shin-1さんの日記

○いい情報を発信しなければいい情報は受信できない

 最近私が参加している年輪塾ネット上でホットな話題がミツバチと教育論です。教育論にせよミツバチにせよ、興味のある人は読んだり自分の考えや思いを書き込みますが、興味のない人にとってはくだらない議論と思うのでしょうか、反応もなくまるで無視しているような感じがしないでもないのです。

 一昨日ネットを管理している仲間から、年輪塾生たちの書き込みが少ない件に関していかがなものかと電話がかかってきました。私も気になっていたことなのであれやこれや話をしましたが、いつの時代も、どんな組織も幽霊会員はいるもので、年度当初で仕事が忙しいのかも知れないので、もう少し様子を見ようとお話ししました。そういいつつ年輪塾ネット上での自分の情報発信もそんなに出来ていなかったと少し反省しました。最近いつも思うのですが、いい情報に巡り合うにはまずいい情報を発信しなければなりません。情報とは一方通行ではなく相方向であることを肝に銘じなければならないのです。

 昨日山奥組の井上さんからミツバチについて年輪塾ネットに書き込みがあったので、今朝人間牧場へ行ってみました。一昨夜から低気圧と前線の影響で体地を揺るがすような南西の風が吹き荒れたため、人間牧場に設置しているミツバチの巣箱が風で吹き飛んでいないか心配だったのです。井上さんは私が忙しいことを百も承知で、わざわざ野村町から人間牧場へお輿入れしているミツバチの様子を、私が留守にもかかわらず見に来てくれたのです。そしてミツバチの巣箱を掃除し、分封が近づいているため他の2つの巣箱に蜜蝋を塗り直し、入口にはミツバチを誘うようにランの花をペットボトルし差し込み網をかぶせてくれていました。またもう一つ持参した箱をヤマモモの木の根元に設置して万全を期していました。これで人間牧場には4つも巣箱が誕生したことになるのですが、井上さんの言うようにミツバチは気まぐれな小動物だけに果たして上手くいくかどうか気がかりなのです。

若松進一ブログ

(ヤマモモに木の下に井上さんが設置したミツバチの第4の巣箱)

 4つの巣箱は井上さんの配慮でしっかりと固定されているため、大風の難を逃れてしっかりと座っていました。来月23日には子ども教室が人間牧場で開かれる予定で、その折ミツバチの話を子どもたちに話してほしいと、井上さんに頼んでいますが、ミツバチの定住を心から祈っています。

 井上さんのお陰でミツバチのネット情報、8チャンネルの存在も知りました。井上さんは8チャンネルを通じて知り合った人と情報交換しながらミツバチ飼育の腕をあげようと努力していると聞き、人知れず努力している姿に頭の下がる思いがしました。

 「そのうちミツバチでも飼おうか」などと完げている人も多いようですが、他のことと同じようにミツバチの世界も奥が深いようです。


  「大風が 大地揺るがす ほどに吹き 心配したが どうにかもって」

  「幽霊の ような人あり 音沙汰も ないと心配 わが子と同じ」

  「情報は 発信せずば 受信量 期待できない 肝に銘じて」

  「箱の中 どんな営み してるのか 見えない世界 詮索しつつ」


 

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shin-1さんの日記

○限界集落勉強会で平岡地区を訪ねる

 昨晩、「過疎と高齢化がすすむ集落を考える」通称「限界集落勉強会」が伊予市平岡地区で開かれ、メンバー10人とともに出かけました。限界集落という言葉が差別用語のようにも聞こえると、限界集落という言葉以外の呼び名を探していますがいまだ見つからずお茶を濁しています。

 私にとっては先日犬寄地区の高市さん宅や松浦さんのゴリラハウスで行われた吊るし雛まつりの折、訳も分からず赤海(あかさこ)から平岡を通って大平へ下りた経緯があるので、大体の土地勘は分かっていましたが、緑風館で待ち合わせ車2台に分乗して急峻なつづら折りの山坂を登りながら、限界集落になる理由などを考えていました。集落の中心と思しき平岡地区は標高300メートル近い場所にあって、眼下には離山越しに瀬戸内海が一望できる素晴らしい眺望が開けていました。

 16戸ながら集会所に集まっていただいた方は18人で、いずれも私たちの年齢を超えた人たちでしたが、聞けば全員車の免許を持っていて、今のところ暮らしの不便はないそうです。しかし2キロ余り遠くからパイプを引いて確保している飲料水の当番見回りや、佐礼谷の診療所へ通うこと、買い物に行くことなど、車に乗れなくなるであろう5年、10年先のことを考えれば不安が募ると心情を吐露する意見が相次ぎました。


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 「この地区が好き」「この地区に死ぬまで住みたい」というふるさとを愛する気持ちは他の限界集落と同じで、「何とかしなければこのままでは自然消滅をする」という焦る心もありました。私たちは限界集落勉強会といってこうして限界集落へ入り意見を聞いていますが、この日は少し方向を転換を試みてみました。

 限界集落に住む人たちの願いは「道さえ良くなれば」と、道の改修をいの一番に言うのですが、道が良くなれば限界集落が解消するという保証はどこにもないのです。平岡地区までは県道が通っています。財政的に厳しくなったと言いながら県道ゆえに草刈りなどの道路維持は県がしてくれていたようですし、一部狭い道があってもかなり広い道のようでした。起点となる大平から2キロ余りですからそんなに遠い距離でもないのです。要は「あきらめ」の気風が蔓延しているようにも思える気の持ちようが問題なのです。一歩前へ踏み出す勇気を持たねば、他力本願で集落を守ることは絶対できないのです。

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 ふと見上げた集会所の壁に面白い「ほんに平岡来てみんきんよ」という歌が張り紙的に貼られていました。

 1、朝日輝き城主山に 燃える百姓の心意気

   そよぐ山々蜜柑の香り ともにほほえむ顔と顔

 2、瀬戸の海風そよそよ吹いて そっと寄りそう木々の影

   今日は草刈り明日は摘果 ともに励まん夫婦愛

 3、今日もさえずる千人がくれ 木々の梢に百舌の声

   みかん畑は黄金に光り うたう歌声楽しげに

 4、うなるエンジンはさみの音も 休む間もない小春日に

   いとし若妻かわいい手甲 手甲がすりの紺におう

   (ほんに平岡来てみんきんよ)

 もう色あせて張り紙の存在すら忘れているこの張り紙は繁栄の往時をしのぶ十分な資料ですが、こんな気概が集落づくりには必要だと痛感しました。「是非また会いましょう」と口約束して充実した勉強会を終えました。夜の帳が下りた眼下には伊予市市街の明かりが印象的に見えました。


  「限界と いう集落をへ 行く度に 他力本願 どこか諦め」

  「壁貼りし 歌に往時の 姿あり 気概はこれだ 遅くはないと」

  「いいとこと 誰もが口々 言いつつも 人減り進む 寂し集落」

  「十年後 ここは果たして 残るのか 不安払拭 はじめの一歩」

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