shin-1さんの日記

○松山教育事務所管内社会教育・社会体育担当者会に招かれて

 今日は管内の社会教育・社会体育担当者が集まるので、一席ぶってほしいと頼まれ、久しぶりに中予地方局へ行きました。県の出先機関は昨年の機構改革で5つの地方局が3つに統合されました。中予地方局と呼ばれるようになった施設には、かつては3日にあげず行っていましたが、この一年所用も全くないため覗いていませんでした。それでも教育事務所や普及センターなどがあるため、かつての知人友人たちもいて、久しぶりに懐かしい顔々に出会いました。

若松進一ブログ

 さて市町の担当者が30人ばかり集まっていましたが、驚いたことに教育事務所所長さんまで私の話に耳を傾けるというので、「社会教育担当者に期待する」というタイトルで用意していた話を急遽止め、私の経歴がらみの話をさせてもらいました。というのも社会教育の発展は担当者のやる気が何よりも優先すると思ったからです。

 私の経歴にまつわる話を次の20項目にわたって話しました。

 ①漁師としての7年間の漁業活動

 ②青年団での8年間の活動(仲間・ふるさと・主張・感動心)

 ③公民館主事として13年間の自治公民館を拠点とした活動

 ④結婚披露宴537組の司会をした活動

 ⑤町の広報ふたみを毎月2回10年で240号発行した文筆活動

 ⑥夕焼けコンサートを皮切りに20年の夕日をテーマにしたまちづくり活動

 ⑦20年間で100人を海外へ派遣した人づくり活動

 ⑧20年で200人を無人島等に運んだボランティア活動

 ⑨丸木舟瀬戸内海航海・竪穴式住居復元・大野ヶ原モゥーモゥー塾等の冒険活動

 ⑩双海町東越の廃屋を利用した10年間で40回のフロンティア塾活動

 

 ⑪えひめ地域づくり研究会議代表としての20年間のまちづくり活動

 ⑫高校PTA会長としての6年間のPTA活動

 ⑬役場に勤めた35年間の活動(最後は教育長)

 ⑭観光カリスマ100選に新ばれてからの講演活動

 ⑮退職後設置した人間牧場での活動

 ⑯1日3枚×1ヶ月×12ヶ月×24年間のハガキ活動

 ⑰毎朝5時から8時までの3時間、12年間の海岸清掃活動

 ⑱自著本6冊の出版(町に吹く風・昇る夕日でまちづくり・今やれる青春・夕日徒然草・ミレミアム2000年その日   

  私は)

 ⑲気になるカバンを提げた全国行脚

 ⑳愛媛大学非常勤講師として6年間地域活性化論講義

 さて私の経験から生まれた理論でない論理にどれほどの意味があるのか、それはこれから社会教育を目指す人たちに少なからず参考にしてほしいと願ったものであり、90分の当たられた時間いっぱいお話をさせてもらいました。


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  「演壇の 前で瞬間 内容を 差し替え話す 俺も中々」

  「この話 ところどころに 隠し味 学んでほしい 想いちりばめ」

  「この話 詳しくやれば 四~五時間 必要だけど 早口喋る」

  「お茶でもと 偉くなりたる 人の部屋 無冠の俺を 優しく招く」 


  

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shin-1さんの日記

○虫の目になって見ることも大事

 昨日外出先から帰ってみると沢山の郵便物に交じって一枚の絵ハガキが届いていました。私の友人でえひめ地域づくり研究会議事務局長の岡崎直司さんからでした。岡崎さんとは彼が八幡浜市にある建設会社で、「あけぼの」という失礼な話ですが建設会社らしからぬ広報を担当していた頃知り合いました。私もかつては町の広報を担当していたこともあって、彼の視点の鋭さに驚いたものでした。その後私が代表運営委員、彼が事務局長という名コンビでつかず離れず色々な出会いを重ねてきたのです。

 彼は通称路上ウォッチャーで、足元の下水蓋であろうと屋根の鬼瓦であろうと目につく珍しものはどんどん写真に収めてスライドにして、勉強会などで参加した皆さんに紹介するのです。その域はプロで、確か「歩きメデスは見た」という彼の本は愛媛出版文化賞を受賞しているのです。まあとにかく彼の目から見れば何でもお宝に見えるようで、やかんの古くなったやかんを植木鉢にして何気なく置いているユーモラスな一品をスライドで見せてもらったとき、思わず吹き出してしまいました。

 彼は父親の転勤でまるでジプシーのように20数回移転移動した珍しい経験を持っています。ゆえに好奇心旺盛な目と心が育ったのだろうと思うのですが、彼の作品と思える自分の目で見た珍しい写真は、古い文化の消えゆく現代にあって、貴重な資料として記録に残ることでしょう。

 昨年愛媛県西予市を主会場に開かれた町並みゼミも彼は実行委員長を務めた若い大氣さんたちと一緒になって孤軍奮闘して見事に成功させました。私が実行委員長をしていた地域づくり全国大会が官の力であったのに対し、彼がやった全国大会は民の力でした。大会はいずれも成功し甲乙つけがたい成果を収めましたが、民の力は後に続くものだと、その後の活動を見て思うのです。

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 岡崎さんの許しを得ぬまま、手元のカメラで転写しましたが、絵ハガキの表に「写真は上灘川上流大カーブ、安山岩のハネ出し石(源田石と同質)」とペンで走り書きの注釈が付けられていました。

 このように私の町の石垣であるのにわたしはこれまでその存在さえも分からなかったのです。遠くを見ることも鳥瞰として大切ですが、虫瞰として足元を見ることもまた大事で、複眼の視点こそ大事だと改めて教えていただいた感じがしました。

 このハガキは先日宇和町で開かれた集会に招かれた折、出席していた彼が私の話を聞いての感想とお礼状でした。末尾に「返信のお気づかいは無きよう」と書かれていたので、あえて返信はせず、返信に代えてブログに感想をしたためました。


  「エッこんな 珍しいもの あったのか? ウォッチャーハガキ 見ても気づかず」

  「そういえば 記憶辿りつ あそこらか 一度訪ねて 価値を認識」

  「わが町も その気になって 見てみれば 結構楽しい 所いっぱい」

  「虫の目と 鳥の目二つ 持ち合わせ 生きて行けよと 教えるハガキ」

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