shin-1さんの日記

○今日から世界遺産を巡る旅

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループでは、昨年から世界さんを巡る旅をスタートさせました。昨年は南紀熊野古道を巡る旅でしたが、参加した仲間は自分の足で歩く熊野古道にいたく感動して、今年の総会でも満場一致で決まったのです。

 今年は欲張って広島原爆ドームと安芸の宮島を今日見学して広島に一泊して明日は石見銀山見学を予定しているのです。今日は天気が下り坂だそうですが、「雨もまたよし旅に出る」てな感じで間もなく出発します。旅に出るためにはブログを2本キープしておかなければならないので、妻のセットした目覚まし時計は5時まもなくですが、私はいつも通り4時に起きて既に巻き寿司とお節句のことを一本書きました。

 中国地方には今回巡る3ヶ所の他に岡山県姫路城が世界遺産になっていますが、今回はルートから外れているため次回に回すのだそうです。私は今回行く3つの世界遺産は既に見ていますが、仲間と思い出を共有することに意味があるのです。

 

 昨年は私たちが訪ねた直ぐ後に中辺路の牛馬童子の首が何者かに壊され持ち去られたという痛ましい事件が起きてショックを受けましたが、日本人の心ない人のモラルも地に落ちたものだと、メールをやり取りしたことがつい昨日のことのように思い出されるのです。

 中国地方にはこのように4つも世界遺産があるのに何故か四国には一つもないのです。私たちの仲間が四国遍路道を世界遺産にしようと運動を起こしていて、暫定リストの候補に上ったものの足踏み状態になってることは残念ですが、たとえ世界遺産に登録されていなくても、世界遺産的な価値のある四国遍路道をしっかりと守り発展させてゆくことは、四国に住む者の責務だと思うのです。

 (時間が来ましたので出発します。この続きは明日の夜帰ってからにします。ごきげんよう。ここまでは自宅にて急ぎ足の部ログ書き込む)


 今日は朝5時30分に妻の運転する自家用車に乗って家を出ました。出掛けに散歩に出かける91歳の親父に出くわしました。「どこへ行くのか」尋ねたので、私は「中国地方へ行く」といったら親父は「遠いとこじゃのお」というのです。確かに島根県は遠いですが、親父はどうも「北京は上海のある中国と勘違いしていたのではないかと後で思いました。

 松山市駅で待ち合わせをして、メンバーの河野さん運転のレンタカー(マイクロバス)で出発しました。心配された雨がポツポツと落ちるあいにくの天気でしたが、海岸周りの196号線を今治まで走り、今治インターで今治組み4人を乗せさあ出発です。しまなみ海道をひた走りに走り、福山西から山陽自動車道に乗り、最初の目的地岩国錦帯橋を目指しました。錦帯橋は世界遺産にはなっていませんが、世界遺産を目指して活動していて、あちらこちらにその運動を示すのぼりが立っていました。

 私たちの今年の世界遺産をめぐる旅がいよいよスタートです。天気は春雨といったシトシト降りの雨模様でしたが、13人の同行者と楽しい旅がいよいよ始まりました。(ここまでは宿舎となったスーパーホテルのロビーにて書き込みました。まもなく22時19分です。)朝が早いのでもう休みます。お休みなさい。

  「どこへ行く 聞いた親父に 中国と 親父どうやら 中国違い」

  「欲張って 世界遺産を 三つ見る 旅は少々 きついようです」

  「雨もまた 良しと思えば 苦にならず 旅を楽しみ ながら談笑」

  「四国には 世界遺産の ひとつだに なきぞ悲しく 思うなりけり」 


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shin-1さんの日記

○巻き寿司はおふくろの味の記憶

 今日はお節句です。昔は雛あらしといって、前夜母親の作ってくれた豪華?な弁当を持ち、気の合った子どもの仲間たちと野山に繰り出して弁当を広げて食べたものです。私たちが少年時代は戦後間もないこともあってどの家も貧乏で、貧しい暮らしをしていました。日頃は麦ごはんにコンコくらいな食事でも節句は格別で、巻き寿司や羊羹が2段重ねの重箱に風呂敷包みされ、至福の時を過ごしたものでした。

 巻き寿司には漁師町らしくアナゴが焼かれ、ミツバやゴボウ、乾瓢、シイタケと一緒に具財として巻かれていました。海苔も黒海苔と青海苔があったと記憶しています。母は忙しい合間を縫って夜遅くまで巻き寿司を台所で作っていました。またヨーカンは海で採って晒した天草を使って布巾の袋で絞り、型に流し込んで、赤や青の色子で着色して手作りしていました。

 朝4時過ぎには母親が起きて、台所でコトコトとまな板の軽やかな音を立ててそれらの材料を重箱の中に手際良く入れていました。庭先の一つ葉やゆで卵に南天の葉っぱを使って兎の耳に見立てたり、かまぼこも切れ目を入れて鮮やかな飾りを入れて、リンゴだって可愛いウサギに変身していました。

 朝日が昇る頃その作業が終わり母が「出来たよ~」と起こしてくれるのです。勿論5人の子供はみんな一斉に飛び起き、自分お弁当の包みを確かめてから着替えました。

 まあこんな感じで、お節句の思い出が母親への思慕とともに鮮明に蘇ってくるほど、貧乏ながら幸せだったと述懐できる私は幸せです。わが妻も母と同じように嫁いでからこれまで、40年近くも巻き寿司を巻き弁当を作ってきました。昨日も忙しい仕事の合間を縫って巻き寿司を巻いていました。私が今日から二日間家を留守をするため、せめて昨晩食べてもらおうと思ったそうです。また親父も節句の弁当を心待ちにしているのです。

 巻き寿司を巻きながら、最近の若いご家庭では巻き寿司の巻き方さえも知らない人が増えて、近所のお寿司屋さんは注文に追われて、時ならぬ忙しさに嬉しい悲鳴を上げていると聞きました。わが家でも私たち夫婦と親父の3人だけですから、4~5本買えば済むのでしょうが、私はやはり妻の巻いた素朴な味の巻き寿司の味が好きなのです。早速昨晩の食卓には巻きだちの巻き寿司が並べられて彩りを添えていました。

 今朝は私を待ち合わせ場所の松山市駅まで送ってくれるついでに、娘と息子の家へ届けるのだそうで、少し余分に巻いていたようです。

 母から子へ日本の食文化は伝えなければならないはずなのに、今の日本はどこかで伝えることを忘れていることが多いようです。巻き寿司は買えば手間もかからないし美味しいし、お金もかえって安くつくかもしれません。しかし巻き寿司に食材とともに巻かれたおふくろの味は絶対出せないのです。プーンと匂ってくる酢の匂いや、海苔の香りはまさに家庭でしかできない味だと思うのです。

 妻の巻き寿司を巻く姿を見て、私はいい人と巡り合ったと、お世辞ではありませんがついつい嬉しくなります。妻の年代でも巻き寿司を巻かない人がどんどん増えているのです。私は妻の巻き寿司の巻き方を息子嫁に伝授して欲しいと願っています。今は子育てに忙しく、来月には二人目の子どもが誕生する予定なのでそれどころではありませんが、間もなく同居の予定なのでその時には是非と願っています。

 私がそうであったように、子どもも母の手作りの味を覚えています。その覚えた味を自分たちの子どもにおふくろの味として記憶させてほしいと願う私は古い人間なのでしょうか。


  「巻き寿司を 巻いてる姿 母に似て 妻はしっかり 味を受け継ぎ」

  「いい人と 結ばれたなあ 思うのは 巻き寿司作る 姿見た時」

  「巻き寿司の 一つも出来ぬ 人多く この国どこか 可笑しくなって」

  「巻き寿司は 店で買うもの 定着し おふくろの味 袋になった」

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