりました。これは潜在能力の一番下の所にあるのかもしれませけれども、わずか七歳から十二歳までという学びの空間の中で、このいわゆる原風景というものが私の心の中にずっとあり、ひょっとしたら今までの町づくりでの夕日をテーマにした町づくりを起こしたきっかけになっているのではないかと思うのです。子どもにとって原風景というのは、大きな教育的な意味があるのです。そう思うと、私たちは今一度自分たちの周りを見渡して、自分の住んでいる所、暮らしている所の原風景の意味というのを、子どもたちに少し伝えていかなきゃいけないんだと思ったりもしています。

 二宮金次郎の銅像

 今の校舎の向こうに二宮金次郎の銅像がありました。

 私はその二宮金次郎の銅像を見ながら、二宮金次郎は何の本を読んでいるのだろうといつも思っていました。ある日のこと、私はその二宮金次郎の上に上がって、何の本を読んでいるのだろうかと見ていたら、そこを通りかかった校長先生から「お前はそこへなんで上がっとるんや」と尋ねられました。-中略ー

 武智信八州先生

 この小学校の二階に図書室がありました。そこで私は小学校五年生のときに、一冊の本と巡る会ったのです。どんな本かというと「ジョン万次郎の生涯」という本であります。-後略ー

 まあこんな具合にストーリーは進むのですが、7、おわりにではこう述べています。

 こうして、色々なお話をさせていただきましたが、かけがえのない子どもたちの未来のために、私たち大人は何をするのか。それは教育の基本である「寄り掛かることを不必要とする」、そして「水から考え行動しようとするような生きる力」を作ってやる以外はないんだろうと思います。

 そう考えると私は、二十一世紀を生き抜く子どもたちにこのJRC活動でそれらを培っていただければ、必ずや都会に行こうが何処に行こうが、ふるさとを忘れない一人の人間として、生きる意味を自分から作り上げていくのではないかと思っています。-後略-


 文字は残る故、書き言葉ではないしゃべり言葉での編集には少々悔いが残りますが、まあ本筋は語っているのでひとまず安心しました。90分間でこんな話をしていたのかと、あらためて喋ることの難しさを痛感した一冊の本でした。

  「送られし 講演集を 読みながら 恥ずかしいやら 面映ゆいやら」

  「アクセント 方言語る 癖ありて 喋り言葉に 臨場感あり」

  「妻いわく こんなおしゃべり しているの? そんなつもりも ないのに話す」

  「ああ駄目だ まだまだ修業 足りないと さらなる飛躍 この本誓う」

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